昨日の続きです。
サカ族は、おそらく日本に海を渡ってきて、鹿をトーテムにしていたと考えます。
中国では、塞とよばれていましたが、古代でも、サカは塞の働き、境界を司るものとしての特性もあります。
熊を倒した金太郎のお話があります。神奈川県の足柄山の坂田金時です。力持ちの勇敢な子ですね!熊を倒しますが、相撲で勝ち、マサカリ(武器)は使いません。実は山の動物とは仲良しなんです。
足柄山の別のお話が古事記にもでてきます。足柄之坂本神(あしがらのさかもとのかみ)です。
足柄神社という神社が元々は足柄山にあったようで、矢倉明神社とも云い「坂の神」、「峠の神」として恐れられ信仰されていたようです。
この坂(足柄峠)より東を「坂東」と言うようになったともあります。
ヤマトタケルの東征でも足柄山の鹿の話が出てきます。
景行天皇の時、日本武尊が蝦夷討伐のあと、大和へ帰ろうとまた碓氷峠の足柄山坂本に着いた時、白い鹿を誤って殺したことから、状況が悪化しヤマトタケルは致命傷をおう話です。
坂東への境をこえて蝦夷討伐後に、坂東の境で鹿に会い致命傷を負います。因果応報なのか、サカ、シカ、坂、鹿、サカ、シカ。。。境、鹿。。。
何でも、境や峠を越えたら、良くなったり、逆になったり。坂は、キーポイント。心は境に随って、転じると言われています。
群馬と長野(信濃)の佐久(サク)あたりの境(サカい)にも、同様の碓氷峠という地名があり、坂東と信濃の境の難所となっているみたいです。碓氷は、薄い氷。薄氷を踏むみたいにギリギリなイメージを地名に感じます。また、佐久は大祓祝詞でも祓いの筆頭の神、瀬織津姫のところで出てきます。
信濃にも、国譲りを無理やり認めさせた抵抗勢力、タケミナカタ神がいたから、境界を意味する似た地名がついたのかなぁと勝手な空想をします。
古代日本の勢力を分ける境(サカイ)のひとつは、
東北の坂東からさらに北上した蝦夷(出雲族が逃れた末裔)だと思っています。
もうひとつは
信濃かな。
他にもありそうですが。。
ところで、
あの世とこの世の境(サカイ)にも、
『さか』が出てきます。
サカには、黄泉比良坂(よもつひらさか)というのもあります。日本神話において、生者の住む現世と死者の住む他界(黄泉)との境目にあるとされる坂、または境界場所。
また、ヤマトタケルの話の中に、足柄の碓氷の坂本より東を「吾妻」アヅマ、西を「河内」と呼んだともあります。
アヅマの「ア」の阿には、離れて入り組んだという意味があり、アヅマは、離れた妻?となるかも。。笑
河内は、カワウチだけでなくカナイ、家の内の妻。の響きも。
男の人にとって、妻は自分のテリトリー、女心が解れば河内(家内)?わからないと、アヅマ、、なんてね。笑
単なる言葉遊びです。
サカ族からはじまり、鹿や境、塞の神へ、途中から古代史の謎より、日本語の言葉遊びになってしまいました。(o^^o)
塞の神は、古代縄文の神であり、交通の神、性の神、夫婦の神、さえぎる神、道祖神、、などなど、色んな意味を持ちあわせますが、
自分の中にある見えない境、境界に折り合いをつけることを目標にする神かもとも思います。
自己を肯定出来ない場合は、自分と向き合い折り合いをつけ、
夫婦や家族と喧嘩したりしてしまう場合は、そこに折り合いをつけ、
他人と仲良くできない場合は、他人と向き合い折り合いをつけ、
他国や隣国と仲良く出来ない場合は、そこと向き合い折り合いをつける。
神話の黄泉比良坂の境は、
この世とあの世を、伊弉諾様と伊奘冉様をわけました。
伊弉諾様は、黄泉比良坂でイザナミ様に追いつかれてしまい、千引石で「坂」を塞ぎ、妻に「ことど」を渡して追い返し、無事に葦原中国に戻ることができました。(ことどとは、配偶者と縁を切る呪言)
黄泉の国から戻ったイザナギ様は筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原というところへ赴き、そこで禊ぎをするために、身に着けていた物を次々と投げ棄てていきました。すると、それらの物から次々と神が成っていきました。
イザナギ様が、今は亡き愛する妻、代わってしまったイザナミ様を思う心と折り合いをつけたのでしょうか。
人と人の関係でも合わなくなることは、誰しもあります。
その場合は、心に折り合いをつけることが、前に進むきっかけになりそうです。
ところで、鹿🦌はお釈迦様の説法を初めて聞きます。
お釈迦様は鹿にどんなことを優しく話されたのでしょうか。鹿の心にわかるように心でお話しされたんですね。
仲良くしましょうね、、
境を緩め
角は引っ込め
和しましょうね、、
なんて事かもしれませんね🤭
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