随分前に書いた創作物語です。むかし話風に、しかし少し怖いかも😅🍁❄️
それでは、どうぞ〜
鬼神界の中に餓鬼という鬼達がおり、餓鬼は、その名前のとおり、飢えている鬼でございます。
肉体を持って生きている時だけ、肉体を失った後の世界の行き先を決めるヒントが隠されており、鬼神界の女神シテとクレハが見込んだ餓鬼達は、地上に試験を受けにいくこともございます。なぜなら、餓鬼のいる世界と似た世界は地上にもあるからでございます。
飢えるのは、食欲に飢える、権欲に、物欲に飢える、情欲に飢える、など、まさに、終わりが無い世界なのでございます。
餓鬼達の中で、鬼神界でそれなりの辛い修行をし改心をして、女神達から切符を渡された御魂達は、地上に降りるのでございます。
しかし、そのような記憶は抜かれているため、地上でのほんの100年に満たない貴重な改心の時間を無駄に過ごし、再び鬼神界に戻ってくる御魂が殆どでございます。
鬼神界の女神、冬を司る雪女シテと秋の紅葉を司るクレハは、現世に送りだしても、鬼神界に戻る御魂があるうちは、この世界に留まり、なんとか、皆を天国へあげたいと、時には凍えるような冷たい修行を、時には火で炙り続けるような修行を、帰還した鬼の御魂に課すのでござしました。冷たさは心の反影。火は闘争心、他者を打ち負かしたい心の反影。
修行は、次のようなものでございます。
まずは、地をゆっくりと沼に変えるのでございます。はじめは、足を踏み入れ少し緩いと気づく程度ですが、だんだんと、土は固さがなくなり、どんどんと身体が沼にはいっていくのでございます。ぬけられない泥にしてから、鼻の下まで泥で埋めるのでございます。身体は重い泥に囚われ動けないのでございます。
それから、次は雪を降らせ凍らせるのでございます。身体を埋めた土の方が鼻より上よりは温かく感じるのでございます。
しかし、あまりにも冷たい地上の温度がゆっくりと地下にも届き、全身ゆっくりと凍りつくのでございます。地上で生きた時に、他人に与えた冷たい心、差別心、虐めた心を感じるのでした。
そして、だんだんと、雪解けから温かくなり、灼熱の太陽で、氷を溶かすのでございます。助かったと思うのも束の間、沼を日照りにします。この熱さは、不当な戦いや闘いにより他者に傷を与えたからといえましょう。
肉体が亡くなった霊魂が、それらを感じる苦痛といったら、地上で生きた時に感じた欠乏感も、どんな渇望の気持ちも、大した事はなかった、反省のチャンスを無駄にしたと咽び泣くのでございます。自分と他人が実は一つから派生したに過ぎなかったとわかり、心底他者を区別した自らを悔いるのでした。
しかし、まだ容赦はございません。紅葉を司る神クレハ様が落ち葉を沢山降り積もらせたら、そこに火を点けるのでございます。地上界のような肉体はないので、火傷などの心配はございませんが、その苦しみは、地上でそれを受け死ぬ方がましだと思うのでございます。永遠に続くのですから。そして、また雪が積もるわけでございます。
その間に、自らが地上の世界で欲していた様々な欲のちっぽけさに、どの餓鬼達も必ず気づくのでございます。しかし、沼からはでる事が出来ないのでございます。
地中にうもった餓鬼達の中で、助けてください、許してください、とシテ様やクレハ様にお願いしても、埋もれた地中から出る事が出来ないのです。
肉体の無い世界は感覚だけが鋭敏であり、時間の概念が解き放たれていますから、底なし沼、無限地獄の様に感じるのでございます。
鬼神界を抜ける試験がございますが、それを受けに、地上界が用意されているのでございます。
様々な満たされない思い、飢えに身を投じた御魂が、地上に多い一因がここにあるのも事実でごさいます。
鬼神界の女神シテ様とクレハ様は、餓鬼達の中に芽生えた、心からの懺悔を見たときだけ、沼から掬いチャンスを与えたのでございますから。
しかし、地上での荒波にのまれ、また同じ事を繰り返す御魂に、落胆の念を感じざるを得ないのでございました。
地上界を卒業し、閻魔様に必見した御魂の中には、鬼神界を卒業して天上界に向かう御魂もある一方、鬼神界以上に厳しい救いようのない地獄の底なし沼に堕ちゆく御魂も存在します。
それらの縁ある御魂をシテ様もクレハ様も静かに見ておられるのでございます。
鬼神界にいらっしゃるシテ様とクレハ様は、地獄に落ちた御魂を1人残らず救い天国にあげたいという地蔵菩薩の化身でございました。
【画像はお借りしました】
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