期待しないということは大切だなぁと思います。
他人に期待しないことです。
期待は、一種の欲だなと気づきました。
全くの善意でやったりしたことが、受け取る側が全く予想外の反応をした時にショックを受けたりするとしたら、それは、受け取る側に自分と同じように思って欲しいという独りよがりの欲があったという事かなと気づきました。
そう考えると、人の欲とは物欲とか食欲とか
わかりやすいものだけでなく、
本当に無限に沢山あって、無欲にはなかなかなれないものだなぁと思います。
そうして、善意でのおこないさえ、全く違う受け取り方をされたりした際に一瞬感じるチクリと胸を刺す痛みには、またひとつ、自分の中にある欲する気持ち(=欲)を、他人を通して気付かせてもらえた痛みであり、それはひとつ学んだことでもあり
全て良かったなと思います。
自分がされたく無いことは他人にしない
自分が言われたら傷つくことは他人に言わない
というのはとても大事だけれど
自分が良いと信じたこと、善意でさえ
他人がどう受け取るかを
期待する気持ちが少しでも
自分にあったとしたなら
それは、お節介かもしれないし
たまたま独りよがりの期待だったと
わかった際の心の持ち様は
さらりと、あー、
自分は欲を捨てきれていないんだなあと
流せるように、他人に期待しない事を学びました。
自分の心を守り磨くのは
静かな流れの川も止まっていないように、自分が気づいてなかった欲がわかれば直ぐに流し削ぎ落とすことかもしれないなと思っています。
誰が見てなくても行う行為であれば、比較的まちがわないですむかもしれません。
そんな気づきを大切にしたいですね。心が澄まされました。
悪のなかにも、善が隠れていたりするかもしれませんね。
仰る通りですね。
善悪はどちらかに偏るから、真ん中ではなく、善の中の悪も、悪の中の善もありますね。
他者に期待する時点ですでに欲なのかもです。欲はよくない。笑
善悪なんて人によって、状況によって
違うわけですしね。
自分の思いなど固執せずどんどん
流していくことかなぁと感じています。
コメントありがとうございました。😊
人に悪く言われることを悲しむことも欲なのかもしれませんね。欲がなければ平然としていられる筈ですから。
すべからく、人の為、いや、神の為に行えば、なんくるないさあ。
人には善なる欲あり。悪なる欲あり。枯れた人なれば、善も悪も関係無く、我が道を行くのみと、なりますが。
枯れた思想、枯れた悟りは、無用の用であり、それこそが、怠惰なる悟り。
故に、無理して、欲を削ぎ落とす必要もなく、悪く言われて良く鳴る仕組みと、割り切る前向きの精神が大切であるかと考えます。
たとえ、曲津が荒ぶとも、たとえ、大地が震えるとも、人の誠が世を済う。
はじめに、この内容は水仙さんの身に起こったことに対して書いた訳ではなく、自分が気落ちしないように書きました。
もし、言葉にトゲがあったとしたら心よりお詫びします。
「人に悪く言われることを悲しむことも欲なのかもしれませんね。」
という事ですが、
人に悪く言われる所が、自分の心に照らして無いなら、その悪口を言う方の問題だと思います。そもそも、悪口は言わない。これって大事だと思うんですけど、今の時代悪口や噂話に溢れています。
人に悪口を言われて平然と出来る人は少ないかもしれませんし、悲しみ=欲かどうかは私にはわかりません。
自分は悪口をいうような人と同じ事は絶対しない、神様にそむく事をしないと思う事で、心を守ればよいかな、、なんて思います。
だからこそ、悪口を言わないことを悪口をいうような「他人に期待しない」こと、悪く言うのは相手の問題として、自分と切り離して自分の心を守るのは、自分の内なる神様を大切にすることに繋がる気がしています。
コメントありがとうございました。
こんばんは♪
なんくるないさ。
そうですね。すごい気分爽快です。
感慨なく出た言葉こそ、すくいの言葉です。ありがとうございます😊❣️
私は色々直ぐに感じてしまう人間なので、割り切っていく事は大切だと思います。
ガラスのハートって、姉に言われたこともあります😅が、ハートは守って割れないようにしながら、割り切って生きます。
誠の心をもってなしたことですからね。
前向きに頑張ります。😉
本当にありがとうございました🥰