年明けから見始めた三世三生十里桃花58話を無事にみ終わりました。
何度も観ているから、特にハラハラすることも無く落ち着いて観る事ができました。
最後はハッピーエンド。良かったです。
色々あったけど、良かったなぁ。
そんな感じで終わりました。
私の生涯も、最期息を引き取るときはそうありたいなと思います。まだまだ、この世に生きたいですけどね😚
そうしたら、あちらの生活がスタートしますね。♾️
修練で得た力を神様が薬に変える場面が何回か出てきます。薬は丹です。そしてその時、錬丹炉を使います。そこで、自らの力を取り出して薬草と力を炉で変成させて、丹を作り、苦しみの渦中にいる神々を救います。
まさに火による錬丹です。
自らの利己的な欲で、その炉を使ったりは神々はしません。必ず、瀕死の神を救おうとして、自分の力を差し出します。
また、瀕死の神は、自らの命を他を生かすために差し出し瀕死になっています。自己犠牲ではなく自己発露、その助け合いの連鎖が繰り広げられます。
そうして、神様は、苦しみの渦中の神様を救うのです。ドラマでは、炉は昆倫山の聖域にありました。
それを観ながら、
自分の胸に、そのような聖なる炉があって、自らの心の灯火を不滅の火に変えられると良いなぁなんて思いました。
ドラマでは、人間は神々からみたら何の力もなく、人間界は罰として行かされるような世界でした。
生まれる時点で、やり直しのスタートなんだなと思いました。
しかし、神々のような力(エネルギー)はなくても、自分の胸に聖なる場所を感じながら生きることは、人にも出来る、そう思っています。
神々は自らの修養の力を、炉の火の中に入れ強力な丹を作ります。血を吐いてしまうくらいですから、自神には相当のダメージがありますが、他を救うためには厭いません。
人も、胸、心臓あたりに、優しさや愛や誠を感じることで、ほっこりその空間が温かくなります。
神々のように修養の力を火の中の炉に入れなくても、人も胸に霊(ヒ)を感じて大切に守り、他者に優しくすることは出来ます。
この霊(ヒ)が自分の主となり、霊と交わり(十)、霊十(ヒト)に人が変成すると争いのない、助け合いの連鎖の優しい世界になりますね。😌
そして、そんな霊性を兼ねたヒトが、自らの心を私欲ではなく公のためにどんどん使うなら、それは、ドラマの神様のようなお働きが、仙術なんか無くても、この地球上で出来るということかもです。
そんなヒトが溢れる世界を地球の神様🌏は、待っている気がしました。
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