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大善人へ身魂磨き

鬼八に纏わる伝説の数々

前回の続きです。

九州を旅行して、鬼八退治の話が宮崎高千穂では神武天皇の兄、三毛入野命(三毛沼命)が退治したことになっており、また阿蘇では神武天皇の孫、建磐龍命が退治したことになっていて不思議だなと思っていました。鬼八は、霜を降らせ農作物をダメにする鬼として描かれます。


まずは、三毛入野命に纏わる伝説。山口保明氏の「宮崎の神話と伝承」から。


三毛入野たちは鬼八の討伐を決意し、根城である乳ヶ窟を攻めた。両者の戦いは凄惨極まりなく繰り返され、ついに鬼八は米良から八代、阿蘇へと追われ、祖母山を経て上野へ出て押方へと戻っ た。
三毛入野が率いた同志のほとんどが討たれ、残っているのは両雄と3人のみとなった。

鬼八は大木を根こそぎにして相対したが、ついに三田井原で追いつめられ最期をとげた。


ところが、8尺(約2.5m)四方の石を押さえにして埋葬したのに、石を動かし、うどみ再生するので、体を3つに切り分け分葬した。
それでも霊は鎮まらず、早霜を降らせ村民を困窮させた。

村人は乙女を捧げ、呪歌を謳い、荒ぶる御霊を鎮送すると、鬼八三千王はやがて霜をつかさどる神となり、山鎮めの神となり、山の暮らしを守護する神となったと云う。


鬼八は三田井原で最期を遂げたとあります。

昨年、健男霜凝日子神社のすぐ側の素敵な民宿で一泊しました。まるで、田舎のおばあちゃんの家のような雰囲気の場所でした。大変お安いにも関わらず、若いお兄さんがシェフ🧑‍🍳のような本格的な手作りの料理でもてなしてくださいました。


私たちは、民宿をきりもりするお兄さんと少しお話ししたのですが、この辺りは、三田井姓か阿南姓だらけなんですよ、と教えてくださいました。お兄さんもそうで、歩いて健男霜凝日子神社に参拝に行くと、寄贈された人のお名前は三田井さん阿南さんが沢山いました。


どちらも、大神氏に由来がある一族のようですね。健男霜凝日子神は太古から地元の人が大切に守り続けているのがわかりました。鬼八が三田井原で亡くなって、祖母山近くの健男霜凝日子神社の氏子が三田井さん、偶然にしてはよくできているなと感じました。


磐井が大分の山奥に逃げた話から、健男霜凝神社の健男神は、もしかして磐井であり、後に鬼八伝説になった御方であり、大分が最後まで大和朝廷に恭順しなかった山の佐伯、野の佐伯、土蜘蛛と言われたことも、磐井を守ったからかもしれない、、、と頭をよぎりました。


また、別の話には、鬼八は足が速く、「走健(ハシリタケル)」とも呼ばれ、鬼八には阿佐羅姫という妻がおり、別名を「鵜の目姫」といい


目の大きなとても美人で、御毛入野命が横恋慕したが、鬼八死後、妻は乳ヶ窟まで逃げ命をたったという話もあります。


この話は錯綜しており、鬼八に捕まった姫を三毛入野命が救ったとか、名前の似ているアソツ姫は建磐龍の妻になったなどなど。これは自分の感覚でどれが本当かを感じるしかないかなと。


この女性はいったい誰?


アソラ姫🟰イソラ姫にも似てるかなと。イソラヒメのはなしは、吉備津の釜のイソラの鬼伝説にも繋がり、鬼と、イソラ(アソラ)はセットなのでしょうか。イソラからは、阿曇磯良を思います。


鬼八の躰はズタズタに切り離されます。しかし鬼八の躰は切られてもすぐ元通りになるので、首・胴・手足をバラバラにして埋められます。それでも鬼八の霊は時々目を醒まして唸り、早霜を降らすので「猪掛け祭り」を行って鬼八の霊を慰めるようになりました。

これが、高千穂の猪掛け祭りの起源です。(写真は高千穂神社の彫刻)

また、阿蘇の霜宮神社では、少女が火を灯し続ける祭祀があります。


霜神社と鬼八の火焚き神事


土蜘蛛と鬼八、磐井の君は私が勝手に繋げただけですが、土蜘蛛が最後まで抵抗し、クズ山の佐伯、野の佐伯とよばれたこと、あの土地の空気感は何か凄い人を祀っているけれども表に出せない感じがしています。


大分の佐伯に義父のルーツがあるだけに、贔屓目に見てしまうのかもしれません。


九州男子、芯と信念があり、真っ直ぐで、優しい。ハンセン病被害国賠訴訟原告団の竪山さんも九州男子。磐井のアニメをみながら、昔から人の気質は土地と密着に繋がっているようにも思いました。😌




まだまだ続く



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