相馬の始祖が平将門様だったことは先日書きました。
千葉の葺不合神社に参拝した帰り道、偶然平将門神社の看板を見かけ立ち寄りました。千葉県は妙見信仰が盛んだったようで、また東国の武将、平将門様を慕う氏子も多いようです。
平将門様は武道の神様と言われている一方、祟り神とかいう人もいます。祟りというのは、悲しみと無念の裏返し。その無念や悲しみを思ったら、祟りという言霊は避けたいです。
平将門様は平安時代末期、朝廷を震撼させた乱をおこしました。朝敵とされ、書くことも憚られる非業の最期を迎えました。
歌舞伎なんかで演じられ、祟り神という認識が定着してしまいました。それだけ、色んな意味でエネルギーが強い御方だったのだと思います。
Aさんが、Bさんの気に入らない所だけを皆んなに悪口を言ったとします。悪口を軽々しく言う悪の根源はAさんであり、皆はBさんの事を知らないのに、話した事もないのに、Aさんの悪口を鵜呑みにして、Bさんのことをヒソヒソ噂話して、Aさんに釣られ嫌い始めたとします。
Bさんは、良い所もいっぱいあるのに、皆んなからよそよそしくされ始めます。仲間はずれや、いじめの始まりです。
平将門様を祟りだと言う人は、周りがそうずっと言うからそうだと言うのでしょう。平安時代末期から、なんと、令和(霊と和する時代)まで!!??
私は平将門様に会ったこともお話しした事もないし、相馬野馬追の話なんかを知ったので、祟り神だって言われても、自分がもし陰で会ったことも話したこともない方からそう言われたら嫌だし、そろそろ、そういう呼び方やめたら良いのになぁと思っています。
他の怨霊神とか呼ばれている御方も然りです。歴史背景を知ると、さぞ辛かっただろうという気すらします。
大手町にある平将門様の首塚を移動させようとしたら、それに関わった人に事故があったとか。
討たれて帰りたいと切願し京都から飛んで力尽きた地です。
もし、自分がやっと辿り着いた場所を、ビル建設とかでまた出て行け、と追い出されたら嫌かもです。
人は、亡くなっても魂はあるので、それを移動させようとした人が反省してそんな不敬は二度としないと思えばよいのだと思います。
悪い事が起こって祟りだ、祟りだって騒ぐのではなく。
大手町という人通りの多いビル群の中にある首塚。将門大明神の幸せを思って祈る、多くの祈りの蓄積、鎮魂が必要だからこそ、あの地に首塚があるのかもしれないとさえ思いました。
神様や、神社への不敬は人が神を敬う姿勢が無くなっておこります。目に見えなくても神様はいます。見えないことに意味がある気もします。全て神はお見通しですが、全て人の心に行為は委ねられます。
平将門大明神は、馬を奉納し妙見菩薩様を心底信じた生粋の武士であり、神様を心から愛した自分に正直な御方で、武士の誇りを漲らせた方だったのではないか、と私は空想しています。
地元の氏子に大切に守られている千葉の佐倉の平将門神社は、ひっそりと佇む素敵な神社でした。
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