一昨日からの続きです。
御伽草子の鴉鷺合戦物語の後半です。
④黒い鳥の真玄方には鵄(とび)出羽法橋(ほうきょう)、鶏(にわとり)漏刻博士が
⑤白い鳥の正素方には鶴(つるの)紀伊守、青鷺信濃守(しなののかみ)らが集い、一大合戦となった。
⑥鴉方が敗れ、鴉の真玄は高野山に登り、仏法僧の手で出家、勝者の正素も、ともに念仏修行した。
勝手に検証しています。
④神武天皇は、大和の指導者、長髄彦の強さに苦戦します。しかし、八咫烏(鵄)の登場により戦況が変わります。出羽法橋とは、刀のようです。
また、時刻を漏らす=漏刻の鶏は天照大神の天戸開きのきっかけになった長尾鶏を思います。
⑤ 白い鳥の正素方には鶴紀伊守、青鷺信濃守らが集うとあります。
皇統が、南北朝に分かれて争う時代、太古から抗争が繰り返される中、作者は白鷺の一門が「正しい素」だと考えていたということでしょうか。
鶴紀伊守の鶴ですが、敦賀、ツルガを調べていたからか鶴といえば、ツルガを思います。
福井の敦賀の気比神宮の御眷属は白鷺です。ツルガは古代越国であり太古、白山王朝があった場所です。
白鷺は、古代王朝や隠された王朝の一門を象徴する鳥だといえるかもしれません。
また、劔神社という福井の敦賀にあります気比の神社の話をしたいと思います。
実はこの神社は織田信長の祖先が護る神社であり、この地は織田家発祥の地です。織田家は神官の家系で、忌部氏の流れがあります。
また、戦国大名の織田氏と伊達氏は長脛彦の子孫を名乗っていたようです。長髄彦は白鷺になったイメージがあります。脛(すね)を怪我した白鷺が道後温泉に癒しに来ます。長髄彦は東北で荒脛巾へ。
伊達家は、長脛彦の兄であり「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」の安日彦の血統の様ですが、織田家は長脛彦の直系のようです。
ではなぜ、神功皇后に征伐された忍熊王を祖とする劔神社が織田信長の祖先なのかというと、
長脛彦の子孫である織田家が忍熊王に繋がりがある?か、もしくは、長脛彦🟰忍熊王かもしれない、可能性があるようです。
劔神社で素戔嗚大神が忍熊王の夢枕に立ち皇子努力せよ、われ今汝に霊劔授くべし、と語ったと言われています。
また青鷺の信濃にも太古縄文からの信仰を大切にした守矢一族と、国譲りで天津神に破れたタケミナカタ神がいます。妹が倭姫宮で見た青鷺は偶然ではない気がしています。
倭姫は亡くなるとき白鷺になった日本タケルのおばさま。
2柱には戦ったかもしれない逸話(日本タケルvs出雲タケル)がありますが、騙し討ちの逸話は奇妙であり、白鷺や青鷺で括られるとしたら、二柱は共通の苦しみを背負って、真実を有耶無耶にされている感じがしています。
⑥最後、鴉(カラス)は敗れ高野山で出家します。紀伊にあります高野山金剛峯寺は、空海が開山した地で、また近くの熊野神社は八咫烏が御眷属です。
勝者の白鷺も念仏修行したとあり、念仏を唱える仏教宗派は、比叡山延暦寺を開山した最澄の流れを汲むものです。
最澄と空海は平安時代の仏教の二大勢力でした。
カラスと白鷺合戦は、両者共々最後は神仏に委ねるストーリーとなります。一条兼良は、何を感じて物語を創作したのでしょうか。
白と黒の対照的な鳥の合戦物語を書いた作者は、室町時代という戦乱の世、上に立つために、自分の系統の正当性を主張して戦いを繰り返すのだなぁと、公家の立場から皮肉にも神社の御眷属に人々を擬えて物語を創作したのかもです。😌
富士山は日本の調和の象徴です🇯🇵🗻
冨士本宮淺間大社で黒鷺の飛翔を見ました。
白黒偏らない大切さ、陰陽のバランス感覚をもちなさいということかな。。
戦いは悲しみや遺恨を残し、それは月に鶴が飛んで持っていくような、そんな感じもしています。
月光が優しいのは、悲しみを背負って月に持ち帰って知っているからかもとふと思いました。
月にうつる鷺(鶴)
御神名は勝手に人がつけたもの。白鷺に例えられた一門は、実は、一括りで大きな陰陽の陰のエネルギーを引き受けているのかも。。悲しみや苦しみを受容したものや、自由を奪われたり、隠されて消されたり、歴史の闇に葬られた存在かもと思いました。月はプラズマのように全てを映し観て、トキ刻むように血の涙でさえ刻んでいるのかも。トキは朱鷺とも書きます。
朱鷺
鴉鷺合戦物語の著者一条兼良によると、籠の中の一門は白鷺。カゴメカゴメの歌にも籠の中の鳥がいます。令和の時代には、霊も和して全ての霊魂が癒されて、自由に高く高く美しく飛翔しますように。
【画像はおかりしました】
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます