小野篁について書きましたが、小野小町と小野道風の祖父にあたる御方のようです。また、歴史を遡ると小野氏の中には、聖徳太子の時代、遣隋使として派遣された小野妹子もいます。
言葉も通じない人を派遣するはずはないなぁ、渡来人かなぁと調べていると、小野氏はワニ🐊をトーテムとした一族で、日の御子信仰や、太陽信仰をもつ渡来系鍛冶集団とする説や、漁労・航海術に優れた海人族であったとする説があるようです。
ワニ氏については、因幡の白兎の際に気になっています。今日は、そのワニ氏にルーツをもつ小野氏の中で、小野篁の孫、小野道風について書いてみたいと思います。
書道は書の道。白い和紙に黒い墨で書く。白は光の集結。黒は物質の集結。
白い動かない陽のエネルギーに、人が墨と一体化して陰の形を象るようなイメージすらあります。
そして、書く姿や書かれた書体、筆の流れや迫力から、書家の呼吸を感じ、また、魂の強さや優しさや、しなやかさといったエネルギーを感じることがあります。
真っ白な空間に泳ぐ黒龍のようだと、迫力がある文字に圧倒されます。文字の選定も書家の心を感じます。
小野道風の書は、当時中国的な書風から脱皮して和様書道の基礎を築いたと評されているようです。
真似からの脱皮でしょうか。
書の美しさについては、平安初期に三筆と言われた人物がいます。嵯峨天皇、空海、橘逸勢です。弘法も筆の誤りの諺弘法大師空海の書はこちら↓
藤原行成、藤原佐理とともに小野道風は、平安時代の中期に、和様の書道の礎を築いた「書の三蹟」として称えられています。「野蹟」と称えられた道風は、幼少期から能書の才能を表し、大嘗会の屏風の色紙形を弱冠12歳にして書いています。
道風の書は穏やかで、形の整った作風が特長のようです。
三筆のひとりである嵯峨天皇と因縁深い小野篁を祖父にもち、祖父の篁も王羲之と比すると言われたくらいの書の達人ですから祖父譲りの才能もあったのでしょうか。
しかし、道風が自分の才能に悩んで、書道をあきらめかけていた話があります。実話かどうかはさておき、この逸話が良かったので紹介します。
ある雨の日のこと、道風が散歩に出かけると、柳にカエルが飛びつこうと、繰りかえし飛びはねている姿を見ました。
道風は「柳は離れたところにある。蛙は柳に飛びつけるわけがない」と思っていました。
すると、たまたま吹いた風が柳をしならせ、蛙はうまく飛び移ります。
道風は「自分はこの蛙の努力をしていない」と目を覚まして、書道をやり直すきっかけを得たといいます。
道風の書の道は、風が吹いて柳が揺れ飛び移るカエルにより、自身を振り返り取り戻し自分の道に黄泉ガエル🐸。
道風の逸話が広まったのは江戸中期の浄瑠璃『小野道風青柳硯』からのようです。日本の伝統芸能は奥が深いですね。
花札の一つである「柳に小野道風」の絵柄もこの逸話を題材としているようですね。花札をやったことがある方ならみた事ありますね。😊
三蹟と呼ばれるほどの書の達人も、悩むのですね。これで良いなんて、器の凄い人ほど思わない、そんな話がこの話から伺えます。
まぁ、これくらいでいいかなぁ、、
とすぐに思ってしまう、、、。
適当がもっとう。。。と折り合いをすぐにつけてしまう。😅
見習いたいなと思いました。
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