「大阪維新の会」の代表者を務めている橋下徹大阪市長は、実に論理のすり替えが大好きである。
民間企業では市場から追放されることを前提に表現の自由がある。そして公務員の場合は市場から追放されるリスクはまったくないと話を続けている。これは、ナンセンスである。なぜならば、民間企業は市場で競争しながら事業を行なっているが公務員の職務の多くは、市場で行うには相応しくないことを市場の外で行われている。従って、市場で事業活動を行なっている民間企業と市場の外でなければできないことを職務として行なっている公務員とを同列において比較して能書きを垂れるのは、まったく無意味な戯言である。
さらに、橋下徹大阪市長のナンセンスな戯言が続く。その状況で組織の規律を無視した表現の自由が認められるわけがない、と橋下徹市長は言っている。その状況とは、市場から追放されるリスクを負わない、公務員の状況を指しているわけだが、組織の規律を無視した表現の自由がないのは、市場での競争にさらされている民間企業についても同じことであって公務員だけのことではない。むしろ、組織の規律を無視するようなことが組織内でまかり通れば、民間企業ならば市場での競争や駆け引きに破れて市場から追放されることになりかねない。組織の規律を無視した表現の自由を表現の自由とは言えないことは市場での競争にさらされて市場から追放されるリスクを負っているのかどうかということとはまったく別物である。無論、公務員といえども、組織の規律を著しく無視して国民・住民の利益に著しく反するようなことをしでかしたら普通に懲戒免職(追放)される。
組織における規律に違反すれば、これがあまりに質が悪いということであれば、追放されるのは、市場経済そのものからであっても、そういう意味では民間企業の場合であろうと市場の外の職務に従事している公務員であろうと同様である。 橋下市長は、事あるごとに「民間企業ならば」云々と言っているが、彼は市場でのことがらや民間の組織での事柄すらまともに理解しているとは、私には思えない。
いずれにしても、市場での競争を前提とした「表現の自由」から組織の規律の問題に転じるとは、あまりに見え透いた論理のすり替えというほかあるまい。