近頃、自分のブログへのアクセスの際のキーワードに「協同運輸」というのが目に付くときがあります。どういう人が見ているのかまでは分かりません。検索をする人として考えられるのは、ユニオン北九州の組合員、あるいは当該労組に敵意を持つ人、あるいは、労働運動に携わっている人などであろうと考えられます。
今頃になってずいぶんと痛々しいコメントを寄せてくる御仁がいました。どんな、たわごとを発しているのか晒してみましょう。
ずいぶんと痛々しいまでに労働者の団結を理解していないか、妨げることを意図する側からの発信らしいコメントです。
ギャーギャー叫んでいるのは労組の側ではなくて経営側です。まるでヤクザみたいです。こんなのは近代的労使関係ではありません。近所迷惑だと?労働者が自身の権利行使を近所迷惑とレッテルを貼り付けるのは、何か意図があるのかね?と問いかけたくなります。
また、金目当てという説だと?根拠は?どこから聞いたのですか?ユニオンに頼んだ時点で職場復帰は無理とは、いったい何を根拠にしているのでしょうか。まず、この案件は不当解雇ではなく労組への経営側による暴力的恫喝です。それを、組合員が問題をただそうとしたからといって職場復帰が無理とはいったい何を根拠にそこまで断じるのでしょうか。一人では何にもできない連中と、「アンジェラ・アキ」と名乗る御仁は労働組合を中傷していますが、ならば問いましょう。
雇用する側と雇用される側との圧倒的な力関係の差異のもとで、一人で経営側に対等に渡り合える労働者がどれほどいるのでしょうか。一般的な傾向でいうならば、経営側と対等に渡り合う労働者は皆無です。団結によって、労働者ははじめて経営側と対等に渡り合えます。こういう意味では、多くの労働者は一人では何も経営側にできない、「ノー」といえないわけです。だからこそ、経営者の中でも労組の意義を理解しようともしない輩は労組つぶしに躍起になるわけです。それにしても、こういう与太コメントを他人のブログに書き込み、そのときの名前を「アンジェラ・アキ」とは、当の本人に大変失礼と私は感じます。いずれにしても、かかる与太コメントを寄せてくる御仁は、愚か者と言うにふさわしいです。哀れなやつです。
問題の記事は以下のページです。
http://blog.goo.ne.jp/aleido_che_guevara/e/66b6188c9cb7c3f4c12c24b56a3c9405
今頃になってずいぶんと痛々しいコメントを寄せてくる御仁がいました。どんな、たわごとを発しているのか晒してみましょう。
- なにこれ (アンジェラ・アキ)
- 2010-01-26 02:30:27
- 社長もガラ悪いけど
会社にマイクもちこんで
ギャーギャー叫ぶのも
おかしくない?
近所迷惑…
労働者の見方ぶるけど
実際金目当ての説も
和解金の八割持っていくとも聞いた事がある
ユニオンに頼んだ時点で
職場復帰はもう無理だし
一人でなんもできない連中だしね
ずいぶんと痛々しいまでに労働者の団結を理解していないか、妨げることを意図する側からの発信らしいコメントです。
ギャーギャー叫んでいるのは労組の側ではなくて経営側です。まるでヤクザみたいです。こんなのは近代的労使関係ではありません。近所迷惑だと?労働者が自身の権利行使を近所迷惑とレッテルを貼り付けるのは、何か意図があるのかね?と問いかけたくなります。
また、金目当てという説だと?根拠は?どこから聞いたのですか?ユニオンに頼んだ時点で職場復帰は無理とは、いったい何を根拠にしているのでしょうか。まず、この案件は不当解雇ではなく労組への経営側による暴力的恫喝です。それを、組合員が問題をただそうとしたからといって職場復帰が無理とはいったい何を根拠にそこまで断じるのでしょうか。一人では何にもできない連中と、「アンジェラ・アキ」と名乗る御仁は労働組合を中傷していますが、ならば問いましょう。
雇用する側と雇用される側との圧倒的な力関係の差異のもとで、一人で経営側に対等に渡り合える労働者がどれほどいるのでしょうか。一般的な傾向でいうならば、経営側と対等に渡り合う労働者は皆無です。団結によって、労働者ははじめて経営側と対等に渡り合えます。こういう意味では、多くの労働者は一人では何も経営側にできない、「ノー」といえないわけです。だからこそ、経営者の中でも労組の意義を理解しようともしない輩は労組つぶしに躍起になるわけです。それにしても、こういう与太コメントを他人のブログに書き込み、そのときの名前を「アンジェラ・アキ」とは、当の本人に大変失礼と私は感じます。いずれにしても、かかる与太コメントを寄せてくる御仁は、愚か者と言うにふさわしいです。哀れなやつです。
問題の記事は以下のページです。
http://blog.goo.ne.jp/aleido_che_guevara/e/66b6188c9cb7c3f4c12c24b56a3c9405
平沼氏による蓮舫氏への「もともと日本人ではない」発言といい、少し過去のことで言えば石原東京都知事による「三国人発言」など一部に排外主義が台頭しています。欧州では平沼氏の発言は政治生命が失われるような事柄です。もちろん、以前に石原東京都知事の「三国人発言」についても同様です。
排外主義を放置しておくことはファシズムへつながります。私たちは排外主義を警戒しなければなりません。そこで、元々私が「愛と情熱の革命戦記 Yahoo 出張所」へ書いた記事を転載します。転載元記事の本文は罫線より下からです。
【転載元】http://blogs.yahoo.co.jp/aleido_che_guevara/31013829.html
「在特会」のようなレイシストというのは、とかく朝鮮人への排外主義をあおっては、これを愛国心と勘違いしています。こういうやからが一部に台頭してきていることには、私たちは警戒しなければいけませんが、見れば見るほどに痛々しい輩どもですね。
例えば、「ゆかり」発言のように天皇家がかつて百済の武寧王と外戚関係を結んでいたことは、歴史の事実です。つまり、天皇家には朝鮮半島の人の血が流れているということです。
つまり、朝鮮人を毛嫌いするならば、天皇一族をも排除しないとねぇ。天皇一族を排除するくらいして始めて一応レイシストとしてのスジは通るかも知れませんねぇ(* ̄∇ ̄)σ)゜д゜;)
それから、そもそも論として言うならば、日本の文化そのものが中国大陸や朝鮮半島の文化を吸収して自分のものとすることによって、同時にもともと日本にあったものとを調和させて成り立っています。
鉄はどうです?弥生時代に朝鮮半島から伝えられてきましたよ。
仏教はどうでしょうか?これも、朝鮮半島経由で大陸から伝わってきました。七福神にも朝鮮半島出身の神様いますね。
朝鮮人を蔑視することをどこまでも貫くと、おやおや、金属はまず使えそうにないですよ。石器時代にでも戻りますか~?「在特会」のごときレイシストよ。
仏教が、朝鮮半島を通って日本にやってきたのだからこりゃ、冠婚葬祭はどうするの?法事できないよ~。
あっそうだ。肝心なことを最初に書いとくの忘れてましたよ。稲作のことです。私たちが普段食べているご飯はお米をたいています。そのお米の栽培つまり稲作は、朝鮮半島から伝わってきました。
う~ん。こうやって考えてみると日本の文化の特質は、結構インターナショナルですね。昔、聖徳太子が言っていた「和を以って尊しとする」というのは、自分たちとは違うもの、異質なものを受け入れて調和を図ることとは不可分と考えたほうが自然です。当時の日本とアジアの情勢を考えればね。
日本の文化は、本質的には排外主義とは相容れないわけですよ。
というわけでさぁ、「在特会」のようなレイシストって愛国心をもてあそび、排外主義をあおって実態としては国際社会に日本の恥をさらして、なおかつ日本の文化を破壊する存在なのですよ。
レイシストよ。日本列島から消えな!
追記
どうも、本文の最後のほうの赤い字で大きめに書いた文章の「レイシストよ。日本列島から消えな!」というくだりは誤解を生んだようです。
もともと、この記事をアップした動機は、トラックバック先を見ればお分かりかと思いますが、私が訪問しているブログにレイシズムの偏見に基づくコメントを寄せてくるようなレイシストがいて、こういう御仁を挑発することを意識していたことです。
日本の文化は、中国大陸や朝鮮半島の文化を吸収して自分のものにしながら現在の形に至っているのだから、中国大陸や朝鮮半島の人々を蔑視するのは、日本の文化を否定し、しいては日本人そのものの民族性を損なうことにつながります。ですから、中国大陸や朝鮮半島の人々を蔑視して排外主義をあおることをどこまでも貫けば、もはや、日本列島から出て行くほかありません。日本人をやめるしかありません。
以上のことで、レイシストのおろかさを皮肉って「レイシストよ。日本列島から消えな!」と私は、言葉は乱暴ですがこの記事に書き込みました。
レイシスト、排外主義者がいかに自分自身の言動の意味することを客観視できていないかということを私はあぶりだそうと思った次第です。
なお、排外主義、レイシズムは民主主義を根底から破壊する思想です。法的に処罰せよとはいかないまでも排外主義やレイシズムは、もはや思想・信条の範疇におくことのできない性質のものです。
民主主義の維持と発展のためには排外主義、レイシズムを排除しなければならないと、私はこの記事で述べたかったのです。
排外主義を放置しておくことはファシズムへつながります。私たちは排外主義を警戒しなければなりません。そこで、元々私が「愛と情熱の革命戦記 Yahoo 出張所」へ書いた記事を転載します。転載元記事の本文は罫線より下からです。
【転載元】http://blogs.yahoo.co.jp/aleido_che_guevara/31013829.html
「在特会」のようなレイシストというのは、とかく朝鮮人への排外主義をあおっては、これを愛国心と勘違いしています。こういうやからが一部に台頭してきていることには、私たちは警戒しなければいけませんが、見れば見るほどに痛々しい輩どもですね。
例えば、「ゆかり」発言のように天皇家がかつて百済の武寧王と外戚関係を結んでいたことは、歴史の事実です。つまり、天皇家には朝鮮半島の人の血が流れているということです。
つまり、朝鮮人を毛嫌いするならば、天皇一族をも排除しないとねぇ。天皇一族を排除するくらいして始めて一応レイシストとしてのスジは通るかも知れませんねぇ(* ̄∇ ̄)σ)゜д゜;)
それから、そもそも論として言うならば、日本の文化そのものが中国大陸や朝鮮半島の文化を吸収して自分のものとすることによって、同時にもともと日本にあったものとを調和させて成り立っています。
鉄はどうです?弥生時代に朝鮮半島から伝えられてきましたよ。
仏教はどうでしょうか?これも、朝鮮半島経由で大陸から伝わってきました。七福神にも朝鮮半島出身の神様いますね。
朝鮮人を蔑視することをどこまでも貫くと、おやおや、金属はまず使えそうにないですよ。石器時代にでも戻りますか~?「在特会」のごときレイシストよ。
仏教が、朝鮮半島を通って日本にやってきたのだからこりゃ、冠婚葬祭はどうするの?法事できないよ~。
あっそうだ。肝心なことを最初に書いとくの忘れてましたよ。稲作のことです。私たちが普段食べているご飯はお米をたいています。そのお米の栽培つまり稲作は、朝鮮半島から伝わってきました。
う~ん。こうやって考えてみると日本の文化の特質は、結構インターナショナルですね。昔、聖徳太子が言っていた「和を以って尊しとする」というのは、自分たちとは違うもの、異質なものを受け入れて調和を図ることとは不可分と考えたほうが自然です。当時の日本とアジアの情勢を考えればね。
日本の文化は、本質的には排外主義とは相容れないわけですよ。
というわけでさぁ、「在特会」のようなレイシストって愛国心をもてあそび、排外主義をあおって実態としては国際社会に日本の恥をさらして、なおかつ日本の文化を破壊する存在なのですよ。
レイシストよ。日本列島から消えな!
追記
どうも、本文の最後のほうの赤い字で大きめに書いた文章の「レイシストよ。日本列島から消えな!」というくだりは誤解を生んだようです。
もともと、この記事をアップした動機は、トラックバック先を見ればお分かりかと思いますが、私が訪問しているブログにレイシズムの偏見に基づくコメントを寄せてくるようなレイシストがいて、こういう御仁を挑発することを意識していたことです。
日本の文化は、中国大陸や朝鮮半島の文化を吸収して自分のものにしながら現在の形に至っているのだから、中国大陸や朝鮮半島の人々を蔑視するのは、日本の文化を否定し、しいては日本人そのものの民族性を損なうことにつながります。ですから、中国大陸や朝鮮半島の人々を蔑視して排外主義をあおることをどこまでも貫けば、もはや、日本列島から出て行くほかありません。日本人をやめるしかありません。
以上のことで、レイシストのおろかさを皮肉って「レイシストよ。日本列島から消えな!」と私は、言葉は乱暴ですがこの記事に書き込みました。
レイシスト、排外主義者がいかに自分自身の言動の意味することを客観視できていないかということを私はあぶりだそうと思った次第です。
なお、排外主義、レイシズムは民主主義を根底から破壊する思想です。法的に処罰せよとはいかないまでも排外主義やレイシズムは、もはや思想・信条の範疇におくことのできない性質のものです。
民主主義の維持と発展のためには排外主義、レイシズムを排除しなければならないと、私はこの記事で述べたかったのです。
日本共産党 第25回大会決議
手抜きな記事で申し訳ありませんが、↑のリンクをたどると日本共産党第25回党大会決議のページにたどり着きます。日本の行く末、明日の日本をどうするのかともに考えていきませんか。
今は大会決議を読み込むのを優先していますのでご勘弁ください。
手抜きな記事で申し訳ありませんが、↑のリンクをたどると日本共産党第25回党大会決議のページにたどり着きます。日本の行く末、明日の日本をどうするのかともに考えていきませんか。
今は大会決議を読み込むのを優先していますのでご勘弁ください。
1967年ボリビアの山中にてチェ・ゲバラはボリビア政府軍に捕らわれ、裁判にかけられることもなく殺されました。あれから、実に40年の年月が過ぎたボリビアにて革命が始まりました。チェが生きていたときと決定的に違うのは武装闘争によって革命が始まったのではなく議会制民主主義に基づいたやり方であることです。40年前の南米諸国の少なくない国では、軍事独裁政権の圧制が行われていたので、貧困と搾取を本当になくそうとすれば武装闘争をせざるを得なかったことは一つの真実ではあります。
2005年12月18日の大統領選挙においてボリビアの先住民アイマラ族出身のエボ・モラレス氏は当選を果たしました。翌年の1月の大統領就任演説でエボ・モラレス氏はこぶしを高く上げて語ったのでした。
「この戦いはチェ・ゲバラに続くものだ」
「疎外され、さげすまれてきた我々の歴史を変える」
ボリビアは、天然資源に恵まれた国ではありましたが、対米従属政権のもとボリビアの資源が人民のために使われるのではなくもっぱらアメリカ資本に奉仕する状況でした。このために、ボリビアの人民の多くは貧しい生活を強いられていました。
南米諸国は、新自由主義政治がある意味日本以上にドラスティックに行われました。ジャーナリストである伊藤千尋さんがよくおっしゃることですが、日本の小泉純一郎前総理のような政治が南米大陸でとくに1990年代に行われていました。否、小泉純一郎前総理よりももっと徹底的に。
ボリビアとて例外ではありませんでした。ボリビアにおいてとくにひどかったのが水道局の民営化です。日本でも中曽根臨調行革以降、新自由主義政治のもとで公共部門の民営化、すなわち本来国が責任を持つべきことであり同時に市場原理になじまないものを市場経済の中に放り込むような政治が行われてきました。政権交代がなされた今でもこの傾向はなくなっていません。というのは、残念なことに民主党には新自由主義からの決別という明確な姿勢がないからです。それでも、日本では水道局の民営化が全国的に行われてきたわけではありません。東京都では東京都水道局が都内の水道に関して責任を持っているわけです。これは、やはり人々の命と健康にかかわることだからです。ところが、ボリビアではコチャバンバ市において公営水道局まで民営化が導入されました。1999年のことです。
公営水道局が民営化されるというのは、利潤追求第一主義がライフラインに持ち込まれるということです。ボリビアのコチャバンバ市では、米国の多国籍企業ベクテル社資本下にあるアグアス・デル・ツナリ社の運営の元で水道料金が2倍にも跳ね上がったのです。貧困世帯では水道料金が所得の2割から3割も占めるようになってしまいました。人間の体の6割は水でできています。生活するのに水は不可欠です。値段が高いから水を摂取しないとというわけにはいきません。当然、コチャバンバ市民は黙っているわけではなく激しい抗議活動を行いました(【参照ページ】http://www.news.janjan.jp/world/0611/0611295570/1.php)。
結局、人民の世論と運動により水道局は、公営に戻されていきました。この戦いは、「水戦争」と呼ばれています。
もうひとつ、現在のボリビアを語る上で欠かせないことがあります。それは、「コカ戦争」と呼ばれる出来事です。むしろ、これ抜きにエボ・モラレス大統領を語ることはできません。
コカはコカインの原料となる植物です。しかし、コカの葉を煎じて飲む分にはお茶です。コカの葉を化学精製してはじめてコカインが作られるのです。コカ茶はボリビア先住民にとって伝統的な飲み物です。コカ茶には高山病の症状を癒す作用があります。ボリビアや隣のペルーを訪れる観光客が高山病を予防するためにも飲まれているのがコカ茶です。日本人の観光客だって、ボリビアを訪問したときに高山病の予防などのためにコカ茶を飲みます。化学精製しなければコカ茶はまっとうな、ボリビア先住民の伝統的な飲み物です。日本で言えば、静岡のお茶畑で栽培されている日本茶みたいなものです。
ところが、アメリカは、コカの葉がコカインの原料になるという口実でボリビア政府に圧力をかけてコカ茶の畑を焼き払わせようとしました。そして、対米従属のボリビア政府はコカ茶のお茶畑に火炎放射器を使用して焼き払おうとしました。お茶畑は膨大なのでアメリカはじれったく思ったのか最終的には爆撃機でもってコカ茶のお茶畑にナパーム弾を撃ち込んでお茶畑を焼き払おうとまでしました。もし、静岡のお茶畑を自衛隊が火炎放射器で焼き払う、あるいは在日米軍が静岡のお茶畑にナパーム弾を撃ち込めば多くの国民は怒るかと思われます。実際に、コカ茶のお茶畑を焼かれたボリビアの農民は怒り猛烈な抗議を行いました。「コカ戦争」と呼ばれた抗議行動の先頭に立ったのが、コカ栽培農民組合代表のモラレスだったわけです。
「水戦争」、「コカ戦争」と呼ばれる出来事は、1990年代に入ってアメリカべったりの政府が新自由主義政策をとり、民営化省までつくって水道事業をアメリカに売り渡そうとするなど、国民のライフラインまでアメリカ系の資本に売り渡し、社会のあらゆる分野を資本の、アメリカ系資本のいけにえとし貧困と格差を拡大していったことに対するボリビア人民の怒りに根ざしていました。なお、「水戦争」は、IMFが債務返済の条件として水道事業の民営化をボリビア政府に要求したことを考えれば、「水戦争」はボリビア人民による、アメリカの経済覇権主義に対する闘争である、という真実を私たちは見据えておくべきです。
2003年にはボリビアにおける反政府、反米活動はいっそう強まりました。政府が財政赤字を減らすためという口実で所得税の増税を人民に負担させようとすると警察官が真っ先に反乱を起こし、事態は警察と軍隊との銃撃戦にまで至りました。
ボリビア政府が、天然ガスをアメリカに格安で輸出しようとしたときには、ボリビアのなけなしの天然資源がアメリカに根こそぎ搾り取られると全国規模での反対運動が盛り上がりました。この全国規模の反対運動を組織したのがモラレスでした。これは「ガス戦争」と呼ばれる出来事です。これがきっかけでボリビア全土は暴動状態となり大統領はアメリカへ亡命しました。
2005年の大統領選挙でエボ・モラレス氏は勝利し、翌年の大統領就任演説では左手のこぶしを振り上げ、
「疎外され、さげすまれてきたわれわれの歴史を変える。不公正と不平等を終わらせる」
と宣言しました。
2009年12月6日の大統領選挙でエボ・モラレス大統領は61%~63%の支持を得ました。モラレス大統領は、非識字の克服など国民生活向上を最優先にした改革を実施し、アメリカ言いなりを断固拒否しました。2009年12月6日のボリビアでの大統領選挙の結果は、貧困と格差を拡大する新自由主義および対米従属からの決別への決意の固さを示しました。
「エボ、エボ、エボ」と喜びを爆発させる大群衆の中で人民に希望を与える改革を、貧困を根絶するための革命推進をすることへの決意を表明しました。
【参照】http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2009-12-08/2009120801_03_1.html
追伸
転載するときには、ここが転載元であることを明記してください。ヤフーブログを立ち上げている方は、ヤフーブログに同じ記事が掲載されていますので、ヤフーブログの転載機能を使用してください。
2005年12月18日の大統領選挙においてボリビアの先住民アイマラ族出身のエボ・モラレス氏は当選を果たしました。翌年の1月の大統領就任演説でエボ・モラレス氏はこぶしを高く上げて語ったのでした。
「この戦いはチェ・ゲバラに続くものだ」
「疎外され、さげすまれてきた我々の歴史を変える」
ボリビアは、天然資源に恵まれた国ではありましたが、対米従属政権のもとボリビアの資源が人民のために使われるのではなくもっぱらアメリカ資本に奉仕する状況でした。このために、ボリビアの人民の多くは貧しい生活を強いられていました。
南米諸国は、新自由主義政治がある意味日本以上にドラスティックに行われました。ジャーナリストである伊藤千尋さんがよくおっしゃることですが、日本の小泉純一郎前総理のような政治が南米大陸でとくに1990年代に行われていました。否、小泉純一郎前総理よりももっと徹底的に。
ボリビアとて例外ではありませんでした。ボリビアにおいてとくにひどかったのが水道局の民営化です。日本でも中曽根臨調行革以降、新自由主義政治のもとで公共部門の民営化、すなわち本来国が責任を持つべきことであり同時に市場原理になじまないものを市場経済の中に放り込むような政治が行われてきました。政権交代がなされた今でもこの傾向はなくなっていません。というのは、残念なことに民主党には新自由主義からの決別という明確な姿勢がないからです。それでも、日本では水道局の民営化が全国的に行われてきたわけではありません。東京都では東京都水道局が都内の水道に関して責任を持っているわけです。これは、やはり人々の命と健康にかかわることだからです。ところが、ボリビアではコチャバンバ市において公営水道局まで民営化が導入されました。1999年のことです。
公営水道局が民営化されるというのは、利潤追求第一主義がライフラインに持ち込まれるということです。ボリビアのコチャバンバ市では、米国の多国籍企業ベクテル社資本下にあるアグアス・デル・ツナリ社の運営の元で水道料金が2倍にも跳ね上がったのです。貧困世帯では水道料金が所得の2割から3割も占めるようになってしまいました。人間の体の6割は水でできています。生活するのに水は不可欠です。値段が高いから水を摂取しないとというわけにはいきません。当然、コチャバンバ市民は黙っているわけではなく激しい抗議活動を行いました(【参照ページ】http://www.news.janjan.jp/world/0611/0611295570/1.php)。
結局、人民の世論と運動により水道局は、公営に戻されていきました。この戦いは、「水戦争」と呼ばれています。
もうひとつ、現在のボリビアを語る上で欠かせないことがあります。それは、「コカ戦争」と呼ばれる出来事です。むしろ、これ抜きにエボ・モラレス大統領を語ることはできません。
コカはコカインの原料となる植物です。しかし、コカの葉を煎じて飲む分にはお茶です。コカの葉を化学精製してはじめてコカインが作られるのです。コカ茶はボリビア先住民にとって伝統的な飲み物です。コカ茶には高山病の症状を癒す作用があります。ボリビアや隣のペルーを訪れる観光客が高山病を予防するためにも飲まれているのがコカ茶です。日本人の観光客だって、ボリビアを訪問したときに高山病の予防などのためにコカ茶を飲みます。化学精製しなければコカ茶はまっとうな、ボリビア先住民の伝統的な飲み物です。日本で言えば、静岡のお茶畑で栽培されている日本茶みたいなものです。
ところが、アメリカは、コカの葉がコカインの原料になるという口実でボリビア政府に圧力をかけてコカ茶の畑を焼き払わせようとしました。そして、対米従属のボリビア政府はコカ茶のお茶畑に火炎放射器を使用して焼き払おうとしました。お茶畑は膨大なのでアメリカはじれったく思ったのか最終的には爆撃機でもってコカ茶のお茶畑にナパーム弾を撃ち込んでお茶畑を焼き払おうとまでしました。もし、静岡のお茶畑を自衛隊が火炎放射器で焼き払う、あるいは在日米軍が静岡のお茶畑にナパーム弾を撃ち込めば多くの国民は怒るかと思われます。実際に、コカ茶のお茶畑を焼かれたボリビアの農民は怒り猛烈な抗議を行いました。「コカ戦争」と呼ばれた抗議行動の先頭に立ったのが、コカ栽培農民組合代表のモラレスだったわけです。
「水戦争」、「コカ戦争」と呼ばれる出来事は、1990年代に入ってアメリカべったりの政府が新自由主義政策をとり、民営化省までつくって水道事業をアメリカに売り渡そうとするなど、国民のライフラインまでアメリカ系の資本に売り渡し、社会のあらゆる分野を資本の、アメリカ系資本のいけにえとし貧困と格差を拡大していったことに対するボリビア人民の怒りに根ざしていました。なお、「水戦争」は、IMFが債務返済の条件として水道事業の民営化をボリビア政府に要求したことを考えれば、「水戦争」はボリビア人民による、アメリカの経済覇権主義に対する闘争である、という真実を私たちは見据えておくべきです。
2003年にはボリビアにおける反政府、反米活動はいっそう強まりました。政府が財政赤字を減らすためという口実で所得税の増税を人民に負担させようとすると警察官が真っ先に反乱を起こし、事態は警察と軍隊との銃撃戦にまで至りました。
ボリビア政府が、天然ガスをアメリカに格安で輸出しようとしたときには、ボリビアのなけなしの天然資源がアメリカに根こそぎ搾り取られると全国規模での反対運動が盛り上がりました。この全国規模の反対運動を組織したのがモラレスでした。これは「ガス戦争」と呼ばれる出来事です。これがきっかけでボリビア全土は暴動状態となり大統領はアメリカへ亡命しました。
2005年の大統領選挙でエボ・モラレス氏は勝利し、翌年の大統領就任演説では左手のこぶしを振り上げ、
「疎外され、さげすまれてきたわれわれの歴史を変える。不公正と不平等を終わらせる」
と宣言しました。
2009年12月6日の大統領選挙でエボ・モラレス大統領は61%~63%の支持を得ました。モラレス大統領は、非識字の克服など国民生活向上を最優先にした改革を実施し、アメリカ言いなりを断固拒否しました。2009年12月6日のボリビアでの大統領選挙の結果は、貧困と格差を拡大する新自由主義および対米従属からの決別への決意の固さを示しました。
「エボ、エボ、エボ」と喜びを爆発させる大群衆の中で人民に希望を与える改革を、貧困を根絶するための革命推進をすることへの決意を表明しました。
【参照】http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2009-12-08/2009120801_03_1.html
追伸
転載するときには、ここが転載元であることを明記してください。ヤフーブログを立ち上げている方は、ヤフーブログに同じ記事が掲載されていますので、ヤフーブログの転載機能を使用してください。