愛と情熱の革命戦記

猫々左翼の闘争日誌

赤旗まつり二日目(最終日)だぴょんヽ(*^▽^*)ノワーイ♪

2010年11月08日 08時20分47秒 | JCPの活動、国民運動、国内の政治・経済等


 昨日は、赤旗まつりの二日目(最終日)。おとといは一人で「勝手に」赤旗まつりへ行きました。私が何を目当てにしたのかということに関しては前記事をご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/aleido_che_guevara/e/4a9fb5c0bc3b276bd39aaf39e8abaa51



 上の画像は赤旗祭りの会場へついて江戸川地区委員会のテントへ着いたところ。時間がまだ午前9時過ぎくらいだったのでまだ混雑がピークになっていません。



 スクリーンに映っているのは、おなじみの日本共産党中央委員会政策委員会委員長の小池晃さんです。これは「どうなるくらし、どうする日本の経済」というパネリストによる討論の様子です。



 画像は、神戸大学教授である二宮厚美さんが発言しているところです。

 パネリストは、小池晃政策委員長、岸松江弁護士、二宮厚美神戸大学教授の3人でした。日本の経済を健全な方向へ再生する、私たちの生活を向上させて景気回復をはかるためには、たまりにたまって使い道のないところまで行き着いた大企業の内部留保を労働者の雇用を守る、賃金を引き上げること、税の応能負担の原則に基づいた税制で以って大企業には社会的責任にみあった負担をして、所得の再分配が欠かせないということを明確に討論はさししめしていました。



 午後1時から江戸川地区で決起集会が会場内で催されました。今回の赤旗まつりは来年のいっせい地方選挙で勝利し、日本共産党の前進の基盤をつくっていくという意義があります。いろいろな方が応援に駆けつけてきました。なんとバナちゃんこと清水ただしさんが江戸川のテントまで応援に駆けつけてきました。頼もしい。





 日本共産党江戸川地区委員会は、来年の区議会議員選挙では議席数を現行の5議席から6議席へ増やそうという方針をとっています。江戸川区の小岩地域では藤沢久美子さんが地盤として党の議員として活動していました。藤沢さんは、現在の任期を以って勇退したいということで、来年の区議会議員選挙では「ふるいはじめ」(振井一)さんが藤沢久美子さんの後を引き継ぐことになりました。ふるいさんはコミュニティユニオンという個人加盟労組の事務局を務めていました。このたび、区議会議員選挙へ出馬する決意をふるいさんはしました。



 私が活動している平井・小松川地域を地盤としているのは、江戸川区議会議員団長である瀬端勇さんです(日本共産党江戸川地区委員会委員長でもあります)。瀬端さんの挨拶抜きで決起集会が終わるということはありえませんね。



 んで、最後はこぶしを振り上げて「団結がんばろう、がんばろう」となるわけ。実は、私くらいの世代とか私より年下の年齢層の党員のなかには「団結がんばろう」とこぶしを振り上げる感覚にはどうもついていけない、という人がいます。かくいう私もこのノリにはついていけないと思っている1人です(苦笑)。

 これは、団塊世代とのジェネレーションギャップという奴ですかね(苦笑)。





 午後は、志位和夫委員長の演説がありました。スミマセン(m_ _m)。あんまり内容は頭に入っていません。朝から日本キューバ友好協会の出店でダイキリというラム酒ベースのカクテルなどお酒を呑んでいてほろ酔い加減だったもので。文章として「しんぶん赤旗」に掲載されたらじっくり読んでみようと思います。



 日本共産党館では、戦前における日本共産党の戦いにまつわる資料が展示されていました。1945年8月15日に天皇制軍国主義が崩壊するまで、日本共産党は1922年7月15日に創立以来、治安維持法という人民抑圧の法律により非合法組織でした。そのために、党の少なくない若い活動家が弾圧の犠牲になりました。写真の人たちは天皇制軍国主義政府の野蛮な弾圧に屈せず戦い抜いた活動家です。もちろん、写真の人意外にも不屈の闘志をもって戦った党員はいます。



 飯島喜美さんの遺品であるコンパクトに「闘争」、「死」という文字が刻まれていて、これが自由と民主主義、反戦平和のために戦うという決意と覚悟が込められています。



 古参党員ならば誰もが知っている、宮本顕治さん。2007年に老衰のために宮本顕治さんはこの世を去りました。宮本顕治さんは、治安維持法違反で戦争が終わるまで12年間投獄されていました。戦後、宮本顕治さんは中央委員会委員長、議長、参議院議員を歴任します。私が1994年に日本共産党に入党したときを基準で考えると、宮本顕治さんは著名な党員で戦前の弾圧に不屈に戦い抜いた最後の党員といえるのではないでしょうか。



 宮本百合子さんは、作家で宮本顕治さんの妻です。宮本百合子さんも戦前の日本で不屈に戦った党員作家です。宮本百合子さんより小林多喜二のほうが今では日本共産党の党員作家としてははるかに有名です。蟹工船が小林多喜二さんにはありますから。

 日本共産党の戦前の治安維持法のもとでの暗黒時代における戦いは、私にとって日本共産党に入党するにいたる決定的な要素です。かつては、日本共産党いがいには、日本社会党が革新政党として扱われた時期がありました。それでも、日本共産党のほうが革新政党として信頼できると私が、ある程度成長していたとはいえ子どものころに考えていたかというと、日本社会党の前身である社会大衆党が大政翼賛会に合流して日本を戦争と侵略への道を推進してきたのに対して、日本共産党は創立してから一貫して弾圧にもかかわらず人民主権、反戦平和の旗をおろさずに戦ってきたからです。私が日本共産党の党員として生きている理由は、戦前の日本共産党の戦い抜きには語れないものです。

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