本題に入る前に自民党の参議院議員である片山さつき氏のTwitterでの発言をご覧頂きたいと私は思います。
私は、片山さつき氏の発言を読んで目眩に襲われました。
https://twitter.com/katayama_s/status/276893074691604481
基本的人権は、人が生まれながらに個人として尊重されることを価値の基調にしています。現在の日本国憲法が価値の基調としている基本的人権は人民の圧政に対する戦いの成果です。この意味において基本的人権は天から与えられたとは言えません。それにもかかわらず基本的人権を「天賦の権利」と言っているのは、価値の基調としてる個人の尊厳があらゆる人権の基本であり、それだけに人間が生まれながらにして有している当然の権利だからです。
さて、国家と個人との関係は近現代民主主義社会においてはどうあるべきか、国家は一人一人の人々のために存在していて、従って国家には人民を幸福に生きられるようにする責務があるというのが建前です。ですから、法律によって基本的人権の保障を具体化するのは、国家の義務であり、権力を担っている為政者の責務です。 あくまでも、一人一人の人々に奉仕するのが国家の存在意義であり責任です。
ところが、片山さつき氏は、国家と個人との関係を逆転させて個人が国家のために存在しているかのように描き出しているのです。このことが『国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するには自分に何ができるか、を皆が考えるような前文にしました!』という片山さつき氏の発言に如実に現れています。これは、片山さつき氏の個人的資質の問題ではなく、現在の自民党の本質的性質です。実際に片山さつき氏は、ツイッターで自民党の憲法「改正」案の説明として発言しているわけです。個人を国家のために存在していると考えて更には憲法「改正」案の中に国民に対して国を維持するために何が出来るかを考えるような全文にしたというのは、自民党が民主主義を完全に投げ捨てて極右の全体主義・国家主義政党になっていったことの反映です。
国とは何か、ツイッター上で自民党の片山さつき氏は、自民党の憲法「改正」案に対する解説として発言しているわけですから、国とは国家のことをさしています。憲法で国家の統治原理を盛り込んでいるわけだから国という言葉は国家を必然的に示しています。つまり、国を維持するために何が出来るかを考えることを憲法の中に盛り込むのは、憲法をもって人民に対して政権維持の義務を課すのと同義という他ありません。これは、民主主義とはまったく相容れません。
自民党は、もはや保守政党ではなく、極右の全体主義・国家主義政党です。自由と民主主義を擁護し発展させる立場から、私は自民党を存続を許しておいてはいけない政党であると考えています。
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