のんのん太陽の下で

初めての一人暮らしが「住民がいるんだ・・・」と思ったラスベガス。
初めての会社勤めが「夢を売る」ショービジネス。

Sand Hollow State Park

2009-03-17 | 旅日記
 6時に起床。ご飯を炊きながら支度をし、おにぎりを持って7時15分に出掛けました。私は、ラスベガスの町中の高速道路を怖くて走ることが出来ないので、町の外れまで普通の道を走り、そこから高速道路に乗りました。
 しばらくすると、真っ直ぐで何もない道になったので、兄が来た時に教えてもらった、クルーズコントロールで走行してみました。使い方が分かると確かに楽です。快適でした。でもそのうちに、道は単調ですし、アクセルも踏まないでいると、ボーっとしてしまい、「まだまだだね。あと1時間もあるよ。」などと声に出しながら走りました。飽きている場合ではありません。
 すると、思わず「わあ。」と声を上げるような山々の景色が見られたかと思うと、突然、断崖絶壁が迫って来るような間を走ることになり、目が覚めました。その峠を越え、またしばらく走ると、出発をしてから丁度120マイルでユタ州に入りました。アリゾナ州に入ったのが90マイル丁度の時、おもしろいです。
 そしてすぐにセントジョージという街に入り、この先のことが分からないのでガソリンを入れました。どうやらこの街の方がラスベガスより値段が安いようです。時計を見るともう10時半。行き方を調べた時は2時間で着くと書いてあったのに、もう、3時間以上経っています。「そんなにゆっくり走っていないはずだけどな…。」
 そこからもう一度高速15号線に乗り、5分ほど走ると16番の出口から9号線に出ました。その先曲がるところは新しい道ができたのか、私が得ていた情報とは違いましたが、無事にSand Hollow State Parkに到着しました。
 「あれ、4時間近くも掛かっている!」。2時間では着かずに、3時間は掛かるだろうとは予想していました。でも4時間とは…。
 湖で遊ぶことはまだ早いのか、または平日だからでしょうか、空いていました。遠くに居る人の話し声が聞こえるくらいです。そのため、湖はその美しさを静かに見せてくれました。ここは人工湖ということですが、こういう湖は日本では見らないでしょう。赤岩ときれいな水との風景は本当に不思議な感じでした。
 赤岩のほうに歩いて行くと、ラスベガスのレッドロックキャニオンを思い出させます。レッドロックが半分水に浸かってしまったような感じと言ったら分かりやすいのかしら、と思いました。所々に小さな花も咲いていました。岩にほんの少しのっている砂、そこには私の指先の中に、花も茎も葉も全てが納まってしまうくらい小さな小さな花を見つけることも出来ました。他にも数種類の花が砂の中に咲いていました。植物が生きる力はすごいです。
 公園内を反対の方に行ってみました。するとこちらには赤い砂浜。これもまた見たことのない景色でした。
 夏場は水遊びをする子供たちや、ボートやジェットスキーをする人々で賑やかになることと思います。今日は2台しか見られなかったサンドバギーも、もっとたくさん走ることでしょう。私はまだ静かなこの湖を見ることができて本当に良かったです。
 まだ時間があるので、近くのザイオン国立公園へ行こうと思いました。本当は、こちらの方にこの休暇の間に来たかったのですが、良くザイオン来る友人に尋ねると「お母さんが来るので、この休暇は行けないけれど、次回に私と一緒に行きましょうよ。」と言われていたので、その通り待つことにしました。でも、近くまで来ていますし、調べるとザイオンの3か所に分かれた内の一つのセクション、コロブキャニオンは、ザイオンキャニオンとはつながっていないとガイドブックに書いてあり、ここならば彼女と来た時にも訪れないだろうと思い、行ってみることにしました。
 もう一度高速道路に出て北上し、40番の出口を出れば、コロブキャニオンはすぐそこでした。ビジターセンターで入場料を払うと、車で山を登って行きました。すぐに、先日デスバレーで見たような金色の岩壁を過ぎました。そしてその後に赤い山が現れ、息を呑みました。それから続く赤い山々。山というより岩と言った方がいいのでしょうか。壮大で見事でした。「ここに来て良かったね。」
 一番上まで行くとトレイルがあり、1マイルほどでしたので、歩くことにしました。雪が所々にまだ残っている尾根を歩きます。大変な道のりではありません。右手は緑におおわれたなだらかな山。左手は通って来る時に見られた聳える赤の岩。全く違う表情が左右に見られました。トレイルの一番先まで行くと、景色が広がりました。遠く先に見えるのはグランドキャニオンかもしれません。広がる景色と、すぐ横の山々をしばらく眺めました。空を悠々と飛ぶ大きな鳥はワシでしょうか。こういう景色に良く似合います。「本当にここへ来て良かったね。」
 さて、これからどうしましょう。ザイオンの残る二つのセクションにも行ってみたいところですが、日帰りをするのなら時間がありません。ブライスキャニオンにも行ってみたかったのですが、それには一泊した方がよさそうです。明日も休みなので可能なことですが、私はとても満足していたのか、あまりその気になりませんでした。4時間掛けてまた帰らなくてはならないのなら、4時にはここを出ようと思っていました。来た道は灯りがなく、真っ暗になる前に帰りたかったからです。考えながら下り、下方にある大きめな駐車場で一度車を停めました。そこに聳える山を見、地層の良く見える山を見、それで本当に満足したようで、帰ることを決めました。
 落ち着くとお腹が空いてきて、残りのおにぎりを食べました。さあ、出発、と思って車の中の時計を見るとまだ2時半、車の時計は夏時間に直していないから3時半ということ。ん?でも携帯電話の時計は4時半。ここでようやく州が違うので時差があることに気付きました。携帯電話の時間は、居る場所に合わせてひとりでに時間を変更してくれるのです。だから行き、湖までも4時間も掛かっていなかったのです。「そうか、まだ居ても平気じゃない。」一瞬心は揺れましたが、やはり帰ることにしました。
 ゆっくりと帰っても大丈夫なことが分かり、途中セントジョージに寄り、“普通”の町を見学。また高速に乗ると今度は茶色い標識を見付け、この旅で茶色い標識は観光ポイントであることが分かった私は、ここにも寄ってみることにしました。ヴァージン川を見ながらピックニックなどが出来るようになっている所でした。崖を川まで下りてみました。細い川を流れる水はきれいで、ほど良い冷たさ。川岸に座り、しばらく水の流れを眺めました。
 この先、絶壁を抜けると長い長い道になり、帰りは疲れもあったのでしょう、もうじっとしていられず、歌を大きな声で歌いながら単調な道のりを乗り切りました。
 ようやくラスベガスの街に近づくと、行きとは違うところで高速道路を出てみました。その辺りは来たことがなく、違う街を走っているようでした。そして、やはり街中を横切るのに1時間ほど掛かり、部屋に入って時計を見ると、丁度出発した時と同じ数字が並んでいました。12時間、362マイル、今日も良く走りました。

Death Valley

2009-03-01 | 旅日記
 本日は大自然を訪れる日。兄は行き先に、私も未だ行ったことのない場所、デスバレー国立公園を選んでくれました。昨晩が遅かったので午前11時の出発。実は目的地と出発時間を決定後、私は帰宅して調べると、この公園はアラスカに次いで二番目に大きい国立公園であることが判明。「行き帰りに時間は掛かるけれど、着いたら見るのはすぐでしょ。」というものでもなさそうでした。
 行きは景色が良いという南回りのルートを選んで行くことにしました。彼らはお腹が空いていないというので、とりあえずお腹が空くまで先に進むことにしました。途中でサボテン屋さんの話になり、ちょっと寄り道。そしてラスベガスを抜け、砂漠を走り続けました。遠く先まで何もない真っ直ぐな一本道はこの国の広さを感じさせます。こんなに何もないところなのに自転車を走らせている人が数人見られました。
 Pahrumpという街に入って行きました。そこにはカジノがあるようで、大きな看板が立ち並んでいました。「この街はどうして出来たのだろう…。」などと話しながら、その街を通り過ぎました。
 次目指すは、Shoshoeという街。ガイドブックには、この先にガソリンスタンドがないと書いてあったので、給油することに決めていました。ここは街というより、通り過ぎる人が必要なものだけ揃っているサービスエリアのようなところでした。そのような場所なのでガソリンの値段はラスベガスより1ドルほど高値。でも、ガイドブックに従って満タンにしました。そして、食事もとることにしました。一軒だけある食事処は観光バスが着いていたこともあり、人手が足りないようでした。ようやく注文したタコスやハンバーガーなどの簡単な物もなかなか出てこないで、1時間半も、こののんびりとした街でゆっくりすることになりました。
 さて、ここで兄が国際免許証をホテルに置いてきたことが分かり、今日は、あまり頼りにならない私が一日運転し続けることが分かりました。
 いよいよデスバレーに向かいます。西半球の最低地点に向かうというだけあり、帰りのことを考えると、自分の足で登るのではなくてもげっそりするほど山をぐんぐんと下りて行きました。
 そして、ついに白い荒原が見えてきました。Bad Waterと呼ばれる場所の端に着いたようです。左手に広がるその場所を見ながら進み、しばらくして道端に車を停めてみました。この白さは塩です。その大塩原に降り立って、その白を取ってなめてみると確かに塩。でもどうしてここに塩があるのかという疑問は、最後まで解けませんでした。帰ってから調べてみると、私の予想通り、かつてここは海であり、それが隆起して塩水湖となり、それが干上がって今の大塩原になったということでした。
 それにしてもあんなに先まで平らで何もないとは…。大自然にぽつりと立つ私達。
 そこに一輪の黄色い花が咲いていました。アメリカ南西部にのみ自生するというHairy Desert Sunflower。花好きな母のために写真撮影。この大自然を写真に納めるのは難しいのですが、花はまだ、写真に納まりました。本当は風に揺れているところを見せてあげたかったです。
 またしばらく車を走らせると、バッドウオーターの観光地点に到着。そこには駐車場があり、人々が大塩原の中央に向かって歩いた所は、塩の結晶が踏みつぶされて、より白くどこまでも続く道になっていました。大塩原を取り囲む山には海面を示す標識があり、駐車場に向かって戻ってくるときに見えるようになっていました。ここは海抜マイナス85.5メートルの地点なのです。
 それにしても本当に良い季節にここへ来ました。真夏には気温が50度を超える日もあるというこの場所へ、ラスベガスが暑くなる前に来ることができ、暑くもなく、寒くもなく、デスバレーで気持ち良く過ごすことができました。
 さらに車を走らせると、デビルスゴルフコースの標識。ここは行ってみようと話していたことろ。急いでギリギリで左折をしました。左折をするとすぐに凸凹道。四輪駆動は必要ないけれど…と思って買った車ですが、大自然の中に来る時は役に立つようです。そして大塩原の中央まで入っていくことができました。
 悪魔のゴルフコースは、塩と泥が混じり合い、固まって激しい凸凹となったその場所では、人間はゴルフはできないが、悪魔ならできるであろうということで名付けられたようです。先ほどの場所とはまた違った表情を見ることができました。そして、先程よりも中の方まで入ってきたので、ぐるりとどの方向を見渡しても、どこまでも広いのです。そしてこの広大な荒原に、私の車はとても似合います。カシャッと一枚。広告に使えそうな写真が撮れました。
 本線に戻り、さらに車を走らせていると、駐車している車がたくさん見られます。「あれがビジターセンターかな。」「そうだとしたら粗末すぎるんじゃない。」などと言いながら右折して、私達も車を停めることにしました。
 Golden Canyon。塩原側とは全く違う表情の渓谷。名前の通り金色に見える山が頭上高くそびえる渓谷を入っていくことができました。以前、この道は舗装されていたということですが、鉄砲水で流されてしまったそうです。でもこの方が趣があり、私は好きです。どこまで進もうか考えて、戻って来る方に伺うと、先に赤い岩が見られるということ。それが見えるところまで行くことにしました。しばらく歩くと赤い山が現れ、そして折り返すと、行きは日差しの加減が丁度良かったようで、帰りには行きに見た金色とは違った色になっていました。
 もう日も暮れてきていました。とりあえずビジターセンターへ向かったのですが、到着した時は5時を過ぎ、到着する直前に予想した通り、センターは閉まっていました。
 さて、次の予定もありますし、ラスベガスへ帰ることにいたしましょう。帰りは北のルートを行ってみることにしました。持っていた二つの地図は同じように道を示してはなく、また、アメリカの道路標識はあまり親切ではないので少々心配でしたが、思った道を進むことにしました。途中、一番心配だったところに着くと、大きく通常とは少し違う、ラスベガスの方向を示す標識が出ていて、そちらに向かいました。
 辺りはだんだんと暗くなり、まだ少しは明かりがあるうちに街へ着きたいと思いながら進みました。デスバレー国立公園を出ても、塩原のように見える中を過ぎて行きました。暗くなる前に一台の車に抜かされ、日が落ちた後の真っ暗な道では、その車のテールライトがとても頼りになりました。
 しばらくすると、街に出ました。そして、その街は行きに通ったPahrumpという街であることが分かりました。思っていた道順ではこの街を通らないはずです。どうやら近道で帰ってきたようです。そして丁度街に居る時に電話が鳴り、兄達が今晩観る“O”のショーを、私もライトブースから観られることになりました。後にもしやと思い訊いてみると、友人は何度も電話を掛けていてくれたようです。繋がらなくても諦めずに掛け続けてくれた友人に感謝です。
 そこからは、行きに通った道を戻ることになりました。そして、予想外に費やしてしまった昼食時の1時間半を取り戻すかのように、ラスベガスの街にはデスバレーから2時間ほどで戻ることができました。
 夕食をタウンスクエアのレストランでとりました。小さいサイズを頼んだのに、大きくて、さらに味付けが濃く、残すのが嫌いな我々はだいぶ頑張りましたが、食べ切ることができませんでした。途中席を立った時に見たチョコレートケーキ一切れは、パウンドケーキ一本分ぐらいありました。ここのデザートも注文してみたかったのですが、今回はお預けです。
 さて、本日最後のイベントは“O”。私は劇場の客席上のライトブースへ行きました。以前来た時より、座席などが良くなっていて、さらに各自にヘッドフォンが用意されていて、ガラス越しの音楽を聴くのではなく、クリアな音を聴くことが出来るようになっていました。上からは兄達が座っているのも見えました。
 ショーが終わると兄達と合流し、友達の案内でバックステージを見させて頂きました。ショーが終わってお疲れのところ、とても丁寧に案内をして頂き、また彼女達のエネルギーを頂くことが出来、とても楽しく貴重な時間でした。
 自分の車で初めての長距離ドライブも、楽しく無事に戻ってくることができました。280マイル、良く走りました。

5日はたったの30分間

2009-01-05 | 旅日記
 ラスベガスで過ごす“5日”は30分の予定。時刻通り、午前0時30分に飛行機が動き出したと思います。でもその後は食事が出るまで熟睡。
 大韓航空特有のビビンバを美味しく頂きました。驚いたことに、大韓航空では今もなお金属製のスプーンやフォークが使われていて、器は陶器、コップもガラスで嬉しくなりました。
 日付変更線はいつ越えていたのやら・・・。

眠寝眠寝

2008-09-13 | 旅日記
 昨日は眠すぎて、帰国の支度を一つもできずに眠りに着きました。起きると荷物をスーツケースに詰め、近所の方に挨拶に行き、使った部屋を簡単に掃除しました。インターネットでチェックインをし、友人からのケーキを両親と頂くと支度は完了。4泊の日本帰国は本当に慌ただしく、忙しいものでしたが、予定していたことは全てできました。
 成田までは、いつものように父が車で送ってくれました。私はいつものように、車の中で終始寝ていました。酒々井のサービスエリアで昼食。冷やし中華を食べたのは何年ぶりのことでしょう。お腹はいっぱいになったのに、枇杷のソフトクリームを見付けるとどうしても食べたくなり、頂きました。
 買い物をする暇が全くなかったので、友達に頼まれたものは空港で購入。機内持ち込みが出来ない焼酎以外のものは見付けられました。
 もう何度も成田空港に見送りに来てくれている両親は、手荷物検査を入った後も私の行く道が分かっていて、ガラス越しに見える所々にやってきては、手を振ってくれます。短い滞在を有効に使えるように、さりげなく快く協力してくれた両親に感謝をしながら、また会える日を楽しみに私も手を振りました。

 機内はひたすらに寝ていました。機内食をどうにか逃さずに…。

 シアトルにつくと、次の乗継までに約6時間あったので、一度外へ出ました。薄手のジャケットがいるくらいの涼しいさわやかな気候でした。お目当てはパイク・プレイス・マーケット。ここは5月に通り掛かり、ゆっくりと見てみたいと思ったところでした。
 バスは15分も待つと来て、順調に市場へ着きました。人はたくさん出ていて、賑やかです。まず目にした魚屋では、買った魚が人の手から人の手へ、宙を飛び交っていました。他には八百屋、果物屋、お土産屋、食事処、パン屋、蜂蜜屋…。いろいろなお店が並びます。花屋さんは本当にきれいでした。5月はチューリップが並んでいましたが、今の季節は大きなダリアがたくさん並んでいました。
 いろいろなものを買って帰りたいところですが、まだ飛行機に乗ることを考えると、そうもいきません。友達にブルーベリーとラズベリーを、自分にブロッコリーを買って、あとは魚も花も我慢しました。
 とにかく日本での寝不足が尾を引き、市場を歩いていても眠りそうになってきました。バスに乗ると幸い席は空いていて、座るとすぐに寝ました。そして、パッと目覚めたところは運良く空港でした。
 シアトルからの飛行機も定刻で飛んでいたのだと思います。乗って座った途端に寝てしまったので、定かではありません。
 
 ラスベガスはまだ暑かったです。薄暗いうちにラスベガスへ着き、帰宅をすると真っ暗になっていました。両親に、無事帰宅の電話をし、お米を研ぎました。お米を浸す間だけ寝るつもりが、結局起きられず、空腹も負けて、朝まで寝てしまいました。

日本という国へ

2008-09-08 | 旅日記
 支度の日が一日あっても、睡眠する時間はなく、いつも通りに一睡もせずに出掛けました。ラスベガスからシアトルの飛行機は、5月の休暇時、人生初めて乗り遅れた飛行機と同じでしたので、少し緊張していました。
 5月と同じように余裕を持って空港に到着。荷物を預けると、持参した朝食を外を眺めなら食べました。そして、同じように余裕を持ってゲートに到着。5月と違って、ゲート付近には乗客と思われる人々がいて、ゲートには航空会社の人もいて、みなさんのことを勝手に“待って”乗り遅れることはありませんでした。
 日本という国へ、4泊6日の旅が始まりました。

フロリダへ

2008-07-14 | 旅日記
 朝はまだ暗い、3時半ごろ家を出ました。ラスベガスの空港にエコノミーパーキングがあることを知り、今回はそこへ駐車してみることにしました。地図を見ると道が入り乱れているようでしたが、朝早く、車の数も少ないので無事に着きました。そして、空港までのシャトルバスもすぐに出て、出発時間の2時間前、余裕の到着。
 空港はまだ閑散としていて、セキュリティチェックも、空港従業員用に一つ空いているだけでした。もちろんゲート付近には一番に到着。今日は寝ていても、ぐっすりと寝ていても誰かが起こしてくれることでしょう。KAのショーにかかわる様々な仲間で、フロリダへの旅が始まります。
 一時間も経った頃でしょうか、目を覚ますと人がだいぶ集まっていました。私の“今となっては笑い話”を知っている人は、私が起きてキョロキョロしているのを見ると「大丈夫だよ。起こしてあげるよ。」と声を掛け、笑いました。
 マリレンの姿が見付けられないまま搭乗しましたが、無事に隣の席に来ました。彼女は、昨晩大きなイベントを終えたばかりで、とても疲れているようでした。私も例によって寝ないで出掛けたので、二人で一通り昨日の話をすると眠りにつきました。アトランタまで約4時間の飛行です。
 アトランタは初めてでした。空港は大きく、人がごった返していました。サミを交えて軽食をとってから次のゲートへ行くと、一角が部屋のようになっていて、カーペットの上に何人もがごろ寝をしていました。みなも昨晩は寝ていないのでしょう。彼らには3時間の待ち時間も無駄にはなりません。
 アトランタからオーランドまでは、マットのお嬢さんが私の膝の上で寝ていました。私も一緒にぐっすりと寝て、あっという間の一時間半。
 オーランド空港はとてもきれいで、賑やかでした。高い吹き抜けの周りにあるのはホテルの部屋でしょうか。空港が街のようで、ここで何時間も過ごせそうでした。
 空港からホテルまではシャトルバスが用意されていましたが、明日のために私はレンタカーを。マリレンが一緒に来てくれました。彼女はKAの前、La Noubaのアーティストでした。ここで5年間を過ごしているので心強く、道案内も、ハイウェーの所々にある料金場でのお金の準備も、てきぱきとしてくれました。どうやら私達、シャトルバスよりだいぶ早く着いたようです。
 しばらく休憩をして、パーティ会場へ向かいました。部屋を出て外を歩き始めると、このホテルの敷地内はずいぶんと広いことが分かりました。中央には大きな池があって、ボートを走らせることもできるようです。池の周りには、憧れのハンモックがあり、夕陽を眺めながらここで横になりたいと思いました。
 パーティ会場のラウンジへも、もちろん一番の到着。お腹が空いていたので、何かを口にしてから行こうと思いましたが、覗いてみると食べ物も少しあるようです。そのままお店へ入りました。入るとすぐにLa Nouba側のお世話をして下さる方がいらして、マリレンは大喜びで話し始めました。他のショーからも団体でショー観に来ることはあるそうですが、今回のKAの150名というのは新記録だそうです。
 湿気のある外の暑さからここへ入ると寒いぐらい。私はお酒が飲めないので、中から温めることもできず。でも、飲み物の注文を取りに来て下さった方にそんなことを話すと、彼女は紅茶を用意して下さいました。この旅行は信じられないくらいの格安でしたが、なんと、このパーティの飲み物までもが含まれていました。お酒飲みには、この上なく嬉しいことのようです。
 紅茶を頂いても会場はものすごく寒く、私はしばらく外へ出ることにしました。外は湿気がある暑さ。日本のようで、肌にもいい感じです。池の向こうに見える建物の明かりがとてもきれいでした。
 建物の中も少し散歩をしてみると、コンベンションセンターで何かをしているようです。近づくと、ダンサー達の素敵な写真が飾ってありました。それも子供たち。こんなにしなやかなで鍛えられた身体を持ったこの子達は、どういうダンスをするのだろうと興味がわきました。中に入れそうなので入ってみると表彰式が行われていました。かわいらしいドレスに身を包んだ女の子と、こましゃくれて見える、スーツ姿の男の子が舞台に並んでいました。表彰の様子を見ていると、彼らはいろいろなダンスをするようです。一人の女の子はタップ、アクロバット、そしてインタビューで優勝し、プチ・ミスダンスに選ばれていました。うすい水色のドレスを着たその子は、背丈が並んでいる誰よりも小さく、仕草がとてもかわいらしいのです。それでも舞台に立っているときは大きく見えましたが、その後、表彰が終わってから近づいてみると、本当に小さな子供でした。
 そのダンスのコンベンションの予定を見ると、まだ続きがあるようでした。子供達のダンスを観る機会をつくれそうです。関係者らしき方に尋ねると、誰でも入場できるとのこと、最終日の出発前に来られそうです。
 何だか嬉しい気分になりながら、パーティ会場へ戻りました。すると、デザートが出ていました。嬉しさの続き。デザートのケーキを頂きながら、マリレンが紹介してくれたLa Noubaのアーティスト何人かと話をし、私はもう満足で、明日早起きなこともあり部屋へ帰りました。
 支度をして、ベットにゴロンと横たわると、マリレンが帰って来ました。彼女はもうクタクタのようです。それでも、たくさんの友達に会えて大満足のようでした。フロリダ旅行一日目、移動に大部分を費やし、少々疲れましたが、楽しい一日となりました。

キャンモアから帰路へ

2008-05-17 | 旅日記
 ここのB&Bは、朝食が冷蔵庫に用意されていて、自分たちで好きなものを好きな時間に食べるようになっていました。洋ナシ、リンゴ、オレンジを皿に盛り付け、父と私はイングリッシュマフィンを、母はマフィンを、紅茶と共に頂きました。
 支度が早く済んだので、近くにあるグラッシー・レイクを眺めて帰ることに決め、上に住む家主にご挨拶に行きました。すると湖に行きたいのなら歩いて行けるところにもあると言います。10分も掛からないと言うので、そちらへ行ってみることにしました。
 歩き始めるとすぐに湖の様な池の様なものがありました。「もしかしたらこれかな、今は水がないけれど、夏になると水がたまって泳げるのかな。」などと言いながら、とりあえずもう少し、遠くに見える看板まで歩いてみることにしました。
 土手の一本道のようなこの道は、正面に雪のかぶった高い山がそびえ立ち、朝の空気はすがすがしく静かで、歩くにとても気持ちの良い道です。
 看板の近くへ行くと『Quarry Lake』と言う文字が見えました。
「やっぱりちゃんとあったね。」
 左へ、木々の間の細い道を通り抜けると視界はパッと開け、かわいらしい湖、凍っていない湖が現れました。周りは一周歩けるようになっています。みんなが泳ぎに来るというのが分かるような湖でした。
 小さな湖には山々が映っていて、静かな景色の中、犬が湖を泳ぐ音だけが鳴り響いていました。湖とそれを囲む山々を眺めながら帰路に着く前、最後のひとときを楽しみました。
 さて、いよいよ空港へ向けて出発です。カルガリー空港まで約一時間半、100km少しの道のりです。いつものように左右に山々と、所々に湖が現れる道をしばらく進むと、ついに雪のかぶった高い山とはお別れになりました。その先は、どこまでも真っ直ぐな道をひたすら西へ向かいました。
 手元には広域の地図しかなく、1号線から2号線へは、日本でいう高速道路のインターチェンジのようになっているのかと思っていると、1号線は突然のように街の中へ入り、工事中の箇所が多く、狭く走りにくい道を進みました。すると又、突然のように広い道になり、無事に2号線にのることができ、少し心許ない標識を頼りに進むと、何とか空港へ着きました。
 レンタカーの返却は簡単に済みました。全走行距離758km。
 カルガリー空港も、モントリオール空港と同じように、ここでアメリカへの入国の手続きをするようになっていました。少し長い列がありましたが、早目に着いたので焦ることもなく、入国審査も問題なく済みました。
 ゲートはすぐそこで、搭乗までたっぷり時間は残っていました。でも、シアトルでは駆け足で乗り換えです。昼食をとる時間がないだろうと、少しお腹に何かを入れることにしました。それでも時間は余っています。
 ゲートには、搭乗一時間前になっても飛行機は着いていませんでした。30分前近くになった時、遅延があるか確認に行きました。すると、35分遅れの標示。もともと、日本行きへの乗り換え時間は50分しかありませんでしたから、このままだと15分で乗り換えなければなりません。もし乗れなかったら、日本行きの飛行機は明日までないでしょうから、私もシアトルで泊まらなければならないことでしょう。カウンターに人が来るのを待って確認をし、あとはどうにもならないので、ゆっくりと、それ以上遅れないことを祈って待つしかありませんでした。
 飛行機は1時にゲートに到着しました。乗客を降ろして、乗客を乗せ、35分遅れで飛び立ちました。飛行所要時間は当初の予定より短いようなので、どうやら間に合いそうです。
 窓の外には、雄大なカナディアンロッキーの山々が広がっていました。この5日間、たくさんの山を通り抜けてきましたが、ここから見るとそれはまだまだほんの一部であったことが分かります。右にも左にも悠々とロッキー山脈は続いていました。
 シアトルに着くと、疲れているだろう両親に走ってもらい、次のゲートへ向かいました。すると、出発予定時刻が10分早まっていました。ゆっくりと別れを惜しむ間もなく、急いで搭乗しなければなりませんでした。もしかしたらこの方が良かったのかもしれません。二人は振り返りながら手を高く上げ、いつまでも手を振りながら機内に向かって入って行きました。
 私はそこに残り、無事に飛行機が飛ぶかを確認をしたかったのですが、自分の搭乗時間も迫っています。ギリギリまで残ってそこを後にし、全く反対側のゲートへ向かいました。するとそこは滑走路に入る飛行機、そして飛び立つ飛行機が見える位置でした。同じ航空会社の飛行機が続けて飛んでいないところを見ると、二人の乗った飛行機が飛び立つ瞬間が見られそうです。時計を確認しながら、自分の搭乗案内も気にしながらその時を待つと、丁度呼び出される前に、その瞬間を見ることができました。これで安心して飛行機に乗り込めます。
 ラスベガスまでの飛行機、後ろの席には日本人の親子が座っているようでした。お母さまは私の両親よりも年上で、身体も弱いようでした。息子さんは私よりも若いよう。それでも丁寧に優しく接しているのを耳にし、我が身を振り返えさせられました。
 レッドロック、我がアパートを見られるところから、飛行機はラスベガスの空港に無事到着しました。日本からは夜中の3時半過ぎに無事帰国の電話が入りました。元気そうな二人の声を聞いて安心しました。
 

 5月の休暇、どこからか帰ってくるといつもラスベガスは夏になっていることを、空港に着いて思い出しました。33度。夏はまだまだ始まったばかりです。

弛まぬ努力

2008-03-18 | 旅日記
 ここの部屋は、壁一面の広い窓から眩しく熱いほどの太陽の光が差し込みます。今日もいい天気です。
 正司くんの10時半からの写真撮影の予定に合わせ、時間の少し前に一緒に部屋を出て、シルクの本部へ道を渡りました。
 入るとすぐにルクソールのダンサーと通訳の友人に会いました。通訳の友人は正司くんの12時からのリハーサルまで時間があるので、細々とした仕事をしていました。私はルクソール組がラスベガスに到着した後、お手伝いをする事になっています。
 友人は、今ある彼らの心配が少しでも消えるように、私とルクソール組の間に入って、お世話をしています。今日もいくつか私に質問をして、問題解決の糸口を見つけているようでした。彼女は見かけは小さく、おとなしい感じですが、通訳以上のことをしてくれる、優しく大きな心を持った、芯が強くてとても頼りになる方です。私がモントリオールにいるときは、通訳を介するとまどろこしい気がして、大事な時しか頼みませんでしたが、彼女の人柄に惹かれて、もっといろいろお願いして彼女と会う機会を作ればよかったと思ったものです。
 12時からの正司くんのリハーサルには、私は帰りのバスの時間を調べていたので少し遅れて行くことになりました。後半だけ見た彼の一番の見せ場の演技、魅入りました。今はまだ踊り切れないと聞いていたのが分かりました。身体をおかしくしたり、痩せてしまうのも分かる気がしました。
 私の時と同じように、振付家の方はバトントワリングのことを何も分からない方です。違うことは彼は踊れるということです。振付家の自由な発想になるべく対応したい、それを現実のものとして表したい、と努力したことが本当に分かりました。時に“天才”という言葉で纏められてしまう彼ですが、それは頑張ることができる才能を持っている、ということで、そこにはたくさんの努力が隠れているということを改めて感じました。だからこそ、ようやくできるようになったもの、努力の跡が見られないほど完ぺきに仕上がったものを、その努力とは裏腹に、いとも簡単に違うものに替えられてしまうことの悔しさや無念をもの凄く感じて、クリエイションではやるせない思いを幾度もしているのでしょう。でも、その努力は決して無駄になることはありません。いろいろなことを試して出来上がったものには、奥の深さが出てきます。これはクリエイションを経験したアーティストだけが持てる強さと自信になります。
 そして私は、これだけのことを挑戦できる時間が持てる事を少し羨ましく思いながら、現実的に、毎日のショーでこのままできるのかどうかも考えました。ショーは、世界大会のように、長い期間の練習を積んで、その一回に集中して終われるものではないことです。特に彼は何度も出番があり、リスクの大きいことをしながら常にバトンを回し、出てきます。『ブラスト』でショーを経験している彼ですから、私が心配することではありませんが、正司くんには長く舞台に立っていて欲しいので、いろいろな意味でバランスの良いところを見付けて、いい状態で毎日の舞台を踏め、その舞台での満足感が次の舞台のエネルギーになるようになるといいな、と思いました。
 振付家の方が練習場を出て行く時にすれ違うと、「どう?」と自慢げに訊いてきました。彼と私との関係をみなさんほとんど知らないので面白いのです。自信を持って彼のことを薦めた私は、もっと胸を張って微笑みました。そして、「セイシとは仕事がしやすいよ。」と。私は同じ日本人として、バトントワラーとして本当に誇りに思いました。
 その後カフェテリアで、友人と正司くんと昼食を一緒にとり、私はバスの時間が来たので帰ることになりました。午後のステージングの時間も迫っていたので、一度さよならをしてから私は用事を済ませることにしたのですが、正司くんは静かにそれを待っていてくれて、シルクの本部のドアを出るまで見送ってくれました。 


 私は彼よりも数年早く生まれて、数年長くバトンをしているだけなのに、彼の言動の端々にはいつも心底からの謝意と敬意が表れていて、本当にバトンが好きだから感じられることなのだろうと、有り難く嬉しく思います。いつも応援してくれる彼のことを、バトン仲間として、シルク仲間として、私もこれからも応援していきたいと思います。

 
 モントリオールの滞在時間は、丸二日もない本当に短いものでしたが、いろいろな意味で行って良かったです。

モントリオールで盛り沢山

2008-03-17 | 旅日記
 友人は、エッチングのアーティストでもあります。私が前回訪れた時、丁度個展を開いていて、その時から始まったという動物シリーズの作品を見せて下さいました。作品のアイディア、細かい作業、色の出し方、紙の使い方、どれもこれも興味深いことばかり。いろいろなことを考え、試し、その結果を次に活かして作品を手掛けていくという姿は素敵で、彼女と作品がそこからさらに輝きを増しているようでした。
 友人宅に、KAで乳母役をしていたジュリが犬を連れて車で迎えに来てくれました。ジュリのルームメイトが留守で、犬と車を預かったそうです。今日ジュリは、私の為に仕事を休んで時間をつくってくれました。
 小さなカフェに行って朝食。私はクレープにリンゴ、ベーコン、チーズ、ポテトの入ったものを頼みました。大きなお皿の半分はフルーツが盛ってあり、彩り良くおいしい朝食でした。
 その後、犬を彼女のアパートに置いて、シルクドソレイユの本部へ行きました。KAのクリエイションの時は、どのドアもピッタリと閉めてあって、トレーニングでさえ見ることができませんでしたが、東京ショーはもう少しオープンなようです。正司くんのリハーサルを見ることができました。
 正司くんはショーの中で重要人物です。この時間は主役との絡み。正司くんは一回一回一生懸命にやっているのに、主役の彼は気軽にやっている感じ。正司くんの動きを感じているのかも分からず、伝わってくるものもあまりなく、この人はこれから何かを醸し出すようになれるのか、と少し不安になりました。正司くんは笑っていましたが、私だったら嫌になってしまいそう…。
 それにしても、やはりこのクリエイションの時の空気、みながひとつの新しいことに向けて取り組んでいる活気のある空気は気持ちがいいです。自分は何もしていなくても、この空気に触れているだけで私の気持ちも活気づいてきました。
 お昼の時間、カフェテリアでは本当にたくさんの人に会いました。今、何人かのアーティストが新しいショーのためにここへ来ているのは分かっていましたが、彼らだけでなく、本当にたくさんの人に会いました。そして、自分がこの会社に勤めてからの年月を実感しました。
 2時からのステージングは覘けないというので、ジュリとモン・ロワイヤル公園へ犬を連れて行きました。
 雪で覆われた山では子供たちがソリを滑らせています。展望台へ向かう途中では啄木鳥が見られました。展望台からは、碁盤の目のように真っ直ぐな通りが並んだ街が見渡せます。天気は良く、雪に反射する光が眩しいくらいでした。
 もう一か所、街が見渡せるところへ移動するとオリンピックスタジアムが見えました。このオリンピックスタジアムは地盤が緩いところに造ったので、冬はいいが夏は地盤を凍らせて建物を支えているとジュリが教えてくれました。
 そこから山を下りて、街でパン屋さんに入りました。クロワッサンやフランスパンが本当においしそうに並んでいて、ケーキやパテやチーズもあります。奥にはサンドイッチやサラダも売られていて、何を食べようかお店を何周もしてしまいました。「こういうお店がラスベガスにあったらね…。」するとジュリが、「じゃあ、サンドウィッチを半分ずつ、チョコレート入りクロワッサンをデザートに半分ずつにして私と分けて、今月のパン、メープルシロップとナッツのパンは買って帰ってセイシと朝食に食べたら。」と、素敵な提案。そして、頂いたものは思わず笑みがこぼれるほどおいしかったです。
 シルクの本部へ戻りました。ステージングを終えた正司くんに会うとちょっとしょ気ていました。「僕、今日行けないかも、です。」ステージングが上手くいかなかったので練習したいと。その気持ちはとても分かったので、心行くまで練習をして頂いて、私達はお店を決めながら、他の友達に連絡を取りながら、結局彼の練習が終わるのを待っていました。
 練習が終わると街へ出ました。お店に集まったのは6名。元KAのジュリ、ダラン、アナトリ、今KAのベッキーに私、そして正司くんです。ダランはマカオの新しいショー、アナトリは正司くんと同じ東京のショーに移りました。 こうやって、モントリオールで仲間と集まれるのは、何とも不思議で何とも嬉しいことです。そしていつものごとく、アナトリが面白いので笑いは途絶えませんでした。
 デザートはみんなでショーケースまで見に行き、わいわい言いながら食べるものを決め、自分たちでケーキを運びながらがやがやと戻り、前にも横にも手を出しながら全部の味を楽しみました。
 夜は正司くんの部屋に泊まらせて頂きました。懐かしい、シルク本部前の宿泊所です。彼の部屋は私が使っていた部屋よりほんの少し大き目、そして反対の方角の部屋でした。
 彼は朝から練習で、夜は夕食に付き合って頂いて、疲れていると分かっていながら、ついつい話してしまいました。その上、私の代わりに寝袋で寝てくれました。

 ただ今モントリオールに住む友達のお蔭で、充実した楽しい一日となりました。

日本人3名様、ただ今クリエイション中

2008-03-16 | 旅日記
 ショーが終わり、帰宅をし、旅の支度を開始しました。本当は少しでも睡眠を取りたかったのですが、やはりできず、そのまま朝の4時に家を出ました。
 今日のラスベガスは寒いです。でも、寒い所に行くには丁度良いことです。
 ミネアポリス経由でモントリオールに時間通りに到着。わずかな差で5時半のシャトルバスには乗れず、6時まで待ちました。思っていたよりは暖かく、5時半のバスに乗ろうと走った熱も残っていたので、コートを着ずに待てました。まだ外は明るいです。 
 道はもちろん除雪してあるのですが、どこを見ても真っ白な雪景色の中、バスはゆっくりと進む気がしていました。でも、バスはタクシーを抜かし、心配になるぐらい速いスピードで進みました。
 30分でダウンタウンに着き、地下鉄の乗り場を探していると「ノリコさん。」と。振り向くと正司くん。ビックリするやら嬉しいやら。私の飛行機が到着する時間から計算して、迎えに来てくれていました。正司くんが「ノリコさん。」と呼ぶのは、モントリオールの日本人のみなさんがそう呼ぶので感化されてしまったのでしょうか、ちょっと変な感じでした。 
 地下鉄のホームへ行くと、今度はルクソールにできる新しいショーの日本人ダンサー達に会いました。こちらは偶然。
 今日は、シルクドソレイユ本部で日本人の通訳をして下さる方がパーティを開いてくださることになっていて、みんなで彼女のお宅に向かいました。
 彼女と、ご主人と、お子様方と、温かく迎えて下さいました。
 彼女の手料理に正司くんのおかずを一品加えて、夕食。とてもおいしく、とても楽しく、時間はあっという間に過ぎて行きました。
 クリエイション中の3人はそれぞれ大変そうですが、私はクリエイションの時間がとても好きでしたので、少しうらやましい感じもしました。
 彼らは帰り、私はここに残りました。私がクリエイションでここに居た時も通訳をしてくれた方、今や友人と、それから夜中を過ぎても話していました。