のんのん太陽の下で

初めての一人暮らしが「住民がいるんだ・・・」と思ったラスベガス。
初めての会社勤めが「夢を売る」ショービジネス。

ラベンダーとシュークリーム

2008-01-25 | 旅日記
 レンタカーを返し、友人の車でクラにあるラベンダーファームへ行きました。地図にある星印が行き先であると思っていた私のミスで、道を間違えてしまいましたが、その道が眺めの良い道でドライブを楽しみました。 
 ラベンダーファームに着くと、車を降りた途端にいい香りがし、山の中腹からの眺めは素晴らしく、風が静かに吹いていました。
 地図をもらうと、植えられているラベンダーの種類が色分けされています。数えると16種類。こんなにたくさんの種類があるとは知りませんでした。
 ラベンダーの他にも見たことのない植物が植えられています。かわいい花もあれば、奇妙な花もあります。焼きとうもろこしの様な花もありました。
 途中、ラベンダー茶とスコーンを頂きながら、島を中央に、左右に青い海を見渡せるテラスで休憩。すると友人が、すぐ近くの落葉した木に、一か所不自然な緑のものを見つけました。私はメガネを掛けていたのでよく見えず、緑の葉が飛んできて付いているのかと思いました。カメラを取り出し望遠を最大にして見てみると、葉のように薄くなく、立体に見えます。写真を撮るとピントが合い、もっとはっきり見えました。「カメレオン?」友人に言われて見直すと、尻尾あり、手あり、足あり、目あり…。「気持ち悪ーい。」「あ、動いた!」「写真撮ろう。」「ピントが合いすぎて気持ち悪ーい。」「あ、動いた!」「写真撮ろう。」…とカメレオンが動くたびにシャッターを切っては気持ち悪がっていました。
 生まれて初めて見たカメレオン。舌をのばして獲物を捕る瞬間も見ることができ、面白い経験でした。
 山に広がるラベンダー畑の方へ行って景色を眺めながらのんびりしていました。写真を撮ろうとすると、電池のサインが点滅しています。カメレオンの写真を撮りすぎました。
 此処もいつまでも居たいところ、一日中でも居たいところです。母が来たら喜ぶだろうな、と思いました。
 のんびりしているうちに、近くにカウボーイの街があって、おいしいシュークリームを売っていることを友人が思い出しました。まだ寄り道する時間もありそうなので早速向かいました。
 マカワオにあるその街は小さな街で、小さなかわいらしいお店が並んでいました。シュークリームを売っているお店は田舎に昔からあるお店という感じで、建物や台に使われている木々の艶やかな深い茶色が年月と温かみを伝えていました。
 カスタードクリームのいっぱい詰まったシュークリームを道端でほおばると、小さな街をひと歩きしていよいよ空港へ向かいました。友人も知らなかったという道を抜けながら空港へ向かうと、思っていたよりも早く到着。少し早い別れとなりました。今日は帰路につくだけで何もできないと思っていた私ですが、友人のお陰で素敵な時間が生まれました。滞在中、のんびりとした中に充実した時を過ごさせてくれた友人の、人の大きさに、心の大きさに感謝です。
 空港のチェックインカウンターへ行くと、中の人の動きが少し違うように感じました。「コンピュータが動かないのですか。」「そうなの、時間が掛かってすみません。」と。手書きのチケット、手書きの荷札。ご苦労様です。
 早く着きすぎたことと、荷物の重さを気にしてくれていた友人に、無事チェックインができたこと、早目について丁度良かったということを報告しながらお礼の電話をしました。
 この便が遅れると、ラスベガスへは翌日の当日の到着になってしまうことを気にしながら搭乗を待ちましたが、時間通りに離陸。感心しました。
 ホノルルに着くと急いで次のゲートへ向かいました。マウイでコンピュータが動かなかったため、次の便のチェックインができなかったからです。ゲートに着くともう搭乗が始まっていました。ドキドキしながら順番を待ち、こちらも無事にチェックインができました。
 ホノルルからラスベガスまで約5時間半。昼から夜中へ時間を追いかけるように進みます。青い空、青い海を見、ひと寝入りすると真っ赤に染まった夕焼けを見、ひと寝入りすると真っ暗になっていました。
 この航空会社は珍しく、国内線で食事が出ます。パスタを選んで頂くと、もうラスベガス。真っ暗の中、ものすごく明るい町が見えてきました。成田を発つ時に、ここも夜景がきれいだな、と思っていましたが、ラスベガスの灯りの数は倍を超えているでしょう。だんだんと灯りの数が減っているようなことはなく、くっきりとした分かれ目に、そこには海があるのかと思ってしまうほど。改めてこんな町に住んでいるのだと思いました。
 離陸をして、見慣れたホテルが見えてくると少し緊張してきました。そういう町に帰ってきました。
 荷物を受け取りに行くと声を掛けられました。クリエイションのディレクターのアシスタントをしていたクリスチャンでした。彼女は新しいショーのために、このショーのディレクターと共に、モントリオールから来たところでした。
 話しながら、父役のキャラクターがなくなったことに触れると、彼女はそのことを全く知りませんでした。ショーを創るときにあんなに大きくかかわった方でも、こんなに大きな変更を知らないのだと思ったら淋しくなりました。
 ターミナル2からストリップへ行くシャトルバスはなく、仕方なくタクシーに乗りました。近すぎていい顔をしないタクシーの運転手さん…。こんな町、ラスベガスに無事着きました。

山、海、食

2008-01-24 | 旅日記
 イアオ渓谷へは朝早い方がいいからと、5時半起床。途中で友人お勧めのベーグルを食べて、まだ薄暗い中を進みました。ツアーの中には必ず入るという観光地なのに朝早いからでしょうか、車が後にも先にも見えません。
 山の中に入って行くと懐かしい感じです。日本の田舎のようで何となくほっとしました。
 駐車場にも車は一台しかなく、静かな朝、静かな山の中を、水の流れる音だけが響いていました。歩き始めるとすぐにパパイアが木になっているのを発見。初めて見て、嬉しくなって思わず写真を撮りました。
 山の朝は大好きです。瑞々しい木々の緑、勢いよく流れる川。早起きした甲斐がありました。
 イアオ渓谷自体は大きなところですが、人が足を踏み入れられる場所は限られています。行き止まりまで登り、景色を見渡すと友人が「ドキドキしてきた。」と言います。私は登って心臓が速く動いているのかと思ったら、この地がカメハメハ大王とマウイ軍の壮絶な戦いが行われた場所だそうで、戦いがあったという方は亡くなった方もたくさんいるわけで…。「写真撮らない方がいいかな。」と、思わず。
 そんなことを言いながらもセルフタイマーをセットすると、画面に白くチラつくものが見えました。「…。」ドキドキしながら、レンズの方を見ました。そこには細い白い糸が付いていて風になびいていました。ふう…。
 下に降りると、タロイモが植えられている場所がありました。タロイモの葉は、サトイモと全くと言っていいほど同じでした。
 いつまで居てもいいところ。いい場所を案内して頂きました。

 本日二番目のメインイベントは、ホエールウォッチング。KAを観に来て下さったご夫婦が招待してくださいました。
 毎年12月頃から4月頃にかけて、ハワイの近海にはザトウクジラが滞在するそうです。彼らはアラスカ沖の北極海から約5000kmの旅路を南下してきて、ここで恋におち、出産、育児をするそうです。
 マアラエラ港に着くと駐車もできないほどの車の数。毎日15便も出ているというこの財団のツアーには、今回140名以上の乗客がありました。船はそれほど大きくもなく、2階の屋外デッキは満席。私たちは分かれてようやく外の席に座ることができました。
 今日は風の強い日。青い海を風を切りながら船は進みます。沖に行きながら財団の方が鯨の説明をして下さり、鯨がそこにいるという大きなサインとなる潮吹きが見えたら教えて下さいと言いました。乗客は立ち上がり、海側に寄って、海をじっと見つめます。潮吹きが見えると、進行方向を12時とした時計の短針の方向を叫んでその位置を知らせます。100ヤード以上は近寄れず、エンジンを切って鯨が水面から出てくるのを待ちます。
 一番はじめに近づいた鯨、エンジンを止めて待っていると、いきなり近くで大きく水上に上がりました。わぁーと歓声をあげるともう一度。写真でよく見るような、ブローチングという高いジャンプを見ることができました。ここまで近くでの全身が見えるほどの高いジャンプは、財団の方々にとっても今シーズンで一番見ごたえがあったものだったようです。
 その後は、少し離れたところで尾びれで水面を叩く動作も見ることもできました。あとは背びれや尾びれを見るにとどまりましたが、たくさんの鯨を見ることができました。
 今日の海も青く、気持ちの良いクルージングでした。

 その後少し運転をしてライハナという街に移動し、マンゴーとパパイヤのソフトクリームを食べながら歩いていると、今朝留守電にメッセージを残しておいたKAのミュージシャンから電話が入りました。今日ここマウイで会う約束をしていたのですが、なんと彼女たちの滞在先は友人のアパートと同じ町、すぐ近くのホテルでした。
 その町、キヘイで会うことにしたので、すぐに戻り、まだ日の入り前、約束の時間までも時間がありましたので、夕陽を観に、歩いてビーチへ行きました。今日は海に沈む夕日が観られそうです。
 太陽の光は、波が届いては消える砂浜をきれいに照らしています。撮りたい構図が描かれたので、いくつか写真を撮っていました。そして、夕陽を改めてみるとその下、水平線との間には大きな雲が現れていました。今日も夕陽は雲の中に沈みました。
 真っ暗になってからアパートに戻り、すぐに友人とミュージシャン達に会いに行きました。旅先での嬉しい再会。
 彼女たちもマウイの前に旅をしています。その話を聞くと、一人はiPhoneを、一人はiPod Nanoをなくしたと言います。ノリコは何かなくしたかと訊かれたので「一日。」と答え、日本滞在予定日が一日減ってしまった経緯を話しました。
 お腹がすいているのでバーから移動して、タイ料理屋で食事。彼女たちは本当に面白く、最後の晩、楽しいひとときを過ごしました。
 
 今日ものんびりとした気持ちでたくさんのことをし、充実した一日となりました。

マウイの日の出、日の入り

2008-01-23 | 旅日記
 1時起床。支度をしてスーツケースをレンタカーにおさめ、ツアーの送迎時間2時10分をロビーで待ちました。ここからは姫路からの女性が2名、キヘイで京都からのカップルを乗せ、ハレアカラ山頂へ向かいました。私は横浜からの参加ということで。
 今日のツアーの参加者が揃うと、ガイドさんから丁寧に説明がありました。それが終わるや否な、うとうとと…。酔うかもしれないと言われていた山道もあっという間に過ぎ、第一停車場、ビジターセンターに着きました。トイレを済ませ、山の寒さに慣れるためにしばらく外にいるように指示有り。ここの気温4度。しばらくすると防寒ジャケットが配られ、懐中電灯、双眼鏡を手にして使い方の説明を聞きました。
 ここで、ビジターセンターに植えられている珍しいという高山植物“銀剣草”を紹介して下さいました。銀剣草は20年も30年も掛けて株を育て、中央から大きな茎を出すと花を咲かせ数カ月で枯れてしまうそうです。株は球形で少ない雨をそのまま根に流せる作りです。葉は細いアロエのようでした。銀色に見える株は、葉の表面の細かい毛が太陽に反射して見えるということで、紫外線と乾燥から身を守っているそうです。
 そこから車を少し走らせて、車の出入りが少ないという“穴場”の駐車場で星の観賞をしました。ガイドさんはスーパーレーザーポインターというものを持っていて、そのレーザーはまるで星に届くかのよう。それを使って丁寧に星座を説明して下さいました。 
 面白かったのは、ここから見える北極星は21度のところにあるということ。それは今、自分のいる位置が北緯21度ということで、北極星を見付ければ自分の位置が分かると。つまり、赤道に行けば0度、北極点に真上に北極星が見えると。こういうことはきっと学校で習っていたことなのでしょうが、すっかり忘れていました。
 寒さに足踏みをしながら、星を鑑賞しました。すっかり冷え切った身体を山頂へ向かう車で温めます。山頂に一番近いという駐車場へ着くとガイドさんから改めて諸注意がありました。車を降り、注意しながら登ると、あっという間に山頂へ。『頂上3055m』という標識の前で、ガイドさん自らカメラマンになって下さいます。そこにある風除けのガラス張りの建物は日の出を見るのに邪魔であり、ガラスも曇ってしまうと、さらに人の山で日の出が見られないということで、私達のツアーは“特別”という場所へ移動しました。
 私はマウイに来る直前に島のことを少し調べ、このツアーは何となくおもしろそうだと、他を見ないで申し込んでしまいました。ですから、この山で日の出を見ることがこんなに有名なことだとは知らず、“特別”な場所へ移動する間に次々と上ってくる車にびっくりしました。
 一つ下の駐車場へ着くと、今日は参加人数が少ないためまだ時間があると言います。暖かい車内で座席に座って眠って時間を待ちました。
 しばらくして起こされて、いよいよ日の出を観に出掛けます。この駐車場の周りもやはり込んでいるので、“特別”な場所に移動。山を少し登ると言うことでまた諸注意がありました。緊張度を保つために少し早目に歩くがなるべく着いてくるように、空気が薄いので何度か休憩をしながら進む、などと細かいところまで言われたので覚悟して出掛けると、なんということはなく、すぐにその丘の頂上に着きました。でも中には大変そうな方もいて、ツアーはいろいろな方が参加されるのでガイドさんも大変だと思いました。
 “特別”な場所はなにも障害がなく360度見渡せるところで、日の出の方向と反対には大きな満月が見えました。すぐにガイドさんの指示で写真撮影が始まりました。ガイドさんの写真はガイドブックで使うほどのものだそうで、ここでカメラマンになって下さるのも“特別”のようでした。写真に写るに、立ち位置、ポーズ、ジャケットは上げて脚を長く見せる、まで指示があります。朝焼けでのシルエットを撮ると月の方向での撮影。この月と空の感じはアラスカに行った時に見たことがあります。話を聞くと月の下のピンクは朝焼けで、その下のブルーは地球の影だとか。朝と夜の境目が空に見えるということでした。全員が撮影を終えると、再び日の出の方向。先ほどより明るい景色で撮影。手は腰にするのがガイドさんのお気に入りのようで…。
 そうこうしているともう日の出の時間でした。今まで日の出をこんなに駆け足で見たことはありません。全てを把握しているガイドさんならではのことでしょう。ツアーで来ていることを実感しました。
 日が上がるともう一度写真を撮ってその丘を降り、クレーターを観に行きました。このトレイルを歩けるのもガイドさんが持っている“特別”なライセンスのお陰のようで…。
 遺跡や、宇宙をテーマにした映画撮影に使われたという場所を通り、クレータの良く見える場所でまた、手を腰にして写真撮影。このツアーはハレアカラ山でのモデル体験ツアーのようでした。
 山の上でのツアーはこれで終わりです。雲で景色が覆われてしまう前に全てを終えるという時間配分は見事でした。
 山を降りるとゴルフ場の中にあるレストランで朝食です。注文は車の中でとって、待ち時間がないようにするという配慮。私はロコモコと紅茶をお願いしました。ロコモコは、とても大きなハンバーグと目玉焼きは卵を二つ使ってのっていました。男性もあと一口が入らないと言うところ、私はお腹がすいていたので、きれいに食べました。あとはホテルに戻りこのツアーは終了です。
 ここからホテルに戻る途中、電話が入りました。約束していた今日の夕食を取りやめて、明日のホエールウォッチングにしたいと。これはしたいと思っていたことなので有り難く受け入れました。
 ホテルからは、海岸沿いを希望通り明るい時間に運転できました。途中、景色のいいところで何度か車を止め、海を眺めてボーっとしながらキヘイに向かいました。どこをとっても空は大きく、海は澄んでいて、いろいろな青、きれいな青が見られます。
 友人宅には無事到着しました。少し休むと友人がドライブに連れて行ってくれました。パイアという小さなサーファーの街で車を降り散歩、ハワイの肉まんを頂きながらビーチに出てサーフィンをしている姿を眺めました。
 キヘイに戻る途中でお弁当を買い、まだ日暮前でしたのでキヘイを通り越して、溶岩が海まで流れついた岩の海際まで連れて行ってくれました。歩いて海へ行くとウニも見られます。小さな魚が泳いでいるのも、岩からちょこちょこっと顔を出すかわいい魚も見られました。そこで夕陽を見ながらお弁当を食べました。日が沈むころはたくさんの鯨も遠くの方で見られました。
 忙しい日の出から、ゆったりした日の入りまで、マウイの一日を楽しみました。

マウイ一日目の休暇

2008-01-22 | 旅日記
 さて、ここからが本当の休暇の始まりでしょう。
 日本帰国の時のエコノミークラスよりも少ないマイル数でのビジネスクラス。ビジネスクラスの特典は、空港にいるときから始まります。
 ラウンジを覘いてみました。ゆったりとした空間に飲食物のサービスもあり、飛行機の離着陸を見ながらゆっくりできます。私は窓際に並んだコンピュータをお借りして、申し込んだツアーの最終確認をしました。
 搭乗はもちろん優先で並ばずに入れます。私の席は窓側です。隣に乗客はなく、その席の前は一畳ぐらいの空間があります。「ストレッチができるな。」
 席に着くとすぐに飲み物のサービス。後で出される食事のメニューが配られ、離陸前に注文に来ました。私はとても眠かったので、離陸する飛行機に手を振るのを待っていてくれるであろう両親を気にしながら、うとうとしていました。それでも飛行機が飛び立つ時には一生懸命に目を見開いて、あそこにいるのではと思いながら手を振りました。成田の夜景も素敵だな、と思った途端にうとうとと。そこにおしぼりのサービス。入国に必要な書類の配布。うとっとして目を開けるとナッツ類が器に入れて置いてあり、もう他の席には食事が運ばれています。目を覚ましたと気付いた客室乗務員の方が、「よろしいですか。」と尋ねてから食事を持ってきてくれました。器も素敵な豪華な和食。お刺身の鮪は何とトロ。煉切のデザートまで頂いて、お腹いっぱい。
 さて、いよいよゆっくり眠れます。席を思い切り倒してみました。席はただ単にほぼ真横になるのではなく、部分部分に分けて動かすことができます。背中は上下に分けてマッサージのように常に動いている設定にもできます。ぐっすりと眠りました。そして気がつくともう朝食。あれ、ということは『本日のデザート』を頂き損ねました。、朝食を食べ終わると、客室乗務員の方が男女で一席ずつ回りお礼をするサービスまでありました。そしてもうハワイに着いてしまったのです。快適なビジネスクラスは一瞬にして終りました。
 オワフ島から飛行機を乗り換えてマウイ島へ。マウイ島の空港は素朴でおもわず微笑みました。休暇だ…。レンタカー会社の人はのんびりしていて30分も待つことに。ようやく乗った車は日本車。でも、手動の窓開け、サイドミラーも手動。懐かしい感じを覚えながら出発しました。サトウキビ畑を気持ち良く走っていると、エンジンの音ばかりが高くなります。気を付けてギアを見ると“M”のところに。マニュアルになっていました。オートマティックもマニュアルもどちらもできる車だったのです。“D”に入れかえて、ようやく快適に走り始めました。
 海岸沿いに出ると、太陽に照らされキラキラ光る真青の海が見えました。海を左手に走ること30分、友人の勤めるホテルに到着。3カ月ぶりの再会。ホテルの中を案内してもらいながら、ビーチに出ると、白い砂浜、青い海。「気持ちいい!」寝不足なのでここで少し休むことにしました。黒いズボンに黒いTシャツ、黒い靴と靴下と黒ずくめの上に、さらに黒のジャケットを顔にかぶせて、周りとは全く違う格好で砂浜で睡眠。1時間も寝てしまいました。
 それからフロントへ戻り、友人のアパートの鍵を取りに行くと、友人は従業員にもらえる年に何回かの特典を利用し、疲れているから移動しないで休んだ方がいいと、そこのホテルの部屋を用意してくれていて、今日はこの豪華なホテルに泊まれることになりました。友人のお心遣いに本当に感謝です。
 申し込んだツアーの送迎を、友人のアパートの近くのホテルにお願いしていたので、こちらまで来られないか尋ねると、今日はその地域のお客さんがいないので来られないと言われました。ここから友人の地区までは海岸沿いなので、是非明るい時に運転したいと思いましたし、暗い中の運転と、暗い中知らない地へ行くことは心配でしたが、私が急に予定を変更したことなので仕方のないことです。
 ホテルの部屋は8階で、海もプールも見渡せます。風も程よく入り快適でした。
 休憩する準備をしていると電話が入りました。「丁度同じホテルの人から同じツアーの申し込みがあったのでそこまで迎えに行きます。特別に変更しましょう。」ありがたいことです。
 シャワーを浴び、洗濯をし、大きなベットに気持ち良く横になりしばらく眠りにつきました。
 5時過ぎにお腹もすき、一度起きて、食事に出掛けながら街をぶらつきました。ビーチにふさわしい履物が欲しいなと思いながら結局買わずに、ビーチに戻り、暮れゆく空を眺めながらしばらく海を見つめていました。
 部屋へ戻ると荷物をまとめ、今度は本格的に寝ました。明日の早起きに備えて、早寝です。

さらに遅延

2008-01-14 | 旅日記
 ホテルのチェックアウトを終え、8時の出発5分前にあと一人乗れるというバスに乗り込むと、このバスは3台目のよう。日本人が大部分。さすがみなさん早め早めの行動をしています。
 空港でチェックインを終え、昨日頂いたクーポンを使って朝食をとりました。まだまだ時間があるので、お店をブラブラと。10時も過ぎたので出発時間の確認をモニターですると、11時出発から12時出発に変更されていました。のんびりしていた気持ちが一転。
 急いで航空会社の方に話しをしに行きました。私はもうこの便を信じられないと。初めは必ず飛ぶからと言っていたその方ですが、大使館での面接予約のこと、それに間に合わないとビザが取れないのでアメリカに入国できない、ということは私は日本に帰れないことを意味する、と真剣に話すと、便を変えてくれる方向で考え始めて下さいました。12時の便は4時半に到着。2時半の便に乗ると7時に到着。たとえ遅くなっても、私が必要なのは確実に15日に着くということ。
 「預けた荷物がコンテナに入っていなかったら2時半の便に変えましょう。」そう言って、預けた荷物の半券を持ち、彼は下に下りて行きました。私は半ばあきらめてはいました。彼だって、探したれけど見付からなかったということも出来るわけです。でも自分が出来ることはやってみたほうが後悔はありません。
 待っていると、12時の便が2時の出発に変更されているのが見られました。彼に話してみて良かった。あとはカバンが出てきますように…。
 しばらくすると彼は私のスーツケースを持って上がって来ました。私は思わず拍手をして彼を迎えました。そこからの手続きにもかなりの時間を要しましたが、無事に終了。これできっと無事に帰れることでしょう。
 そしてまた待ち時間が生まれてしまいました。
 ホノルルの空港は、外からの風がそのまま入ってくるようになっています。風を受け、庭園を眺め、しばらくボーっとしていました。葉書を買って手紙を書く元気もなく、ただ時間が過ぎるのを待っていました。そのうちにじっとしているのも疲れて、階をひとつ上がり、誰もいないシャトルバスの乗降場でストレッチを始めました。ストレッチをするとバトンを回したくなります。そしてバトンを回していると楽しくなります。時間はあっという間に経ちました。
 変えて頂いた便に乗ると、新しい機体。パーソナルビデオも付いています。隣の方は席を移動し、二人掛けを一人でゆっくりと使うことも出来ました。この便がゲートを離れ、乗るはずだった便のゲートを見ると、この便より20分早い出発のはずなのに、まだ機体はそこにありました。変更して本当に良かった。
 この飛行機は無事に飛び、乗客に荒々しい様子はもちろんなく、穏やかに機内での時間を過ごすことが出来ました。

13日生まれる

2008-01-13 | 旅日記
 2時間半ラスベガス、3時間ホノルル。それで私の13日はなくなるはずでした。しかし・・・。
 ホノルルで乗り継ぎ便に乗ると、待たされること、待たされること。寝ても起きても、起きても寝ても、まだ空港。ゲートからはいつの間にか離れていたようですが、全く離陸の気配なし。
 そのうちにゲートに戻り、荷物を持って飛行機を一旦降りてください、というアナウンス。これはもうだめだと思いました。
 そして、その通り。
 ほかの飛行機は満席で、この飛行機を何とかして飛ばさなければならず。でも修理には時間が掛かるので、その間ホテルで待つことに。出発はたぶん明日の朝、と。
 スーツケースを取りに行き、手続きに並び、ホテルまでのバスの出発を待ち、お腹はすくし、もうぐったり。ショーが終わってすぐに飛行機に乗りましたが、その甲斐はなかったかもしれません。
 バスで待ちながら、泊まるホテルのことを考えていました。「アラモアナホテル…。」聞いたことのある名前。ようやくバスが出発して、景色を見ていると見たことのある景色が。そして到着。こんなにきれいだった記憶はありませんが、どうもそのようで・・・。日本に電話をしました。「多分10年前の世界大会のときに泊まったホテルなんだけど・・・。」すると父は「アラ何とかというホテルだったよな。」凄い記憶力。
 お腹がペコペコで、隣のショッピングセンターへ行き、ハワイ料理をお腹いっぱい食べました。日本食のお店はたくさんあるのに、地元のものを見つけるのは大変でした。
 食事をしてホテルに戻る予定でしたが、暗くなる前にと、そのままビーチに行き、しばらく散歩。太陽は低い位置から暖かな光を照らし、風は心地よく静かに吹きウクレレの音色を運び、気持ちの良いこと。これもまた良いかな。
 ワイキキビーチに行くトロリーバスで、一周して帰ってくるものを見つけ、乗車。気持ちのよい風を受けながら、ワイキキの雰囲気をのぞいてきました。
 ホテルに戻ると明日の予定がわかりました。14日朝8時にバス出発、11時に飛行機出発。無事に飛びますように。

ありがとう ニューヨークの人々

2007-11-13 | 旅日記
 雨。友人の家から傘をさして、歩いて朝食を食べに行きました。
 「こういうお店、嬉しいね。」
 かしこまってはいませんが、しゃれた小さなお店。
 「こういうお店、ラスベガスにないよね。」
 フランスのカフェのようなメニューなので、私はクレープを頼みました。紅茶がカップではなく、ボールで出てきて、フランスでホームスティした時のことを思い出しました。

 ゆっくりと時を過ごし、そして友人には最後の最後までお世話になりました。

 ここからタクシーでJFK空港へ。着いた日より紅葉した真っ赤な木々を眺めていると、アナトリが小さく手を振っていました。

 「きっとまた来るね。」

 “街”で過ごした3日間、友達のお陰で楽しく充実した旅となりました。

MOMA

2007-11-12 | 旅日記
 昨日は、飛行機で2時間半ずつしか寝ていなかったことと、セバスチャンのベットが広くて寝心地が良かったので、ぐっすりと眠れました。朝、散歩に行こうと言っていたアナトリも、ゆっくりと寝ていて、みなで朝の遅い休日を迎えました。

 朝食を歩いて5分もしないベーグル屋さんでとりました。アナトリはしきりに、
「こういうところ、ラスベガスにはないよね。安くておいしいお店。なんでもラスベガスは仰々しくてさ。」
 と、このなんでもないといえばなんでもないお店で、食事をすることを本当に喜んでいました。

 セバスチャンとお友達とはここで一旦別れ、私達は地下鉄に乗って『MOMA』に行きました。ここは、私が以前から一度行ってみたいと思っていた美術館です。
 館内はたくさんの人。でも、5分と並ばずに入場券は買えました。バックパックとジャケットを預けて入場。
 ひとつ階を上がると、6階まで吹抜けになった大きな空間に、天までとどくかのような木製のはしごが展示してありました。いきなり興味深い作品です。
 建物も素敵だと思ったら、谷口吉生氏の建築だとか。
 各階に、いろいろな表情の作品があります。ゆっくりと美術館で時間を費やせる贅沢。私は、ここには現代美術だけあるのかと思っていたら、ピカソやゴッホ、モネなどの近代美術もあって、間近に美術家の作品を見ることができました。

 気が付くと、もう外は暗く、今日泊まる家の友人に連絡をすると、ここまで来てくれました。友人の案内で街を歩き、時には屋台で焼栗を買って食べ歩きながら、ニューヨークの夜を楽しみました。ロックフェラーセンターにはもうクリスマスツリーが届いていました。その下にはスケートリンクがオープンしていて、楽しそうにすべる子供や大人の姿が見られました。

 友人の家は再び現代美術館へ来たのかと思うようなモダンな内装で、素敵でした。
 私は他の友人と食事をしてから遅く到着しましたが、その間、彼女はアナトリと付き合って下さいました。
 「手作りの日本食までご馳走になったよ。」
 と、彼は大喜び。有難いことです。

 セバスチャンは風邪を引いてしまい、夜は会えないことになりました。電話でお別れ。残念です。その分、彼女の家でゆっくりさせて頂きました。

 出張がお互い多く、一緒にいる時間が少ないというご夫婦。旦那様が明日から出張という貴重な前日の夜をお邪魔してしまいましたが、楽しい時間を過ごさせて頂きました。

午前1時、ニューヨークへ

2007-11-11 | 旅日記
ショーが終り、空港に直行し、午前1時のフライトに乗り、ミネアポリス経由でニューヨークへ行きました。

ニューヨークはとても寒いです。

マンハッタンへ行くシャトルの運転手さんがおもしろく、『Door to door』と書いてあるのに、「ここは通行止だから、1ブロック歩いて欲しい」とか、「ここは一方通行。ぼくは反対方向に行きたいから、降りて1ブロック歩いて欲しい」とか、挙句の果てに、白髪のお客さんに、「あなたはお年寄りだから歩かせたくないのだけれど…。」とまで言ってしまい、お客さんを怒らせてしまいました。もちろん私達も「1ブロックだから…。」と降ろされて、目的地まで歩くと3ブロック以上ありました。

ニューヨークについて初めての“出来事”に「いろいろな人がいて“普通”を感じるね。」と笑いました。

アナトリはタップのクラスを受けに、私は友達と彼のご両親とお食事をご一緒させて頂きました。

おいしい北京ダックを頂いた後、『wintnk』まで時間があり、私は着いたばかりで右も左も分からず、ご家族と行動を共にさせて頂きました。

洒落た食料品のお店は、人がごった返していて、体を斜めにしながら先に進むようでした。お母様は食材に詳しく、いろいろと教えて頂きました。

街には、会社員、学生、家族連れ、観光客…、いろいろな人が、いろいろなスピードで動いています。こういう所、久しぶりです。こういう中にいるというだけで嬉しくなります。

お父様はショーの始まる時間を常に気にして下さって、間に合うように3人で送ってくださいました。

感性豊かで、楽しいお母様は母を思い出させ、静かに、一歩外から全体を見渡しているお父様は、父を思い出します。そしてご両親を敬い行動する友人。

私は、久しぶりで家族で集まったという、貴重な団欒の時間をお邪魔してしまいましたが、3人にとても親切にして頂き、心温まる素敵なひとときを共に過ごさせて頂きました。

 アナトリは走って劇場へ向って来て、ギリギリでショーの開始に間に合いました。友人のお陰でセンターの良い席。

 そして、セバスチャンは泥棒役ですぐ登場。相変わらず、小さな身体をすばしっこく動かしてエネルギッシュでした。
 彼のオリジナルのアクト、ビックボールの演技もとても楽しく、彼は生き生きしていました。

 終って彼を待つと、変わらない姿のセバスチャンが、ショーで降らせた雪を投げつけながら登場しました。楽しく嬉しい再会。

 バックステージを案内してもらいました。外灯は機械で動いているのかと思っていたら、人が動かしていると。なるほど16名もの操り人形師が働いているわけです。
 あとから聞いたのですが、この方々は裏で、ものすごい勢いで動いて走りまわっているのですが、実際、操られるものが動くのは、その10分の1位にしか感じられないそうです。
 舞台の上にあがらせてもらい、客席をながめていると、4000人以上の観客席数があると教えてくれました。KAの倍以上の客席数があるとは思えないのは、立端の違いでしょうか。この客席数で毎日満員とはすごいことです。

 セバスチャンと一度別れて、私達は夕食をとってから、エンパイア・スティト・ビルディングからの夜景を見に行きました。寒さはさらにこたえましたが、360度に広がる夜景は見事でした。アナトリがどうしても見たいという自由の女神像はとても小さく、望遠鏡を使ってもう一度確認しました。

 そして、セバスチャンから電話。サルサダンスパーティはなくなり、彼の住まいに行くことになりました。

 展望台を降りる途中、行きに撮った写真が出来上がっていました。二人とも全く買う気はありませんでしたが、興味本位で見てみると、大笑い。お互いおかしな顔をしていました。そんなわけで購入…。

 セバスチャンの住まいへは、地下鉄で行ってみることにしました。アナトリとモントリオールで地下鉄に乗って映画を観に行ったことがあります。彼とその話をしながら懐しみました。

 彼の住まいはホテルです。そして中へ入ると広いこと。2つのベットルームに、リビングルーム、台所とダイニングルームまであります。角部屋で広々としたリビングルームからダイニングルームにかけてはガラス張りになっています。バルコニーも透明です。
 「映画に出て来そうな部屋だね。」
 「そうでしょ。向こう側のビルの部屋も覗けて、正にそんな感じ。ショーの期間も短いし、ニューヨークでこんなところに住むことができて、ラッキーだと思うよ。」

 ショーを終え、ひと息ついたアーティスト達が、彼の部屋に集まって来て、しばらくみなで笑いました。

 本当は違う友人の家に泊まらせて頂く予定でしたが、あまりにも遅くなってしまい、ここに泊まることになりました。
 セバスチャンは手馴れた様子でソファベットをひとつ用意してくれました。
 「これでいいかな。」
 「う、うーん…。」
 あまり良くないけど、あのベットは大きいから、縦長ではなくて、横長に使えばいいかな、などと考えながら寝る支度をしていました。
 するとセバスチャンが真面目な顔をして来て、
 「ノリコ、もし君がそうしたいのなら、ぼくのベットに寝たらいい。ぼくは仲間がみなこのホテルに住んでいるのだから、寝るところはどこにでもあるから。日本人はこういう風にはしないんだったね。」
 セバスチャン…。アナトリもすぐに、
 「そうしてもらおうよ。」
 と言ってくれました。

 長い1日の終り、ゆっくりと寝ることができました。




ヨセミテ

2007-09-12 | 旅日記
 朝は少し早起きをして、散歩に出かけました。少し肌寒いくらいの気温。すがすがしい山の朝は大好きです。コテージのすぐ裏には川あり、澄んだ水が気持ちよく流れていました。幼い頃に行った上高地のような雰囲気。山好きな両親は、周りにそびえたつ高い岩々に歓喜の声。そして、あれは槍ヶ岳だの、これは焼岳だの騒いでいました。散歩道には大きな木々がどっしりと構えていて、その下にある小さな木々の根元にはコバルトブルーの羽を持つステラーカケスも見られました。
 ホテルの正面に出ました。昨晩は暗くて見られることができなかったホテル。石と木で造られているホテルは、全てヨセミテバレーで調達できる材料で造られているとか。なるほど周りの景色に溶け込むわけです。中庭に入ると「ああ、コヨーテ見逃しちゃったね。たった今そこにいたんだよ。」と。コヨーテもいるのね…。
 予約をしていませんでしたが、昨晩夕食を頂いたダイニングルームで朝食をとることができました。山の見えるいい席。私はウエイターさんお勧めのアップルクレープをいただきました。歯ごたえが残る程度に調理したりんごがたっぷり入ったクレープ、とてもおいしかったです。
 さて、今日の観光、まずはヨセミテバレー内を回っているシャトルに乗って、全体の様子を見て回りました。お店やレストランのある辺りはたくさんの人が集まっています。ヨセミテのシンボルでもある滝はもう涸れてしまっているようでした。途中シャトルバスしか入れない道では、クマの親子に会いました。ゆったりと車道を歩き、山にぴょんぴょんぴょんと入って行きました。クマが出るので食べ物は車の中に置かないように、とは言われていましたが、本当に会うとは。
 それからトラムに乗ろうとしましたが、時間のいいものが満員でした。予定を早めて車でグレイシャーポイントへ。一方通行の道をうまく抜けられなくて、同じところを何度か走ってしまいましたが、ようやくグレイシャーポイント方向の道に抜け、まずはトンネルビューと呼ばれる展望台で停まりました。深い谷の緑と高い山、遠くにはハーフドーム、そしてエルキャピタンと呼ばれる花崗岩では世界一の一枚岩は大きくきれいに見えました。
 トンネルを抜け山道を上がり、少し下がったところにグレイシャーポイントはありました。眺めのいいこと。ここでは滝を見ることが出来ました。上のネバダ滝は落差181メートルだとか。ここではそれも小さく見えます。一軒あったお店で、昼食を買おうとするとホットドック以外は売り切れ。車に置くことを禁止されているために食料を持ち歩いていたので、フルーツを出してホットドックと一緒にいただきました。ついでにキビ団子も。
 それから散歩道を先端まで行きました。先程までいたヨセミテバレーが良く見えます。泊まっていたホテルも、その裏を流れる川もはっきり見えました。お天気も良く、さわやかな風も吹いて、眺めもより良く見えます。暫しのんびりしてから、次なる目的地、マリポサグローブに向かいました。
 ここはセコイアという巨木の見られる森。時間が間に合ったのでオープントラムに乗りました。日本語のイヤホンガイド付き。ガタガタ揺れながら風を切って進みます。所々にある大きなセコイアの木には名前がついていて、大事にされているのが分かります。でも、根が浅く木の幹の近くを歩かないこと、と言うわりにはトラムはセコイアの木の近くを走り、父が何度も気にしていました。
 ここにあるジャイアントセコイアは、体積でいうと世界で最も大きい生き物だそうで、高さは90メートル、直径は9メートル、樹齢は3000年に及ぶこともあるそうです。タンニンを多く含むことが山火事や病虫害から身を守り、長生きできるとか。それにしても氷河期という厳しい気温の変化までもを乗り越えて、今ここにこうして高く聳え立っているのです。どっしりと構え、われわれに静かに大きなエネルギーを放してくれているようでした。
 途中でトラムを降りて歩いて山を下りました。ある1本のセコイアの幹には大きなトンネルが掘られ、弱っているのにもかかわらず生き続けています。その天井にはまるで血のような真っ赤な樹液が見られました。このようなことは、今日では許されないことですが、その木がこの森の宣伝に役立ち、さらにはヨセミテ国立公園の一部になることに大いに貢献されたそうです。
 ヨセミテ公園を一日掛けて回り、充分満喫して後にしました。あとはマーセドに向かって走り続け、行ける所まで走って宿を探すことに。そして、マーセドの町までたどり着くことができました。宿はすぐに見つかりました。夕食を食べるところだけが見つからなくて、ようやく簡単なメキシコ料理の店を見つけて、夕食をいただきました。宿に帰ってから、私はベットの上に地図を広げ、寝転がりながら眺めたまま寝てしまいました。