陽だまりのねごと

♪~思いつきひらめき直感~ただのねこのねごとでございますにゃごにゃご~♪

こんな時だってしあわせみたい

2006-03-11 19:34:23 | Weblog
息子が最悪の時に、母の私は同窓会で寮仲間を京都から大分から、私が呼びたてていた。新幹線口まで迎えの時間が迫る。息子はその朝、前夜の強い薬が抜けていない感じだった。

仕事は休んだ方が良い気がした。起こしてもまたコタツにもぐりこんでイビキをかいて寝る。それでも年休消化休みの人が班に居るから休めないと言う。配置替えの話があってもどこまでも真面目だ。局まで私の車で連れて行く事にした。車の中でもシートを倒して完全熟睡。バイク事故を起こさずに、仕事が無事出来るかとても心配だった。

迎えも約束した。12時半から13時くらいに終る予定だと言うから、家に連れ帰って安心して、友人たちを向かえに行く予定で居た。丁度いい計画に思えたが穴があった。息子は13時を回っても郵便局から出て来ない。13時半を回っても出て来ない。やはりと胸騒ぎ。配達にトラブルがあったのだろうか?心配はつきないけれど、いくらなんでも知らない土地に、私を頼って来る人たちをほったらかしにも出来ない。

どうしよう?どうしよう?
息子はケイタイを携帯していない(洒落でなく)

事情を話せば息子を自宅に運んでくれそうな友人はいないか?頭をめぐらせた。一人該当。自宅に電話。出ない。ケイタイに電話出ない。そんな虫良く、願い事がとんとんといく訳がないか。

苦肉の策で息子が通過する門の守衛さんに、母は時間が来たので行くと名を告げ連絡を頼んで後ろ髪を引かれる思いで、迎えの方向へ走った。

新幹線口で友人たちを待っているとケイタイがバイブした。息子からだった。高いタクシー代を払って帰ったと、怒りの電話だった。大事なお友達だからしかたがなかったと事情を説明。電話があってよかった。とにかく無事だ。仕事上のバイク事故もなかったんだ。無事。良かった。よかった。それだけでも安堵。

集まる予定は私を入れて四人。初夏の同窓会の夜ビジネスホテルのばらばらの部屋から、一屋集結した時に、近々再会の約束をして別れた。

あの時、これまでの時の流れをお互い語った。どの人も山あり谷あり谷あり…誰かが幸せな人が同窓会に出席するんだと言ってたけれど、世間一般の幸せの形からは、『よく同窓会に来たよね』の範疇の苦労話ばかり。みんな大変な思いをなんとかクリアしてと、おかしな連帯感が出来てしまった。

『もう一度絶対、年内に』の約束をしたものの私が忙しくて、流れていたまま。今この時間を逃したらまたいつになる事やら。強引に幹事。私の地場へ集結の連絡。誰しもお金も充分使える立場でも実はない。時間もお金も何とかやりくりして都合をつけての再会だ。

しかし、よりにもよって、とんでもない日に当たってしまった。留守宅が気になる。車での観光案内を買って出ている以上、私が呼んだ以上、行動は決まっているが、自分の撒いた種が首を絞めている。しかし、危険予期ばかりして動かないのは、息子にも負担を感じさせる。母は母の時間を持たなくては、これからだって仕事にだって打ち込めない。今日の行動はこれで良いと腹をくくって、留守居の事は一旦、頭から追い出す。

無事に宿へと友を運んだ安心感と疲労感。四つ並んだ布団の中でぼそりぼそり語られる話は子守唄のよう。同じ釜の飯と言うけれど、今更気取ってもダメな人たち。

当時の記憶は皆断片的で覚えている箇所が各自違っておかしい。この分でいくと、年と共に今日出会ったことすら忘れそうな危うさを感じる年齢が近い気がしてきた。明日は忘れないよいうに証拠写真を撮っておこう。季節はいつだったか?誰と出会ったか?みんなの記憶がバラバラにならないように、などと思いながら睡魔に落ちてゆく。今の生活ぶりが語られるのを聞きながら、熟睡モードに入ったらしい。

一夜明けて、無事、観光案内もして、みんなを帰宅の上り下りの新幹線に乗せて、一路我が家へ。

ただいまと言うと、二階から息子の寝ぼけ声。精神状態は分からないけれど、とりあえず落ち着き場所に居てくれた。あぁ~良かった。どうしても最悪なことをついつい思いめぐらせてしまっていた。「ごめんね。」と心の中で詫びる。本人的には母が居ても居なくても…だろうけど。

同じ学窓から時を経て四人四様。誰の暮らしもそれぞれ苦労があってもうらやましい部分ばかり目につくが、上手い具合にそれぞれの人生が回っているような気がした。

どうだから、どうだったら幸せって形はないよね。
今、この時が幸せと感じられること、今とても良いわ~と思う事かしらん?
ものは思いよう。今が一番いいを連続すれば、ずっと良いが続くよね。
不足を数えるよりある物を数えて、充分と思う方が素敵かも。
あの人が居るからダメと思うのをやめて、あの人が居るからこうなれると感謝に転じれば楽になるよ。

歳を重ね痛い目にもあったから出てきた生きる知恵。四人居るのに思いは重なる。自分の言葉がリフレインして確信になっていくようだ。

息子が居て、猫が居て、私を待っていてくれて、しっかり私の役立つ居場所がある事は幸せではないかしらん?私らしい今はとても良いのかもしれない。

若かったあの時から、誰しも自分史が書けるほどの重い時間が流れている。一緒に暮らした寮の仲間に出会うと、気持がやさしくなってくる。不思議。ほんとうは話す事もいらないのかも。昔みたいに一緒の時、場所にいるだけで安心感に包まれる。

新しい仕事に慣れたら『またいつかの再会』を実現しよう。次回は京都にしようと話は出た。また、強引に幹事を引き受けないと実現しないかもしれない。たぶん。次に会うまでなんとか乗り切ろうと思う事が、私にとっても、みんなにとっても元気の源かもしれないと言うのは、私だけの思い込みかな?

休暇の贅沢はこれでおしまい。さて、さて~っと~
留守居の息子の話を一緒に昆布茶をすすりながら聞く。最近トラブルを引きずらず、落ち着いてきた気がする。私もかなり寛容になってきたような気も。相乗作用か?