原作は『もみじまんじゅう』のギャクで人気があった漫才コンビ…あれ?もう名前が出てこない
島田洋七の実話と聞いていたから、きっと抱腹絶倒なのかと期待していたら、最初からずっと泣きっぱなし。
原爆で亡くなった父親の身代わりに広島で生を受け、母ひとりの手で育てられていたが、小学4年の夏休み、母方の祖母のところへだまし打ちで里子に出される。お母さんっ子でまわりが言い出せなっかった。SLの車内でずっと泣いている。貧しくなければ…子の気持ちも、判断せざるを得なかった母親の辛い気持ちも胸に迫って、最初から、暗闇でバックの中のティッシュを探す。なんで目からだけでなく、鼻水まで垂れるんだろう
昭和30年の佐賀の風景はみんな貧しいけれど、人との関わりが濃い古き良き時代に見えた。私が生まれた頃になる。どんどん一億総中流を目指して、暮らしが豊かになるちょっと前。亡夫は昭和21年生まれ、団塊の世代だった。彼がよく語ってくれた風景を彷彿とさせた。死の一ヶ月前にたまたまテレビで『少年時代』を一緒に見た。井上陽水の曲とともに流れる映像を夫はとても懐かしいと言っていた。あれと同じ時代だ。
ががいばぁちゃんは磁石をいつも引きずって、鉄クズを集めて売る。夫も鉄クズを拾って小遣い稼ぎをしていたと言っていた。鉄クズを買い取る業者も珍しい存在ではなかったのだ。手押しポンプで何倍も水を汲んで運んで、風呂に水を溜めるシーン。あれも何度も聞いた話と同じ。だからだろうか?湯船からザァーっと湯をこぼすことが出来ない人だった(遠い目になる…)
ががいばぁちゃん語録がよかった。
以下、うろ覚えだけど…
『ケチはいかん。節約は大事。』
『暗い話は夜はしないで、昼の明るい時にする。』
『暗い貧乏はいかんが明るい貧乏は良い。』
『良いことはこっそりと相手に負担をかけないように。』
『いつもは買わないけれど買う時は一番高い良い物を買う。』
また、学校の先生や関わる回りの人たちがみんなあったかでまた涙をさそった。
ばぁちゃんの様な無骨なやさしさを最近、見ないような気がする。
子にべたべたの親とか、モノを与えてご機嫌取りのばぁちゃんじいちゃんとか、
我が身かわいさが先にあって、本当の親になりきらない親とか…
最後に流れた歌の歌詞
テレビもラジオもなかったから よく話した~♪
物が豊かにになって、食べることより他にお金がかかるようになって、貧しさの質も変ってきたらしい。下流階級の本をぱらぱら立ち読みしたら、『下流階級はあまりお金のかからない娯楽を楽しむ』とあった。
それは、映画、コンサート、インターネット…
まるで私の生活のような
お金のある人々は、会員制のスポーツクラブ、海外旅行…
無縁です
ががいばぁちゃんちも洋七少年が中学生になった頃には水道が引かれ、水道代の集金を待ってもらうシーンがあったっけ。
うんと貧しい事情のある転校生がいじめに合わなかった時代と言うだけでも、夢ものがたりのような。洋七さん自身もが、がばぁちゃんのよい影響もあり、流れている血もあったかで、まわりまであたたかにしてくれるキャラだったかもしれない。また、いいことだけチョイスして記憶する術の使える人なのかもしれない。
そうそう、ちょい役の緒方拳。存在感がありました。あの豆腐売りは私の記憶にもある。いつの間に石油で作ったパックごとスーパーで買うようになったんだろう?
涙と鼻水で余分な化粧がすっかりハゲたので、無駄使いに繋がるウインドウショッピングもしないで、さっさと帰宅。無駄のない生活ダイエット、考えてみようかな?
島田洋七の実話と聞いていたから、きっと抱腹絶倒なのかと期待していたら、最初からずっと泣きっぱなし。
原爆で亡くなった父親の身代わりに広島で生を受け、母ひとりの手で育てられていたが、小学4年の夏休み、母方の祖母のところへだまし打ちで里子に出される。お母さんっ子でまわりが言い出せなっかった。SLの車内でずっと泣いている。貧しくなければ…子の気持ちも、判断せざるを得なかった母親の辛い気持ちも胸に迫って、最初から、暗闇でバックの中のティッシュを探す。なんで目からだけでなく、鼻水まで垂れるんだろう
昭和30年の佐賀の風景はみんな貧しいけれど、人との関わりが濃い古き良き時代に見えた。私が生まれた頃になる。どんどん一億総中流を目指して、暮らしが豊かになるちょっと前。亡夫は昭和21年生まれ、団塊の世代だった。彼がよく語ってくれた風景を彷彿とさせた。死の一ヶ月前にたまたまテレビで『少年時代』を一緒に見た。井上陽水の曲とともに流れる映像を夫はとても懐かしいと言っていた。あれと同じ時代だ。
ががいばぁちゃんは磁石をいつも引きずって、鉄クズを集めて売る。夫も鉄クズを拾って小遣い稼ぎをしていたと言っていた。鉄クズを買い取る業者も珍しい存在ではなかったのだ。手押しポンプで何倍も水を汲んで運んで、風呂に水を溜めるシーン。あれも何度も聞いた話と同じ。だからだろうか?湯船からザァーっと湯をこぼすことが出来ない人だった(遠い目になる…)
ががいばぁちゃん語録がよかった。
以下、うろ覚えだけど…
『ケチはいかん。節約は大事。』
『暗い話は夜はしないで、昼の明るい時にする。』
『暗い貧乏はいかんが明るい貧乏は良い。』
『良いことはこっそりと相手に負担をかけないように。』
『いつもは買わないけれど買う時は一番高い良い物を買う。』
また、学校の先生や関わる回りの人たちがみんなあったかでまた涙をさそった。
ばぁちゃんの様な無骨なやさしさを最近、見ないような気がする。
子にべたべたの親とか、モノを与えてご機嫌取りのばぁちゃんじいちゃんとか、
我が身かわいさが先にあって、本当の親になりきらない親とか…
最後に流れた歌の歌詞
テレビもラジオもなかったから よく話した~♪
物が豊かにになって、食べることより他にお金がかかるようになって、貧しさの質も変ってきたらしい。下流階級の本をぱらぱら立ち読みしたら、『下流階級はあまりお金のかからない娯楽を楽しむ』とあった。
それは、映画、コンサート、インターネット…
まるで私の生活のような
お金のある人々は、会員制のスポーツクラブ、海外旅行…
無縁です
ががいばぁちゃんちも洋七少年が中学生になった頃には水道が引かれ、水道代の集金を待ってもらうシーンがあったっけ。
うんと貧しい事情のある転校生がいじめに合わなかった時代と言うだけでも、夢ものがたりのような。洋七さん自身もが、がばぁちゃんのよい影響もあり、流れている血もあったかで、まわりまであたたかにしてくれるキャラだったかもしれない。また、いいことだけチョイスして記憶する術の使える人なのかもしれない。
そうそう、ちょい役の緒方拳。存在感がありました。あの豆腐売りは私の記憶にもある。いつの間に石油で作ったパックごとスーパーで買うようになったんだろう?
涙と鼻水で余分な化粧がすっかりハゲたので、無駄使いに繋がるウインドウショッピングもしないで、さっさと帰宅。無駄のない生活ダイエット、考えてみようかな?