陽だまりのねごと

♪~思いつきひらめき直感~ただのねこのねごとでございますにゃごにゃご~♪

悲嘆

2010-02-14 22:27:00 | Weblog
どの友人も夫の悪口を言う。
長年一緒に居て飽き飽きしている話ばかり聞く。
たまの出張や単身赴任を喜ぶ話も聞く。
その前提には
必ず帰って来る事がしっかりと前提あるからだとボツイチの私は思う。

天国への片道切符で単身赴任をしてしまった夫は、呼べど答えない。
聞きたい事は山ほどある。答えて欲しい事は山ほどある。
人がひとりこの世を去った後には、その人にまつわる法的手続きから
残された者の経済的立て直しから、
場合によっては住む場所すら検討しなければいけない。
葬儀の仕方から後の仏事から何一つ経験もした事がない事を
すべて自分が決断して実行してゆかねばならない。

葬儀の一切合財、喪主などしたくもなかった。
亡くなった張本人に何度
『出てきて、自分の事なんだから自分で采配してよ』
と、わけのわからぬ事を私は何度も思った。

11月末にボツイチ仲間になった友は部屋にお骨を安置したまま、
まるでまだ生きておられるような接し方をしていた。
マンションの外に出る時も仏壇のある部屋の照明は消さない。
自分が帰った時に寂しいからでは決してない。
お骨になった旦那さまが寂しくないようになのだ。

いくら助からないと知らされた病の後のお別れであっても、
簡単には死が現実に起こった事だと受け入れられない気持ちが私にはよく分かった。

私は絶対に帰らない人の気配の染みついた家で過ごす事が苦痛だった。
部屋のそこかしこにその人を感じる事が耐えがたかった。
家を売って、知らない土地で再出発する事も考えた。
考えたけれど、経済的大黒柱を失って、現実にお金が動く転居は出来なかった。
この家は私だけのものでなく息子、娘の家でもあった。
私だけの自由にはできなかった。
そこで、私がした事は夫の匂いをふ払拭する事だった。何から何まで夫の物は捨てた。
家中の模様替えをした。

友はまだ死んだ事にしたくない、それを受け入れると自身が粉々になってしまうようなもろさを感じた。
私とは悲嘆の処理方法が違っても
30年も共に暮らした誰との結び目とも違う絆がなくなったのだ。無理もない。

友の「泊って」と言う言葉を素直に受けて、丸二日。
しゃべって、しゃべってしゃべった。
少し日常を離れる場所へ私と出かけた。
よく歓待してくれたと思う。

結局のところ、寂しさは自身でいつか受け入れてゆく以外にはない。
何をしても止める人がない自由。
突然に手に入った自由には茫々とした寂しさが裏打ちされている。
悪口が言えるほど心許した人は
帰らぬ人になってはじめて大切な人だったと気がつくのだ。
思っても詮のない事は思わない事にしてはいるが、時に9年も経過した私にもひょっこりと顔を出す。

当時どんななぐさめも、むしろ辛かった事に今更、思い当たる。
本当に今更だけど、私は短慮でどうもそっそっかしい。