川柳大会会場で求めた本。
著者は川柳マガジンでお馴染。
私は川柳は好きだけど、結社は好きでない。
作家辞典に載せてもらう時にはまったく無所属だったけれど、
最近、地元川柳会に出戻り所属しているから、ここが今は私の所属になる。
大会で所属記入する時にチクンと痛みが走る。
同好の志が集うことはヨシとしているが、所属が正直心から好きになれないのだ。
他を知らないから比べようもないが、
ここに属してから、句が見えなくなった。迷いが生じている気もしないでもない。
句について、ああでもないこうでもないと人の句を批判する事ばかり聞かせれている。
代表までもこき下ろす。
こうでなくしゃいけないと技法をあれこれ授けられる。
様は私らしい香りを否定され続け、何がなんだか分からなくなってきた。
川柳は人を読む。
自分のして来た事、見て来た事、感じた事、喜怒哀楽が全部、血となり肉となって吐かれるものと信じたい。
ソレを信じて良いとこの本は書いてあった。
人と違った自分のリズムで良いをも書いてあった。
自分が思うことが代弁されていると誠に心地よい。
煙草吸いは最近、喫煙所でしか吸えない。
昨日の大会でメンバーが喫煙所で選者の声を拾ってきた。
一句三秒。二回と見ない。
870名の参加。
2句づつ投句するから1700句をわずか2時間足らずで選するのだ。
ひとつひとつを丁寧に扱っていてはとても間に合わない。
私は毎月送られてくる川柳マガジンに載っている句すら全部に目は通さない。
通せない。
会の互選時には30句あまりを3句ほど選ぶのに10分以上はかかる。
来年度から選者に加えてもらえるのもドキドキ。
昨日の大会話に戻るが
選者ひとりがこういう状態で選んだ秀句をみなが目指す風潮。
そして、雑詠という課題でない句を詠むことを軽んじる傾向が批判されていた。
『課題にくくられて詠む』
『たったひとりの選者の目で選ばれる』
『選もれの没句は日の目を見ない』
私がずっと川柳をはじめて首を傾げて来た事をズパッと指摘されていた。
川柳はこっけいだとかおかしみだとかと誤認識されている。
著者は「サラリーマン川柳」「時事川柳」と「文芸川柳」の違いを説き、
どれもまた認める大切さを説いている。
こいうものがぐちゃぐっちゃで、なんとなくスカッとしない私に
そうそうと頷かせるものが全部詰まっていて、
私らしい句を作り物でない句を、力を抜いた句への指針を見せてくれた。
本日~仕事に行かねば成らぬのに、大会の、川柳の町の余韻まま、一気に読んでしまった。
ワタシ、バカよね~おばかさんよねぇ~♪
栄養ドリンクの世話になって仕事いこっと。
浮き沈みどれもこれもが句の肥やし
貪欲にワタクシ色を探します