陽だまりのねごと

♪~思いつきひらめき直感~ただのねこのねごとでございますにゃごにゃご~♪

会議がひとつ会議がふたつ…眠くなるおなじまい

2012-03-23 06:43:14 | Weblog
仕事中も移動の間、聞くともなく聞くカーラジオ~

  会議がひとつ…会議がふたつ…会議がみっつ…

夜眠れない時のおまじないとラジオパーソナリィが言う。
数えるのは羊ちゃんではない。会議
思わず、ひとり大ウケ(*^_^*)爆笑。

うちは会議が多い。多すぎる。

特定事業所加算なるのもを頂戴する手前、週1回以上の資質向上につながる会議が義務つけられている。
いわゆる朝ミーティングで、伝達事項が多いが、
資質向上に成らんので、困難ケースの検討という名目で、困ったちゃんお仕事を披露しあう。
なんでか毎回、ほぼ同じ人が口を開く。
こまったちゃんの難ケースになるのは、あなた自身の資質にこまったちゃんがあるんじゃないの?
と、思うが黙って脳を眠らせる。

事故が多いと言うことで、毎日ちょこっと『交通安全』を肝に銘じようと言う通達がきて、
なんかしらんが、毎朝、主任から訓示がはじまった。
ご意見が求められるので、なんやら朝一は会議から始まる感じになってしまった。

小忙しい朝一。
全員、PCを開けてスタンばっている。
会議途中でじゃんじゃん電話が入る。
待ってもらえそうもないのは取り次ぐ。
相手が高齢者だと聞こえの問題もあって、声はデカクなり会議の方は聞こえなくなる。

別に部内○○会議という招集が年中かかる。
会議というからには話合いかと思いきや、わが社はお上からのご意見の通達で、
我らの意見が吸い上げられることはまずない。
むしろ会議で決めて欲しいと言われ、決定事項を伝えた時点で、
『それはナシ!』
の鶴の一声でポシャる。
こいう経験を積めば、思っても建設的意見は出てこなくなる。

会議という民主的な方法は『しましたよ』というポーズのため?と、全員理解している。
心得て、睨まれるような発言はしない、考えると言いたくなるから、
目だけ開けて意識を眠らせて、
ほんとうには寝ない…努力をして会議のスルーを待つ。

まったく民主的な会社体質だわ~何年もの構築でこうなったんだろうね?

確かに会議を数えるのはよさそう。
しかし、これ難点がある。
家で寝る時はちょっと使いたくない。
職場のあれこれを逆に思いだしそう。
やっぱり羊ちゃんを数えるのが良いわ~zzz

100万匹目の羊 (中公文庫―てのひら絵本)
クリエーター情報なし
中央公論新社


子供が幼い頃、寝る前に読んでやった絵本にもひつじ登場が画面いっぱいのものがあったが、
ちょっと思い出さない。近いのを置いておこう~

出勤前に~コーヒー飲んでゆこっと
朝会議でコックリしないように







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母    三浦綾子著

2012-03-23 00:09:30 | 
母 (角川文庫)
クリエーター情報なし
角川書店


図書館除籍リサイクル本。
文庫ではなくハードカバー。平成4年出版で途中のページが外れている代物だった。
よく読まれたという証拠でもある。

小林多喜二の母の語り口で書かれている。
多喜二がどんなに優しくて、兄弟思い、親思いであったかが切々と語られている。
好意をもったタキと言う女性に対しても、真面目すぎるほど真面目に接し
同性としてもう少しどうにか成らぬものかと、息子の態度を案じたり、
多喜二の人物像がよく伝わってきた。

蟹工船ブームでまたこの平成に多喜二ブームが起こっているが、
この飽食の時代に餓死のニュースが伝えられるほど、貧しすぎる人が確かに今、存在する。

読めば、明治、大正、昭和初期の貧しさは想像を絶する。
底辺の庶民は非人間的扱に甘んじるしかなかった史実を改めて知った。
私のご先祖さまは、間違いなく庶民階級、水飲み百姓であるから、
ここに書かれていた身売りやタコ部屋もあったかもしれない。

誰もが幸せな世の中の実現を夢みた多喜二。
折しもTVで幸せ指数を基準に国政のかじ取りがされているブータンをやっていた。
しあわせはその人の内にある、かたちある物質ではないとの話だった。
衣食住すら満足でなく、心身まで売って尚、生活が成り立たない人々が居た時代。
多喜二は皆に人間らしい暮らしをと望んだだけで、特高による拷問獄死の非業な最期を遂げる。

拷問の痕生々しい息子の遺体を受けた母親の立ち直れない気持
文盲で世の善意を信じてきた母にとってのショックがまたよく伝わってきた。

悲嘆からの脱却のプロセスに
多喜二の拷問痕と磔のキリストを重ねたり、
洗礼こそ受けなかったが、
母が覚えて歌った讃美歌が書かれていたり
終章はほんのり多喜二が信じた宗教色に染まり穏やかに幕を閉じた人生を想像させる。
クリスチャン三浦綾子の筆だと思わせる終わり方に、救いが見えてほっとした。

母セキさんが晩年愛唱されてたという讃美歌404番山路を越えてを置いて終わろう。




そうそう、
実母が3週間ぶりにショートステイ先から家にかえったと妹からメールが来た。
キッチンと風呂場のリフォーム間のショート利用だった。
『きれいになったね』
と、言ったそうで、落ち着いている様子にホッとする。
明日にでも様子を見にいけるといいんだけど…




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