ロマンチックなタイトリング
この一文でばか丸出し、悔いはありませぬ
自分に感じる演劇への可能性を全てつぶせるまでは続ける
と言って始めたのは8年前のことだった
あとで「もっと頑張っていたら私ああなれたかもしれない」と人をうらやむくらいなら
とことん自分では無理だと知り続けて、いい加減立ち直れなくなるまでは居続けようと
その只中を過ぎて思うのは
思いのほか
ただただできない自分を知る、ような痛ましい日々では無かったということ
恐ろしいほどたくさんの友達や、楽しいかつ背筋も凍るような圧迫感、とても賑やかで
ひとからげにしてしまうなら、
大好きな映画パプリカの、夢のパレードが現実世界に食い破って出てくるとこのような
大好きな赤江瀑の小説、綺羅の鳴く川にでてくる綺羅の川みたいな
美しくておぞましいのに
苦しかったし楽しかったししんどかったし嬉しかったし感動に震えたし
もう一回やりたいかと言われたらノーだけど、なんにおいてもそうだけど
なくてはならないものだった
好きで好きで好きーでー
大好きすぎて気持ち悪いものになり下がりながら
なんだか振られっぱなしの私は
お芝居にたいして偶像崇拝的で
説明できなかった
確実にあれはハートでいってたといえる
パッションはすべてこのひとに注いだ
なんなら大事な人に対して「あなたより芝居が大事」といっぱい言ってきた
そんなラヴイズブラインド
終わりが来るのはずっと目に見えていた
から必死だった
私の気持ちは冷めていない、と必死だった
どこまでも片思いで居ることが好きで、そんなことは
うっかり世界に望まれると、簡単に揺らいだ
そうして見える景色は見たことのないもののようで、よく見ると原景だった
漫画家になるには背景が描けないといけないとか知るより前から知っていたものだった
楽しいを望むのが正解
楽じゃなくて、野心的に、時には苛立っても変わり続けるもっとを追いかけ続けること
見たい先を見る為にただ歩をすすめること
「どこにならいけるか」じゃなくて「どこにいきたいか」「なにをみたいか」
そうしたら確固たる偶像崇拝が出来なくなって
見上げていたものがいつの間にか同じ目線ぐらいの高さになった
おかげで「芝居でできること」と「芝居でやるべきではないこと」も見えてきて
やっと一人の人のようにとらえられるようになった
そしたら随分と楽になって
同時に山のような寂しさが来た
「毎回感じていた一つの役を終えた後に感じる虚脱感」を重ねまくったミルフィーユ
喰いながら溺れている
あばばばと
折角だからね