何色何番ぴろりろ

何色何番の村井ブログ。人生全て私の宝物にするために生きています。

自分がどれとかどんなとか

2014-12-10 23:26:38 | Weblog
鑑を見てないとわからない

どんな人で
どんな外見で
何をしていて
どんな友達がいて
どんな暮らしをしていて


大好きな友達がいなくなったらと思うとすぐ泣くし
大好きな子どもの顔を思い浮かべると嬉しくて泣くし

でもそんなことはすぐとぶ

どないに大事でも


風の匂いに何かを引き起こされそうになる感覚や

たった今の環境に飽和して自分などなくなる時や

彼氏が欲しい、美味しいもの食べたい、きれいなもの見たい、欲望すべて

そんなものは

自分がだれかなんて

末端でしかない


古い記憶をたどれば思い出せるけど

自分が何を思って生きてきたか、知っているけど

いつも思う、思っていたものと全然違う自分になっている


肥っていたけど痩せたし

自分で自分の外見好きになるなんて思ってもみなかったし

子どもに関わる仕事に就くなんて夢にも考えていなかったし

まさか画を描く夢を捨てるなんてありえなかったし

ピンクの小物を持ち歩くなんて気持ち悪かった

アトピーの跡がなくなるとは

暴力をねじ伏せられる力が欲しくかったけど、今は心を動かす力を求めているし


正直昔の私からしたら「誰これ」だろうし

普通でつまらなさそうだとも思うだろう

でも今は面白いし

最近一番思ったのは

「感覚的巨視」と呼んでいた俯瞰、現状を逃げるための手段と思っていたものが

より生命力に近いものだと捉えられたこと


自分がだれかなんていうことは、一個の生命体の枝先・梢でしかないこと

カスタムとは言わんけど、どうとでも変わるし、それが生命体に与える影響なんて大したことではない

一連につながっているので全く微々たるものとは言わないけど

「自分がだれか」なんてことよりももっと強靭な何かに生かされている

海老で死にかけた時「私がだれか」なんて簡単にとんだ

生きようとすることにそれはそこまで大事なことじゃなかった

もっと根本的なものがあった

枝先のことばかり気にかけて生きていても、命に別条はない

ぐちぐちしょうもないだけ

でもそこをするっと手離すと、昔と全く変わらない何かに気づける

「自分とは」ではなくて、「生命力」

アイデンティティーなんか飾りだわ

昔なんかで

心はアイデンティティーと意志と魂に分けられるとかいう話が合って

全然実感わかんかったけどこれかな

魂の実感な

意志もようやく形が顕れてきたんじゃないかな

総じて「私」と呼ぶんだろうな


あー、やっとだな

やっと片鱗だな
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ふりかえる2014

2014-12-10 09:39:48 | Weblog
アナと雪の女王がすごかった

世間がわいてた煽りを見事に受けたと言った方が近いか

とし始めはソノノチで「見たいね」と話してる女子がいて存在を知るくらいだった

春先男の子もありのままでを楽しそうに歌っててびっくりした

伸びてきた前髪を編み込んでまとめてたら「エルサヘアーを真似ましたか」と言われた

学童さんの発表で、ありのままでを歌う機会が夏~冬の口まで3回あった
練習のために部分的に話を知ってエルサがありのままでを歌うとこ見て「寒くないわなんて嘘や、不憫すぎる」と泣いた
練習の時にうっかりべそをかくので困った

秋口にやっと映画を見た

アナの行動力と
二人だーかーらーの歌がまさか結婚詐欺の歌だったなんてと驚愕した

何色何番2年ぶりの公演で
脚本にありのままでを歌うシーンが出てきた
うっかり歌いたくなった
自分にあたる配役ではその役回りはできないはずなのに
諸事情があって歌っていいことになった
寒いよ不憫よと泣くくだりまで採用してもらった

これで終わりとおもいたら

こないだ通りすがりの幼児さんに「アナと雪の女王や」と言われた
伸びてきた髪をおさげにしてたからみたい

そして来年頭には地域の新年会でカラオケを歌わないかんらしくて

年齢層がめちゃくちゃ高いから私の歌うJ-POPなど知ってる人も居そうになく
「地域の祭で学童さんが歌ったありのままでならなんとかなるか?」
と考えている


自分からは全く興味がなかったので踊らされてる感半端ない感じやったけど

ここまでくると面白かった。
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