気の向くままに

終着はいつ、どこでもいい 気の向くままに書き記す

山桜花

2015-04-03 11:02:51 | 日記

 

 桜前線とともに、人々の笑みが列島を北上していく。ときにはしみじみとした桜でもあろう。いずれにせよ人々はなにがしかの感慨をもって、この花を迎えているはずである。

 桜という花が日本人を日本人たらしめている、一つの象徴であるように思える。この花への愛情が古代から連綿と受け継がれ、日本人の心性を形成するほどにもなっている。


 本居宣長が詠んだという「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」は、戦後は「イデオロギーの歌である」と評論されてきた。それは散る花に重ねられた戦争の記憶を思い出すからであろう。

 宣長は日本の思想史において。日本の美的な理念として「もののあわれ」を指摘したほか、35年を費やして「古事記」の注釈書「古事記伝」を書き、古来の日本の精神を明かそうとしたそうだ。

 昭和19年に出撃した神風特別攻撃隊は敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊と名づけられたし、「万朶(ばんだ)の桜か襟の色 花は隅田に嵐吹く 大和男子と生まれなば 散兵戦の花と散れ」で始まる軍歌「歩兵の本領」もあるけれど・・・。

 要するに戦後、この歌は、戦争への反動から遠ざけられてしまったのである。しかし敷島の歌はどう読んでも、先の評論家のいうイデオロギーなどという言葉からはほど遠い。

 朝日を透かす山桜の美しさにまず感じ入り、それを日本人の心性に重ねた、率直なものと私は思う。

 

 

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