気の向くままに

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世界に誇る駆込寺

2015-06-18 06:14:23 | 日記

円覚寺から見下ろす東慶寺全景

 

 鎌倉市にある東慶寺は、鎌倉幕府8代執権、北条時宗の夫人、覚山尼(かくさんに)によって開かれた。明治中期までは、尼寺だった。元住職の井上禅定(ぜんじょう)さんによると、夫の暴力などに苦しむ女性を救済する寺法は、開山時からあったという(『東慶寺と駆込女』有隣新書)。

 ▼寺に駆け込んで、足かけ3年寺で奉公していると、離婚ができる。江戸時代になると、群馬県太田市にあった満徳寺とともに、幕府公認の縁切り寺となる。「出雲にて結び鎌倉にてほどき」。こんな川柳が詠まれるほどよく知られた寺だった。縁結びの神様である出雲大社と対比させて、面白がっている。

 ▼井上さんによると、駆け込みの理由で圧倒的に多かったのが、「夫の不法」だった。「悪口雑言をたれるとか、大酒くらうとか、殴る蹴るとか、吉原通いにうつつをぬかすとか」である。もっとも、「他に男がデキちゃった」といった図々(ずうずう)しい例もあったらしいが。

 ▼東慶寺に駆け込んだ女性は、江戸後期までに2000人を超えたといわれている。当時の離縁状、三行半(みくだりはん)の研究で知られる高木侃(ただし)さんによると、宗教施設に駆け込み、最終的に国家権力が離婚を仰せつける制度は、世界に他の例がない。

 ▼その東慶寺に残る古文書について、ユネスコの世界記憶遺産の登録をめざして、申請書が提出されたという。折しも、井上ひさしさんの小説『東慶寺花だより』を原案にした、映画も公開中である。かつて日本に存在した、女性の人権を守るユニークな制度をぜひ、世界に広く知ってもらいたい。

 ▼もっとも、ストーカー行為やドメスティックバイオレンス(DV)の被害は、ますます深刻になっている。女性が安心して駆け込める、現代の縁切り寺づくりが先決である。

2015.6.18 05:05更新 産経

 

山門。江戸時代には街道に面して大門があり
現在の山門は中門で男子禁制の結界だった。

東慶寺の参道

 

(画像はウイキペディアより)