気の向くままに

終着はいつ、どこでもいい 気の向くままに書き記す

御用学者ならぬ無用学者

2015-06-27 09:17:40 | 日記

 セクハラ、パワハラときて、マタハラ、そして今の流行は「おわハラ」なんだそうである。ハラスメント(嫌がらせ)ブームはもう終わり、という意味かと思ったら「就活終われハラスメント」の略語なんだとか。

 ▼優秀な学生を囲いこもうと、企業が「他社への就職活動を終了するよう学生に強要する」行為だそうで、昔風にいえば「青田買い」か。つい最近まで大学4年生が「就職氷河期」を嘆いていたのが、嘘のようである。

 ▼抄子も30年前に就活のまねごとをやったが、真剣に憲法学者にでもなろうかと考えた。民法が1044条のほか膨大な付則があるのに、憲法は補則を含めて103条しかなく、覚えやすい。占領下に連合国軍総司令部(GHQ)主導でつくられた憲法が、独立回復後も後生大事に護持されてきた裏にある日本人の「被占領意識」も研究対象として興味深い。

 ▼何より、なんでもかんでも「違憲、違憲」と言っていれば尊敬されるのだから、こんなにおいしい商売はない。恩師に相談すると「東大法学部を出ていないといいポストはまわってこないよ」とあきれられ、あえなく断念した。

 ▼衆院の憲法調査会で、自民党が呼んだ長谷部恭男早大教授が安全保障法案を「違憲」と断言した波紋はいまも続いているが、驚くに値しない。憲法9条を錦の御旗に自衛隊そのものを「違憲」と論じたのが、東大法学部を頂点とする憲法学者の本流で、合憲派は御用学者呼ばわりされてきた。

 ▼自衛隊違憲論が世間から相手にされなくなってから、集団的自衛権が、本流派最後の砦(とりで)になっていた。彼らが過去の解釈にこだわるあまり、現実の国際情勢から目を背けるようでは、御用学者ならぬ無用学者とそしられても仕方あるまい。

6月27日 【産経抄】

 

 <memo>

・昨夜は雨だったので、タヌキのポンタには濡れても食せるソーセージをやった。雨のなか食べに来たようで、今朝見に行ったらなかった。

・一本足でスクッツと立っている案山子の夢を見た。今夜はネジか、ネジバナの夢か。