おはようございます。
6月16日(水曜日) 晴れ
5月からかかっていた仕事の入稿を終え、いそいそと映画を観に行った。
「椿の庭」。想像したものより上をいく、映像とセリフに、しばらく頭の中から離れませんでした。そんな日々の中から、考えてみました。
12. 家はあなたの生きてきた記憶の場所。守られているんです。|みつながかずみ|writer
時間がぽかっとあいたら美術館か映画館、それとも思い切ってどこかひとおもいに出掛けたいと思っている。いま一番、行ってみたいところを聞かれたら「美術館へ!」と言うだろう。
企画展なら、一つのテーマでの、さまざまな書き手の翻訳に出会えるだろうし、特別展であるなら、ひとりの作家の初期の作品から晩年、筆をおく前の最晩年の描いたものを一気通貫して、みることができる喜びがある。
ゴッホやピカソでは、画家を志した頃から繰り返し描いた素描の数々やエッチングの技法などをみるにつれ、全盛期と全く異なる表現があり、見るに楽しいし、猛々しい描き方、色のおき方を、線を眺めていると混沌とした苦悩や喜びもみえて、感慨深い思いがある。年表や解説を読み、作品を見くらべて心情を探るのも、いい。
ちなみに、トップの絵はゴッホの「レストランの内装」。初期の「雨」という作品も胸を打たれる。詩的だ。
タヒチや動物など、楽園の美しさを生涯にわたって多く描いたゴーギャンだが、「オレンジのある静物」などをみると、ハッとする。作家の新たな才能を見出したような気になる。そのみずみずしい、甘そうな果実の色、ほどよい重さに。
◇続きはnoteで↓
11. 画家の眼を重ねて視る、見えないものの中にある真理を探して|みつながかずみ|writer #note
すこぉし、ぼんやりとしたところがあると思う。
ここにいるのに、どこか違うものをみている。そんな時が、あなたはないだろうか。
「あなたは浮世ばなれしているところのある人だから」
家人は、わたしのことを、こう比喩する。そういえば、付き合いはじめた頃から、隣のシートに体を預けてドライブしながら、別の時間と空間のなかに身を置いているようなことが、なかったとはいえない(笑)。
ただ。ここで書こうとしているのは、わたしの浮世ばなれの話しではない。
ここにいながら、いつか読んだ物語と、現実に起こっているいまを、行ったり来たりすることが「最高の快楽」というおかしな癖について書いてみようと思う。
初めて、タイを訪れたのは娘のNが幼稚園のとき。だから、20年以上前にさかのぼる。たぶん、片言の日本語で「まあま、お腹すいた」と言えたのか、言えなかったのかくらい。タイ航空で飛び、ヒルトンスクンビットバンコクに4泊した。
船上マーケットやエメラルド寺院、アユタヤの遺跡、ローズガーデンで伝統舞踊もみて、象の背中にも乗った。象の背中は、とげとげの固い毛で覆われていることを知ったショックは、いっそう衝撃的だった。
「次はどこへ行こうか」
「だから、チャオプラヤー川のほとりにある、ザ・オリエンタル・バンコク(旧名)で、運河(クローン)をみたいの」
わたしの決意は、出発前のそれと全く変わらない。同じ言葉を飛行機の中でも繰りかえし、ファミリー連れの旅であっても一歩も譲らなかった。「行ってどうするの?」おそらく、何度言われたか知れなかったが、相手も根負けして、町のタクシーを拾ってホテルへたどり着いたのは、もう夕方近かったはずだ。
広くはない、シンプルなロビー。西からさすギラつく太陽を微塵も感じさせない清閑とした空間だった。調度品のライトの当たり具合が、ホテルの風格を物語っていた。向かったのはプールサイドに近いテラスだ。
白いテーブルと椅子を片付けていたレストランのチーフが、真っ白な歯で笑う。親しみを込めた挨拶。ああ、ここは「微笑みの国だった」ことを知った。
👇
(続きは、こちらの↓noteで)
こんな自己顕示欲が隠れていたとは
SNSってなんだろう?
仕事の折、散歩の途中で、お風呂の中で、よく考えます。
ここに生きてるよ、笑っているよ。日々切磋琢磨しているよ、と。デジタルの波間に、自分の分身を泳がせてみることかな?
先日、東京の鶴川にある「武相荘」へ行きました。
敷地に足を踏み入れた途端に、正子と次郎の「鶴川日記」の日々がわーっとわたしの頭の中にこぼれてきて、(その記憶はまた後日書きます)胸がいっぱいになる。
玄関入ってすぐの場所に、一人一人の略年譜が貼られていた。じっとそれを眺めているうち、誰に頼まれもしなくていい。記憶がしっかりしているうちに書いておきたいな、そういう気持ちが湧いてきたのでした。
数日後に年代順に追って、仕事歴をざーっと書いてみました。
当時のいろいろな思いがよぎってきます。大変だったことは浮かばない。仕事で関わった人の顔ばかりがぽっ、ぽっと浮かんできました。
当時の自分。海外旅行などの記憶も思い出されてきます。
出来上がった時には、こんなものかしらと、いう感じでしたが、一日おいてみると、地味だなーと思う。会社時代は名前のある企業とコラボするような、華やかな仕事もさせていただきましたが、フリーランスになってからは、10年、20年と、同じ企業からの、同じコンテンツの依頼が多い。とはいっても、毎号、中味は変わるので刺激的だし、面白味はあるんですよね。
ま、こんなものか、と。プロフィールに添えて記事投稿(note)をしました。
しかしです。「スキ」の報告がつき始めると、いろいろ気になるんです。ここもちゃんと書いておこうとか、写真を差し込んだほうがわかりやすいなとか。webの記事で追えるなら飛べるようにしたほうが親切なのかな、とか。中途半端はよくない……とも。
仕事がたてこんでいるというのに、自分はなにをやっているんだろう……?
「好印象にみられたい」。「せめて誤解されたくない」そんなモヤモヤがあることに気づき、地味だった投稿がギラギラとする気がして。慌てて閉じて、仕事に戻る。
ああ、SNSって、やはり苦手。しんどい……かも。ちょっと臆病になる自分がいました。
著名な人ほどSNSを肯定しない
わたしがTwitterを始めたきっかけは、関東出身の仲のいい友人と唯一繫がれる手段が、Twitterであったことからです。売れっ子の漫画家であるため、近況を知れて、レスやダイレクトメールでコミュニケーションできる機会は、Twitterが一番という理由がありました。
また、「宣伝会議」のインタビュー記事を執筆する機会が多くあって、「あなたにとって、SNSとは?」と必ず取材対象者にむけてパターンとして聞く設問があり、ああ、もうSNSをスルーすることは時代の流れとしてできないな、と思い始めていました。
ただ。わたしが取材で出会う文化人や自分の名前で仕事をする人は、実のところSNSをあまり肯定はしていませんでした。
「SNSに依存すると自分のあたまで考えることをしなくなる。だから、わたしはどこか新しい場所を旅するときでも決してSNSはみないようにしています。自分の発見や直感力を大事にしたいから」
ある人は、力をこめてこう言いました。
「検索エンジンに頼るあまり、カンタン、即、情報がはいってくるので人間は想像力を失っていきます。自分の目と足でさがす、それが大切です。自分の目とペンの力こそ大切なんです」
情報過多のある種の怖さ、「負の遺産」を、改めて知る思いでした。
「ただいま」
声をかけてみたが返事がない。玄関で靴をぬいで廊下を歩いて台所へ行き、居間、奥の仏間に入っても気配はなかった。あれ、どこへ? と思った瞬間に、レンガ色のセーターの背中がぬっとみえた。
縁側で、その人は、橙だいだいの木をみていた。冬の終わりの弱々しい日だまりの中にいた。
こんなに、小さな人だったっけ。
背中の小さなその人は、わたしの幼い頃と、とてもよく似た微笑み方で縁側からわたしのことを見上げていた。母のことだ。
続きはこちら。↓
戸惑いの89歳、スマホデビュー!|みつながかずみ|writer|note
「ただいま」 声をかけてみたが返事がない。玄関で靴をぬいで廊下を歩いて台所へ行き、居間、奥の仏間に入っても気配はなかった。あれ、ど...
note(ノート)
noteで、エッセイを、書くようにしています。「こと葉の蔵」と「こと葉の舟」に乗せていきます。
よろしかったら、お時間あれば、お目よごしにクリックしてみてください。時々こうして貼るようにします。
ある日。(3月第3週目)
焦燥感にかられながら。朝に昼に外をみる。ありたい自分でいられないじかんを無為に過ごしてしまっている。
焦りと失望だ。原稿を書きながら、小説をひらきながら、料理をするために台所に立ってやかんに火をつけながら。
みた窓の外。
雪がふっていた。激しい風にあおられて、はげしく南から北へ、西へ、東へと強くふりまわされていた。窓のむこうは、雪の嵐。寒そうだった。
わたしは安心した。ほんの少し安堵し、作業に没頭することができた。外は雪なのだから。時が止まってしまったように錯覚する。まだまだやれる。よしやろう。
けれど、顔をあげた瞬間。世界は一変し、光のあついシャワーがそそがれた新しい季節。晴天。わたしの手は止まり、愕然とする。
雪はどこへいってしまったのか、あの時間は。あぁ前進してしまった。季節はめぐった。小春日和だ。
手を止め、諦めて、お茶をいれて、熱い花の香りのする湯を、ティーカップにいれた。
ふと感じるものがあって、みあげれば、外は激しい雪が風にあおられ、真っ白な外気をわたしの目にやきつける。
雪と光。春。そして冬。繰り返し。繰りかえし。一日の中、季節がいつまでもめぐる。
そして夜が舞い降りた。
いつも気がつけば考えてしまう、というのは脳の癖みたいなものだそうだ。
「ひとを、強く思いすぎてはいけない」危険だ。
大人になっていくにつれて、何度か傷つき、すっころんでみて、そう考えるようになった。
それがたとえば、自分の肉親でもやはり同じかもしれない。
「ひとを強く心配しすぎてはいけない」
胸がつぶれてしまうのではないかと思うほど、
人の心配をして、妄想が妄想をよび
どんどん膨らんで、そのうちまるで見ているかのようになってしまう時…。
自分の脳は、人事でありながら、自分が体験していると信じ込んでしまうのだそうだ。
自分の力では及ばないから、気をもむしかないのだろう…。
自分を、見失いそうになったら
どうしたらいいのか。
本物のよきもの、自分が良いなと思ったものに傾倒すること。
なにも自分自身をはぐらかそうとしているのではない。
よきものを自分の中にいれて、心に風をいれる。いったん思考を違う方向(よきもの)にむけてフラットな状態にする。
私はそうやって、自分を立て直してきたような気がする。
今回の場合のそれは
庄野潤三の本「山の上の家」(夏葉社)だった。
神戸萩原珈琲店で買ったグァテマラを、飲みながら、作家の家とそこで暮らす人の時間の流れに、接することができた。(一時でもいい)
また翌日、その次の日は、心配の種の人を案じながら、自分に与えられた原稿や奈良での取材に集中して、少しは落ち着かせることができた。 よかった。
心配をしすぎては、自分をつぶしてしまうことにもなりかねない。
そんな心の状態では、たとえ(どうしたらいいの?) と問いかけられたとしても、冷静に正しい答えなど出せるものじゃない。
心配の種の人にいいたいのは、
自分の幸せを、人の中に委ねすぎるのは危険、ということだ。
人に幸せにしてもらう、という生き方は、ほんのひとときの快楽に似たようなものだと、それくらいに思っていなければ。
あまりに危なっかしい生き方だし、不安定でぐらぐらしすぎるのだと思う。
遠い昔の日々。かつて自分も、そんな時があったかもしれない
だから、全力でつたえたいと思う。
届くかどうかは、絶望的であるけれど。
大丈夫!その人を信頼していればたいていは大丈夫なのだ。
久しぶりの朝5時の散歩。蝉と鳥が交互に鳴く、きれいな朝の中を歩いていると、思い出すのはその昔、ブライアン・ウイリアムズさんという滋賀県の画家と奥様をインタビューした時のこと。
彼は、滋賀の朽ち果てていく古民家や琵琶湖の湖水の葦や、壇の浦 朝光など、美しい日本の風景をスケッチして歩く画家でした。描き始めるのは決まって夜明け前の時間。朝と、時に夕方の光を愛しておられました。
「空気を描きたい…空気の美を…。だが、不可能としか言いようがない」
と画家(クロード・モネ)はいっていますが、ブライアンさんはそういった生まれたばかりの朝の空気や風、光に導かれた一日の中のごく僅かな時間の中での風景を淡々と美しく、描いてこられた画家さんでした。
私が朝の散歩をする時には、ブライアン・ウイリアムズさんが仰っていた言葉や、風景画で見た世界を思い出しながら歩いています。(いつもではありませんが)
さて。8月8日に誕生日を迎えました。
自分にとっての、人生の縮図のような一日でした。
朝一番でヨガの先生や生徒の方と電話では話し、
近所のコピーライターの先輩から贈り物をもらったので、そのお礼の電話をして、近況報告と暑中見舞いの挨拶をかわしあい、それから風呂に入って、果物と紅茶などで朝ごはんを食べ、ほんの5分瞑想をして仕事にとりかかりました。
クーラーは、このところ全くつけません。
風は、前日の秋分の日を境に、乾いた冷たさが加わっていたし、それが肌にあたって気持ちいいから。無理のない自然の空気の中のほうが息苦しくないのです…。
午前中は、先日からやり始めたページものの広告コピーを考えて、その日の取材の下調べをして、いつものごとくシャワーをしてから出かけるつもりでした。
それが1本の電話、1本のメールで、それまでの風向きがガラリと変わった。同じ仕事仲間の一人からですが、ある別のパンフをつくるために提出していたコピーについての連絡でした。
久々に自分の細胞が打撃をうけているのを感じました。
お盆前に提出数本と、お尻がつまっているなか、
震撼としたものを、本当に数年ぶりに感じました。
これまでの私の仕事スタイルとしては、何か、誰かが疑問をいわれたら素直に原稿は修正する質(たち)です。どんな人であろうとコピーや原稿にひっかかりがあるということは、それが最善のものではないはず。どこかにそのコピーのほつれがあるはずだし、それをもう一度、新しい目で考え直すということは、仕事にとって絶対にマイナスであるはずがない。
そう思って素直に、もう一度考え、もう少し上をいく提案をしてきたと自分では思っています。
ただ、クライアントさんやメーカーではなく、同業の同じ仕事をしているクリエーターさんからのつっこみで、それも全体の印象を漠然と語っておられただけに、だいぶへこみました。仕方ない。そういうことなのかもしれません。
本日から別の仕事をする予定でしたが、引き戻されるしかない…と思いながら、
暗い気持ちで電車に乗って、取材にでかけました。
取り急ぎ、何度か電話やメールでやりとりをして、1本の取材をすませて、もう1本の打ち合わせを済ませました。東京から来訪された編集や営業の方はさすがに優秀な方で、日本のビジネスマンのコミュニケーション能力の高さに、脱帽した。その取材のやりとりの中で、勉強させていただくことが多々ありました。
そして、同席させてもらっていることの貴重さと今回の仕事で私が原稿を書くwriterとして求められている使命の大きさも含めて、びしびし、と強い刺激をもらった時間でした。
それから、その日の朝に落ち合う約束をした友人と、リーガロイヤルホテル大阪のリーチバーへ(自分が朝予約)。
陶芸家バーナード・リーチの着想を元に、建築家吉田五十八が設計した大人のバー。
ある雑誌の対談を目にしてから、また何度かこのバーについて書かれたものを目にしてから、一度来てみたかったんです。
こういう、肩の力をぬききった時間は、自分らしくあるための、やすらぎのひとときです。
くったくなく笑うということ。そこに意味などない。話す内容もくだらないことです。けれどそんな余白の贅沢が、自分を立て直してくれることも、ある。
誕生日というのでシャンバーンで乾杯し、アマレットをロックでくいっと飲んで、あてにはレーズンバター、フィッシュアンドチップスなどを選んで。
2時間あまりの素敵な時間は終わりました。
その日の電車は、満員。その上に電車がいきなり飛び出してきた動物と衝突したらしく、帰りは1時間のところを、2時間近くかけて家路につきました。
私のあとに、主人が地方出張からかえってきて、ふたりで顔をあわせて、「おめでとう」と言葉を伝えてもらい、私が冷蔵庫の中のものでこしらえた即席のおつまみとデザートと。梅酒を炭酸水で3分の1くらいに割ったものを、いつものダイニングのテーブルで飲みました。
その日、夜中におなかをこわして、何度か起きることになったのですが、まあ、実に私らしい人生の縮図のような一日だったなと。
ふりかえってみて思うわけです。
いいことも、そうでないことも、含めて。自分にとっては、必要であったから生まれた。
それが偶然のふりをしてふりかかってきたのだということが、なんとなくわかった一日だったのでした。
これまで、だましだましでやってきたことは、どこかで帳尻を合わせることになるのです。
ともかく、翌日はコピーにまみれた日々。
もう一度、再考する意味のあったものをつくるために、文を書いています。
その翌日は、取材のテープをおこして、うんうんと頭を右に左にひねりながら、夜中に散歩したり朝に散歩したりしながら、テキスト原稿を書いています。
文を書きながら思うのは、どこまで自分の脳が描いた映像やイメージするものを正確にあらわせるかということだ。
よく似ているし、近いんだけど、ちょっとだけ違うんだ、という時もある。そんな時、どれだけもう一度、冷静に問い直せるか、だ。
自分の言葉で、ちゃんと話せてる?書けている?
書いていくに従って、筆がいきおいを増していくと、全く違うことを、さもずっと考えていた風に雄弁に語ってしまうことだってあるし、
その逆で、文を書いていく中でイメージがどんどん広がり、熟考されていくことも。書きながら考えているのである。
まぁ、たいていの場合は、言葉の選択を速く、的確に置き換えることに苦心しているわけだ。
速く、余白を埋めたい。書いてしまいたい。そういう場合には、たいてい打ちひしがれ、敗北感にまみれている。がっかりと肩を落とし、数杯目の珈琲を入れにいくことになるのだ。
昨年のちょうど今頃。谷川俊太郎さんと江國香織さんが「詩」をテーマにしたトークイベントみたいなものを、京都のお寺で行われていて、それを見にいかせてもらったことがある。
ふたりとも、大御所の作家。言葉の名士。語る言葉の端々が、するどく心に突き刺さった。
江國さんは、テレビや雑誌でみる印象とは全く違っていた。
ご本人はどう思われるか恐縮であるが、「小さな子供のような表情をする、老女」みたいに美しい人だった。
小川洋子さんをみた時もそう思ったが、作家という職業の人は、普段から孰考する人生なので、少し疲れ、博士のような威厳すら、まとっておられる。どんな女性的な方でも男性的な部分をお持ちだ。
その日も、江國さんは、最初とても小さく弱々しい声で話し始めたが、途中から言葉が言葉をよんで、たいへん深い話をしっとりとなさっていた、素敵な方だった。
「言葉」を選びとる力が的確というか、すごく真摯。実に純粋(真剣)。自分の言葉に対するちょっとした反応を大事にされていた。
何度も、『違う「○○○○」こういうことです』と
自分が発した言葉が本当に適切かどうかを、問いかけながら話されていたのが、とても印象にのこったことである。
たとえば、こんな内容の話しをされていたように記憶する。
「紙で読む本は絶対になくならないと思います。本を読むという行為は、すごく能動的で積極的な働きかけだと思います。人は本を読まないと、自分という1人の人生でしか体験できないことになるので、それはあまりに乏しいことで。1つの人生しか知らないなんて。けれど。本を読むことでいろいろな人の人生を味わうことができます。人生の手応、みたいなものもちゃんと感じられます。それは他のものでは絶対に置き換えらることはできないと私は感じます。
そうやっていろんな角度からいろんな人の人生と出会うこと、それが本を読む楽しみのひとつ、なのだと思います…」
のようなことを、江國さんらしい言葉で話されていたのを、今、思い出す。
何度も何度も言葉を確認し、だからゆっくりと語りながら、選択しなおす、その「こだわり」。
私など足もとにもおよばないけれど。
空白が怖く、速く書いて冷静になりたくて(下手なテキストはもっと怖いけれど)、そこから逃れたくて。気分転換を何度となくはかり、時に逃げ切ろうとする時も多々だが。(結局は、締め切りがあるので絶対に逃げられない)。
けれど、もっとちゃんと言葉のもつ、深みを知る冒険みたいなものを、捨てちゃあ(投げちゃあ)、いけないと自戒するこの頃である。
強い人にならないと、文は書けないのだから。
書けた時の喜びも知っているのだから。
電子機器の音や光に、弱い。
特に一日中しゃべり続けるテレビの音に。
ベランダ越し、ふわりとはいってくる風や山々の景色や、葉っぱなどとつながった、ある一定の波長や匂い。その空間(リビングと仕事部屋)が、一気に白々しく、にぎやかになる。
ふだんの静穏さが、ガラリとすり替わる異空間になる。
週末。相方は一日中テレビをつけているたちなので、わが家のリビングは、明るい色彩と音と電磁波のパワーがみちあふれており、そうなると本も読めない、仕事で書くべき原稿がさし迫った時などは、途方にくれる。黒い電子機器を飛び越えたむこうにある仕事部屋にどうしてもたどりつくことができなくて、こっぱ微塵の心を抱えたまま、寝室やお風呂への流浪の旅を繰り返し、「ふて寝」、というオチでその日を終えることもあるほだ。(車を運転してカフェに本(ポメラも)を持って出掛けたりもするけど)。
でもそんな時は、自分がデジタル技術に屈した一匹の蚊みたいな心境でいる。脆弱で、力のない自然界に順応できない嫌われものみたいな。
家で映画をみることを愛しているし、トーク番組や時にドラマ、ニュースなどストーリー性のある番組ならみるのに。
また、テレビは「いま」のライブ感を伝えるとても文化のある機器でもあるはずなのに、その「苦手」と「素敵」の「紙一重」はどこにあるのだろう。
能動的視聴と、助動的視聴との違いなのかしら。
夏のこの時期。わがマンションでは、毎年管理組合が莫大な資金を投じて、植栽の剪定と芝刈りを大胆になさるのだが、真っ昼間のその作業は、自分が何をして、どういうものを書こうとしているのか思考が止まるほどに人を混乱に陥れるのだ。それに似ている、週末のテレビというのは。
単に自分が順応性なく、惑わされやすい性質なのだろうと、思う。
目をこらさないと(凝視すること)、あるいは耳を澄まさないと、テレビをみることが不快になる。
必要な情報だけを選んで後は流すという作業が、実はとても不得意なことなのかもしれない。
京都や奈良にでかけると、観光客でごったがえしてもいても、美しいものだけを捉える目は持ち合わせているはずなのに、困ったものだ。
考えてみるに、自分はある物語性をもったものなら受け入れられるが、「情報」というある塊に対しては、処理するのがたちまち億劫になるのかもしれない…。そうだ、きっと。
これまでの仕事を振り返ってみても、確かにそうだ。週間情報誌のたぐいの本で、短く情報だけをまとめるような原稿は苦手だった。
半年、1年ほどで担当がおわった。そのくせ4ページ、5ページの長い特集みたいなものは、何年も続いたりする。という考えにも思い至る。(短い情報の中にはストーリーは邪魔だからか)
ツイッターもしかり。(昨年秋くらいから、アカウントを取得した。不定期更新です)。その方のところへいって、その方の書いていらっしゃるものを読むうちはとても面白いメディアなのに、
いろんな方のつぶやきが一気にふってくると、言葉がバランス性を欠いて、途端に興ざめてくるという節もある。
イメージとしては、交差点の雑踏などで通行人たちが一気になにかを喋り出す、というのにそれは似ていた。
それでも最近は、そのツイッターにも少しは慣れた。単発的にみる時も、「効率よく読める」と思うようになった。
苦手と思ったものでも慣れる、ということはあるのだ。
じゃあ、テレビはどうだろう。
例えば、素敵なリゾート地で一日中テレビを流していたりすると、それも佳しと思えるように変わるのだろうか。
慣れて順応したり、新鮮なおもしろさに気づくということも大事なことだけれど。
いつまでも慣れない。人と少し違うのかもしれない。
という感覚も、これからは大事にしてやろうかなと思うのである。
小さな自然と、その時間の先に
昨年から朝のヨガと瞑想を習慣にしている。
軽く体を動かした後で瞳を閉じて息を吸い、全身に溜まった空気を吐きだす。 繰り返すうちに口中に唾がわいてきて、本当の私・子宮のような小さな宇宙が現れる。
それを俯瞰するもうひとりの私がいる。
瞑想とは本当の私と心を合わせる一日の余白のようなものだ。
瞳をそっと開くと、さっきとは違う生まれたばかりの自然がそこにまぶしく見える瞬間もあって、私は無垢なる心でそれを受け容れて一日を過ごすのである。
瞑想は自然を体感として知る良い修練だ。
私は自然である。
対峙する森の木の幹も、昆虫も。 たゆたう水の流れも、燃える火も、そっと両手で包んだ茶碗も。私を包む布の温もり、いただく一片の魚の皮と身、瑞々しい青菜のツヤもなにもかも。
見えている自然、見えない自然は同じように生きている。どちらが上も下もなく、互いに死に向かって明るく前進しているのだ。
自然とは、弱く美しい。永遠のもの。変わってゆくものである。
自然とともに、私は毎日仕事をする。仕事は私を研磨する大海のようなものだ。
仕事の中で私はいつもAIと共生する。
AIが、あなたなら。私はあなたを信頼しながらも、いつも疑いの目で見なければいけない。
疑うことは考えることだ。
私はいつも考えている。私の感受性が知りたがるその先に何があるのか。自然の中に分け入って必死でみつけようとしているのだ。
自然は私を守る。私は挑む。勇敢な冒険家みたいに。