月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

子宮哀歌   

2019-10-27 12:36:33 | 腹腔鏡下 子宮全摘術









 秋の長雨は冷たい。春より悲しく冷えている。
 春の雨音は大地がもくもくっと刺激されて、萌える喜びがかくされているが、
 秋の雨は、しんしん大地に深くしみ入る。

 冷たいのは子宮だ。
 私は、2012年6月18日に子宮全摘出手術をしたが、7年めにしてまだわたしの子宮は存在を主張し、きりきり微かに痛む。
 
 何度、手をやっても、昔のようにごつっとした塊は手の皮膚を通して感じられないのに。不思議なことに子宮のあった場所がもっこりとした硬質な盛り上がりが腹の下部にちゃんと感じるのだ。

 忘れている時ももちろんあるけれど、ほとんどの時間を共にいきている。

 たとえば「あぁ困った!」「辛っ」「えーー!どうしょう」とか、いう時。
私の場合は、 脳がダメージをうけるより先に、そこがちゃーんと先にダメージをうけています。

 じくじくと知らせてくれる。体で感じたことを頭で、あぁと遅れて理解するというほうが正しいのだと思う。
 おとなしくしている時は、まあ少ない。


 あるはずのないものと一緒に生きている。

 体をななめによじってウエストを少しまげれば、鮮明に異物で腰が張る。

 「それって。義手をしている人とかが、ないはずの手が痛い! 熱い! ふれあっている と五感で感じるのと同じじゃないの?」
 と。友人がいった。

 子宮の存在で、ものごとを判断する、というほどではないけれど。
 あぁ、いま、ストレスを感じているのだなとわかる。(子宮の場所で、感じるというのは自分にとっての癖。たぶんそういうものです)



 私の場合には腹腔鏡手術で子宮とともに40個くらいの大小の筋腫を摘出したので、もしかしたら、全部は取り切れていないのかもしれない。
 子宮と(たぶん子宮頸管)は切除しても
 周囲にもだんごのような筋腫があったのかも、と自分の皮膚の奥まったところに想像をめぐらせる。

 私とそこは、常に一心同体だ。 
 泣くも、よろこぶも、ともに感じ、いきている。


 わたしの寿命が終わりをつげて骨とかある種の色素になった時、私の骨盤がどうであったのかを誰がが見て確認すればそれでよい。どんな骨で子宮のあとはどんな状態であるのか、普通の人となんらかわらないのか、その時わかるのだろう。
 もしかしたら2個の卵巣が主張しているのかもしれない。だとすれば、けなげだなと思う。女の臓器とはいうのは。

 せいぜい、呼応しあって。
 人生を2倍、3倍と共鳴しあえるのもよいとおもってみるのだけれど。

 






「腹腔鏡下子宮全摘術 」ある女性からの手紙 パート②

2013-08-29 23:55:22 | 腹腔鏡下 子宮全摘術

(「腹腔鏡下子宮全摘術 」 ある女性からの手紙 からの続き)

子宮筋腫のため、腹腔鏡下子宮全摘術 を受けてから14カ月がたった。
ある日。同じ子宮筋腫で悩み、手術を決断できないでいた一人の女性から電話をもらい、何度かメールのやりとりをする。
14カ月前の私と同じように、自分の行く道を照らすあたたかな光、確かなものさしを、誰かに(何かに)求めていらっしゃるようだった。
その日、わたしは当時の思いを回想しながら、淡々と2時間くらい自分の実体験を彼女に話した。
そして、このブログのことも紹介した。

7月、その女性は大阪中央病院にて、腹腔鏡下子宮全摘術 を決意された。
今回、御本人の了解をえて、そのメールを加筆なし、ほぼ消去なしの状態で公開されていただくことになった。
どこかの町の、ある女性たちにとっての(同士たち)、何かの決断するきっかけになったら、という願いをこめてー。
ある女性の勇気ある選択と、その手紙(メール)を公開!


●2013年8月6日 16:57:53

こんにちはメールありがとうございます!
(一部省略)
早いので携帯からメールします!
そうですね。手術は確かに痛みは重くありませんでした。熱と頭痛と吐き気が少し辛かったですが、二日もしたらおさまりました。
お話されていたように内視鏡、万歳です!ちなみに、手術は佐伯先生でした。
退院後、のんびりしています。ただ、すごい便秘でホントにつらい日がありました。それ以降それが原因か膣からか、
多量ではないですが、出血が続いています。明後日内診なので、相談の上、お薬いただこうかと思っています。

体は元気になりつつあるのですが、依然として子宮を取ったことを誰かに話す気にはなれません。
なにか割りきれない思いがあります。
もう使わない臓器だけど、無くなったことに寂しさがあります。
でも、一つの課題に結論を出して、行動し、結果が出たということだと思います。
それを前提に次はどう生きるかということ、つまり次のステージに移ったんだと思います。
悩みから解放されたら、こんなことをしよう!と思っていたことをしていきたいな、と思っています!
気にかけて頂いて、ありがとうございます!そのことが、私への励ましになっています。

毎日蒸し暑いですが、体調に気をつけて下さい!!



●2013年8月7日 14:13:52
こんにちは!暑い…あまりにアツいですねっ

娘がアメリカへの研修旅行から帰り、私はまた、ママモードに戻りました。
これが危険なんです…自分のことをじっくり考えない時間を過ごすことになります。次は何なにの準備をしようとか。
その意味では、この病気は私が一人の人間、女性として久しぶりに自分とじっくり向き合った時間だったのかもしれません。
何だかそういう自分に少し新鮮な気持ちもしたりして。

ブログ、すごいですね!!たくさんの人が読まれていて。私のメールよかったら、使って頂いて構いませんよ。
誰かの参考になったら、嬉しいです。
本当にお会いできる日がきたら、嬉しいです♪
そんなご縁を頂けたこと、それがこの病気がくれたプレゼント。

前より少し強くなった気がします!

(了)




ご退院、おめでとうございます。
少し落ち着かれたら、ぜひぜひお会いしましょう。
まさに同じ傷をもったもの同士、将来の夢とこれからの人生の展望について、
いろいろ聞かせてください。
今回は、快く掲載へのご協力をくださって本当に、ありがとうございました。

「今をいちばん、大切に。」ガンバレ!女性たち







「腹腔鏡下子宮全摘術 」 ある女性からの手紙

2013-08-29 23:14:57 | 腹腔鏡下 子宮全摘術



子宮筋腫のため、子宮全摘出手術を受けてから14カ月がたった。
以前よりはそのコトを忘れるようになっている自分。
日々の雑多に流され、ある時は楽観したり、あるいは反省したり、
人に会っておいしいものを食べたり、Nと笑いころげたりして
過ごしているうちに、14カ月だ。14カ月!

ある日。
同じ子宮筋腫で悩み、手術を決断できないでいる、一人の女性から電話をもらった。
彼女は母だった。
友人を通しての紹介だったのだけど、電話口から聞こえてくる声は、ほんとうにキッパリとした物言いでよく耳に響いて、礼儀正しい言葉づかいで。
自分の置かれている状況や腑に落ちないところを、理論的かつ的確に話してくださった。

もっと実直にいおう。
その女性は子宮摘出することを決断できないでいらっしゃったのです。
そして、自分の見解が真に正しいのかどうか、を私に問うていらした。
なぜ、こんなにも迷ってしまうのだろうかと、その答えを知りたがっていらっしゃったのだ。
それも、女性ホルモンを止めて筋腫を小さくするための、
リュープリン注射(子宮筋腫に用いられるホルモン治療。リュープリン・スプレキュア・ナサニール等)を、
投与する最中のストレスに瀕したココロとカラダで。

14カ月前の私と同じように、
自分の行く道を照らす、あたたかな光を
誰かに求めていらっしゃるようだった。

その日、わたしは当時の思いを回想しながら、淡々と2時間くらい自分の実体験を彼女に話した。

そしてこのブログのことも紹介した。
このブログ「腹腔鏡下子宮全摘術」のカテゴリーは、
いつになっても検索件数トップを譲ったことはない。

子宮筋腫に悩む人は女性の4人に1人。
そして手術に立ち向かう人がその半分…。それほど多くの人々が、胸の内を少しでも
軽く、晴れやかにしてくれるブログや記事を探しもとめていられるのだ。

7月。
私と電話で話したその女性は大阪中央病院で、それも偶然にも同じ佐伯愛先生の執刀で
腹腔鏡下子宮全摘術の手術を経験された。
その間、何度かメールのやりとりをする。

今回、御本人の了解を得て、そのメールを加筆もほぼ消去もしないかたちで公開させていただくことになった。
どこかの町の、ある女性たちにとっての(同士たち)、何かを決断するきっかけになったら、という願いをこめてー。
ある女性の勇気ある選択と、その手紙(メール)を公開! 


●2013年4月17日 13:14:52
こちらのほうこそ、お忙しい中お付き合い頂いて、ありがとうございました。早速、ブログ読ませていただきます。
もやもやが晴れるよう、いただいたアドバイスを活かして動いてみます。
それにしても、一人でくよくよ悩んでいたのに、こうしてアドバイスいただけるかたに出会えて、とても心強いです。
親身になって相談にのっていただいたこと、本当に嬉しいです!また、経過と決断報告します。
○○さんも、お体お大事に。


●2013年7月8日 10:31:55
おはようございます(^∇^)

先日は、私の手術の相談にのっていただいて、ありがとうございました♪
実はあれから、M(実名削除)先生のご協力もあって大阪中央病院で手術することに決まりました。やはり、画像でみてもかなり大きい筋腫なので、
私も観念して、手術は仕方ないと思いきれました。今月12日が手術なので、明後日入院します。
手術のことを想像したら、正直怖くないわけではありませんが、色々話させていただいたことや、blogを読ませて頂いたことが、気持ちの不安を和らげてくれます!
元気に退院報告もしたいので、頑張ります。助けて頂いたことに、感謝。


●2013年7月8日 15:29:17
ありがとうございます。何だか、また力を頂いた感じです。
この体験で、自分がどんな気持ちになるのか私自身興味があります。
それでは、頑張ってきます!


●日時: 2013年7月8日 18:33:56
美容院から帰りました!すっきりして、ご機嫌です♪
梅田いらっしゃる機会があれば、勿論ウェルカムです!ご無理でなければ。
18日に退院です。ホントに暑いですね。ご自愛下さい!!

(腹腔鏡下子宮全摘術 ある女性からの手紙 パート②に続く)

乳房予防切除、について思うこと

2013-05-23 01:25:41 | 腹腔鏡下 子宮全摘術




早いもので子宮筋腫の腹腔鏡手術(子宮全摘出)からもうすぐ1年になる。

来月1日には、大阪中央病院でともに院内生活をおくった友人たち6人
(1人は家庭の事情で不参加)と
術後1周年を記念して「同院会」も開催予定。
おいしいフレンチを食べに行くことになっている。
早いものだ。あれから、めまぐるしくお互いの人生や環境は変わった。というようでもあるし、
もう1年か、自分はどれだけ前進できたのだろうか、というようでもある。

実際に体調はどうなのかしら…。
正直にいおう!一番歓喜にみちて快調に思えたのは術後3日目、10日目、もしくは2カ月目かな。
こういえば、えっ~~!とどこかから雄叫びが聞こえてきそうである。

こう書いた理由は、それほどこの時期の体調は一日一日が良好に向かっていて、
回復しているなあ、傷、癒やされているなあと身をもって実感出来たのがその頃だったという意味。
もう生きて、日常を送れていることがうれしくて誰かれ構わずに感謝!したいくらいだった。

もちろん、今も体調的に悪いわけではない。しかしすこぶるスッキリ!
でもないのが私の場合、正直な感想なのである。

まあ新生児ほどの異物(子宮筋腫の瘤)のほか無数に瘤を取り除いて、その結果、時間さえ経過したら身も心も晴れやか!術前・術後で全く何もなかったように忘れて、これまでの私に戻ることができましたよ!
というのとは違うのだ、ということをここであえて告白しておこうと思う。

本当のことを言おう。まず寒いとズキっとうずく。えっ?いやホント。
痛点とは明らかに違う、重たいような、だるいような不思議な違和感が体のなかでざわめいている。主張している。
忘れている時も多々ある。これも事実。全く感じない日もある。
でも一番でっかい筋腫のあったあたりがつっぱる、という感覚は術後3日後くらいから確かにあった。
ないはずのものが、ある時よりもむしろ時に主張なさっているのである。
あまりに主張されるので今度は本格的なガンか、新しいカタの腫瘍でもできたかしら、と錯覚するほど…。

コロンとした何かを体の中に抱いているような。前かがみになっても体が自然と折りたためないほどの
ちょっと変な感じが続いている。日を追うごとに薄れてくるのではなく実はより鮮明になってきている。
こう書けば、え~!怖い!と思う人がいらっしゃると思うが、
勿論人ぞれぞれで個人差があることなんだろうと思う。全くもって私の場合はこうであるが、
人によっては、スッキリ!爽快!真っ新同然であるよ、という方も
いらして不思議はないんだと思う。

ただ私の場合には、あまりに
それが生き物のようにしくしくしたりして、スパッツを一年中はいていないと、そんな感覚がまた少~し倍増するから
たいていの場合に何かその類ものを身につけた状態でいるのだ。

変だよなとも思うけれど。折をみて病院で検査してみようかしら、とも思うけれど。じぶんの一部を取り除くというのはこんなものだと、半ばあきらめに似た気持ちでいるのかもしれない。

精神的にはどうだろうか。

貧血も解消されて、胸の鼓動が早打ちしたり、
階段を上がると呼吸が乱れることもない。また、いつも病院の存在を身近に感じなければならないこともないので、助かっているし、比較的安静なほうだと思う。自分の体調以外のことに十分目をむける余裕もある。

筋腫があった時に比べると、よくなった。うん。

でも、自分の精神にもう少しだけ丁寧に耳を澄ますとしたら、
なんだか感覚が少し鈍くなった気がする…。え~!これも正直なとこ。素晴らしいものをみても、
美しいものや気持ちいいものを感じても、ある薄い1枚のオブラードのようなものを通して感じてから、
ゆっくりと自分の内側に溶けてくる感じ。走りくるような俊敏さというものに欠けてきた。
おっとりしていた私が、困ったことにさらにぼんやりしはじめたということだ。

そんな自分に慣れ、コントロールしつつ日々生きているのである。

おそらく年齢の影響も大きいのだろうな。
いつまでも、5年前、10年前と同じ自分じゃあないということを、
そろそろ正面から受け入れる時期なのかもしれない。

いや、もっと積極思考で考えてみよう。今現在のわたしが最悪の事態ではないということが一番幸せな選択だったことである、
これを一番にいわねばならない。
だから微塵も後悔はしていないけれど。


ただ昨日、今日と新聞に掲載されていた 「乳房予防切除」の記事をみて、
どこか自分の中の何かがピクリ!とうずいたのある。

遺伝性乳がんになる率を防ぐために乳房を事前に切除する手術を受ける人が、
女優・アンジェリーナ・ジョリーさんだけではなく、国内でも希望者が着実に増え始めているようだ。

私の父もガン末期で他界したので、ガンの壮絶な戦いは十分に目にして思春期を過ごしたひとりだ。
ガンはその響き以上にあらゆる感覚をマヒさせ、ダメージをうける病である。
遺伝性乳がんがみつかっての、家族や自分の苦悩を思ったら、それは乳房を自ら切除しても
そのリスクを回避するほうを選択し、シリコーンなどを注入して乳房再建する、という考え方も間違った選択ではない。むしろ、建設的で明るい現代的な考え方だと思う。

事実、遺伝子検査をうけて異変があった場合に、70歳までに乳ガンのリスクは約45~65%とされているというからかなりの確率。大変な葛藤の末に乳房切除という選択をした人を、勇気ある行動だと温かくたたえる
べきだと思う。そんな社会が素晴らしいと思う。

そうわかっていながら一方では、切除してそれでおしまい!ではないという真実もあるということだけは
しっかりといい含めて間違いではないのだと思う。
美容整形と同じ感覚でその行為を行ってはいけない(そんな人は希だと思うけれど)と。
あとで自分を立て直すことができないほどの後悔と感覚が伴うかもしれないということも考えあわせて、天秤にかけ自分の人生を選択してほしいと思うのだ。

もうひとつ最後に告白すれば、
私の母も祖母も、子宮筋腫だった。
彼女らのカラダには子宮は存在しない。そしていまなお元気で生き延びているという幸福がある。

そのあきらかに、明るい未来予想とともに女性にとって子宮や卵巣や乳房、それはとても言葉では説明できないある鋭敏な感覚と
感受性を伴う特別な臓器であるということだけは絶対に忘れないでほしい。
切除して、さばさばと意気揚々と生きているかのような人も、
その内面には、決して人にはいえないような、ある陰を背負って生きることになる、という真実を、
あえてここで捧げたいと思う。
そのうえでより自分らしい選択をされることを節に望むのである。

術後3カ月検診 卵巣は良好なり!

2012-09-21 17:52:54 | 腹腔鏡下 子宮全摘術


19日(水曜日)は腹腔鏡下子宮全摘出手術から3カ月後の、定期検診となった。

西梅田の大阪中央病院へ。
3階の受付へ診察券を出した後で、いつものように婦人科へまわる。

横に椅子を並べた待合室では、20人ほど。
顔見知りは一人もいなかったが、それでもここは手術適応の人以外は基本的に診察してもらえない仕組みになっているので、「同士!」という親近感をもって、周囲を見渡す。

この日は1診が佐伯愛先生、2診が大野木先生の担当であった。

「◎◎さん1診にお入り下さい!」とその医師自らが担当患者の名前を呼ぶシステムだ。
声の調子や咳払いなど、それぞれの医師の人柄が感じられて、実に好ましい。

1診に呼ばれて、部屋に入る。
「さあ、診察して何も異常がなければ、今日で最後ですね」と佐伯先生。

まず機械を膣からいれて、内部をゆっくりと広げて軽く診察した後で、もう一度超音波をいれて一つ一つ丁寧に診察してくださる。
前回は加えて、腎臓の働きまで診てくださった。

「傷口はきれいになっていますね。それからあとは、はい、全体にきれいですね。
はい、問題ないでしょう」。

「ありがとうございます」とカーテン越しに返事。

「ああ、こちらのモニターで見えますか?こちらが卵巣です。
ちゃんと働いてくれているみたいですよ!
子宮がなくて更年期症状が出てくると収縮して小さくなってくるのですが、
ごく普通の大きさですね。よかったですね。はい。いいでしょう」。

「本当ですか?」と思わず聞いた私は、
この時どこからともなくエネルギーを注入されたように、
頬がパッとバラ色になったと思う。それくらいビックリして、嬉しかった!

モニターには、小さな玉子のような卵巣が映し出されていて、
子宮もないのに毎月排卵し、ほんの微量でも女性ホルモンを分泌しているのかと思うと、
いじらしいやら。申し訳ないやらである。

診察を終えると、佐伯先生自身もうれしそうに、
「もうどこも悪くない方は診察することができませんので、
あとは1年後に検診なさってください」。
そして、子宮ガンのリスクは少ないが、卵巣の病気は、知らぬ間に進行する恐れがあるので、
1年ごとに検診するように薦められる。

「もし、更年期症状のようなほてりとかが出てきた場合には、
女性ホルモンを注入することができますので、試しにされても、もう問題はないですよ。
子宮筋腫がある方は成長をうながしてしまうのでオススメできないのですが、もう大丈夫よ。まあ、あなたの場合には問題ないと思われますが、
もし気になる症状がある場合には、試しに補ってみられてもいいですし、
おそらく10年くらい元気に頑張ってお仕事できまるでしょう」と先生。

素晴らしい励ましの言葉と丁寧な対応。佐伯先生は心もこもった診察をしてくださる。

そのあと、いくつかの質問をして、
大阪中央病院の外来を後にする。



今日は大阪中央病院前とダイワハウスのポケットパークで、記念撮影。




隣のスターバックスコーヒーで、バナナパンケーキとラテをオーダーして、
この晴れやかな空気感と、健やかな秋の風を愉しみながら、ランチタイム。



ビジネスマンやOLの憩いのポケットパーク。
ここならコーヒーを買って文庫本を読むのも気持ちいいだろうな。

それから大丸で買い物して、
大阪駅から1泊の「取材旅行」へ出掛けた!
張り切って、満ち足りた心地の中で!


なつかしい、あの人たち

2012-09-14 14:37:22 | 腹腔鏡下 子宮全摘術


今週は、仕事が忙しい。

原稿に集中し、入稿前のドタバタに神経を集中していると、
雑事があまり耳にはいらなくなるので(時としてだけど)、それで少し救われる。

以前、心理学を勉強されている方を取材したときに、こんな興味深いことを、おっしゃっていたことがある。

「人間の思考というのは、ある程度クセのようなものがあるのです。
よく落ち込まれたり、悩まれる方というのは、その方の脳がそういうクセを持っているからで、
意識して自分を客観的にみるようにして、ああ自分はまた悪いクセが出ているだけだ、と思うこと。
あるいはこうすればうまくいく、というように積極的思考で物事を考えることが大事です」

自分の日々を振りかえると、
納得するところが大いにあるなあ、と思う。

先週は、大阪中央病院のときに知り合ったメンバーと、
3カ月ぶりにランチ会があった。

友達が予約してくれたのはハービスプラザエント5階の「華中華」。
「ランチコース」2800円をオーダーする。ラインナップはこんな感じ。

華中華焼物入り前菜 三種盛り合わせ、
薄切りサーモンと柿のサラダ仕立て 山芋ドレッシング
海鮮と花びら茸入りフカヒレとろみスープ
牛ロース肉の煎り焼きとアオリイカ、きのこの揚げもの 青葱・山椒ソースかけ
“華中華名物料理”大海老の衣揚げ マヨネーズソース 杏露酒の甘い香り
椎茸の肉詰めと豆腐の香り上湯あんかけ
栗入り五目チャーハン
美肌デザート



大皿料理を取り分けるスタイルだが、個室であったし、グループではおトク。
店が唱っているような「ヌーベルシノワ」(先進的中華)とは思わなかったがどの料理も誰にでも食べやすいように工夫して調理されていた。

おいしかったのは、さっぱりと味わえた、「華中華焼物入り前菜 三種盛り合わせ」の豚の角煮と、むし鶏のアボガドソース。

「海鮮と花びら茸入りフカヒレとろみスープ」も、

金色のスープで、見た目がきれいで、
ほっとさせる味わい。


「椎茸の肉詰めと豆腐の香り上湯あんかけ」は、肉、豆腐とタンパク質三昧のわりに、肉厚の椎茸の薫りがしっかり生かされていたところは気に入った。

入院の時は、同じ傷みを抱えたもの同士。話題にことかかなくて、
昔からの親友のようにすぐ打ち解けたはずなのだが、

あれから3カ月。それぞれの暮らしがあって、抱えている問題に直面していると、しっている顔よりは、
知らない部分のほうが、当たり前だけど沢山あって。
一瞬、始めてみる人を
前にした錯覚を覚えた。

ある人は、義理の父が痴呆になってしまい、毎週のように新幹線に揺られて介護にいっていらっしゃるし、

ある方は、
お父様を亡くしたばかりのお母様が気弱になられて哀しみのあまり、精神疾患を患い。先日入院されることになってしまったのだという。

職をなくし、アトピー疾患で悩むなか姪の世話にあけくれている女の子に、

毎日の仕事に追われている銀行員の女の子も。

みな一様にそれぞれの暮らしのなかで、それぞれの闘うべき問題を抱えていた。

あの時、入院していた頃には、病院を退院したら雨上がりの空のように

それぞれ一番の悩みだった病気を克服してすっきりした心と体を手にいれ、そして、誰もが幸福列車に乗れると安堵していたのではないだろうか。

「愉しかったよね、入院生活。休息したわよね」なんて、
あの日を懐かしむことは、想像しただろうか。


帰り際に、私からの提案で
ヒルトン ハービスプラザエントの4階「パレ・ド・オール」で、

ティータイム。
私は、酸味と甘味がほどよくマッチングした、チョコレートケーキ

友達はピスタチオがふんだんに使用されたシンプルなケーキで、
たわいのない話しをして、
三カ月の時間を埋める。


そして、

12月に再び合う約束をして、西梅田の病院の方向とは反対側の
家路にバラバラに戻っていった。

わたしはそれから堂島のジュンク堂へ行き、1時間半本を読み、
自分の軸足をリセットしてから、平松洋子の「なつかしいひと」(新潮社)と、受験の自己啓発本を購入して帰った。



入院生活は卒業です

2012-06-25 15:45:02 | 腹腔鏡下 子宮全摘術


いよいよ退院の日を迎えた。

朝からせわしなく自宅に戻る準備をして、それからはいつものように窓からの景色を瞳の奥に焼き付けたくて、長い間、じっと外ばかり見ている。

愉しかった、といえば、誤解をうけそうだが、本当にいい経験をさせてもらった。
患者の立場になって考える心ある医療機関がどういったものか、ということも改めて考える機会になったし、

食事の大切さや、暮らす環境が自分に及ぼす影響とか、人とのふれあいなしには
自分は生きられないタイプなのだということも、よく実感できた10日間だった。
よく本を読んだし、いつも近くには音楽があった。

11時30分、
私は訪れた時と同じ、オレンジのブラウスを着て水玉のスカートをはいて、
ここを卒業した。

入院費用の計算をしてもらうと、最初想像していたよりは少し高めだった。

同じ病気で手術してもらった友達は、みな10万円ほどだったのに、
私は28万円も!

えっ~、それなら個室料金をあわせても20万円のはず、おかしいなあ。
「ご主人は高額所得者に類していらっしぁるのでは?」との説明だったが、うちの経済情況を考えるとどうも腑に落ちない。まあ、体も治療してもらって様々な勉強をさせてもらい、入院ライフをエンジョイできたのだから、致し方ないね。でも持ち合わせた金額がたらずに
クレジットカードで切るときは、私はまだ首をひねっていた。

迎えに来てもらった車にのって、家に戻る。

不思議だが、私はほんとうなら、西梅田に暮らしているのに、なぜこの町へ帰っていくのだろうと変な気持ちになった。家は、なんだか真新しい家のようだった。

南側のベランダに面して緑色の葉を存分に茂らせた観葉植物が、
めきめきとたくましく大きくなって、

どこもかしこも緑、緑、緑。イタリアのポリスのようなニュータウンだ。

郊外のリゾート地のようなところに住んでいるのだな、と
視線の先にある、青々とした六甲山脈の山々をリビングから眺めながら感心した。

ふとビル群に囲まれた西梅田のハイソな生活が、脳裏をゆっくりと横切っていく。

母はすっかりこの家になじんでいて、私のお昼ごはんを準備してくれ、
台所にずいぶん長くいたあとで今度は洗濯物を畳む作業に精を出していた。

そのうち慣れてくるのだろうが、ここの生活は、なんかよく知ってはいるのだけど
どこかよそよそしく、
出て行く時とは違う新しい表情をして今日の私と対面していた。


明日で退院。休日は終わる

2012-06-24 23:39:01 | 腹腔鏡下 子宮全摘術

6月24日 手術6日目



午前中、いつもの食堂で「いよいよ明日で退院だね」
「なんだか振り返ると貴重な体験して、愉しかったね」
などと、いつものメンバーで談笑。

午後1時~4時半まで、ブリーゼ・ブリーゼで開催されている大学の説明会になっちゃんと参加。
こうしていると、普通の人。待ち合わせの会場まで地下ではなく、光や風や人・車の行き交うところをみたくて路上を歩く。
説明会は、昨年のオープンキャンパスとほぼ同じ内容のことを、堂々となぞらえて説明していた。
クーラーがひどく効きすぎて寒いのでお腹のところにずっとタオルを置いて聞く。
後半、個別相談会があり、さてなっちゃんがどんなことを伺うのだろうかと傍観していたら、

「美学芸術って、専門的じゃありませんか。難しくありませんか?」と開口一番がこれだったので唖然!

「言語や原書で読んだり、なっちゃんには専門的すぎて少し難しいんじゃないかしら」とパンフレットをみながら
ふだん私が口にしていることを、そのまま教授に…。いうなんて…。

担当教授は穏やかでいい方で、
「大学で学ぶ美学芸術とは何か、何のために学ばせるのか」と基本的なことから、
幼稚園の子に説明するように、端折らず、ものすごく根気強く説明してくれていた。

久しぶりになっちゃんとの外出なので、門限を少しだけやぶって
ハービスエントにあるイタリアンカフェで、総菜パンとカプチーノを食べてから病院に戻る。

部屋にもどってホームウエアに着替え、大学のパンフレットに目を通しているうちに6時の夕食タイム。
今日の外出で皆、シュークリームやケーキ、御菓子などを買ってきてくれていて、食事の後で最後のお茶会をする。
「もう検温の時間なので、部屋へ戻ってください」と看護師さんに呼ばれたのが8時半だった。

明日でほんとうに退院である。今思えば、ほんとうに早かった。

手術後、感性が人一倍も敏感になっていて、いろんな思いがあふれていながら
時間が過ぎ、日々の混沌や人との交わりのなかに、それらが淘汰され愚鈍になっている。
再生された、などと安心してはいけない。時間とともに、神聖さも新生さも、失われようとしているのだ。


空は今日も灰色に曇り、空中庭園のビルとその前方にはウエスティンホテル。
あいかわらず点滅するオレンジの灯、路上にある蛍光灯の白、飛行機の道しるべとなる赤の灯、ビルの部屋を照らす明かり。
電車がいきかう音。
ゴトン、ゴトン。ゴトン、ゴトン…。

耳の奧であたりまえのように響く、電車の発着する音、大阪ステーションを走る音。
静かで空調管理され、温かい部屋「1214」。
満ち足りた「休日」だったのかもしれない。
みなさん、ありがとうございます。














この日、この時、この思いを忘れるな

2012-06-23 22:26:53 | 腹腔鏡下 子宮全摘術



6月23日 手術5日目

3時間の外出をするようになって、一日のスピードが加速していっている。

外出するようになって、心は健康になるが、お腹がまたふくらんだ気がする。
腫れているのだ。下腹部が熱を発している。それ以外は特別に変化はない。

今日は初めてJRから阪急百貨店方面へ歩いていった。
新梅田商店街のなかにある「香賀」で鴨汁(つけ麺)を食べ、手打ち麺のうまさに感動し、
阪神百貨店の地下街に行こうとしたら、望月さんに偶然出会った。

新梅田商店街のなかの暗い感じの喫茶店で、20分ほどお喋りをして、
コーヒーをごちそうになって別れた。

読売新聞社での仕事を離れて10年以上が経とうとしているのに、
私はなぜ彼と雑踏の真ん中で再会せねばならなかったのだろうか、と
病院に戻ってからもずっと考えていた。

「みっちゃん、いくつになった。そろそろ仕事以外に自分がするべき何か、
見つけな、あかんよ。自分の文章というのを書かんとあかん。
基礎があるんだ。一生懸命練習すれば、新人賞だって夢じゃあないんだ」。
定年をとうに過ぎても、彼は読売新聞社のグループ企業で働き、家族と離縁、
俳句の世界に没頭した生活をされている。

阪神百貨店の雑貨や靴をひやかし、堂島の「ムジカ」まで歩いて紅茶を買いにでかけ、
病院に戻ってしばらくしたら、
仕事を一緒にしているデザイナーの友達がお見舞いに
訪れてくれた。プライベートではめったに会おうとしないのに、うれしい。
(家族以外に、5人の友達が訪問してくれた)。

外出できるようになって3日目。
ようやく歩くことが怖々でなく、自然な足運びできるようになった!

でも私は忘れない。忘れてはいけない。

手術のあとのはじめての外出。軽くめまいがしてほんの10歩歩くのも不自然な恰好で。

お腹を手で固定させ、ゆっくりと、ただゆっくりとした足を運べないことに驚きつつ、
それでも一縷の希望を抱いて歩いた西梅田のセンスのいい地下街。

雨の空が、したたるしずくが、街の情景のひとつひとつが、
初めて見るかのように新鮮に瞳にうつっていたあの日を。


クライアント先の事務所の灯りを病室から仰ぎつつ、
顔をみられないように、唇をかみ、
うつむいて過ぎていったあの時間を。

出掛けても不安で、人が怖くて、洋服や雑貨をみても白々しくて、
温かいやさしい大阪中央病院の病室に、戻りたがっていたということを。


わたしは、忘れてはいけないのだ。
















リセットされた、新生なわたし

2012-06-22 23:23:03 | 腹腔鏡下 子宮全摘術


6月22日。 手術4日目。

今日は昨日よりさらに気分がいい。

食堂でのお昼を早めに切り上げ、
1時の体温や脈拍測定などをしたら、ロッカーをあけて洋服を探す。
大阪駅の改札にて、1時20分に母と待ち合わせした。

昨日の雨も上がり、空がキラキラ眩しく、街路樹の緑も明るい。風が気持ちいい。

人の表情、街の情景など目にうつるもの全てが新鮮で、またこうやって自分の足で歩け、
よく知るこの街に帰ってこられたと思うと、涙ぐんでしまった。

今日は昨日より、足がスムーズに前に出る。それがうれしい。

大阪駅周辺からブリーゼ・ブリーゼ、ハービス大阪、
リッツカールトン大阪の界わいをたくさん歩く。

この界わいは、とてもいい気に満たされている土地柄だ。

ダイワハウスのビルと大阪中央病院の、ポケットパークのあたりも素敵。
勤務する人々も、そこを訪れる人々も、皆とてもいい表情をしていると思う。

わたしは一度リセットされて、新たに再生された。
容姿はそっくり、でも、心が入れ替わったという気がする。
その制作に携わってくれた先生が、佐伯愛先生で本当に誇らしい。
心から良かったと今は感謝の気持ちでいっぱいだ。

京都の伊藤病院・伊藤先生の言葉をかりれば、
古いタイプの女医さんでもなく、最近流行のギャル系でもない。
品格ある女性と、のこと。

私を再生してくれた人の手が、佐伯愛先生である。
それをこれから生涯、誇りに思っていきていこう

自分の与えられた道とは、偶然ではなく必然である。
そうあれほど逃げたかった手術は、自分にとっての必然であったのだ。
だから、胸をはって、勇気をもって進もう。
自分が歩こうと決めた勘をひたすら信じて、歩いていこう。




手術3日目 雨の日外界へ

2012-06-21 22:59:40 | 腹腔鏡下 子宮全摘術

6月21日(木曜日)手術後3日目


今日も高い空から雨がひっきりなしに、落ちている。
手術の日は雨で、翌日は台風で、今日もまた雨…だ。

●10時
今日は術後、初めてシャワーokの許可が出た。
熱いお湯が気持ちいい。
お腹の傷、4箇所はさけて、幸福なお湯のシャワーを全身で味わった。

手術後、はじめての外来での診察。
「大小さまざまの350グラムの筋腫や子宮をかきだす際に膣内を傷つけてしまった」
と佐伯先生がおっしっていたので、怖々と診察台に上がったのだが
ゆっくりと丁寧に診てくださったので痛みもなく終わり、良かった。
「はい、きれいに処置できていますね。腎臓のほうも、卵巣も全く問題ないです。
順調です。いいでしょう」とのこと。
ほっと胸をなで下ろし、少しだけ、涙が出る。

●午後1時
検温と脈拍、血圧検査を終えたあとで
外出許可も。
エスカレーターで1階まで降りて、
リッツカールトンホテルの方向へゆっくりと歩く。
体が左右、上下に揺れる震動がお腹に伝わってきて、ずんずんと響く。
うまく他人のようにリズミカルに歩行ができなくてびっくりした。

あんなに、院内では自然と足が前へ出るのに。
なんというぎこちなさ。
5メートル歩くごとに休憩をとりたくなる。
体の想像以上の異変にビックリした。

静かで、平和で、美しいところに非難したくて、
大阪中央病院から西梅田の地下で繋がった「リッツカールトン大阪」のティーサロンへ。
ピアノの伴奏とフルート演奏。
非現実じみて、ほっとする。昨日までのことが嘘のよう。さっきまでの不安定の歩行も。
なにもかもが全てが幻のごとく、ここはヨーロッパだ。

1時間、エスプリの世界に浸って、4時半、院内に戻る。

6時、食堂で見慣れた顔が揃い、3時間の外出についてそれぞれのお喋りが弾む。
ちょっとした冒険をしたかのように、皆イキイキとした表情で語る。



手術2日目 痛みは少ない

2012-06-20 22:26:10 | 腹腔鏡下 子宮全摘術
6月20日(水曜日)手術2日目



検温、脈拍、傷の状態の確認を
10時、昼2時、夜7時と、
毎日、3回看護師さんがチェックに来てくれる。
手術執刀医の佐伯愛先生も朝の診察前と、夕方必ず顔を見せて声をかけてくださる。

「大阪中央病院」。
ここは本当に快適で心地いい病院だ。

おそらく、12階の婦人科には手術を優先する、
良性疾患の患者さんに特化しているというポリシーもあって。
総合病院によくある、張りつめた重い空気がないせいなのかもしれない。

今日は昨日より、少し調子がいい。
胸の重さが軽減されてきたようだ。

手術2日目と1日目ではすいぶん違う。

朝食は手術前とかわらず食堂まで
そろり、そろりとお腹をかがめて歩いていき
懐かしい、6人グループの友達と一緒に頂いた。

「どうだった?心配していたのよ、昨日顔が見られなかったから」
「ありがとう。無事に生還しました。しんどかった二度とイヤと今は思うけれど、
ここに出てこられたのだから、早く回復できたんだと思う」。

同じ窯のメシを頂くうちに、どんどん気心がしれてくる。

体調は、少し胃のあたりと胸のあたりが重いのと、
お腹の下部に違和感がある。
でも痛みは少ない。

入院前に読み進めていた本を再び読み始めようか。
定位置の椅子に座る。
iフォンで音楽を聴く。

ドナドナの唄がまた頭の中でなり始めた。
仔牛から再び、理性を伴った
「人」の生活がすでに恋しくなってきた。



手術一日目

2012-06-20 12:48:55 | 腹腔鏡下 子宮全摘術


6月19日(火曜日)手術1日目


●朝6時
採血がある。検温、脈拍をはかる。
まだ朦朧としたままの状態だ。夜中に何度も目を覚まし、
窓の外のビル群をみようとするがよく見えない。

●9時 
佐伯愛先生がお腹の下にある傷の確認をしてくださり、
「きれいですね。いいでしょう」
「順調ですからドレーンをぬきましょうね。看護師さんに伝えておきます」
そういって退出される。たくさんの管から開放される時がくる、とぼんやりと思う。

●9時40分
「ゆっくりと起き上がれたら練習しましょう」
と声をかけられ、10度にベッドを傾けられるが、
血管が逆流するかのように苦しくなって、すぐに戻してもらう。

心電図、酸素マスク、血栓予防の機械をはずしてくれる。

一晩中、血栓予防のマッサージ機の音が耳障りだったので、静寂が戻る。うれしい。
昨日のあひるの看護師さんではなく、お洒落な看護師さんが体を拭いてくれた。

しばらくして佐伯愛先生が病室を訪れ、「あれ、まだ抜けていないの?」といって
ドレーンを私の大腸あたりからぬっーと引き抜く。
あまりにもけだるい、生温かいイヤな気持ち。
吐きそうになる。全身で嘔吐するような不快感でいっぱい。

●11時~14時
嘔吐感がとれなく、吐き気止めを依頼するが全く効果なし。時計の秒針が動くのがあまりにも、のろのろと過ぎ、窓の外の全くうごかない景色に目をやるが、
しんどくなって、すぐ瞳を閉じる。
立つ練習をするはずだったが、とても無理な話だ。
何もできない、体全体が重い。
若い看護師さんが見に来てくれるが、とても動けないので諦めて病室を後にする。
吸い口で水をわずかに口に含むのが精一杯の仕事。
「まだ気分悪いのね、起きられないのね、また後で体を拭きにきます」
と看護師さんがいい、退出する。

なっちゃんから電話。「何しているの?」「なんでしんどいの?楽じゃなかったの」
同じような電話が3回かかってくる。

●3時
お昼ごはんの3分粥は手をつけられず、そのまま看護師さんが引いていかれた。
昼すぎに、歩行の練習をするはずだが誰も来ない。時間だけが遅々と過ぎる。
曇り空だけが窓越しに見える。雨が降っているという。台風で学校は臨時休校だと聞く。

「もういいよ、入院はもう沢山!」と口に出していうが、
このままやり過ごし、残念な気持ちでいても仕方ないので、ベットを起こす訓練を自分でする。
45度に座る。無理、と思うとすぐ戻すを繰り返す。
しばらくしてゆっくりベットの横の手すりにつかまり、ふらふらと立ってみる。
頭から全身の血の気がさあーと下に落ち、びっくりするほどしんどい。
再び横になる。しばらくして、ゆっくりと立つ、を何度も試みるがまた横になる。

●4時
ようやく訪れた看護師さんが、私がベットで座ってみているのを驚き、尿の管をぬいて立つ練習に手を貸してくれる。
ふらふらで立ち上がれない。3度目にようやく成功、吐き気を我慢して1歩、2歩と歩いて…。

看護師さんに連れられて、院内をゆっくり一周手すりに寄りかかりながら、ほんとうにゆっくり左右に肩を揺らして、頼りなげな足取りで歩く。
お腹が45度に曲がっている姿をみて、
「みんなこんな感じです、みんなお腹を抱えて45度の角度で歩かれています」
と看護師さん。
2日前は3分で歩くところを20分くらいかけて、歩行練習。
一周回ると少し気分が良くなった。

●6時
手術後、5分粥を少しずる胃袋に流し込む。
米のニオイ、美味しいとは思わないがなつかしい味。

●7時
食事を6分ほど頂くと、少し気分が落ち着く。
コンコンとノックをして会社を早退した夫が顔を出す。
「もう椅子に座っていていいの?元気じゃないか」と安心した表情で話し、
8時の面会終了前に帰る。

●8時
寝ているより、起きてトイレへ行ったり、椅子に腰掛けているほうが気分がいい。
それで読みかけの本を読み9時前に就寝。一日50時間、と思うほど長い長い一日が終わる。

摘出した子宮筋腫は350gだったという。








腹腔鏡下子宮全摘出手術 当日

2012-06-19 18:41:19 | 腹腔鏡下 子宮全摘術


6月18日<月曜日> 腹腔鏡下子宮全摘出手術 当日

ここに暮らしてすでに5日間が経とうとしている。
今はどんなきれいなファッションビルや、おいしい食べ物屋さんより、
ここが一番落ち着く、安心できる場所になっている。
「安全地帯」といえばいいのか、
信頼できる人たちに見守れていて、
誰一人私を傷つけないところであるような気がする。

そろそろ手術当日のことを振り返っておこうと思う。
昨日まではもう思い出すのさえ、心ためらい、辛かったことだったけど。
今日でやっと過去のこととして、語れるそんな気がしたからだ。


6月18日の手術当日。
朝6時過ぎた頃、
白衣の看護師さんが浣腸を持ってきてくれた。

「すぐにトイレに行きたくなると思いますが3分間は絶対に待ってくださいね」

私は、3分きっちり待ったらすぐにトイレへ。予想外というべきか、想定内というべきか、
液体だけが便器にいきおいよくこぼれ、私はしまったと思ったのだった。

7時からは点滴。
私は急いでパジャマを脱ぎ、水色の手術着をまとい(着物のように4カ所を紐で縛るタイプ)、
携帯された紙パンツをはき、緑色のベストを着用。

点滴をしてもらう前には全ての準備が整って、窓の外の雲の流れをずっとみていた。
その日の空も、昨日と同じく灰色で、雨が落ちいたかどうか、病室からはわからない。
おそらく今にも落ちそうな気配だったと思う。

7時30分。
点滴をもって看護師さんが現れる。
それまで、「アルイネードウォーター」という栄養ドリンクを2本補給。
スポーツドリンクにフルーツジュースが含まれているような味。
200~300mlを飲んでも1時間程度で胃を通過し、
アルギニン・亜鉛・銅などといった手術時や傷の治りに必要な栄養成分がこのドリンクには含まれるという。

さあ点滴だ。普通点滴を入れる時には、たいてい失敗されることが多いというのに、
その日、何か事を起こすたびに「よいしょっ」と
独り言のかけ声をかける、ちょっとだけあひるさんに似た色白の(中堅の)看護師さんは、
慎重に何度も腕をポンポンと叩いて、血液の流れを確認して、
「動くのよ、この血管ったら、あら」
といいながら、潔く血管の上をゴムのように曲げられる針で貫き、上手に点滴をいれてくれた。

Iphoneで音楽を聴きながら、出発前のブログを書く余裕がまだ私にはあった。
そこへ、夫が到着。


9時5分前。
エレベーターであひるの看護師さんと一緒に5階の手術室まで行く。

扉があくと、同じく9時に手術する女性が対面で座っていて、その人も安定した表情で笑みを交わしあった。

あなたの名前は、誰ですか。なんの手術でここへ来られましたか。
とマニュアルどおりの質問を受ける。
「○○○○です。腹腔鏡下子宮全摘出の手術できました」と正確に私は答える。

9時
「用意できました」と、いう声で手術室の扉があき、私はいさましく手術室に入る。
不思議と緊張はしなかった。

佐伯愛先生が、眼鏡の奥でやさしく微笑まれていて、私は
「よろしくお願いします」と頭を下げ、横を過ぎる。
佐伯先生の後方に、大野木先生がたっておられた。
やはり同行の医師は、松本部長ではないのかと、一瞬、落胆。

「はい手術台にあがって!」
自分の力で手術台へ上がる。

勇気ある~!と
拍手したいほど勇ましい私である。
手術台は狭く、大きな丸い電気。
手術室の景観はじっくくりとみる余裕はなかったが、
魚肉冷凍室のようなメタリックで、
ひんやりとした壁で一面が覆われていたように思う。

「はい麻酔がかかります。ねむたくなりますから、眠くなる前に大きく深呼吸。麻酔が入ってきました」
そういわれるのを聞きながら、麻酔にかかってしまい、
そのまま臓器も、停止状態となった。

11時40分
「○○さん、終わりましたよ。目をあけてください、わかりますか」
という看護士さんの声だ。
私は少し目を開けたが、そのまますぐに閉じ、次に目をあけると、見覚えのある部屋。
1214号室だった。

母と夫が、ニコニコ笑ってどう?といった表情でこちらをみていたと思う。
私は部屋の清潔な匂いと、いつもの代わらないよく知っている母と夫の姿に安心して、うつらうつら。
思い出したように目をあけては、閉じる。
再び目をあけては、見渡して、また閉じる。

意識が朦朧としていたいせいで、あまり痛みはわからない。

ただ、酸素マスク、心電図が指の先につながれ、痛み止めの点滴につながれ、
お腹の管(腸の汚物が流れるドレーンという名の管)、それから尿の管につながれていた。
おまけに、血栓予防のために足のマッサージ機、
(ビジネスクラスの飛行機に乗った時に受けたようなマッサージ機)
につながって、眠ったり起きたりしていた。


「そろそろお水を飲んでみて」。
けれど、吐きそうな気がして拒否する。

「じゃあ、今度は飲んでみようか」

案の定気分が悪くなり嘔吐してしまった。

痛み止めの点滴のせいか、不思議なほど痛みは全く感じられない。
でも息をするのも苦しく、しんどいような、ぐらぐらと不安定な感覚に襲われ、
それが怖いので、やり過ごそうと瞳をすぐに閉じる。

「そろそろ私、会社に行きます」と夫の声。

瞳を閉じる。

「じゃあ私もそろそろ、いても何もできないし…」と母。

いったい今は何時なんだろう。
夕方なのかしら、と思いながらまた眠る。

1時間おきに看護士さんが来て、血圧と体温を正確に測ってくれる。
誤って、点滴をさしている腕を下にしてしまい、
何度もピーピーと点滴の機械から音が漏れ、
そのたびに看護婦さんがナースステーションからすぐ走ってにきてくれる。

そうやって昼の12時から翌日の朝まで過ごす。

いざ、手術へ!

2012-06-18 08:45:46 | 腹腔鏡下 子宮全摘術


あと、30分以内に出発だ。
窓際の一番隅の椅子に腰をおろして、
ハワイアンのミュージック「ハパ」を聴きながら

今日も曇った空をみあげている。

朝は5時半に起きて、
ゆっくりと洗面。
それから、昨日よるに寝るとき飲んだ
睡眠薬と、下剤の、あたまでぼんやりしながら身支度。
それから浣腸をして、衣服をきて、点滴。
「血管が動いやすいですね。う~む」と難しい表情をしながら細い腕をみていた看護師さんが、
ぐさっと、一発で入れてくれたのは驚く、と同時にありがたかった。

この看護師さん、誰かに似ているな、とずっと思っていて
それが、あひるだと気がついて、びっくり!

どうりで、親しみがあるわけだ。
途中、水分補給の、ドリンクをのむ。

準備はOK!

いってまいります。
新生な私になるために