6月20日(日曜日)
東京に行くたびに、行ってみたい場所があった。東京・鶴川の「武相荘」である。
何度となくNに提案したものの、20代の娘にはどうも刺激に乏しい場所のようで、首を縦にふらなかったのだ。
昨晩、ホームページの写真をみせて、白洲次郎氏と正子氏の夫婦について少し話すと、「併設にカフェも、レストランもあるのね。どらやきがおいしそう!」と同行してくれた。
新宿から小田急線で鶴川まで。駅を降りるとむーっとした梅雨独特の暑さがたちこめており、あんまり暑いので駅前のアイスクリームショップでマンゴーアイスを買い、出発した。
バスという選択もあったが徒歩20分のコースを選ぶ。ここへ来て周辺が山に囲まれていることに久しぶりにホッとした。東京は山がない。
汗をふきながら住宅街を歩く。途中、老舗の寿司屋「六山」にふと眼がとまった。暖簾のかかり具合からして、その佇まいからして、う、うまそ。これはいけるに違いないとピンとくる。「ダメよ」とN。日傘をさして先へ急ぐので後を追った。
敷地に足をふみいれた途端、明治期の家がもつ重々しい佇まいと、艶めかしく曲がりくねった樹齢の木々に迎えられた。
ここが武相荘(ぶあいそう)の入口。
正子が30歳の時(1940年、昭和15年)に購入。この時、白須次郎と正子夫人が過ごした、「鶴川の家」である。草がぼーぼーと生え、左手奥には竹藪がみえる。
入ってすぐは屋外カフェテリアになっており、次郎が最初に乗ったクラシックカーの「PAIGE(同型車)」があった。向かいには、階段をあがってバーになっていた。
草刈り作業のためか耕運機、氷好きだった正子が使ったかき氷機も。
昼時だったので、苔や雑草がはこびる石を配した庭を過ぎて、白壁の古民家「武相荘」のレストランへ。
静かで広々とした古木の匂いがする室内。瀟洒な内装。審美眼の届いた古時計や絵画、置物、ステンドグラスの窓に心奪われながら、奥のテラス席へ座った。
先に来ている人々は、年配のご夫婦連れや、おじいちゃんとおばあちゃと息子夫婦、孫などの家族連ればかりが眼につく。
少なくとも、若いカップル客や女子連れがいなくてホッとしたし、とても落ち着いた。良い空間。
喉が乾いたので、小豆島のオリーブサイダーをいただく。これが爽やかで、実においしかった。
次郎が愛した「海老カレー」(1600円)。
母の兄である叔父がシンガポールに行った際に友人の家でごちそうになり作り方を教わったというレシピ。給仕する女性スタッフが「付け合わせのキャベツには、ドレッシングがかっていません。次郎が野菜嫌いだっので、カレーライスをかけて召し上がったそうで、そのまま再現しています」と説明してくれる。
カレーの飯にしては、やややわらかく、水分多めに炊かれていた。ぷりっとした粒大のむきえびがごろごろと入り、辛くおいしいカレーだった。私たちの座ったテーブルのちょうど真横に、食器棚が置かれている。その中の、次郎の愛用者であるビールジョッキに目がとまる。
温かく、まるみがあるラインのカレー色のジョッキ。口をあてるところなど、しっとりと穏やかな飲み口でよい器。
ほか、紅茶ポットやティーカップなど、良い調度品をみながらの食事は心が豊かになるようだった。
レストランを出て、茅葺き屋根が庇をたれる「鶴川の家」へ。
正子が30歳の時(1940年、昭和15年)に購入。買った当時、百年以上も経ち、荒れ果てた農家だったそうだが、「土台や建具はしっかりとしており長年の煤に黒光りがして、戸棚もふすまもいい味になっていた」と正子は書いている。
木造平屋、漆喰壁に間仕切りは引戸である。四つの部屋が田の字のように、少しズレて並んでいる。
入ってすぐは、どっしりとした皮張りのソファの椅子(4客)と大きなテーブルを配し、味のあるランプが、趣を添える。
絨毯や漆喰壁に浮かぶ絵画などにも、日本家屋の中に洋の粋が溶け込み、夫婦がいかに欧米の生活をうまく取り入れていたかわかる。
書斎には、夫婦のたっぷりの蔵書。縁側の10畳とその隣の15畳には、正子好みの和食器や氷を食べるガラス器、蕎麦ちょく、そして夏の着物が展示されていた。
わたしが、ハッとしたのは書斎の奥の北側にしつらえた小さな空間だ。
普通なら、衣装部屋となるところを正子は執筆の部屋にしていたようで、東西の壁にそって本棚を置き北の窓にむかって、卓を設けている。眼線の先は鉄格子の窓だ。お尻を下ろすと、足を入れられる、掘りごたつがあった。そこに立つだけで、正子の気概というか、眼鏡の奥から光る真剣な眼が、まるで見えるようだった。モノ書く人の部屋だ。正子はおそらく、ここに座った途端、音も匂いも全て消え、日常のしがらみからも解き放たれ、とてつもなく自由な心を得たのだろう、と思った。
いいな、素晴らしいな、と。ピンと張り詰めた正子の気配を感じる。
わたしの部屋の書斎にも、若干はある。よく似た緊張感が。追い詰められた空気が。
夫婦が旅した欧米文化の洗礼によって、目利きの届いた本物の美に囲まれて。
格子引戸と障子で、ほどよく視界を遮る構造も見事。 縁は広く、南側には樹木の緑があふれていた。
「前の持ち家が植木が好きだったので庭には木の花、草の花が四季を通じて咲き乱れ、山には女郎花、桔梗、リンドウが自生し、谷にはえびね蘭や春蘭が至るところに見いだされてた」(鶴川日記より)とある。
帰りに、武相荘をぐるりと囲む雑木林の丘陵を歩いた。竹藪は健在。山あじさいや鉄線の咲く花くところに小さな石仏が、ちょこんと立ち、主のいない古家をじっと鶴川の家を視ていた。