月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

シャンソンの降るある晩と、その翌日のこと

2015-01-23 00:25:26 |  本とシネマと音楽と



先週半ばから難案件(株式会社日本ビジネス出版「環境ビジネス」の取材記事作成)を抱えていて、
テープ起こしをしても3割程度しか理解できず、どうにもこうにも1行の原稿が書けないというちょっとした恐怖と絶望の淵にいた。

頭の中は覚醒していながら、どこか諦めモード。
まるで苦手な数学でも前にしているかのような気分であった。(苦手なことは努力をせず避けて通りたい性格)
それでも自分が怖しいのは、最後にはなんとかなるだろう…と年の功からそして経験からくる開き直り。

取材内容もテーマも、道筋も、知識がなく。また資料を読んでも頭からポロポロと消えてなくなるよう。
少しだけばらしてしまえば…「太陽光発電市場における再生可能エネルギー電源(バイオマス、pps、風力、地熱、中小水力)など総合エネルギー企業を掲げる某社社長の見解とトータルソリューション。
あるいは市場におけるこれからの見通しを、記者の視点で述べるという記事づくり」だった。

しかも、専門的すぎる内容のため、
東京から環境ビジネスの編集トップの方がインタビューをしてくださったという異例中の異例で(自分で取材しない記事作成は初めて)。
もらった日程も3日ほど。
そんな最中に出掛けたのが、これ。

や、やばいんじゃないの。月曜朝一に入稿できるの?

そんな自分を客観視しながら、
それでも、約束はしたのだから、気になるし、突然友達を誘うのも気がひけて
主人を誘って出掛けたのである。









「シャンソンのソロ・ライブ」人生は一度だけー。

ちょっとした縁から昨年2度ほど仕事をご一緒させてもらったライター(兼シャンソン歌手)海江田文さんの、20年を祝うステージ。



「主人とともに伺います」とメールをしたら
1番前の上席を確保してくれていた。


シャンソンを始めて聴いたのは、15歳の頃。金子由香利さんの「銀巴里」でのライブアルバムから。
(なぜ中学時代に聴いたのかといえば、私の当時(中学時代)大好きだった歌手が、金子さんが好きでよく聴いている、というインタビュー記事を読んだのがきっかけで私も辿り着いたのだ)。

それからエディットピアフや、リュシエンヌ・ボワイエ、ギュリエットグレコ…。それにジャン・ギャバン。
有名な曲は、少しは知っている、その程度の知識。
だけど、シャンソンの世界観は好きだった。映画や文章からの影響もある。

クラシック時代のフランスの空気感は、ポーランドの映画監督クシシュトフ・キェシロフスキや、
フランス映画でお馴染みの
フランソワオゾン、パトリス・ルコントなどが、とてもとても好きだから。
独特のモノクロのそういった映像は自分の中で描ける

ライブは、実に素晴らしかった。




第2ステージは、1番前の席だったこともあり少し緊張して、その場の雰囲気にのまれて、音質がまっすぐに入ってこなかったのだが。
第3ステージ目からは、完璧に唄とピアノが自分の中に溶け込んでいった。

赤ワインをぐびぐびと飲んでいたのだけれど。
まるで、雨と霧に煙ったうす暗い晩に。ふと立ち入ったパブで、氷のたっぷり入った冷たいウイスキーを飲みながら、聞いているほどのリラックスした気分に。最高だ。



梅田のシャンソニエ ジルベール・ベコー。
すっかり、想いはフランスのパブ、

そして、降ってくる、どんどん降ってくるシャンソンの雨が私の体の中で旋律となって、心に響いてきたのだった。
こんなにも贅沢な、泣きそうになる心地よい時間って。
本当に久しく忘れていた。
海江田さんの声は、深く心に沁みる包容力のある大人の声。
やさしくて、コミカルで。それにドラマチック。まるみがあった。


特に、グレコの「街角」。
マレーネ・デートリッヒのナンバーで「ベルリンのスーツケース」、「ブラックマーケット」、「イリュージョン」。
そしてセルジュ・レジアニの「ウイスキーは水に」。
セルジュ・レジアニは確か男性のシンガーなのだけれど、
彼女の唄のほうが私はこの楽曲にしっかりとよく馴染んでいるように思うのだった。




帰りには、少しお腹がすいたし、ワインも飲み足りなかったので、近くのお初天神にあるサルヴァトーレクオモでピッツァとワインを飲み直して帰宅。

家に着いたらすでに日は変わっていて、さぁ仕事と思ったら、娘がすでに帰宅していて、一緒にお風呂に入り1時間半も浸かりながら恋愛のちょっとした相談を聞いて。
頭がフリーズしそうになったが、気をとりなおして2時から朝6時まで原稿を書く…。

翌日は、1年ぶりにお寿司の宅配をオーダーしてしまった。
(上盛り合わせと赤だし)
夕食を作らなかったので、なんとか翌朝2時半に一旦は仕上がり、それからお風呂のなかで推敲。
朝5時まで手直しをして、
2時間仮眠を。
朝11時になんとか提出できたのであった。

その翌日からはいつものペースでの仕事に戻る。
レギュラーでのよくわかる内容である。ほっとするなぁ。新鮮な気分。

これからは、あまり手に負えない内容の仕事を依頼されたら、
やはり慎重に受けなければならないのである。

専門誌での仕事はやっぱり怖い。

今回はいい記事を書く、どころか。終わりまでたどり着けるのかどうか…。それすら危うかった内容。
そんな綱渡りの仕事…はこれからどうしようか。
資料を5本。どうにかネットと本屋で見つけたから参考にして、ある程度のかたちになったが、インタビュー内容と会社案内では、どうにも書けないような。

しかし、シャンソン。
シャンソンはいい。やっぱり。ライブはしびれるなぁ
このライブをきっかけに、もう1回あの頃に戻って、シャンソンに、はまっていきそうな予感。

原点回帰。

2015-01-09 23:48:47 | 春夏秋冬の風



新年あけましておめでとうございます。

ようやく、この新春の寿ぎを伝えることができた。今はそれだけで、ホッとしている。

例年なら、やれ年賀状だ、おせち料理だ、正月準備、初詣と
次から次へとお正月の行事を、波乗りの心地で乗りこなすうちに、
もう1月半ば?というのが常であった。

それが、今年は昨年(2月)祖母が103歳で亡くなったこともあって、
年末ギリギリになっても、
年賀状を作る気になれず。

お正月準備をしないで、大掃除だけなんとか済ませて
大晦日には兵庫県の北の果て、私の実家に帰省した。

心と体にぽかーんと隙間があったのだろか。
こともあろうに、1月1日(木曜)朝、布団から出た時すぐ咳が「コホンコホン!」と飛び出したのだ。
まあ、古い日本家屋の大広間に寝ていたのだから、致し方ないわ。
と最初は気にも留めていなかったのだが。

日が進むにつれて、本格的な風邪に。
3日の夜には熱が38度5分。
早々に西宮の自宅にひき戻って、生まれて初めての寝正月というのを味わった。

熱があるときはと、荒療法的に、熱々の風呂に長時間浸かったりしたのも、
これまた、あまり良くなかった。
ますますひどくなって、もうこれは…と諦めてぐっすりと寝込むことに。

「浄化、浄化!」
そう思いながら、焦ることもなく、なんにも考えずにお正月の第1週を
正々堂々ぐうたらに過ごしたのである。



それでも、もう9日か。いよいよ復活せずにはいられない…。

今日は前髪を自分で眉の上まで切り揃えて、
昼っからお風呂とシャワーを普段どおり1時間半くらい使って十分にとる。体は2回洗って、顔は3回洗った。頭も2回流した。

そして、ご近所の友達の家に白菜やら昨年読んだ本やらを届けて、
15分くらいおしゃべりをすると、ようやくまともな人間らしい生活が
戻ってきたようである。
1月の5時の空気。
まだこれから夕方がやって来るというのに、すでに真夜中の冷凍庫のように乾燥しまくった冷気が郊外の住宅地には横たわっていた。



さぁて!!
今年は、一体何をがんばろうか。
年齢を経るにつれて、どうにも守りの体勢に入っている自分を感じずにはいられない。出し惜しみ、というのか。いつのまにかセーブして生活をしている今日の私なのである。

今年は、とことん!やる!を目標にしようかな。
どうせ、ガムシャラに生きても1年は365日しかないのだから。
そうして、10年も生きたら、もう結構な年齢になってしまうのだから。
それとも、こうやってのらりくらりと目標など決めずに、淡々と生きていこうか。




ここに2枚の写真がある。









娘のアルバムをひっくり返すことはあっても自分のそれを探すことはなかったから、それこそ必死で探したら、こんな自分が登場したのだ。

誰? それはまぎれもない私の姿なのだった。
(1番左側)


「ありのままに」というメロディが流行っていた昨年、
年に3回通っている、コーチングのワークショップで、
自分の5歳くらいまでの写真を見つめながら、その当時の自分(ありのままの自分)をしゃべるというトレーニングがあったのを、ふと思い出す。
元々の自分が、いろいろな環境下のなかで変わっていくことは必然であり、
決して悪いことでもないし、それがまたもう一つの自分自身だと教わった。

ただ、元々の自分を決して忘れてはいけないというような、話があったように記憶している。




ものすごい勝ち気で、ぎょろりとした大きな瞳で世の中を見渡している、生意気な小娘がそこにいたのである。
明らかに隣のかわいらしい女の子とは違っていた。
決して、素直なタイプじゃない。
大人たちがあれこれとささやく会話を、斜めから傍観しているような、気の強い子。

幼い私は、山陰地方の旅館の1人娘として、おませで大人びて、
お客さんが大勢いる前で、堂々と、山本リンダを大熱唱するほどの、
根性のある、そしてサービス精神旺盛な子供だったのである。
すっかり忘れていた。

そして、一番はまった文学(文学に目覚めたのが)小学校5年、
フランソワーズ・サガンの「愛と同じくらい孤独」




それからは、よくわからないままに小学時代にサガンやリルケやゲーテを読破した、ほんまにマセまくったいけすかないガキだったのだった。

いつからだろうか。
優しい、人の良い、
ぼんやりとした個性のないよく微笑んでばかりいる女性になったのは、いつ頃からだったのだろうか。
中学の高学年くらいからかなぁ。それとも大学時代かなぁ。

濃いオレンジやひまわり色、エメラルドグリーン色が好きな私が、ベージュや薄黄緑色や、
うすいパープルを身にまとう女性になったのだろうか。

原点回帰、ではないけれど、
ありのままの自分を、ひょっこりと、思い出してもいい頃なのかな。
そのために、そのために。今年は昨年よりも、もっと孤独でいる必要がある。