月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

パリ紀行 (その1) 黄色いネオンだけが街を包む、大人の夜・パリ

2015-07-27 00:32:32 | 海外の旅 パリ編



関空を出国したのは、お昼の1時過ぎ。
今回の旅は、娘のNと2人きりなのだった。
エールフランス。
飛行機の乗り込みを待つ間、私たちはそれぞれ、日本へ置いてくる夫と、
娘は出来たばかりの彼氏に、

「じゃあ、行ってきます。元気で帰ってくるからね。…」と

別れの挨拶を、10分ほど交わして(iPhoneを通して)
晴れて自由の身で、飛行機のシート深くに体を預けたのだった。

白くほわっほわの雲の上にぽっかりと顔を出すと、
青い空はもっと明度が高く、太陽の光をまっしぐらに浴びて、ひどく鮮明なブルーに思えた。
海よりも、ずっとずっと明るいブルー。その明るさは太陽の光が近いからに違いない。
雲を下に見る別天地。
旅立つ時、私はいつも、この光の世界に心を奪われる。

そして、旅立つ時は、こうも思う。
まるで家出娘だ。

昨日までの自分を脱ぎ捨てて、不安と不安、期待に打ち震えるいい気分に、この日もそれなりにワクワクしていた。


まず、エールフランスのこんな機内安全ビデオにしびれた。
CMも素晴らしかった。

日本にはない、型におさまらないハイレベルなセンス


機内では赤ワインと白ワインを1本ずつオーダーして、
2本のヨーロッパ映画をみて、ワインとチーズとパンのおいしさに満足し、
ミラン・クンデラ「存在の耐えられない軽さ」を読み返して12時間過ごした。




パリのシャルル・ド・ゴール空港に到着したのは夕刻の時間。

市内への道は、混雑していた。
灰色の雲が垂れこめた、重く厚い雲に覆われた空。

ハイウエイは、ヨーロッパもアジアもそう変わらない。
車窓からみえる、看板もホコリを被って、まるでアジアのように薄汚く見えた。


市内に入ると、道は渋滞していてずっと向こうまでトラックや自家用車が続いていた。
道幅の狭さのわりに、のっぽすぎる洋館は
カッターで切り落としたように同じ位置で止まっている。そして、おそらくアパルトマンや商店、ホテル、シャッターを降ろした雑貨店が何軒も続く。

私とNが最初の滞在で宿泊するのは、 オペラ座からほど近い地下鉄カデ駅から徒歩3分の「トゥーリン」というプチホテルだ。

「もうすぐ着きますよ」と
知らせてくれた声で再び我に返って窓の外をみると、パリの街はすっかり排気ガスの混じった夜の霧がたちこめていた。
浮浪者のような格好をした男達と、黒人、女たちがあちらこちらで騒いでいる。
ここがオペラ座付近とは思えない不良っぽさが醸す雰囲気。
パリは私が思った以上に大人の街だったのだ。










青いとばりに、黄色っぽい光だけが薄気味悪く光る。

日本の夜は、コンビニの明るすぎる蛍光灯をはじめとして、赤く、青く、緑や。オレンジの色の波が渦巻いている。
興ざめすぎる夜はいつまでも眠らない。

アールデコ調の黒いテラスで統一された石の建物が、ぶきみに高すぎるのだろうか。
パリの晩は、まだ9時だというのに。狭い道路にひしめく建物群が光のなかに影のように覆い被さって、迫ってくる街だった。

時々、きれいなワンピースを翻して歩くパリジェンヌにも出くわすが、
たいていが不良の男女がたむろしている姿が印象的だった。

ホテルに荷物をおいてシャワーを浴びると、私たちはカフェに繰り出した。




ある恋のはじまりと終わりをみていた私のせつなさ

2015-07-25 17:10:33 | 今日もいい一日







私は人に対しての想い入れが強すぎる。

その人の人柄を、その個性や人間性を、こんなにも強く想い入れてしまう癖が私にはある。
だから、失った後に、愕然とする。落胆する。
まるで自分が失恋でもしたかのように。

その人は娘の彼。娘が生まれてはじめてお付き合いした彼氏だった人です。

その話を聞いてしまった後では、砂を飲み込んだような重い気分になり、今はどうしていらっしゃるだろうか、と考えると、仕事も手につかず。
ごはんの味さえも不曖昧になり、こうしてやり切れない想いで何日も、何日も過ごしているのだ。

自分で、バカじゃないかと想う。自分の人格を、その薄っぺらさを疑う。

だけど、昨年9月からずっーと、デートから帰るたびに、彼氏とのエピソードを物語のようにして聞かせてもらうのが微笑ましく、ホッとするひとときなのだった。
10カ月間、ずっーと恋人たちの奇蹟を同じように側で辿ってきたと、思う。

娘とのパリでの一時も、片時も忘れずにその話は続いた。

最初は、今の若者ってこんな考え方をして、こんな人風に人を愛するのか、と傍観者のような心地で客観していた。

いや、それは嘘。正直に言おう。
娘が留学を決めた時に自身のイギリス留学の経験を元にカードの使い方など実質的なことを教えて頂いた時から、この人は普通の大学生とは違うな、
とある直感が走ったのだ。

まず娘を通して聞く、飾らない素朴な人柄と、
一度決めた事はがむしゃらに突っ走る所も、好感が持てた。
ひたむき、に。ただ一途に。子どものように無心に、
娘のことを24時間、考えてくれている所に、親として安堵したし、感謝した。



(おそらくライターである私は、彼の放つ光る言葉の中に、信頼を寄せていたのだと想う)。

何度かメールで往復書簡をしたし、
サークルのコンパで遅くなった時、
「私が付いていながら申し訳ございませんでした」と、私に電話もしてきた。

出掛けた時は、娘とともに家へのお土産も絶対に忘れなかった。

彼女がバイトの際には「いってらっしゃい」「お帰り」と声をかけてくれ、
早朝の時には同じように起きて、「いってらっしゃい」といい
レポートがあると深夜まで一緒に起きて励ましていただいたことも。
そして、娘と会った日には、私の車に乗るまでは、自分の責任範疇だと心配してLINEでずっと見守ってくれていた。

「帰るまでは何があるか分からないから、絶対に電車のシートで寝ないで。
寝そうになったら吊革につかまっていて。僕がLINEで相手しとくから。だから寝ちゃダメだよ」と言ったそうである。


その優しさ、その持って生まれた行儀の良さ、愛情表現の豊かさに、最近の若者も捨てたモノではないな、と。
私にとって、あまりに新鮮な事柄や心に残る一言を「○○語録」として記録してあるほどで。
何のために、とビックリする人もいるだろうが、記録せずにはいられなかったのだ。

言葉がきれいで、絶対にええかっこしない人だった。

人が人を想う、ということがこんなにも純潔なのか。改めて人生は素晴らしく、人は貴いものであると、まざまざと知ったのだ。
だからこそ、娘の交際を見守ることで、私達夫婦の関係も、もう一度、純粋に見直していきたいと、心から思ったほどである。

だから、今、娘がその人を
「こんなに子どもっぽすぎる所があったのよ。ほんまに私以外のことはいい加減で」
と話しても、びくとも心は揺れない。
だからこそ、あんなにも、娘にのめり込む事が出来たのか、と理解し、それも含めて
親以外に、娘のことを心から心配してくれた人を失ったことを嘆く私がいる。

「今度こそ、本当に好きな人と付き合ってみたいの。あなたの事は、まるで身内の1人みたいに好きだったけど、それ以上にはどうしてもなれなかった」

そういって、娘は
1人の男を紙屑のように、(いやそうじゃないかもしれないが)縁をよく断ち切れたものだと感心する。

それも、まだ2度しかデートしたことのない人の一言で。(41回の逢瀬の人より信頼をおいたのだ)

勿論、頭では分かっている。
相手の想いが強ければ強すぎるほど。そのバランスがとれていない関係だと
他者にとっては重くのしかかって、しまうことも。
自分の心に素直に生きてみたくなることも。よく理解している。
だけど、あまりに切なすぎる。


じゃあ、彼はなんのために。なんのために1年近く娘のために情熱をそそぎ、
もっと今より愛してもらうために、純情を尽くしてきたのかと。
心を開放し、自身を解放し、自分の弱さや愚かささえも娘の前に全て伝え、さらけ出すことが、それが「男の誠実」だと思っていた
人の気持ちはどこへ向かえばいいのかと。
どうしても感情移入しすぎてしまうのである。

「ほんまは、僕がどしっと構えていられたらいいんだけどね(笑)。
でも、大した人間じゃないから、かっこわるくても心狭いって思われても、せめて君だけは守りたいんよ」
あの日、あの時の言葉が、風に吹かれて舞い上がる。 

彼女はなぜこんなに母である私に全てをぶちまけてくれたのだろうか。
どうしてくれよう。

切ない。人が人を想う気持ちというのは、胸が締め付けられるようで切ないのだ。







祗園祭フィナーレの晩

2015-07-24 21:56:08 | どこかへ行きたい(日本)


祗園祭のフィナーレを飾る「後祭」に昨晩出掛けました。

今年、京都は初参戦。(信じられないけれど)。


まずは八坂神社に、昨年の「長刀鉾」「菊水鉾」をお返しにいき、それから、一度いってみたかった安井金毘羅宮に
参拝。

ドロドロの気持ちも少しばかり清められて、夏の京の宵を歩く。

だんだん愉しくなってきた。
いい調子、いい調子。

友達と、明日は土用の丑だから、鰻を食べようと誘い、
「祗園 う」へ。






店を出ると
闇は一気に広がっていた。
祭だ、祭! 



















夜9時、烏丸界隈は若者が引き上げた後で、すっかり大人仕様。

深い夜の海のなかに、鉾の提灯や日本美術の装飾品や絵巻が幻想的にふわり、ふんわり、と紅色に浮かび上がり。
屋台もなく、人通りもまばらな名残のお祭り。

時折、思い出したように10基の鉾から古典的な祗園囃子の楽曲が奏でられては、闇に消えいる。

風がすっーと自分を流れて過ぎる、こんな古都の風雅は、
私にとって平成の祭のようではなく(もののあわれ)感じられ、逆に心に響いてきました。

大船鉾、南観音山、北観音山、八幡山、
役行者山、黒主山、鯉山、浄妙山、と、、、ほぼ全ての鉾を間近で眺められたのもよかった。

やはり日本の彩は美しい。日本の音も心に沁みる。

団扇の古美術や町内の屏風祭も
観覧できて、男衆たちは酒を飲み交わしている。
「八幡山」のところでは、浴衣姿の子どもたちの「ローソク1本いりますか」が
聴けた。

絵巻物のような幻想的な海を歩きながらも、私の心はある人の事がずっと頭から離れなかった。
むしろ鮮明に、寄り添ってきていた。ああ不条理、切ないなぁ。


さあ、明日からいよいよ夏がスタートする。