月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

ひな人形がお目見えに

2013-02-26 23:02:44 | 春夏秋冬の風

ピアノのアダージョばかりを集めたCDを聞きながら
こうして書いている。スローなテンポのピアノが心地よい。

(ピアノ曲は、リストがいいね。感傷的なところとダイナミックなところが掛け合わされていて
最高潮のところで泣きそうになる、芸術家として自分の全てを注いで一曲一曲を構成している)

先週の日曜日。ひな人形を飾ったら、家のなかが春らしくなった。




ひなあられに、天津甘栗に、八つ橋餅、果物などを飾って…
ひな壇の前を賑やかにしてあげると、心なしか表情が柔らかくなられたような気も。


いつもまっすぐを向いていらっしゃるようだけど、
時々、こちらを見ていられる視線を感じる。気のせいだろうか…。

一年に一度、お目見えになるおひな様。
(この家は毎年同じような生活をしているなあ、拝見していて懐かしいけれど、まあ成長のないこと…とお笑いになっていらっしゃるに違いない)。
せめて、ひな人形がお目見えになっている間だけでも
シャッキリとした姿をお見せしたいものである。
明日は桃と菜の花を買ってきてあげよう。

ここしばらくは、ずっとうちの娘がリビングで勉強をしているので
本当に私は家政婦のような生活が続いている。

どこにも行かず、ただひたすら3度のご飯をつくって
朝に掃除機をかけて、
あとは遠慮がちに仕事をしているくらいである。

「いつまでこの状態が続くのかな…」「うちに春は来るんかな」

とポツリこぼすを聞いて
大丈夫、いつかは区切りがつくわ、と励ましながらも、
ゆっくりと平穏な日常を、淡々とおくっている。

もし、これからいつのまにか春が来て
電車で何時間も揺られて忙しい大学生活を送るようになれば、
こんな日々も懐かしく思いおこすことになるのかもしれない。
きっとこんなに目と鼻の先ほど近くにいられる日々は、
一生のうち最後なのかも、そう思って
この生活を大事に過ごしていこうと思う。

ああ全くもって最近は仕事に身が入らない日々なのである。
新聞を読んでいたら、大阪城の梅や京都の梅がほころんできたそうだ。
また、香りのいい季節がやってくるんだ。







仕事において、なんか面白くないなあ、という疑問の目を持とう!

2013-02-19 23:58:12 | 執筆のおしごと(主な執筆原稿、最近の公開できるもの記録)


今日は寒い一日だった。午前中は雪が舞っていて、午後からは冷風が漂い、2月らしい天気だった。

昨年から、ちょっびり大御所のデザイナーさんとお付き合いがあり、
コピーのほうも慎重に対応をしている。
たとえば、今やっている案件のなかで、ものすごく暑くるしい感じの商品ばかりが羅列されている
商品パンフであっても、その人の手にかかれば、見事にスッキリ。
簡素で、余計なものは何もない。
けれど、それが逆に信頼できるような商品ブランドのように思えるし、
垢抜けてみえるのだ。
スッキリ力はすごいなあ。
「佐藤可士和さんの仕事の整理術」、の内容がふと脳裏をよぎった。

デザイナーさんは、センス勝負。
その裏側にまわると、さまざまな計算が働いているのかもしれないが、
そうみせない所がうまいなあ、と関心する。

あたかも、それが正しいデザインの配置、
正解のように見えてくるのだ。コピーにもデザインにも限りなく正解に近い答えはある。

だから、コピーもできるだけシンプルに
必要な言葉だけをしっかり選んで書くように努める。

話がだいぶ横道にそれるが、昔、ある方に、
「あなたは上についている人が悪すぎる」と大きな声でなじられた事があった。
そんなものかしら、
と当時は思ったりしたが、その方の持論によると、自分よりも上の人や尊敬に値する人の下で仕事しないと、
ひとはそれ以上に伸びないし、向上するチャンスを失うということらしかった。
「いいところまでいっているのに、なぜパッとしていないのか分かる?」ともいわれた。
そんなものかしら、ふん、(谷崎潤一郎的なふん、のあいづち)と思ったものだ。

同じように(というべきか)
誰と一緒に仕事を組むか、というのも、結構影響されることなのかもしれないね。

自分が刺激されたり、気付き力の高い人はいいなあ。
ユーモアのある人、ほっとする人もいいなあ。
ともかく私は「人」大好き人間というか、
人の長所を極端に好きになるタイプだから、たいていは大丈夫なんだけど。
<今のところ、つまらない人とは組まないのでラッキーなことであるし…>
少なくとも、あの人とだけはもう二度と組みたくないと、思われないように
心に深く刻もう。

もうひとつ、今日、コピーを書いていて思ったことだ。
ひととおり仕上げた後で
(まあ、悪くはない。でも、当たり前のことばかり書いている。
なんか面白くないなあ)
ということにふと気づいて、書き直した原稿がある。
そして、訂正したあとで、ああ気づいてよかったと胸をなでおろした。
危ないところだった。
何か面白くないなあ、的な視点は、絶対になくしてはいけないと、
これまた深く心に刻もう。
自分の原稿は信じてはいけないのである
(このブログも含めてかしら?)






カレーつけ麺を初体験

2013-02-18 22:40:48 | 兵庫・神戸ごはん



わたしが一番落ち着く場所は、やはりデスクの前なのかもしれない。
ひとの役に立つことを考え、それを自分のことばに置き替え、
表現としてかたちになっていく過程。考えが整理されていくプロセス。
今のわたしには、この時間が一番落ち着く、自分らしい道のような気がする。

先日、西宮北口でイタリアンを食べようと思っていたら、
お昼時にものすごい行列ができていたので、並んでしまったのが
西宮駅北出口から徒歩3分の「番馬亭」だ。

店の暖簾には、手打ち蕎麦の看板があったので
すごい蕎麦打ち職人がいるのかと思ったら、
そうではなくて、カレーうどんや蕎麦をメインにする
若者に人気の店だったらしい。
TVで常連の店だ。

最近では珍しい相席でのスタートとなった。
隣のカップルは、蕎麦のつけ麺カレーをオーダーしていた。
男性のほうは、とんかつ付きである。
メニューも多彩だ。

私は、カレーうどんのつけ麺(\730)にした。辛さは普通。




しかし、これが想像していたよりもずいぶん辛くて驚いた。
辛すぎて、舌が麻痺し、味がよくわからないほど。
周囲の人は真っ赤な顔をして汗をかきながらカレーうどんを啜っている。
それでもせっかくの有名店なのだし、私も必至でうどんを1本ずつ啜る。

うどんの麺はシコシコと歯ざわりもよく、まあおいしい。
スープは、これがとろみたっぷりで和風ダシがマッチ。
そこまではわかるのだが、そこからは残念ながら進めなかった。

後半、そこで同席していた友達のカレーうどんに麺をつけさせてもらったのである。



彼女は辛いのが苦手で、辛さ控えめをオーダーしていたのだ。
おいしい!なにこれ、全然別の食べものみたい。
とろみ加減もまったり。カレー味なのだが、ものすごく腕利き和風職人の
カレースープを飲んでいるよう。
これがブログなどで評判になっている病みつきになる味、というやつなのだろう。
いくらでも食べたくなるし、スープ自体が複雑じゃなくてすごくシンプルな味だった。

ほ~う、と唸る。
隣のカップルは、カレー蕎麦を「おいしい、おいしい」といいながら食べていた。

午後からは図書館と本屋をはしごして、宝塚のイカリスーパーに立ち寄って帰った。

そして、私はなんと、翌日には家族で焼肉を食べに行った。

ほんとうはスーパー銭湯へいく都合だったのが
塾帰りの娘がお腹減った、と騒ぐので、なぜか焼肉店へ。
伊賀の黒毛和牛を一頭買いしている店で、炭火で焼く。



上カルビとレバー、それにホルモンがおいしかった。
時々、安い輸入肉を食べさせる焼き肉屋があるが、
噛んだ瞬間に、国産とわかる上品な甘さが見え隠れする和牛である。
まあ、久々にジャンクな食事が続いたわけで、
その翌朝は、いつもより遅く起きだして
種子島の安納芋をいれた「お粥」の朝食にしたのは、いつまでもないことかしら?

じぶんの、幸せってどこにある

2013-02-14 23:57:50 | 今日もいい一日

幸せの基準は、ひとそれぞれ。
だけど、
私は、私の幸せを探して生きる。
これが大事なことなのである。

こんな、シンプルで簡単なことがどうして、いつのまにか日常に混乱して、わからなくなるのだろうか。

そう、ちょっと
自分の今の置かれている状況を解き放して、俯瞰してみつめてみよう。

どういう風にするのかって?

それは、ある誰かが、今の自分のような立場にたっている人がいたとして、
私は、その人をどういう「視点」(目線)でみつめるのだろうか。

例えば、なにか頭を抱えて悔やむことがあるとするなら、
それらに対して、あなたは心から同情してあげられるのだろうか。


もし、世界中で悩み、嘆いている人がいるなら
鷲の目線にたって、
ものごとをもっともっと押し広げて考えてみてごらん。

あなたの哀しみは、神様が同情に値し、
その人の願いを、何をさしおいても聞き入れて下さるほどの真理なのかどうか…。

ほんとうに冷静になって考えたら
たぶんあなたの今の悩みなど、
たいていガタガタいうほどのことじやあ、ないことが多いのだ。

たとえば私の場合なら、
挑戦したい仕事があり
周りに愛すべき家族がいて、
素直に頑張る子供をもち、
少しの蓄えがあって、
本を読みながら
紅茶を愉しむ時間もあって、
そして自分の思うようにならない事柄を嘆いているなら、
結構なこと、いい人生じゃあないだろうか。

自分の世界をすこし、ひろい角度から広げてみる訓練をすることは、大切なことなのである。
よく心得ておかねばならない。


時間は巡る。
昨日ははや過去になるのだ。



激甚な大気汚染はいつまで続くのか

2013-02-07 23:20:48 | 今日もいい一日




朝日新聞の「ののちゃん」の隣に、ものすごい画像が載っていた。
家の陰影と火山灰のような真っ黒な煙。

肺がんやぜんそくを引き起こす微小粒子状物質PM2・5による「激甚な大気汚染」がなんと一月から頻発していると、発表されていた。

激甚という言葉からも、その凄まじさがわかる。
動物実験のような状況に置かれているという。
3歳の子供はすでにぜんそくが出はじめている。

しかも、一説によると、
「日本からの気流がシベリアへ抜けず、濃霧となって中国へ流れて来た」。
「日本からの気流に汚染物質が含まれており、
汚染物質はすべて日本から流れて来たものである。
中国は被害を受けている」という内容である。

歴史と世論と国の気質が、ごちゃごちゃに混同され、もはや目を白黒させて驚くほかない。

どうしていいのかお手上げだ。


大気って、自然災害に匹敵する問題。


最近、洗濯物を干すことができなくなったし、
ウォーキングも躊躇してしまう。

ああ、いい空気だと表へ出て、思い切り深呼吸ができないとは、哀しいかぎり。みな、そうじゃあないかしら。
もうすぐ梅の咲く時季が訪れるというのに。
黄砂と大気汚染がダブルで、上陸するのか。



中国政府は、窓のすき間をふさぐ対策を呼びかけるよりは、
世界に垂れ流しの大気汚染を、一日もはやく対策すべきである。
人間にとっての生命と直結する、空気と水、太陽、森林。
まず、いちばんに空気なのだから。

それに、なにもこれは中国だけの問題ではなく、各国が知恵を集結してことにあたってほしい。
地球温暖化と、絶対にリンクしているのだから。大気異常は
戦争に匹敵する全地球問題なのである。




体調がいいだけで祝福されているような2月

2013-02-06 22:45:08 | 今日もいい一日

昨日は朝から梅田で打ち合わせをして、「PIANO PIANO」(ピアノピアーノ)で、1,250円のパスタランチを食べ、
ジュンク堂で2時間調べものをして、夕方は別件の打ち合わせをして帰る。

ランチは、前菜の盛り合わせに、いわしのマリネサラダ、サーモンのパスタ、チョコレートケーキ&アイスクリーム添えを。

一人でふらりと入ったわりには十分に満足のいく内容で、

特に鮮度のいいいわしを酢で締めたマリネが美味しかったし、パスタは少量だが、
いい具合にアルデンテされた麺で、
酸味の控えめなトマト味のソースともよく馴染んでいた。
同じビルに入っている「リストランテ・ヒロ」よりも、この日のランチは良かったように思う。



隣で食べていた2人ずれの女性客の、愉しげな会話を傍らに聞きながら、ある友達を思い出し(笑い方が似ていた)、会いたいなあなどと思い、
じんわり孤独をかみしめながら食べる食事も、私らしくて良かった。


すると後半、そのうちの一人が実にキレイな笑顔でシェフに挨拶されているのを見て、
おそらくフードライターか、雑誌・編プロの人かなと。
なぜ、同業者だと思ったのだろうか、どこが他の女性達と違うのかしら、と隣を観察しながらグレープフルーツのアイスクリームをほおばる。
きっと、初対面とおぼしき人にも、全くものおじしない態度や、
まっすぐ相手をみつめて微笑むことができるか、などその辺りじゃあないかしら。

ともあれ、こんなどうでもいいことにも、心が動くようになったのは、私が今どこも悪いところがないからだ。
体調がいいというのは、それだけで幸せなことであるなあ、と今日はつくづく感じた日だった。



どこも痛いところがない、だるいところもない、胸も苦しくないし、足も自然と軽く前に出る。
背筋だって伸びる。それだけで、自分が今生きていることが祝福されているような、
ありがたい気持ちになる。そんな時もあるのだ。

やっぱり、ちょっと大仰ないい方かもしれないけれど。
だって、ここは西梅田のブリーゼブリーゼ。昨年の今頃は、
貧血でハアハアと肩で息をしながら病院に向かっていたのだから。

春は、胃腸も今ほど快調ではなかったはずだし、階段を上がるにも休まずして、一気に駆け上がることができるのか自信のないまま、
鉛のように重い足を運んでいたのを記憶している。

当時は、それほど悲観もしてなくて、まだまだやれると頑張っていた。
たいしたことはないと虚勢を張っていた。

でも、今は貧血もないし、婦人科の疾患もない。
左の奥歯がきりきりと痛むこともない。それになんといっても歯なのである。

昨年までは強く噛むと、違和感があって神経にあたるようなキーンとした痛みがあったが、
今は美味しいものも、思いのままに咀嚼して、体全体で味わうことができる。
食べる幸せは大事なのだ。



ただ、しいていえば、娘の大学受験が心配の種。だけど、大丈夫、これも生きている証、
いつまでも夢がみれるのだと思おう。それに彼女の人生なのだ、私ではない。

2月になって、仕事が順調に入ってくるようになった。
少しまとまった仕事で、春までの納期の仕事がだんご状態に、かたまっている。
そろそろ、スピードをあげないと追いつけないね。

昨年と違って今年は、温かい冬の日が多い。

それも冬の太陽が精一杯照りつけてくれる日が多い、それがうれしい。
体調がいい、それだけで、私は特別に祝福されている。
そんなあたり前のことに気づいただけで、ホントに良かった。