月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

宣伝会議8月号「私の広告論 名久井直子さん」(連載ページ)を執筆しています。

2017-07-28 01:49:02 | 執筆のおしごと(主な執筆原稿、最近の公開できるもの記録)










現在、書店で販売中の「宣伝会議8月号 私の広告論」では、装丁家の名久井直子さんの記事を執筆しています。

今回は、取材は宣伝会議の編集担当。彼女から音声を頂戴して、それを一度自分の手でテープに起こし、そこから記事を執筆しています。
人選で名久井直子さんの名前があがった時から、はやく取りかかりたくてワクワクしたお仕事でした。

彼女の装丁本は何冊か持っていて美しいな、と思っていたのも勿論ですが、装丁家のお仕事を知っているようで
詳しくは知らなかった私にとっては、興味津々。
ですから、イントロでは、そういう私のような読者のために、作家の原稿がおくられてきてから、
出版者の編集ディレクターと打ち合わせし、デザインをしていく過程(プロセス)や仕事の醍醐味を。

また特に彼女自身が印象に残っている仕事を1つ例にとり(ここでは、谷川俊太郎の詩集、「わたしとあなた」)
仕事に対する思い入れの深さなどを中心に書いています。

最後は広告に対してどのように考えるのか、いわゆる広告考で締める!という流れです。

1行に何文字くむのか
余白はどれくらいにするのか。ノンブルの位置、書体選定、花切れやスピンにいたるまで。
本を校正する小さな要素を縦糸と横糸を組むように、自分のセンスを信じて
(作家の思いやターゲットの想定を組み入れ)、緻密に、丁寧に、細部へのこだわりを入れて編んでいく。

名久井さんは、モノをつくることが本当に好きで、工芸作品をつくるように、細部へのこだわりを注ぎ込み、嬉々としてお仕事されています。
御本人も元々絵をかいたり、切って貼ってといった工作することが好きで、
それこそ公私にわたって、誰かに手作りのものを手渡す時でも、同じように懲りまくるタイプのようで、
「脳内で思い描いたデザインがかたちにして残ることがうれしい」といわれていました。


印象にのこったのは、「広告論」のお話になった時、
「最近、比喩表現が減ったなと。「極」、とか「安い」と言い切るパターンが氾濫しているように思う」と述べています。
ストレートにいわずに比喩でさりげなく伝えるほうが、うまく伝わる場合もあるのに、
「好きだ!」のように。直接的な表現ばかりだと寂しい。
広告もしかりで、過去のサントリーのウイスキーの広告や日清カップヌードルの広告のように、
「大人の広告」をみることが少ないと仰っていました。

私も聞きながら、頭をうんうん、と何度も頷かずにいられなった。
素敵な比喩表現って。小説にはあっても広告には確かに少ない。
わかりやすく、ストレートに! 広告という特性上、そのほうが無理なく伝わる!ということもあるとは思いますが、
今、人は急がしすぎるし、SNSも氾濫し、あまりにも情報過多のあまり、急いで言ってしまわないと
相手の時間を奪ってしまう広告は、ゴメン申し訳ないといっているようであり、
ううーーめんどくさっ!となってしまうか。
時代性もあるんだと思いますが、確かに寂しいですね。

本は言葉をのせる舟のようなもの。
デザイナーが言葉に新たな息を吹き込むなら、
言葉は何度でも蘇る、のような感じでまとめています。


文章を書き起こしながら、名久井さん自身の仕事に掛けるこだわり具合が伝わってきて、
すごく愉しく記事をつくることができました。
アッという間、ほぼ1日でまとめて上げています。(周辺の情報収集に半日、推敲に半日は別です)


以前ブログでも紹介した「書道家の川尾朋子さん」から、
「小松美羽さん」
「春風亭一之輔さん」
「名久井直子さん」
と続き、どの号での執筆も新鮮でとても勉強になります。力をいただきます。勿論、他のページも同様です。

次号は「作家で社会学者の水無田気流さん」。
原稿はすでに先週入稿しています!



「ヨガ」と「瞑想」で、毎日を新しく生きる

2017-07-10 20:14:55 | 執筆のおしごと(主な執筆原稿、最近の公開できるもの記録)

最近は、朝起きて9時頃から深夜1時頃まで食事をつくる以外は、仕事ばかりして過ごしている。
こう前のめりに仕事ばかりしていると、愉しくて、まるで中毒患者さながら。

昨日より今日、数時間前より今と、(錯覚なのかもしれないが)遅々として力量がついてきたように思える時が、素直にうれしい。
1日、1日成長してる。よし、よしと思える時。
そのリズムみたいなものがちょっとした快感のように感じる時も。

提出したら全部わすれてリセットし、
息抜きと称する「小さな娯楽時間」を過ごしている時も、愉しい。
これが毎日遊んでばかりいたら、こうはならないのである。

もうひとつここ1カ月程、週間としているのが「ヨガ」と「瞑想」。
先月、マインドフルネスをテーマにした特集記事(6ページ)を取り上げてから、





瞑想の本を数冊読み(アンディ・ブディコム からっぽ!10分間瞑想が忙しいココロを楽にする)、
高野山の金剛峯寺で「阿字観瞑想」を僧に習い(原稿作成のため)、
以来、朝ヨガを10分してから、瞑想を10分という生活が習慣化した。



瞑想は、今に意識をむけ体の力をぬいてリラックスして心根で集中すること。

私は東の位置にむかって座り、目を軽くとじて、右足を上にして座禅を組む。

背筋を正し、両肩を結ぶ線がまっすぐになるように座り、背中に1本の気が通っているのを意識しながら、鼻から息を吸い、
「阿」「阿———」を小さく唱えながら息を細く、長〜く吐き切る。数分かけて。

呼吸に伴ってお腹や胸がふくらんだり縮んだりする体の感覚に注意を向け、その感覚の変化を気づきが追いかけていくようにする。

そうやって瞑想を深めながら、外界の音、空気の流れ、気配に意識を向けてそれらを静かにただ観察する。
じっと眺め、そして自分の「今の存在」を改めてみつめて、生かされていることに感謝する。
う〜む深い。でも実に爽やかで頭が軽くなったのを感じるのだ。

 瞑想とは、「今この瞬間」の、その現実をあるがままに知覚し、それに対する思考や感情にとらわれないでいる心のセラピー。
そこには不安やネガティブな想いもなく、また日常の中で体験するような嬉しさや喜びといった感情に支配されることもない、開放された“無”の意識。
「アタマをからっぽにする」状態をいうのだそうだ。

瞑想で得られる「からっぽ」な心には、ゆったりとした平常心という充足で満ち足りているという。
そこは揺るぎなく平和。
一過性の感情(雑念)が浮かんでもそれらが消えるのを観察し、心の中に何が起こっているのかを注目する。
イメージとしては思考や感情が通り過ぎるのを道端で座って眺めているように。ただ、静かにソッと自分を取りまく部屋の動き、温度、外の音や匂いなど
だんだんと、注意のフォーカスを広げていき、心が落ち着くのを待っている。


私が修得した「阿字観瞑想」は、高野山を総本山とする真言密教の瞑想法で、元々は僧侶が気持ちを落ち着かせるように行っていたものとか。







「阿字観とは阿字を観る。「阿」を心に浮かべる瞑想法。白い蓮の上に金色の文字で書かれたのが「阿(あ)」、インドのサンスクリット(古代語)の梵字で、
真言密教でいう大自然・大宇宙の全ての源である「大日如来」を1文字で象徴するのが“「阿」”。
「阿」を心の中で念じ、声にして出すことで、自身の心に大宇宙・大自然を感じ、大日如来様と一体となる瞑想法が阿字観という。
「阿」は始まりの音。ご先祖様であり自然界や宇宙そのもの、我々の原点。
小さな道場で阿字観の軸の前に坐り、黄色の満月の光(自然界、大宇宙)に大きく包み込まれるイメージの中で高野山の瞑想は始まった。

この5月後半の取材は本当に、新緑がしたたるように心地よく、宇宙は緑に包まれている!と体感できたほど…!















私も自宅に居ながら、高野山の阿字観に思いを馳せて、瞑想をする。

10年程前からハタ・ヨガを習っていたので、基本のヨガを10分して、体の芯を但し、呼吸をしっかりして自分の内側をみつめた後で、瞑想をする。

私達は、頭の中であれやこれやと思想を巡らしていたと自分では感じていたが、これが実は単なる思想という名の雑念であったということに、瞑想を習うようになってようやく気づいた。

頭で考えることよりも、五感をのびのびと開放するほうが集中力も備わって、
気づきをもって生きられることになるのだと知った。
そう考えするのでなく、感じる。
すると、少しだけ生きることが軽快になり、今に集中できるのだ。


(補足です)「阿字観瞑想を自宅でする場合には」

座禅(右足を上に)、手は「法界定印(ほうかいじょういん)」。左の手の平に右の手の平を重ね、親指同士をつける。


・ 大きく息をハーッと吐き、胸やお腹にたまっているモヤモヤした空気を口からゆっくりと全て吐き出す。
・ 全て吐き出し口を閉じると、自然ときれいな空気が鼻から入る。
・ この呼吸を3回ほど繰り返す。(霊気で身体が浄化されます)

・ 「阿字」を心の中で穏やかに感じる。
・ 口を少し開き、吐く息に「阿」……と音をのせます。(阿の声を出し、少しずつ小さくしていきます。
・ 最後は消えそうな「阿」の音となり、心の中で「阿」を感じ続ける。
・ 息を吐き終わると、また「阿」………と繰り返す。
・ 4度目から無音で「阿」を心に観ながら、鼻から息を吸い、口で息を吐く。

・ 約20分後。両手の手のひらで、頭から足の方へ直接ふれずになで下ろすようにする。
・ 今に生きていることに感謝して胸の前で手を合わせる。
(以上)