月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

「腹腔鏡下子宮全摘術 」ある女性からの手紙 パート②

2013-08-29 23:55:22 | 腹腔鏡下 子宮全摘術

(「腹腔鏡下子宮全摘術 」 ある女性からの手紙 からの続き)

子宮筋腫のため、腹腔鏡下子宮全摘術 を受けてから14カ月がたった。
ある日。同じ子宮筋腫で悩み、手術を決断できないでいた一人の女性から電話をもらい、何度かメールのやりとりをする。
14カ月前の私と同じように、自分の行く道を照らすあたたかな光、確かなものさしを、誰かに(何かに)求めていらっしゃるようだった。
その日、わたしは当時の思いを回想しながら、淡々と2時間くらい自分の実体験を彼女に話した。
そして、このブログのことも紹介した。

7月、その女性は大阪中央病院にて、腹腔鏡下子宮全摘術 を決意された。
今回、御本人の了解をえて、そのメールを加筆なし、ほぼ消去なしの状態で公開されていただくことになった。
どこかの町の、ある女性たちにとっての(同士たち)、何かの決断するきっかけになったら、という願いをこめてー。
ある女性の勇気ある選択と、その手紙(メール)を公開!


●2013年8月6日 16:57:53

こんにちはメールありがとうございます!
(一部省略)
早いので携帯からメールします!
そうですね。手術は確かに痛みは重くありませんでした。熱と頭痛と吐き気が少し辛かったですが、二日もしたらおさまりました。
お話されていたように内視鏡、万歳です!ちなみに、手術は佐伯先生でした。
退院後、のんびりしています。ただ、すごい便秘でホントにつらい日がありました。それ以降それが原因か膣からか、
多量ではないですが、出血が続いています。明後日内診なので、相談の上、お薬いただこうかと思っています。

体は元気になりつつあるのですが、依然として子宮を取ったことを誰かに話す気にはなれません。
なにか割りきれない思いがあります。
もう使わない臓器だけど、無くなったことに寂しさがあります。
でも、一つの課題に結論を出して、行動し、結果が出たということだと思います。
それを前提に次はどう生きるかということ、つまり次のステージに移ったんだと思います。
悩みから解放されたら、こんなことをしよう!と思っていたことをしていきたいな、と思っています!
気にかけて頂いて、ありがとうございます!そのことが、私への励ましになっています。

毎日蒸し暑いですが、体調に気をつけて下さい!!



●2013年8月7日 14:13:52
こんにちは!暑い…あまりにアツいですねっ

娘がアメリカへの研修旅行から帰り、私はまた、ママモードに戻りました。
これが危険なんです…自分のことをじっくり考えない時間を過ごすことになります。次は何なにの準備をしようとか。
その意味では、この病気は私が一人の人間、女性として久しぶりに自分とじっくり向き合った時間だったのかもしれません。
何だかそういう自分に少し新鮮な気持ちもしたりして。

ブログ、すごいですね!!たくさんの人が読まれていて。私のメールよかったら、使って頂いて構いませんよ。
誰かの参考になったら、嬉しいです。
本当にお会いできる日がきたら、嬉しいです♪
そんなご縁を頂けたこと、それがこの病気がくれたプレゼント。

前より少し強くなった気がします!

(了)




ご退院、おめでとうございます。
少し落ち着かれたら、ぜひぜひお会いしましょう。
まさに同じ傷をもったもの同士、将来の夢とこれからの人生の展望について、
いろいろ聞かせてください。
今回は、快く掲載へのご協力をくださって本当に、ありがとうございました。

「今をいちばん、大切に。」ガンバレ!女性たち







「腹腔鏡下子宮全摘術 」 ある女性からの手紙

2013-08-29 23:14:57 | 腹腔鏡下 子宮全摘術



子宮筋腫のため、子宮全摘出手術を受けてから14カ月がたった。
以前よりはそのコトを忘れるようになっている自分。
日々の雑多に流され、ある時は楽観したり、あるいは反省したり、
人に会っておいしいものを食べたり、Nと笑いころげたりして
過ごしているうちに、14カ月だ。14カ月!

ある日。
同じ子宮筋腫で悩み、手術を決断できないでいる、一人の女性から電話をもらった。
彼女は母だった。
友人を通しての紹介だったのだけど、電話口から聞こえてくる声は、ほんとうにキッパリとした物言いでよく耳に響いて、礼儀正しい言葉づかいで。
自分の置かれている状況や腑に落ちないところを、理論的かつ的確に話してくださった。

もっと実直にいおう。
その女性は子宮摘出することを決断できないでいらっしゃったのです。
そして、自分の見解が真に正しいのかどうか、を私に問うていらした。
なぜ、こんなにも迷ってしまうのだろうかと、その答えを知りたがっていらっしゃったのだ。
それも、女性ホルモンを止めて筋腫を小さくするための、
リュープリン注射(子宮筋腫に用いられるホルモン治療。リュープリン・スプレキュア・ナサニール等)を、
投与する最中のストレスに瀕したココロとカラダで。

14カ月前の私と同じように、
自分の行く道を照らす、あたたかな光を
誰かに求めていらっしゃるようだった。

その日、わたしは当時の思いを回想しながら、淡々と2時間くらい自分の実体験を彼女に話した。

そしてこのブログのことも紹介した。
このブログ「腹腔鏡下子宮全摘術」のカテゴリーは、
いつになっても検索件数トップを譲ったことはない。

子宮筋腫に悩む人は女性の4人に1人。
そして手術に立ち向かう人がその半分…。それほど多くの人々が、胸の内を少しでも
軽く、晴れやかにしてくれるブログや記事を探しもとめていられるのだ。

7月。
私と電話で話したその女性は大阪中央病院で、それも偶然にも同じ佐伯愛先生の執刀で
腹腔鏡下子宮全摘術の手術を経験された。
その間、何度かメールのやりとりをする。

今回、御本人の了解を得て、そのメールを加筆もほぼ消去もしないかたちで公開させていただくことになった。
どこかの町の、ある女性たちにとっての(同士たち)、何かを決断するきっかけになったら、という願いをこめてー。
ある女性の勇気ある選択と、その手紙(メール)を公開! 


●2013年4月17日 13:14:52
こちらのほうこそ、お忙しい中お付き合い頂いて、ありがとうございました。早速、ブログ読ませていただきます。
もやもやが晴れるよう、いただいたアドバイスを活かして動いてみます。
それにしても、一人でくよくよ悩んでいたのに、こうしてアドバイスいただけるかたに出会えて、とても心強いです。
親身になって相談にのっていただいたこと、本当に嬉しいです!また、経過と決断報告します。
○○さんも、お体お大事に。


●2013年7月8日 10:31:55
おはようございます(^∇^)

先日は、私の手術の相談にのっていただいて、ありがとうございました♪
実はあれから、M(実名削除)先生のご協力もあって大阪中央病院で手術することに決まりました。やはり、画像でみてもかなり大きい筋腫なので、
私も観念して、手術は仕方ないと思いきれました。今月12日が手術なので、明後日入院します。
手術のことを想像したら、正直怖くないわけではありませんが、色々話させていただいたことや、blogを読ませて頂いたことが、気持ちの不安を和らげてくれます!
元気に退院報告もしたいので、頑張ります。助けて頂いたことに、感謝。


●2013年7月8日 15:29:17
ありがとうございます。何だか、また力を頂いた感じです。
この体験で、自分がどんな気持ちになるのか私自身興味があります。
それでは、頑張ってきます!


●日時: 2013年7月8日 18:33:56
美容院から帰りました!すっきりして、ご機嫌です♪
梅田いらっしゃる機会があれば、勿論ウェルカムです!ご無理でなければ。
18日に退院です。ホントに暑いですね。ご自愛下さい!!

(腹腔鏡下子宮全摘術 ある女性からの手紙 パート②に続く)

8月の初秋、風はもうヒヤッと。

2013-08-28 11:01:48 | 春夏秋冬の風


秋になった。風が違う。
夜になるとコオロギが鳴くようになった。ナツ熱くなっていたアタマがクールダウンしていくような、ほっーとした日々が続いている。

秋。と、一番早くに気付いたのはお盆前の8月11日あたりからだった。

この日は実家に帰る前に、どうしても仕事部屋を整理したかった。
帰宅した時、きれいなところで、新たな気持ちで始めたかったのだ。
窓下に面した本棚を全部一度出して、机回りのあふれた書類を整理して、半日かかって半分以上も処分した。

過去の作品をみると当時の自分の情熱や関わった人々のことが、まざまざとよみがえってくる。
いつになく叱られた痛い一言などもチクリと胸を指したり。
面白い仕事だった~と眺めたり。

そうして、わたしはそこから何を学んだ?少しづつ成長した?
まさか退化したんじゃない?と胸に手をあてては、問うた。

自分の心の底の部分と向かい合うとき、どんなに大好きな友達がいても(家族がいても)、やはり孤独だ。

自分のダメさ加減(理想の自分になれないとこや、計画無視や肝心なとこに気付いていないふりをする弱さ)が浮き彫りになって…。
あかんなぁーと小さな希望のかけらさえ、もうこの際一緒にゴミ袋の中に捨ててしまいそうになる。

そんな絶望的な時刻
陽が斜めに長く差し込んできた頃だった。
「つくつくぼうし…、つくつくぼうし…」と近くの木に蝉がやってきて一斉に2匹のつくつくぼうしが輪唱をはじめた。お見事!パチパチ。
ミンミン蝉やアブラ蝉じゃなくて、
もうつくつくぼうしなんだと、暑さでぼーとしながらも思う。

5年ぶりに咲いた、ブーゲンビリアが青空に揺れている。





夏が終わる。一抹の寂しさがあった。


昨日、郵便局まで書類を出してにいく途中、赤トンボの集団飛行もみた。
昼は入道雲が出ていたけれど、6時半頃に見上げた空は、薄い真綿のような雲がかすれた線を描いていて、
空はだいぶん遠くに感じた。




今日は、風が強い。
朝夕は肌にあたる温度がヒヤッとする秋の風になっていた。
夜、ベランダの物干しの留め金に吊り下げてあった郷里からもらったタマネギが、1コ、ゴロッと落ちた。

初秋。嬉々としてこしらえる夕ごはんが妙においしい!
コーヒーと一緒にチョコを食べたくなる。うん。自分らしい感覚が戻ってきた。

せめて。
普段の仕事も、スピーディーに仕上げられる集中力がほしいなあ。

少しの時間を大事にできないやつは
少しのお金も大事にできないやつ。

昔読んだエッセイにこう書いていた。

みうらじゅんは、いろんな「マイブーム」を、ずうっと長いこと、飽きずに 続けてきている人なのだか、その秘訣を聞くと

「飽きていないふりをするだけです」と。

飽きたといっては止めてしまうのは素人。飽きていないふりをして続けていけるのがプロなのである。
やっているうちにまたまた愉しくなっちゃったなんて、よくあることだもの。



9月になるまでに、
持ち物をもっと整理して、
家も自分も身軽になって、新しい月を始めたい!


夏の月を仰ぐ

2013-08-21 23:53:25 | 春夏秋冬の風


月からの視線というのを感じたことがあるのだろうか…。

夜、帰り路の途中で。仕事をしている時に、あるいはテレビを見ている時。
誰かがこちらを見ている、と感じて
ふと視線をたどってみたら、それは激しい月明かりだった。




誰?と思ったら月だった、なんておかしいけれど(笑)
それほど、月の引力というものを感じてしまう時があるのです。
ことしは、それにしてもよく空を仰ぐ。
きっと部屋のなかが暑いからかな、ひんやりとした外の空気にふれたくて、ベランダに出ては月を仰ぐ。

先週末。Nと「風とともに去りぬ」のDVDを改めて見直していて、ふと外があまりに明るいな~と感じたら、
窓の外すぐ近くのとこに月さまがおわしまし、光の帯が部屋中に濯がれていた。(ホントに窓のそばでこっちを見ているように)

8月13(火)日の深夜2時。
この日も娘のNとDVDを見ていて、最後の字幕のところにきてNが「流星群が見えるよ」というので外へ出てみたら(ぺルセウス座流星群かな)、光る流れ星をみた。
3本も見た。
流れる、と思った瞬間にスッーと強い雫となってダーと流れる。ひんやりとしたダイヤモンドみたいに。
そして、突然スッーとあとかたもなく消える。月は、星を見守っているかのように控えめだった。
ポキンと折れそうに細い月、切ないほどきれいだった。

月には万有引力があるのだ。満月には月の引力が最も強く、だから月をキレイにみせるという。
満月は出生率は高くなり、出血量が増え(血液や体液をも引っ張られるから)水分、栄養素や薬物、添加物など、何でも吸収しやすくなって。
人の感性だってものすごく敏感になるという。

月の引力なのか…!あの視線の強さは。

空や月を仰ぎ見て、すごいなあと思うのはやはり旅の最中で出会う月!

これまでバリ島や、バンコクや、オーストラリアのポートダグラスでみた(海辺あるいはプールサイドで)美しい月が忘れられない。

日本でみるよりもひとまわり大きく思えた。
ああ、この月こそは万国共通。
千年もそれ以上も昔からずっと同じこのたった1つの月を、人は見たのだと思うと胸がギューとつかまれたようになって、泣きたいような嬉しさ(ちょっぴりせつなくて孤独)が、こみ上げてきた。

昨晩も。とっても夜が明るいので、月を見ながら歩きたくなってNを誘って散歩に出掛けたのだ。
手を大きく振って歩いたら、風がひらり、ひらりと気持ちいい。
もう初秋だなあ。風。
きれいな月に吸い寄せられるように表に出たら、翌日(21日)が満月だったなんて。
満月が近くになると。わたしはカーテンをあけて眠る。
月の光、眠ってしまうのが惜しいほどに美しいのだから、せめてカーテンをあけて眠るのだ。
ずっと濯がれる光のなかに居たいからね。

2年ほど前にいわれたことがある。
あなたの守護神は月だと。だから月にむかって祈りなさいと。太陽じゃあなくて月に祈るのだそうだ。
そう、仕事でご一緒した年配の女性にいわれた。本当なのだろうか。その人とはもう会っていない…。

でもそれ以来、ずっとわたしは月のことを信じている。

賢者が残したこんな言葉がある。
「正しい行いをしていれば、世界が味方してくれなくても、宇宙が味方になってくれる」
素敵だけど、わたしはどうかな。
どうだろう…。











8月8日のバースデーに届いた器の話

2013-08-16 23:57:09 | 器を買いに


8月8日のバースデーに届いた器。

福岡県の花祭窯(福岡県福津市津屋崎4-8-20)に、お願いして自分に贈った器である。
この器、小さな想い出があるのだ。

約4年前、堂島の「ようび」を訪れたある日。沢山の器のなかから、そこだけがキラキラとして輝いてみえた。
というのはウソで、とても控えめでオーラ-を消してひっそりと隠れていたんだけど、見つけてしまったという感じだった。
見た途端、不思議な文様だなあと吸い寄せられた。
そして古い友人にプレゼントしたのだった。
(わたしはこの時、同じ文様の蕎麦猪口を自分用に買っていた)

そしてそして、
先日この蕎麦猪口で朝のミルクティーを飲みながら、友人にプレゼントした器のことをうっすらと思い出し、
作家である藤吉憲典さんの窯元に依頼して、自宅に届けてもらったという経緯なのだった。

それがこれ!








(奥の蕎麦猪口は、以前からある愛用品)

時間の波をくぐりぬけて、土のなかから忽然と現れた古伊万里の雑器のよう。

染付の瓔珞文(ようらくもん)は、古伊万里や仁清などでよく見られる吉祥柄だという。また、インドの上流階級の人々が頭や首や胸を飾る装身具としても使われているものだとか。
そんなことを、だいぶ後になってから知った。


瓔珞文(ようらくもん)を連ね重ねたこの小鉢は、3つで一つの入れ子になっている。



日本の東北のニオイもするし、ヨーロッパの北欧のニオイもする。
アンティークのようでもあるし、麗しきデザインのようでもある。
シャープで簡潔でありながら、どっしりとした風格もある。

その不思議さに、ただただ惹かれて買った器なのだった。

うちの食器棚に見事おさまってくれるのだろうか。
ともあれ、ようこそ、いらっしゃい。

いつから、どう使わせてもらおうか、ちょっぴりドキドキする器なのである。


mamaの会

2013-08-07 23:59:32 | 大阪ごはん
わたしにはママ友と呼べる友人がざっと20人くらいいる。
でもそのなかで週に1度ほど連絡を取り合う仲となると、4人くらいかな(ママ友とは、勿論、娘のNのお友だちのママ)。

同じ街に暮らし、共通の友人を持ち、同じようなとこで買い物して、Nのことを幼少の頃からずっとずっと知っていてくれている稀少な存在。

ママ友は、仕事をするわたしを全く知らないので、いうなれば女×女、いや母×母の関係性だ。

いろいろなことを相談しあったり、助け合ったりして、愉しい間柄を構築していきたい。
素の女同士として。どこまで、お互いの心をホット(快楽)にさせるかが勝負だね。

本当をいえば、自分が培ってきた友達とは違い、少し気を遣ってしまうところもあったのは事実。

私の優柔不断さが直接、Nの評価につながってしまうところが怖かったのかな。
ジェジェジェ!と驚くこと、勉強することも多々。賢いママは世の中にいっぱいいて、感動のあまり観察者のように口ぽっかーん、すごーの状態もよくあること。

子育てのあれこれや、今晩の夕食のことまで影響し合うママ友は、もはやなくてはならない存在だ。

なにかあればすぐ連絡をとりたくなり、食事の冷めない距離にいてくれるという意味では、もはや身内に近い。

それに子どもができてからは、よその子までカワイくなってきて。
いつしか子どもスキスキに!

ましてやNのお友達なら、なおさらである。ママ友に子どもたちのことを聴く時間がいちばん愉しい。



さて、ママ友といえばランチ。
そしてお茶会だ。
わたしも月2度くらいはママ友ランチに行く。

先日は、グランフロント大阪の「「code kurkku+IL GHIOTTONE(コードクルック プラス イルギオットーネ)」へ。

このところ、グランフロント大阪はハズレ続きだったけれど、ここはどうかしら…。
京都の本店で笹島オーナーシェフにお話を伺ったのは、はるか昔だけど…。

さてさて、「全国各地の生産者から届く新鮮な食材をベースに、日本料理の技法を取り入れた新しい切り口のイノベーティブ・イタリアン」。
新境地はいかに!

ナチュラルな木のテラスを通り抜けて、扉をあけるとおぉ~う、いらっしゃいました、笹島オーナーシェフ。
満面の笑顔で迎えてくます。

最初はグリッシーニ(棒状の細長いカリカリのパン)と飲み物をサーブ。
私は白ワイン、友達はシャンパンやビールを注文。



ひと皿目は、「ホタテ貝とトマト、弓削牧場モッツアレラのカプレーゼ」だ。



引き出しをあけると、カトラリーがズラリ。パンは木箱に入って登場する。
 



続いて、「初カツオのタタキに、柑橘類とたっぷりのイクラをのせた前菜」。
花穂じそ、ウイキョウの泡がアクセント。



前者はホタテ貝の火入れ加減もよく、酸味のあるトマトとモッツアレラとの相性はバツグン。食欲をそそる。

続いての皿はおそらくクーラーが効いた室内で頂くことを想定のメニューなのだと思う。実際にはガラス越しに照りつける太陽は容赦なくて、
せっかくの和歌山産のカツオはぐったり。
身の締まった初カツオがキンと冷え、ツルンと口のなかへ飛び込む鮮度がほしかったなあ。
そういう意味でもイクラと柑橘類、ういきょうの演出も同様。夏のさっぱり感が乏しかった…。

やっぱり、これがいちばん美味しかったね!自慢のパスタだ!(撮影は無し)
平打ち麺に、ナスやアスパラ、などの夏野菜が入ったオイル系で、ほんのりジュノベーゼで香り付けをしていて
麺とソースの一体感が素晴らしかった。あっという間に胃袋に滑り落ちた。

メインは、「豚ローストの炭火焼き」。クリーミーなソースとともに。



ナイフを入れると、パリッと音がするほどに、高温で一気に焼き上げたとあって、香ばしさが違う。中は肉汁たっぷりでやわらかい。
3切もあり、見た目よりもボリュームがあった。

最後はパンナコッタのデザートと珈琲で〆。



う~ん。やはり心に残ったのは、パスタかな!この店のパスタは裏切られたことがない。
ディナーは10500円~とお高めだが、おそらくシェフの感性が炸裂する品々が登場するのだろう。機会があれば記念日でも予約してみたい。

このあと、香港発のデザインジュエリーの展示即売会をホテルで観て、ほっ~とため息をついて。
チョコレート専門店「ショコラティエパレドオール(CHOCOLATIERPALETD'OR)」へ。
活気たっぷりのJR北側を望ながら、いつまでも弾丸トークは止まらない。



これが、いま話題になっている「ショコラネスパ」。
炭酸の泡とチョコレート感が同時に押し寄せる不思議なドリンクだ。



甘いものがいくらでも食べられるママも、チョコレートケーキとともに食べると、甘さが鮮明すぎて…。OMGといった印象のよう(笑)。

私の注文した「カカオ水ようかん」+苦めのエスプレッソは、餡とショコラが溶け合って、
なかなか面白かった。和スイーツ好きにはオススメ。




さて、朝から夕方7時まで延々とお買いものして、おしゃべりして…。ナンとはや9時間も。
これだけ一緒にいて話すネタが尽きないというのは気のあう証拠だね。

ともに19歳の娘たちをもつママたちは、4カ月前の受験の話に花がサクサクッ!脇役であってもともに難関をくぐりぬけた戦友のようだ。それぞれによく頑張りましたネ!
ちなみに、全員娘たちが一人っ子で夏にちなんだ名前なので、「Summer Girls mama」と命名!

これからは、子どもたちに負けないように、時には弾けちゃおう!と意気投合である。
今後とも、よろしく末長~くお付き合いくださ~いませ♪




Facebook、始めていま~す

2013-08-03 23:58:00 | 今日もいい一日
翌日。絶対に間に合わせないといけない原稿については、仕上がった。
でもその日しばらく、無口になっていく自分をどうしようもなかった。
ネタ帖を、失った時の感覚とどこか似ている。

3,11の悲惨がふとアタマを横切った。あると思っていたものを失うというのは、なんて動揺してしまうんだろう(たとえ、小さなことでも…)。
いつからこんな執着心が強い自分になったのだろう…。
持たないことの、気ままさや自由だってあるのに。腹立たしいなあ。

夕方ソフマップに駆け込み、Macを起動する作業を再び試みて、最後にはハードデスクのデーターのみを取り出す作業をしたのですが、
結局、戻ってきてはくれなかったのです。


数分後、パソコン本体を預かってくれた担当者から「うまく出来ないのです」とわたしのiPhoneに連絡が入る。駆けつけたわたしに、「これからの作業を、全て立ち会いの元で行う」と宣告された。

灰色の作業服を着た恰幅のいい担当者は誠実な方だったと思う。

本体からハードデスクだけを取り外して、小さな透明のケースにいれ、店のMacと繋ぐ作業を3回も試みてくれた。
わたしのハードは、頼りなくて、小さくて。
わたしは自分の内蔵を見せられた錯覚に陥った。結果、ハード自体の認識はするものの、その後の反応はなし…。

「もうこれ以上、私どもで出来ることはないですね。申し訳ないです」と一言。

あとは、専門業者に依頼し、部品を交換しながらハードを解体して認識するかどうか試してもらう他、手はないという。
もう二度と復元できないとなると、何年分も失われた気分。(゜◇゜)

外付けハードデスクに蓄積したデーターもあるが1本だけ、書きかけのちょっと気がかりの原稿があったのである。



「……ガックリした気分のまま成城石井で台湾産アップルマンゴーと、想い出のお茶「ENGLISH TEA NO1」



そして台湾バナナを買った。窓を全開してバスソルトたっぷりのお風呂に入ったら、冷えたアップルマンゴー食べよ!そして書くゾ。だって間に合わないもの」
のような記事をFacebookに投稿した。(ポジティブな情報じゃないことを、少し後ろめたく思いながらも)

そう最近、Facebookをはじめたのだ。
(クライアントさんから誘われた)
そして気付いたこと。
リアルタイムで処理することの大切さ。「今」を生きること。
「今」に生きる自分を意識すること。

Facebookには、共感を呼ぶようなポジティブコンテンツが次々に生み出され、それらが連鎖していく。WEB上のオーラ。
「今」が、次の瞬間には後ろに過ぎてしまうことの怖さと現実感。

Facebookには夢のオーラが充ち満ちている。

それから、友達がそばに居てくれ、見てくれているという心強さ、安心も。

なんだか、いろいろなコトを考えた夏の珍事だった。
このブログをチェックしてくれたわたしのお友達はぜひ、リクエストを送ってね!






Macが今も、ぐるぐると回る、その先へは進めない…

2013-08-02 00:20:32 | 執筆のおしごと(主な執筆原稿、最近の公開できるもの記録)



このところの暑さのせいか、Macが壊れてしまった。
もちろん3台あるうちの1台だが、ショックがでかい。
昨日と今日の仕事時間がギッシリ詰まっているのだ。

壊れたのは、夕方の5時だった。暑いなかクーラーもつけずに、前からと横から流れてくる自然の風だけで涼をとって仕事をしていた。
昨日からかかっていた1本の仕事は終了間際だったのに。保存をしてコピー機に繋いだ途端、ぐるぐると回りはじめ、永遠に(ホントは10分、心は永遠)ぐるぐると回ってその先へ進めなくなった。

これはわたしのクセのようなものだが、
ほぼ完成したかなと思う原稿を、よほど急がない場合には最低1日は寝かせて熟成させる習慣があるのだ。
なので、この時も8割ちかく出来上がっていた原稿を、朝20分くらいと軽くブラッシュアップして、そのまますぐにデザインに渡せばよかったのだが、ああ~もう時間だわ、と、ヨガ教室へ行き、
帰ってからも2・3カ所と手を加え、あとはもう送る状態にして保存。安心して昼食をとっていたのだ。

すぐに片付けてしまえばいいのに…。置いたままで。
昼食中に別のクライアントから電話があったので、

(あらま、あっちが先かな)と昨日の訂正を先に手をつけてしまい、ほぼ9、5割できあった原稿は放置。
そうやって、2本の原稿をパソコン上で、ほぼ同時に完成させ、同時に入稿してスッキリさせようともくろんでいたのが、痛いことだった。
それからスイカでも食べて本を読もうなどと、アタマでは妄想していたのである。
ほんとうをいえば、「ママ友よ」と書いたブログ記事も、あとは写真を選ぶだけにして画面上に、並べてあったのだ。結構愉しい内容だったのになあ。残念!

もちろん、外付けハードデスクに原稿を蓄積しておくのは鉄則。
簡単にバックアップをとっておけるハードデスクはあるのに。それもせず、一心に仕上げることだけに集中していたのだ。暑いので、早く先に進みたかった。
灼熱の太陽が、ガラス越しにギラギラと燃え、部屋をますます熱くしていた。

わたしの2日間の原稿(特集4ページ、コラム1本)、企画書1本。
それらが見事に、灰色の画面の奧に吸い込まれたままの状態で二度と表へ顔を出さないまま、眠ってしまったのである。
「あ~、暦の上ではディセンバー…♩」とでも、訳もわからず唄いだしたいような放心状態。
だって、このブログのように感情の赴くままに、
一気に書いた原稿ではなく、何回も、何回も、手を加えた原稿だから細部までの配慮というか、疑問と、納得、修正が自分の中で済んでいるのだ。あの状態までにもっていくのは、結構、至難の業。
アタマにあるとはいえ、イチからまた他のパソコンで書くことができるのだろうか。
どうしても、どうしても、諦めきれずに夕方からずっとMacサポートセンターのオペレーターと、
修復の仕方を20回くらい試みていた。

パソコンをあけると、電源をいれる。
コマンドキーと、オプションキー、pとRを同時に両手で押す。
電話の向こうからはオペレーターの声、「もしもし、もしもし、出来ましたか?どうでしょうか…」
(両手使っているのに、話せないでしょう…普通)
「大丈夫、他のやり方を試みてみましょう」と、落ち着いたオペレーターは自信たっぷり。ホント?と不安になるわたしの気持ちとは裏腹に…。

(そりゃあ、オペレーターにとってはこんなの日常茶飯事、別に動じる必要もない。困ったことでもない。
早く修復して、この業務を終了したい、それぐらいの心理状態。当然なんです)

「電源をいれてから、シフトキーを押してみてくださいね」…。

そうやって、5パターンほどの復旧方法を試してみたのだ。
けれど、appleが登場したら、ぐるぐると渦をまく点線が回り始める。そこから、どうやったって進まない。渦をまいたまま、ぐるぐる。ぐるぐるぐるぐると回るだけ。何十分も回るだけ。
ああ~、辛いなあ。いろいろな起動の仕方を試みて、今度こそ、と祈る気持ちでパソコンをみつめる。

でも、やっぱりぐるぐる、ぐるぐると回る、もう見飽きたね、この状態。
もっとキチンと環境を整えて、ザッパリと捨てるべきものは捨てて。
仕事のやり方を変えないと、なあ。その警笛なのだろうか。
壊れるのはいつだって夏だ。
灼熱の太陽のなか、Macをもってソフマックに目を白黒させて、ひたいに汗して走った3年前の自分が、今鮮明によみがえる。
ああ間に合うのか、2本の原稿。そして消えたブログの原稿でさえも復活できる?再び、あの時の気持になって書くことができるの?ああ、あの時、あの瞬間に帰りたいよぉ~。

Macのハードデスクは壊れても、本体のわたしのアタマだけは正常に、俊敏に動いてくれると信じたい!そう、祈るような心地で。