月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

8月31日(金) ノスタルジーにくれる夏の終わりに

2018-08-31 23:55:57 | 春夏秋冬の風


8月31日(金曜日)

毎年のように、8月の最終週はノスタルジーでいっぱいになる。

夕方にザーッと強く降った細い雨も、その後のコオロギとスズムシの鳴き声が冴え渡っていたのも、ひんやりとした湿気の中の夜の散歩も。

どこか昨日とは違って特別に思えるのは、今日が8月31日だから。

こうしてノスタルジーにかられるのは、きまって夏の終わり、というのは一体どうしてなのだろうか。

遠い昔の海水浴で。夕方近くになった頃、私の唇は紫色で、人もまばらになる頃。
ついに見かねた父が
「さあ、上がろう、行くぞ!」と強い口調で諭すも
もう少し、もう少しと、ぐんぐんと沖のほうをめがけて平泳ぎして
往生際の悪かった自分を思い出す。








夏。あちこちへ出掛けもしたけれど、今思い出すのは
三ノ宮へ、大阪の大国町へ、本町へ、奈良、京都へとふーふー汗をかきながら取材のために出て行って、ひたすら原稿を書いていた日々がいっそう脳裏に浮かぶ。


中でも、奈良でしか収穫できない高級ブランドいちご「古都華」を育てる生産者さんを訪ねた時には、ひときわ暑い日にもかかわらず、ビニールハウスの中で1時間も話しを聞いたら、もう頭の中も沸騰しそうで、情熱的に仕事をこなせた。

その後、カメラマンさんにお送りいただいて奈良町へ私を落として頂いた。
入道雲がもこもこと沸き立ち、たーっと汗が足を伝って落ちる。
喉が渇いて仕方なかったけれど、とびきりの涼味を、とひたすら我慢するも、奈良人に教えてもらった店はふたつとも閉店(その日は火曜日)。





結局、中谷本舗のゐざきの柿の葉寿司をおみやげに買って(茶店で4つほどいただく)
氷室神社側で大和茶金時のかき氷を食べ、再び、奈良町を歩き回った日は、降って湧いたような夏休み気分で。
一人っきりだったけど、心愉快だった。

夏の始まりっていつだったんだろう。
桜の季節が終わりをつげて太陽がワントーンキラキラ輝きはじめた頃(4月の終わり)。
あの頃からもう夏にむかって、前のめりにぐんぐんと漕ぎ出していくのではないだろうか。
そんな季節も、今日(8月31日で)ピリオドを打つ。

明日から、秋を素通りして、師走の冬にむかってぐんぐんと私たちは漕ぎ出していくのだ。たおやかな季節の折々を引きつれて。

明日も今日の続きの日である幸せよ。
「夏よ行くな。秋よ、まだ来るな」






夏の最後の週末に (2018年8月25日・26日)

2018-08-27 23:57:22 | writer希望を胸に執筆日記


今日も積乱雲はもくもくとおいしそう。青い空に映えて、勢いがいい。
夜は、仕事部屋にある掃き出しの窓をあけていると(南向き)、風が足元をサラサラと流れる。

この涼しい風のおかげで、夜も原稿を書こうと思える、それくらい気持ちいい。

この涼やかな黒い網戸は、
私がゴールデンウィーク中に咳きがひどくてどこにも出掛けられなかった時に、うちのパパさんが家中の網戸と、障子を張り替えてくれたので、こうして綺麗な風が、網戸をすり抜けていくのだ。

さて、昨日は午前中に仕事をして昼前から、同業者の友人のシャンソンショーに出掛けた。

招待券をもらったのは夏の始めで、友人・知人を誘うも、一人二人と用事が重なってしまい、これは一人で出掛けるしかないかなと覚悟を決めたところで、これまたパパさんが同伴してくれるというので、一緒に出掛けた。


友人の唄うシャンソンはいい。




MCのうまさもさることながら、自分なりに解釈をした翻訳詩が素晴らしいし、やや低い声の響きかせ方も、年齢相応にスモーキーな感情がしっかりと込められていて、しっとりと心に響く。それにサビの部分はちゃんときれいな発音のフランス語で唄ってくれるから、聞き惚れる。



シャンソンの後は、梅田の地下街にある人気酒場「やまと」で昼飲みをした。
生ビールをくいくいと飲み、アテにはたこわさ、造り3種盛り、かんぱちのカマの塩焼き、ポテトサラダ、コーンの素揚げ、車エビのおどり&塩焼き、明石焼きまで食べた。











カウンターを陣取っているのは、9割が女性客。

「今日って確か土曜だよ。世の中の女の人って昼間からこんな店で飲んで怖いよな」(パパさん)
ポツリ。そう女は貪欲なのだ、生きること、今を楽しむことに。


月曜だしの原稿が2本もあるのに、昼飲みなんて楽しいものだ。

帰宅してからは、30分ほど昼寝。
起き出してから、とらやの水羊羹と珈琲で一息いれて、夜8時頃から原稿を書く。




夕ご飯は、さすがにお腹も空かず、結局はほぐした胸肉と、ニンニク、卵をたっぷりいれたお粥をつくって軽くすました。

11時頃には疲れていったんベッドの部屋へ行って寝てしまい、それからまた12時くらいに起き出してきて、朝の3時まで原稿を書いて、それから日本酒を冷えたグラスに注いでちびちび飲みながら少しだけ読書。
ようやく頭がぼやっといい気分になったところで本格的に就寝する。


翌日は、積乱雲がこれまた元気に湧き上がる暑い一日となった。
今日も、朝、昼、晩ご飯と、2度のティータイム以外は、原稿を書いて過ごした。

最近は、依頼された原稿を淡々と書くだけで特に新しいことはせず、現状維持の生活を繰り返している。
現状維持というのは、前に進んでいるような錯覚を受けるのだが、長い時空を俯瞰のような位置からみると、微妙に少しずつ後ろにずれているのではないかと思うわけだ。


明日はもっと前に。明日こそは、もっと貪欲に挑戦してみよう!などと思いながら床につくのに、結局、翌日も決められたことをこなすだけで一杯になる。

今月は、コピーライティングの案件が3本。あとはおなじみのレギュラー雑誌のテキストを作成している。
机の上には、やってみたいことを走り書きしているのをよく見える位置に置いているのに、横目でちらとみることもなく、アッという間に一日が終わる。
明日こそは始めてみよう、と今日も心に誓いながら満月の夜に就寝。









このところの心配の種の人に捧ぐ

2018-08-23 19:16:11 | 随筆(エッセイ)


いつも気がつけば考えてしまう、というのは脳の癖みたいなものだそうだ。

「ひとを、強く思いすぎてはいけない」危険だ。

大人になっていくにつれて、何度か傷つき、すっころんでみて、そう考えるようになった。

それがたとえば、自分の肉親でもやはり同じかもしれない。

「ひとを強く心配しすぎてはいけない」

胸がつぶれてしまうのではないかと思うほど、
人の心配をして、妄想が妄想をよび
どんどん膨らんで、そのうちまるで見ているかのようになってしまう時…。
自分の脳は、人事でありながら、自分が体験していると信じ込んでしまうのだそうだ。
自分の力では及ばないから、気をもむしかないのだろう…。


自分を、見失いそうになったら
どうしたらいいのか。
本物のよきもの、自分が良いなと思ったものに傾倒すること。

なにも自分自身をはぐらかそうとしているのではない。
よきものを自分の中にいれて、心に風をいれる。いったん思考を違う方向(よきもの)にむけてフラットな状態にする。
私はそうやって、自分を立て直してきたような気がする。

今回の場合のそれは
庄野潤三の本「山の上の家」(夏葉社)だった。
神戸萩原珈琲店で買ったグァテマラを、飲みながら、作家の家とそこで暮らす人の時間の流れに、接することができた。(一時でもいい)





また翌日、その次の日は、心配の種の人を案じながら、自分に与えられた原稿や奈良での取材に集中して、少しは落ち着かせることができた。 よかった。

心配をしすぎては、自分をつぶしてしまうことにもなりかねない。
そんな心の状態では、たとえ(どうしたらいいの?) と問いかけられたとしても、冷静に正しい答えなど出せるものじゃない。


心配の種の人にいいたいのは、
自分の幸せを、人の中に委ねすぎるのは危険、ということだ。
人に幸せにしてもらう、という生き方は、ほんのひとときの快楽に似たようなものだと、それくらいに思っていなければ。
あまりに危なっかしい生き方だし、不安定でぐらぐらしすぎるのだと思う。

遠い昔の日々。かつて自分も、そんな時があったかもしれない
だから、全力でつたえたいと思う。
届くかどうかは、絶望的であるけれど。

大丈夫!その人を信頼していればたいていは大丈夫なのだ。



8月12日 朝の散歩からバースデーの1日を振りかえる

2018-08-12 20:52:01 | 随筆(エッセイ)


久しぶりの朝5時の散歩。蝉と鳥が交互に鳴く、きれいな朝の中を歩いていると、思い出すのはその昔、ブライアン・ウイリアムズさんという滋賀県の画家と奥様をインタビューした時のこと。 

彼は、滋賀の朽ち果てていく古民家や琵琶湖の湖水の葦や、壇の浦 朝光など、美しい日本の風景をスケッチして歩く画家でした。描き始めるのは決まって夜明け前の時間。朝と、時に夕方の光を愛しておられました。

「空気を描きたい…空気の美を…。だが、不可能としか言いようがない」

と画家(クロード・モネ)はいっていますが、ブライアンさんはそういった生まれたばかりの朝の空気や風、光に導かれた一日の中のごく僅かな時間の中での風景を淡々と美しく、描いてこられた画家さんでした。
私が朝の散歩をする時には、ブライアン・ウイリアムズさんが仰っていた言葉や、風景画で見た世界を思い出しながら歩いています。(いつもではありませんが)







さて。8月8日に誕生日を迎えました。
自分にとっての、人生の縮図のような一日でした。

朝一番でヨガの先生や生徒の方と電話では話し、
近所のコピーライターの先輩から贈り物をもらったので、そのお礼の電話をして、近況報告と暑中見舞いの挨拶をかわしあい、それから風呂に入って、果物と紅茶などで朝ごはんを食べ、ほんの5分瞑想をして仕事にとりかかりました。

クーラーは、このところ全くつけません。
風は、前日の秋分の日を境に、乾いた冷たさが加わっていたし、それが肌にあたって気持ちいいから。無理のない自然の空気の中のほうが息苦しくないのです…。
午前中は、先日からやり始めたページものの広告コピーを考えて、その日の取材の下調べをして、いつものごとくシャワーをしてから出かけるつもりでした。

それが1本の電話、1本のメールで、それまでの風向きがガラリと変わった。同じ仕事仲間の一人からですが、ある別のパンフをつくるために提出していたコピーについての連絡でした。

久々に自分の細胞が打撃をうけているのを感じました。
お盆前に提出数本と、お尻がつまっているなか、
震撼としたものを、本当に数年ぶりに感じました。

これまでの私の仕事スタイルとしては、何か、誰かが疑問をいわれたら素直に原稿は修正する質(たち)です。どんな人であろうとコピーや原稿にひっかかりがあるということは、それが最善のものではないはず。どこかにそのコピーのほつれがあるはずだし、それをもう一度、新しい目で考え直すということは、仕事にとって絶対にマイナスであるはずがない。

そう思って素直に、もう一度考え、もう少し上をいく提案をしてきたと自分では思っています。

ただ、クライアントさんやメーカーではなく、同業の同じ仕事をしているクリエーターさんからのつっこみで、それも全体の印象を漠然と語っておられただけに、だいぶへこみました。仕方ない。そういうことなのかもしれません。

本日から別の仕事をする予定でしたが、引き戻されるしかない…と思いながら、
暗い気持ちで電車に乗って、取材にでかけました。


取り急ぎ、何度か電話やメールでやりとりをして、1本の取材をすませて、もう1本の打ち合わせを済ませました。東京から来訪された編集や営業の方はさすがに優秀な方で、日本のビジネスマンのコミュニケーション能力の高さに、脱帽した。その取材のやりとりの中で、勉強させていただくことが多々ありました。

そして、同席させてもらっていることの貴重さと今回の仕事で私が原稿を書くwriterとして求められている使命の大きさも含めて、びしびし、と強い刺激をもらった時間でした。



それから、その日の朝に落ち合う約束をした友人と、リーガロイヤルホテル大阪のリーチバーへ(自分が朝予約)。
陶芸家バーナード・リーチの着想を元に、建築家吉田五十八が設計した大人のバー。
ある雑誌の対談を目にしてから、また何度かこのバーについて書かれたものを目にしてから、一度来てみたかったんです。












こういう、肩の力をぬききった時間は、自分らしくあるための、やすらぎのひとときです。
くったくなく笑うということ。そこに意味などない。話す内容もくだらないことです。けれどそんな余白の贅沢が、自分を立て直してくれることも、ある。

誕生日というのでシャンバーンで乾杯し、アマレットをロックでくいっと飲んで、あてにはレーズンバター、フィッシュアンドチップスなどを選んで。
2時間あまりの素敵な時間は終わりました。









その日の電車は、満員。その上に電車がいきなり飛び出してきた動物と衝突したらしく、帰りは1時間のところを、2時間近くかけて家路につきました。
私のあとに、主人が地方出張からかえってきて、ふたりで顔をあわせて、「おめでとう」と言葉を伝えてもらい、私が冷蔵庫の中のものでこしらえた即席のおつまみとデザートと。梅酒を炭酸水で3分の1くらいに割ったものを、いつものダイニングのテーブルで飲みました。

その日、夜中におなかをこわして、何度か起きることになったのですが、まあ、実に私らしい人生の縮図のような一日だったなと。
ふりかえってみて思うわけです。
いいことも、そうでないことも、含めて。自分にとっては、必要であったから生まれた。
それが偶然のふりをしてふりかかってきたのだということが、なんとなくわかった一日だったのでした。

これまで、だましだましでやってきたことは、どこかで帳尻を合わせることになるのです。


ともかく、翌日はコピーにまみれた日々。
もう一度、再考する意味のあったものをつくるために、文を書いています。

その翌日は、取材のテープをおこして、うんうんと頭を右に左にひねりながら、夜中に散歩したり朝に散歩したりしながら、テキスト原稿を書いています。





パワースポットで邪気を払い充電する

2018-08-07 13:40:13 | どこかへ行きたい(日本)

高校時代の友達のひとりに、パワースポット好きの友がいて、年に3、4回、その彼女(y)と出かける。

先月も滋賀の水郷めぐりの後で、日牟禮八幡宮へ参拝し、たねやで名物のつぶら餅入りの「冷ぜんざい」「黒糖氷」で一服してから、多賀大社に向かった。







多賀大社は、延命長寿の神さまだ。
「二柱の大神(いざなぎのおおかみ様、いざなみのおおかみ様)は、神代の昔に、初めて夫婦の道を始められ、日本の国土、続いて天照大神をはじめとする八百万(やおよろず)の神々をお産みになられた。生命の親神様」であるという。


参道沿いには、宿場町のなごりの、みやげもの屋や飲食の店が軒をつらね、道中とは違う古い時間が流れていた。
「太閤橋」をぐるりと迂回して本殿のそばへ。

ちょうど夕方の祈祷がはじまっていた。
目をとじて、静かに手をあわせる。

「ご縁がありまして参拝させていただくことができました。ありがとうざいます」
そう心の中で唱えたら、その思いをしっかりと受けとってもらえた、となぜかよくわからないけれど、そんな手応えが返ってきたのだった。
ふと天をあおぐと、頭上でゆらりゆらりと、白地の夏らしい提灯が風に揺れている。






いくつも、いくつもぶらぶらと。くっきりとした白地に、墨文字と朱色のきれいな提灯。社の巫女さんのようなふくふくしいイメージだ。「お多賀さん」という呼び名にふさわしい。とてもあったかい感じのする提灯なのだった。

〝古い社に、ふさわしいなんてやさしい提灯なのだろう〟

それから友と、冗談をいいあって笑いながら、社務所そばの自動販売機でミネラルウォーターを買い、ごくりとのどを鳴らして飲み、ひと休み。気の置けない古い友達たちの存在は、ありがたいものである。


もう夕方の5時だというのに、すっきりと晴れた綺麗な青空が、もくもくとわきあがる入道雲と本殿の提灯の白をひきたたせている。セミが鳴いていた。木々も気持ちよさそうに風に揺れていた。あぁ気持ちいい。もう夏が始まった!(7月15日頃)と心からそう思えた。



それから、大津までもどって琵琶湖の湖岸を眺める。
夕景があまりにきれいだったので、大津の琵琶湖ホテルで一杯だけ、飲みましょうということに。


ガラス張りのむこうには「琵琶湖」という大絶景を前にして、冷えた白ワインとピザを。
赤ワインと、肉のサラダ、エビのアヒージョなどを食べた。
メーンラウンジからは、金色にライトアップした真っ白なミシガン(観光船)が湖の上をゆっくりと横ぎっていくのがみえた。

この光景とよく似ているところを知っている。









一昨年の冬。Nと一緒に「香港」へ旅した時も、黄大仙や金魚街を訪れ、
それから遠くに香港島、近くにビクトリアハーバーをみわたせるインターコンチネンタル香港である。
昼から夕方、夜へと移り変わっていく香港という街のエキゾチックな情景がすばらしくて2時間あまりにそこで過ごした。



そしてやはりそこは、とても晴れやかな気があふれているのだった。エネルギーが集まっているところだ。



友人のyと出かけたパワースポットは数知れない。
(奈良の霊山寺、春日大社。京都の日向神社、大阪のサムハラ神社…、メジャーな所もマイナーなところもいろいろと訪れた)
最初はちょっとくすっと笑っちゃうのような思いで同行していたのだが、いくつも、いくつも、たずねていくうちに、まぁそういうのも佳しかな、と思えるようになり、今はパワースポット巡りもそれなりに楽しんでいる。

土地のエネルギーが集中している、良い気が満ちている場所、それがパワースポットだという。
そこに共通するのは、とてつもない気持ちよさ。
その場に、スポットライトが注いでいるように。ほんのワントーン明るいところ。空間には広がりがあり、ともかく開放的。外にむかって開けているということだ。
過去と未来が一直線にすっきりとつながっているような、いい空気が流れている。
だから、安心してそこで、考えごとをしたり、過去を振り返ったりと自由な思いをめぐらせることができるのだ。

わが家の空間も、1カ所でいいパワースポットのような場所があればと思うのだけど。
もう実はあったりして。

自分の言葉をえらぶということ。

2018-08-03 23:55:46 | 随筆(エッセイ)


文を書きながら思うのは、どこまで自分の脳が描いた映像やイメージするものを正確にあらわせるかということだ。

よく似ているし、近いんだけど、ちょっとだけ違うんだ、という時もある。そんな時、どれだけもう一度、冷静に問い直せるか、だ。

自分の言葉で、ちゃんと話せてる?書けている?

書いていくに従って、筆がいきおいを増していくと、全く違うことを、さもずっと考えていた風に雄弁に語ってしまうことだってあるし、
その逆で、文を書いていく中でイメージがどんどん広がり、熟考されていくことも。書きながら考えているのである。

まぁ、たいていの場合は、言葉の選択を速く、的確に置き換えることに苦心しているわけだ。
速く、余白を埋めたい。書いてしまいたい。そういう場合には、たいてい打ちひしがれ、敗北感にまみれている。がっかりと肩を落とし、数杯目の珈琲を入れにいくことになるのだ。

昨年のちょうど今頃。谷川俊太郎さんと江國香織さんが「詩」をテーマにしたトークイベントみたいなものを、京都のお寺で行われていて、それを見にいかせてもらったことがある。





ふたりとも、大御所の作家。言葉の名士。語る言葉の端々が、するどく心に突き刺さった。
江國さんは、テレビや雑誌でみる印象とは全く違っていた。
ご本人はどう思われるか恐縮であるが、「小さな子供のような表情をする、老女」みたいに美しい人だった。

小川洋子さんをみた時もそう思ったが、作家という職業の人は、普段から孰考する人生なので、少し疲れ、博士のような威厳すら、まとっておられる。どんな女性的な方でも男性的な部分をお持ちだ。

その日も、江國さんは、最初とても小さく弱々しい声で話し始めたが、途中から言葉が言葉をよんで、たいへん深い話をしっとりとなさっていた、素敵な方だった。
「言葉」を選びとる力が的確というか、すごく真摯。実に純粋(真剣)。自分の言葉に対するちょっとした反応を大事にされていた。


何度も、『違う「○○○○」こういうことです』と
自分が発した言葉が本当に適切かどうかを、問いかけながら話されていたのが、とても印象にのこったことである。

たとえば、こんな内容の話しをされていたように記憶する。

「紙で読む本は絶対になくならないと思います。本を読むという行為は、すごく能動的で積極的な働きかけだと思います。人は本を読まないと、自分という1人の人生でしか体験できないことになるので、それはあまりに乏しいことで。1つの人生しか知らないなんて。けれど。本を読むことでいろいろな人の人生を味わうことができます。人生の手応、みたいなものもちゃんと感じられます。それは他のものでは絶対に置き換えらることはできないと私は感じます。
そうやっていろんな角度からいろんな人の人生と出会うこと、それが本を読む楽しみのひとつ、なのだと思います…」

のようなことを、江國さんらしい言葉で話されていたのを、今、思い出す。

何度も何度も言葉を確認し、だからゆっくりと語りながら、選択しなおす、その「こだわり」。


私など足もとにもおよばないけれど。
空白が怖く、速く書いて冷静になりたくて(下手なテキストはもっと怖いけれど)、そこから逃れたくて。気分転換を何度となくはかり、時に逃げ切ろうとする時も多々だが。(結局は、締め切りがあるので絶対に逃げられない)。

けれど、もっとちゃんと言葉のもつ、深みを知る冒険みたいなものを、捨てちゃあ(投げちゃあ)、いけないと自戒するこの頃である。
強い人にならないと、文は書けないのだから。
書けた時の喜びも知っているのだから。



慣れること。慣れないこと。 他人と違うという感覚、どう考える? 

2018-08-02 00:39:13 | 随筆(エッセイ)








電子機器の音や光に、弱い。
特に一日中しゃべり続けるテレビの音に。

ベランダ越し、ふわりとはいってくる風や山々の景色や、葉っぱなどとつながった、ある一定の波長や匂い。その空間(リビングと仕事部屋)が、一気に白々しく、にぎやかになる。
ふだんの静穏さが、ガラリとすり替わる異空間になる。

週末。相方は一日中テレビをつけているたちなので、わが家のリビングは、明るい色彩と音と電磁波のパワーがみちあふれており、そうなると本も読めない、仕事で書くべき原稿がさし迫った時などは、途方にくれる。黒い電子機器を飛び越えたむこうにある仕事部屋にどうしてもたどりつくことができなくて、こっぱ微塵の心を抱えたまま、寝室やお風呂への流浪の旅を繰り返し、「ふて寝」、というオチでその日を終えることもあるほだ。(車を運転してカフェに本(ポメラも)を持って出掛けたりもするけど)。


でもそんな時は、自分がデジタル技術に屈した一匹の蚊みたいな心境でいる。脆弱で、力のない自然界に順応できない嫌われものみたいな。

家で映画をみることを愛しているし、トーク番組や時にドラマ、ニュースなどストーリー性のある番組ならみるのに。
また、テレビは「いま」のライブ感を伝えるとても文化のある機器でもあるはずなのに、その「苦手」と「素敵」の「紙一重」はどこにあるのだろう。
能動的視聴と、助動的視聴との違いなのかしら。


夏のこの時期。わがマンションでは、毎年管理組合が莫大な資金を投じて、植栽の剪定と芝刈りを大胆になさるのだが、真っ昼間のその作業は、自分が何をして、どういうものを書こうとしているのか思考が止まるほどに人を混乱に陥れるのだ。それに似ている、週末のテレビというのは。
単に自分が順応性なく、惑わされやすい性質なのだろうと、思う。
目をこらさないと(凝視すること)、あるいは耳を澄まさないと、テレビをみることが不快になる。
必要な情報だけを選んで後は流すという作業が、実はとても不得意なことなのかもしれない。


京都や奈良にでかけると、観光客でごったがえしてもいても、美しいものだけを捉える目は持ち合わせているはずなのに、困ったものだ。

考えてみるに、自分はある物語性をもったものなら受け入れられるが、「情報」というある塊に対しては、処理するのがたちまち億劫になるのかもしれない…。そうだ、きっと。
これまでの仕事を振り返ってみても、確かにそうだ。週間情報誌のたぐいの本で、短く情報だけをまとめるような原稿は苦手だった。
半年、1年ほどで担当がおわった。そのくせ4ページ、5ページの長い特集みたいなものは、何年も続いたりする。という考えにも思い至る。(短い情報の中にはストーリーは邪魔だからか)


ツイッターもしかり。(昨年秋くらいから、アカウントを取得した。不定期更新です)。その方のところへいって、その方の書いていらっしゃるものを読むうちはとても面白いメディアなのに、
いろんな方のつぶやきが一気にふってくると、言葉がバランス性を欠いて、途端に興ざめてくるという節もある。

イメージとしては、交差点の雑踏などで通行人たちが一気になにかを喋り出す、というのにそれは似ていた。


それでも最近は、そのツイッターにも少しは慣れた。単発的にみる時も、「効率よく読める」と思うようになった。
苦手と思ったものでも慣れる、ということはあるのだ。
 
じゃあ、テレビはどうだろう。
例えば、素敵なリゾート地で一日中テレビを流していたりすると、それも佳しと思えるように変わるのだろうか。
慣れて順応したり、新鮮なおもしろさに気づくということも大事なことだけれど。
いつまでも慣れない。人と少し違うのかもしれない。
という感覚も、これからは大事にしてやろうかなと思うのである。