久しぶりの朝5時の散歩。蝉と鳥が交互に鳴く、きれいな朝の中を歩いていると、思い出すのはその昔、ブライアン・ウイリアムズさんという滋賀県の画家と奥様をインタビューした時のこと。
彼は、滋賀の朽ち果てていく古民家や琵琶湖の湖水の葦や、壇の浦 朝光など、美しい日本の風景をスケッチして歩く画家でした。描き始めるのは決まって夜明け前の時間。朝と、時に夕方の光を愛しておられました。
「空気を描きたい…空気の美を…。だが、不可能としか言いようがない」
と画家(クロード・モネ)はいっていますが、ブライアンさんはそういった生まれたばかりの朝の空気や風、光に導かれた一日の中のごく僅かな時間の中での風景を淡々と美しく、描いてこられた画家さんでした。
私が朝の散歩をする時には、ブライアン・ウイリアムズさんが仰っていた言葉や、風景画で見た世界を思い出しながら歩いています。(いつもではありませんが)
さて。8月8日に誕生日を迎えました。
自分にとっての、人生の縮図のような一日でした。
朝一番でヨガの先生や生徒の方と電話では話し、
近所のコピーライターの先輩から贈り物をもらったので、そのお礼の電話をして、近況報告と暑中見舞いの挨拶をかわしあい、それから風呂に入って、果物と紅茶などで朝ごはんを食べ、ほんの5分瞑想をして仕事にとりかかりました。
クーラーは、このところ全くつけません。
風は、前日の秋分の日を境に、乾いた冷たさが加わっていたし、それが肌にあたって気持ちいいから。無理のない自然の空気の中のほうが息苦しくないのです…。
午前中は、先日からやり始めたページものの広告コピーを考えて、その日の取材の下調べをして、いつものごとくシャワーをしてから出かけるつもりでした。
それが1本の電話、1本のメールで、それまでの風向きがガラリと変わった。同じ仕事仲間の一人からですが、ある別のパンフをつくるために提出していたコピーについての連絡でした。
久々に自分の細胞が打撃をうけているのを感じました。
お盆前に提出数本と、お尻がつまっているなか、
震撼としたものを、本当に数年ぶりに感じました。
これまでの私の仕事スタイルとしては、何か、誰かが疑問をいわれたら素直に原稿は修正する質(たち)です。どんな人であろうとコピーや原稿にひっかかりがあるということは、それが最善のものではないはず。どこかにそのコピーのほつれがあるはずだし、それをもう一度、新しい目で考え直すということは、仕事にとって絶対にマイナスであるはずがない。
そう思って素直に、もう一度考え、もう少し上をいく提案をしてきたと自分では思っています。
ただ、クライアントさんやメーカーではなく、同業の同じ仕事をしているクリエーターさんからのつっこみで、それも全体の印象を漠然と語っておられただけに、だいぶへこみました。仕方ない。そういうことなのかもしれません。
本日から別の仕事をする予定でしたが、引き戻されるしかない…と思いながら、
暗い気持ちで電車に乗って、取材にでかけました。
取り急ぎ、何度か電話やメールでやりとりをして、1本の取材をすませて、もう1本の打ち合わせを済ませました。東京から来訪された編集や営業の方はさすがに優秀な方で、日本のビジネスマンのコミュニケーション能力の高さに、脱帽した。その取材のやりとりの中で、勉強させていただくことが多々ありました。
そして、同席させてもらっていることの貴重さと今回の仕事で私が原稿を書くwriterとして求められている使命の大きさも含めて、びしびし、と強い刺激をもらった時間でした。
それから、その日の朝に落ち合う約束をした友人と、リーガロイヤルホテル大阪のリーチバーへ(自分が朝予約)。
陶芸家バーナード・リーチの着想を元に、建築家吉田五十八が設計した大人のバー。
ある雑誌の対談を目にしてから、また何度かこのバーについて書かれたものを目にしてから、一度来てみたかったんです。
こういう、肩の力をぬききった時間は、自分らしくあるための、やすらぎのひとときです。
くったくなく笑うということ。そこに意味などない。話す内容もくだらないことです。けれどそんな余白の贅沢が、自分を立て直してくれることも、ある。
誕生日というのでシャンバーンで乾杯し、アマレットをロックでくいっと飲んで、あてにはレーズンバター、フィッシュアンドチップスなどを選んで。
2時間あまりの素敵な時間は終わりました。
その日の電車は、満員。その上に電車がいきなり飛び出してきた動物と衝突したらしく、帰りは1時間のところを、2時間近くかけて家路につきました。
私のあとに、主人が地方出張からかえってきて、ふたりで顔をあわせて、「おめでとう」と言葉を伝えてもらい、私が冷蔵庫の中のものでこしらえた即席のおつまみとデザートと。梅酒を炭酸水で3分の1くらいに割ったものを、いつものダイニングのテーブルで飲みました。
その日、夜中におなかをこわして、何度か起きることになったのですが、まあ、実に私らしい人生の縮図のような一日だったなと。
ふりかえってみて思うわけです。
いいことも、そうでないことも、含めて。自分にとっては、必要であったから生まれた。
それが偶然のふりをしてふりかかってきたのだということが、なんとなくわかった一日だったのでした。
これまで、だましだましでやってきたことは、どこかで帳尻を合わせることになるのです。
ともかく、翌日はコピーにまみれた日々。
もう一度、再考する意味のあったものをつくるために、文を書いています。
その翌日は、取材のテープをおこして、うんうんと頭を右に左にひねりながら、夜中に散歩したり朝に散歩したりしながら、テキスト原稿を書いています。