月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

2021年3月のおきなわ弾丸(1)

2021-04-29 14:49:00 | どこかへ行きたい(日本)

 

3月25日(木曜日)晴れ

 



 

 機上にいる。いつものANAクラシックを聴いている。大阪・伊丹空港から那覇空港までの飛行時間は2時間15分。搭乗率70%以上。小学校は今日から春休みだから観光客が少し戻ってきたようだ。ふぅわ、ふぅわと、飛ぶように揺れ(まさにそれ!)雲上に顔を出し、さらに高度をあげる。強く、明るい日差しを強烈に受ける。すると地上での靄々(もやもや)はすべて飛ぶ。この世での役目を終えて、魂だけになって空へのぼっていく時も、そうだろうかと思っていた。

 

「翼の王国」3月号、吉田修一氏のエッセイ「空の冒険」が最終回だった。足かけ15年、らしい。(通路席だったので客室乗務員が行ったり来たりしていたが)感慨深く、活字が滲んでみえず涙が止まらなかった。本で顔を隠しながら、目を閉じて、客室乗務員がサービスしてくれたホットコーヒーをいま飲んでいる。

 

 心地よく集中しているうちに、あ!と衝撃。

 ゴ、ゴーンと力強くお尻を突き上げられて、着陸した。大阪から那覇空港までの所要時間は機内アナウンスとぴったりの2時間15分だった。

 

 



 

 

 Nは、羽田空港から飛行機に乗り、先に着いていた。免税ショップ近く、魚だらけの水槽の前で待ち合わせする。たったの1週間、離れていただけでも会うときは他人っぽく、涼しげな顔で登場するのがこの人だ。免税ショップで、ゲランの化粧水、ランコムの日焼け止め下地乳液を予約し、ゆらレール乗り場へ。国際通りの近く「県庁前」までいく。

 



  5年前、取材の折に立ち寄った「ゆうなんぎい」(沖縄料理)へ入る。Nもよく行く、という。道路側まで人が並ぶほどの人気店である。

 あの日は、2日間の取材を終え、ほっと安堵しながら開放感ひとしおで沖縄料理を肴に泡盛をどんどん飲み、ご機嫌だったことを思い出す。

 奥に深く薄暗いうなぎの寝床。座敷では髪の薄い父親が娘を前にソーキそばを箸でかきまぜている。私たちはカウンターに座った。

「初めて?これとこれが上手いよ」と女将さんが勧めてくれた。

「ゆうなんぎい定食」B定食(ラフテー、フーチャンプルー、ミミガー、ジーマミー豆腐、クープイリチ、いなむるち、ごはん・お新香のセット)、「沖縄そば」をオーダーした。

 




 

 ジーマミー豆腐がさっぱりとして最高。フーチャンプルーの、フーには和風とソーキのだし汁が溶け、おいしかった。やっぱり旅のスタートは、地産地消の味でなくっちゃ。国際通りをふらふら歩く。途中、民芸の器の店や沖縄の雪塩、琉球ガラスの店などをのぞく。

 



 
 

 濃いブーゲンビリアがたわわに咲く。薄汚れたコンクリート。マッチ箱みたいなビル。灰色になった洗濯物が下がったアパートには、植物が原生のままで大きく成長し、にょきにょきと茂っている。カフェの前では、綿の肌着のままの日に焼けたおじさんが、薄い氷が浮いたアイスコーヒーをうまそうに啜っていた。沖縄なのに台湾の匂いがした。商店街を歩くと、腐った魚の臭いと、南国のフルーツの匂いが入り交じった、煩雑な昼間。まるですっぴんで昼寝をしているような那覇の姿だった。

 

 国際通り沿いの商店街をのぞきながら牧志公設市場の方角へ。楽しみにしていた市場は、5年前にみたあのにぎやかな市場ではなく、人も店も閑散とし、面積も以前の半分以下の、別の市場になっていた。あまりに寂しげなひどい状態で胸がしめつけられた。

 

  気温はすでに3月といえども22度。もはや入道雲が浮かんでいた。ナハテラスで一息。震え上がるほど酸っぱいシークワーサージュースを飲みながら、いまリムジンバスを待っている。

 



 


フランスの片田舎の郷土料理!ビストロスリージェ

2021-04-27 00:30:00 | コロナ禍日記 2021

 

 

 桜をみたあと、京阪電車の出町柳へ。息をはずませて駆け込み、「予約をしていたのに遅くなってすみません」と平謝りした。来店は3度目。フランスの田舎町にあるようなこぢんまりとしたよい店だ。

 白の塗り壁と太い梁を組み合わせたウッディーな内観。アンティーク家具のしつらいや小物づかいに温かみを感じる。鰻の寝床式に奥行きがあり、厨房、カウンター席、テーブル3席の構成。BGMは、くぐもったシャンソンである。

 ちなみに夜もシャンソンがかかる。

 

 ここは、ビストロ好きの間では、ちょっとした人気。例えば作家の千早茜さんなど。フランス各地の郷土料理が味わえる。 

 ランチには、スープと前菜、メーン、デザートかチーズかを選ぶ。(この日は3500円) 

 スープには、セロリと菜の花のポタージュ。山菜独特のほろ苦さと甘みが調和し、最後の一口までおいしい。バゲットもパリッと割ると発酵した小麦の香りがする焼きたて。バターもフランス産のものを使う。

 

 



 

 前菜には、うさぎのパテをオーダー。食べやすく、しっかりと肉の味を感じさせ、脂身に深みをもたせる。食べ応えのある一品だ。ビネガー風味のソースに味付けされたキャロットラぺ、紫きゃべつのサラダもたっぷり添えられている。ちなみに自家製サーモンのサラダも旨い!



 メーンには子羊の煮込み。じゃがいもやにんじん、豆などの野菜と香草を合わせた煮込みで、ビストロの定番。ローストで供されるという予想を裏切り、驚きがあったし、ボリュームもある。 



 

デザートには、3品盛り合わせとご機嫌だ。コーヒー、紅茶、ハーブティー付き。

 



 

 昼から白ワインをのみ、シャンソンに聞き惚れてディナー料理並みの贅沢なひとときだ。素材の旨味をひきたてる濃い味はワインが進むからなのだろう。パリ街区で食べたビストロを思いだし、卵料理やムール貝、エスカルゴなども味わいたくなった。

 

 このあと、昨日、Nと下見をしておいた京都御所の糸桜と、同じく台湾茶のお茶処「福到」もYちゃんに紹介、立ち寄る。曇り空の昨日とうってかわって明るく咲き誇る桜がみられた。見る相手で花の色香も変わる。いよいよ、京都の桜は満開まで1週間の、華やかな季節がはじまる。






 

 


2021年 関西の桜巡礼 醍醐寺(2)

2021-04-25 21:48:00 | コロナ禍日記 2021
 
 
 


 

 3月20日(土曜日)晴れのち雨

 

 昨日の昼は曇り、夜は大雨が降った。おかげで、今朝は晴れている。駅までマスク姿で坂道を下っていきながら、桜の蕾に光があたりマイナスイオンの湿気が顔にふれ、頭の芯がさえてくる。

 電車の中で外をみて、本を読んで2時間。着いたら京都地下鉄の醍醐駅だ。友人のYちゃんが、めがねの中からニコニコしてわたしをみていた。「お久しぶりね」この日はいつものバスに乗らず、住宅街をまっすぐぬけて歩いて、醍醐寺まで。(約15分)

 

 まだ朝の10時。花びらを開いたばかりのまだ時間の経っていない優しい色の垂れ桜が迎えてくれた。青い空とのコントラストが美しい。




 

「三宝院」は葵の間をはいり、秋草の間、表書院などをみて歩くのだが、この日は、通常は非公開になっている特別拝観が行われていて、純浄観、本堂、奥寝殿、松月亭などが拝観できる。大はしゃぎで、追加料金(500円)を支払い、いそいそとまわった。

 庭がまた美しい。ふたつみられた。

 







 純浄館は、四季を描いた襖絵が見事だ。青い芝の中に桃山の頃の紅しだれ桜が見事に花の気を漂わせていた。茜色の襖には紅葉の海。どの部屋にも畳と襖絵と床の間のしつらいがしっとりと古くて、緊張するほどに素敵だ。本堂には弥勒菩薩、弘法大師の仏などが安置されていた。

 表書院から出る庭。小さなせせらぎがあふれ、青松や石、古木の色艶の縁やひさし、床框、舞台など。佇んで、スケッチしたいくらいだ。純浄観の前の枕流亭もすばらしかった。

 

 そのまま西大門まで。ここからが醍醐味。

 五重塔、金堂、弁天堂などをぐるり。桜の木をめでながら歩ける幸せ。どこを眺めても、ピンクの花弁からあふれてくる清浄が空気に溶けて、感情に訴えかけてくるようだった。好天があとを推す。

 

 











 

 Yちゃんの提案で、上醍醐まで歩いた。薬師堂、五大堂をみて、西国十一番札所の准胝堂まで来た。

 あら。お堂の外から般若心経の読経が聞こえ漏れてくる。テープを流しているのだろうと思うけれど、声がしっかりとして腹から響く肉声として届く。期待しながらあがってみると、黄金色というかクチナシ色というか、畏怖漂う袈裟をまとった僧が12人ほど、正面中央の准胝観音、御大師さん(弘法大師像)を仰いで経を唱えておられ、厳かな雰囲気に。こちらも迷わずに頭を垂れた。

 

 すると。今度は僧たちは、すくっと立ち上がり、円(えん)をつくられて、ぐるぐるとまわりながら、祈祷をされだしたのだ。読経。たくましく太い声と袈裟の袖が僧の動きにあわせてゆれる。足をふみならす、大胆な動きに見惚れ、ここにちょうど居あわせたことを偶然だろうか、という気持ちになる。せめて、手をあわせ、心をあわせた。

 Yちゃんと御朱印に並んでいるのだが、そのこのこと自体が不謹慎に思え、詫びながら般若心経を祈り、時をともにした。

 

 外へでると、また明るい。池があった。黒い鯉が、仏の姿にみえた。准胝堂が水に映っていた。

 








 

 深い感動を覚えて それを口にして言いながらYちゃんと霊宝館へ。

 







 

そして周囲の庭を写真を撮影し、桜を何度でも愛で、取り憑かれたような顔をして、醍醐寺を後に。今度はバスへのり三条までいくところ渋滞で駅まで。ランチを予約していた「ビストロスリージェ」まで1時間、電車にゆられた。

 

 

 

 


2021 関西の桜巡礼 京都御所(1)

2021-04-19 22:22:00 | コロナ禍日記 2021

 

 

3月19日(金曜日)晴

 

 明日、Nが東京へ帰るので、関西の桜を見て欲しいと京都御所へ。阪急電車、京都地下鉄と乗り継いで「今出川」で下車。同志社大学の校舎を通り抜けるが、生協は閉じられ、学生はぽつり、ぽつり……。春休みのせいもあるだろうが、コロナ禍の閑散としたキャンパスである。

 

 

 同志社大学から同志社女子大学の正門へ入るところを、森林のほうへ渡ると京都御所の敷地内だ。青松をみながら、ざくざくと砂利道を歩いて、右手が近衛家の邸宅跡。かつての庭園にあった池は今も「近衛池」として残り、邸内にあった糸桜はいまもなお、京都の春をいち早く告げ、親しまれている。

 

 京都は桜の開花宣言をしたばかり、こちらなら咲いているだろうと期待してやってきた。

 着物の女性を何人かみかける。緑の松と桜が同じ敷地内に、同じ力で魅せてくれる。御所という場所柄もあり、「浮世絵」をみている心地になる。糸桜はピンクというよりは、花が白く、繊細にたれこめる。

 

 






 

 まだ開きはじめたばかりの花の枝も多い。咲き誇っているというより、ぼんやり咲いている。松もぼんやりとしている。(京都らしく、おっとりとしているというほうが合うのだろう)。いまの波長と似ているのだ。

 

 せっかくなので、敷地内を歩き回ってみた。

 花のよくみえるところに、長いベンチがあったので休んでいると、隣に中年のおばさまたちが3人で座っていらっしゃり、おしゃべりが聞こえてくる。すごい、はしゃぎっぷりで楽しそうなこと。

「きれいね、よかったわね」「こんなに楽しいなんて、昨年はこられなかったからね。ことしはいいわね」「わたしたち、コロナにはかかっていないから、ちょっとくらい、しゃべっても大丈夫なのよ、ぜんぜん平気よ。ねー」と。学生も顔負け。おかしくて。わたしは桜のほうに顔をむけたふりをして、苦笑。

 

「ねえ、なにを笑っているの?」「黙って聴いてごらん」とわたし。一人で花をみるより、おばさんや子どもたちやカップルたち、そしてNともに桜の花をみられて、さらに幸せな気持ち。

 出町柳まで歩いて、台湾茶のお茶処「福到」へ。新しい店だった。奥行きがあり、坪庭もみえる。

 

Nは桂花烏龍茶、わたしは阿里山金萱烏龍茶で。

 





 

 清々しく、後味にほんのりと甘みの余韻がひろがる。美しい、いいお茶だった。香り、のど越しに。台湾の時間に思いを馳せた。

 友人へのおもたせに、阿里山金萱烏龍茶を購入する。

 

夜は、ちょっとだけ。ということで昨年末以来のイタリア料理「カンティーナ・ロッシ」に足をのばす。

 前菜とパスタを2種ずつ。赤ワインで乾杯!

 「たことじゃがいも」の前菜。ほくほくのじゃがいも、たこは柔らかくむちっとしているのに、喉に落ちたら、サッパリ。春たこはやっぱり格別。トマトとモッツアレラのカプレーゼも美味しい。

 ほか、ゴルゴンゾーラのパスタ。菜の花とからすみのペンネで。両者、濃厚でワインに合う。

 上品で可愛いマダム。安心できる豪腕シェフ。帰り際にコロナ禍での営業形態など会話した。少し前、緊急事態宣言も解除され、京都らしさを満喫した一日!  










 


 

 


高校時代の恩師の言葉に救われたという話し (備忘録)

2021-04-14 01:22:49 | コロナ禍日記 2021
 
 


 
 
 
 

2021年 3月15、16日(月、火曜日)

 

 コロナ、コロナと気遣いしている間に高齢の母が死んでしまったらどうしようという恐怖に駆られて、電車で2時間かけて、実家に帰る。娘よりも孫かわいさだ、と考え、「行くからね」と母に電話してNを同行させた。

 

 わたしの頭の中の母は、弱々しい声で話し、縁側でぼんやりとしている。悲観的なことが頭の大半をしめ、いつ死ぬのだろうかと気弱に話し、一人のごはんが不味い、とため息をついているのに。

 現実として目の前にいる母は、艶のある美しい銀髪で、頭もしっかりとしており、笑っているのだし、とても明るいのだった。ものすごい食欲で、「おいしい、おいしい」と連呼して食べる。父が他界し33年。「働きもしないのにお金の心配もなくここまでやってこられたのは、自分がやりくり上手で若い時代に節約家であったから。いろいろな苦労したからよ。見習なさいね」とNに説教を長々とするのが目の前にいる母なのだった。(父の功績はどこへ行った!)

 

 一昨年、仕事の縁で得意先から水素ガス吸入機を購入し、約1年半。本当に声に張りが出て、話す内容にも自信が感じられるまでになった。

 今日も菅総理の会見をみて、わたしとNが顔を見合わせてニヤリとしただけで、それが気になったのか、不思議そうな顔をして、「なんで、笑ったの? どこかおかしかった? ね。なぜよ」と台所で甘鯛に包丁を入れているわたしの真横までやって来て、言いつのる。講義の声だ。

 

 ふふ。なぜ菅総理に思い入れたっぷりなのだろう……! 89歳の母にして、菅さんは他人とは思えないそうである。口下手な身内に見えてくるそうだ。言われてみれば、ちょっぴりかぎ鼻のかたちといい、どこを見ているのか読みとりにくい灰色の瞳の色といい、うつむき加減から唐突に話し出すところなど、父の面影と似ていないこともない。

 もう少しユーモラスな人ではあったが。母っておもしろいなぁと思う。全く可愛い人だなぁとも。政治手腕はどうであれ、できることなら母のために解散総選挙を後に遅らせてほしいものだ。

 

 今回の連泊での収穫といえば、もうひとつ。掘り出し物のサイン帳と日記であった。二階の和室に掃除機をかけていると、

「これ、おもしろいものをみつけちゃった」とN。私の小学校5年生の頃と中学時代の日記を探り出して暗唱をし始めた。「やめなさいよ。こら!」と必死で取り返そうとするも、Nは興味津々。それはそうでしょうよ、気持ちはわかる。わかるけれど、ダメ!

 

 びっしりと綴られた日記にはは、みるのも読むのも恥ずかしいのだが、いかにも感受性のかたまりだ。例えば愛と死に関する詩や、ゲーテ風の格言、男の子の事なども切々と書いてある。中学に差し掛かってきたら「ハッピーさま」と架空の人をつくりあげて、日常の報告していた。アンネの日記(あしながおじさん?)に影響をされていたのかなと思い巡らせてみるが、いまとなってはわすれてしまった。

 

 恩師の手で書かれた、サイン帳だ。

 





   確か、世界史の先生は30代だった。 

 18歳の卒業時に自分がどれだけ心を打たれたのかはわからない。けれど、いまになって大きな勇気をもらう。書かれた先生と舎監(シスター)のあの時の声で読む。

 

 自分という存在価値を認め、希望をもって水やりし、粘り強く育ててやることも大切。よいところも、よくないところも一番自分が知っているはずだから。すくすくと自由に伸びていくよう、諦めずに見守ってやらないと。一生の付き合いなのだから(もっと自分のことを大事にしようという話しです)

  ふるさとに帰ること。もう一度、大事なことに気づいて、振り出しにもどる。また始めてみる。そうやって人生は続いていくのだ。

 

(個人的な内容でお目汚しさせてしましてすみません)備忘録

 


終いの鍋

2021-04-12 01:09:00 | コロナ禍日記 2021







 

2021年3月14日(日曜日

 

 夕方の便で、Nが帰省してきた。最寄り駅よりも、ひとつむこうの駅まで車で迎えに行く。ついでに阪急百貨店で食材を調達。宝塚牛乳で、瓶入りのプリンとシフォンケーキを買う。1月以来なので、随分と会わなかった気がする(仕事で東京へ出向いて以来)

 

 今晩はあんこう鍋にした。あんこうの肝をだし汁にといて、滋養たっぷりにしたスープで、身がほろっと崩れるやわらかい白身の魚をふーふーっといいながら口に運ぶ。

 「おいしい。たらよりもずっといい」。鮮魚の鍋にするなら、くえ鍋かあんこう鍋がいい。うまいなーといいがら、また口に運ぶ。あんこうの身は淡白なうえ、骨がおもちゃの骨みたいに透きとおって美しい。口にいれた時に身離れもきれいで、ほろっと剥がれて、吸うとちょっと骨がしなるところも気に入っている。今回も奈良吉野の葛きりを入れたのがよかった。夏の冷夏となるほどの純な口当たり良さ。鍋でもいい仕事をしてくれる。

 ほんのちょっと原稿を残していたので、滋賀県の純米吟醸(萩の露。里山)に少し炭酸をいれて軽く飲む。今回のNの滞在は6日間だという。


春の夜散歩

2021-04-11 00:11:00 | コロナ禍日記 2021
 
 


 
 
 

3月9日(火曜日)

 

 起きてすぐ、(昨晩お風呂で読んでいた)向田邦子氏の「胡桃の部屋」の続きを読みおわる。心を打たれた。エッセイよりも、向田邦子が濃厚だ。朝から酔っぱらった。向田邦子の(作品の)色香に。この人の爪のアカほどの才能があればと天を仰ぐ。

 

 気を取り直してヨガ、瞑想を10分。20ページ分の色校のチェック。無事、昼すぎに今号の入稿を終える。

 

 お昼は、一昨日にしょうゆと酒、みりん、にんにくとショウガのみじん切りに漬け込んでいた鶏肉を、小麦粉とパン粉をつけてカラリと揚げて食べた。付け合わせは種々のグリーンを交ぜたサラダ。にんじんスープ(昨晩の残り)。

 

 夜8時まで仕事をして、夜の散歩。気持ちいい、むーっという虫や生き物の息が私の耳まで聞こえてくる。地からわき上がってくる、春の気配。暗い夜道ながら、ちっとも怖くない。いつも通る道の途中の軒下に、紅垂れ桜ならず、垂れ桃がさがっている。花の下までいって、近づいて匂いを香る。桜とは違う、甘々しい花粉のにおい。見上げれば、傘になって花筋が自分に降っていた。30分歩いた。久しぶりだ。10分の時よりも、体の深部まで夜の気配が浸透したようだった。

 

 

 

 

 

 


ある日小川洋子さんのZoomイベントに参加

2021-04-08 23:58:00 | コロナ禍日記 2021






 

3月6日(土曜日)雨

 

 起きたら雨だった。7時に起きて瞑想、紅茶とショートブレットを食べる。午前中は原稿を書く。午後から作家の小川洋子さんに聴くZoomイベントに参加。慌ただしく大阪へ出かけた。

 

 小川洋子さんは、デビュー当時、台所のダイニングテーブルの上にパソコンを広げて、小石をひとつづつ積み上げるように、一行一行言葉を積み上げては崩し、また積み上げてというように、赤ん坊(息子)の育児をしながら物語を書かれたという。

「最近、首の後ろ側が痛くて原因を探るためにひとまず歯の治療に行きました。けれど医師によると、どこも悪いところはないというんです」と話しをされた。

 では、なぜわたしの首に鈍痛が走るのか。洋子さんはその原因をあれこれ探ってみられたそうだが、医師が興味深いことを教えてくれたと話し続ける。「一つ一つの痛み全てに原因があるとは限らない。痛みは脳がつくっている、脳とはすなわち心があなたの痛みがつくっている」と。洋子さんは仰った。

 これは文学にも置き換えられるのでは?

 原因と伏線でストーリーを追い、それをラストまでに回収できる物語は書いていても読んでいてもスッキリして安心はできるけれど、本来、文学はそうじゃないところにあるのではないか。「社会や人間は原因も理由もわからない、理屈で捌ききれない部分があり、そういう闇の部分を両手で掬いあげて、ありのままに書いてこそ文学」と小川さんはZoom画面を通して話される。「なぜこれを書いてしまったのかわからない。理由(原因)や伏線も放り出されてしまったものが文豪の書いた名作にも数多くある、とわたしは気づきました」と洋子さん。

 

 次に「アウシュヴィッツは終わらない。これが人間か」イタリアのプレモ・レーヴィ著書の本を例にとって解説される。

 プレモ・レーヴィは、24才の時にパルチザンとして活動中に逮捕され、1944年にアウシュヴィッツに移送、開放されるまで強制収容所で地獄のような日々を送った作家であり化学者だ。彼が送られたのはアウシュヴィッツの中の第三強制収容所モノヴィッツであった。

 いつ強制収容所に送られるのか、わからない状況にありながら、徳や知を求めるのが人間である。ダンテの「神曲」を読みたいがために、語学を教えてほしいと僕(おそらくプレモ・レーヴィ)は言われた。明日、死ぬかもしれないのに、だ。

 本の一節にこういうシーンがある。ある雨の日に、鍋に入れた「蕪のスープ」を僕とその人はずぶ濡れになって運びながら、ダンテの神曲の一説を暗唱する。その場面を読んだ時に、洋子さんは深く感動したと話す。これぞ真実の風景が描かれていると思った。「作家は、意味合いや理屈を超えて、ただそれを書きたくて書くのだけれど。ひとたび物語を書いた後は作者の手を離れて、読者によって物語を書かれた意味を与えられるものだ。ダンテとて、雨の日に蕪のスープを運びながら、強制収容所の中でいつ死ぬとも知れない人が、自分の詩を暗唱し、生きる意味を問うて涙を流すなど考えもしなかったに違いないのですね」。

 

 描写はある意味、記憶の風景です。それをどう読みとるかは読者に委ねられている。作家は、なぜか書いてしまった。そういった神の声に耳を澄ますことが大事。なぜか、と問う。書いた意図など、もはや関係がないところに文学のリアルがあるのです、と話されていた。洋子さんが書きたいのは空想の物語ではない「リアリティだ。人間がアブノーマルな部分を抱え、それらをどうにか隠しながら普段の中に折り合いをつけて人はいきている、そうではありませんか。そういものをわたしは書いていきたいし、これからも読みたいです」

 このあと、「密やかな結晶」「完璧な病室」「小箱」などの本を取り上げて解説してくださる。質問コーナーでは、わたしも「推敲について」洋子さんに質問させていただいた。仕事の取材なら音声データを必ずとるのだが、初心に返って必死で板書した。なぜ。など分からなくてよい、けれど書かれようとしているものを深く土の中に根を下させて、客観的に観察してみることが大事なのだなと思った。


 急いで自宅に戻り、梅田のイカリスーパーで買ったお弁当を急いでお腹の中に半分だけ入れて、直ぐ別のZoomを8時半まで。終わって、お弁当の残りを食べて1時間ほど家人と雑談。それから取材原稿を1本書いて、1時に布団の中へ。寝られなくて小川洋子さんの本をもってお風呂で、「揚羽蝶の壊れる時」を読む。3時に寝る。

 

 

 

 


ほろ酔いシャンパンの後の原稿でした

2021-04-06 23:57:00 | コロナ禍日記 2021





  

2月25日(木曜日)晴

 

起きて、少し本を読む。家人は、テレワークなので、ダージリンティーとフルーツ、シリアルで朝食。11時半まで原稿を書く。

 

午後。電車に揺られてインタビュー取材。終わって、流れで打ち合わせ。3人の担当者と入れ替わり、3時間話す。

 

疲れたので、大阪グランフロントに立ち寄り、ディーンアンドデルーカへ。トマトを買ってイタリアンの前菜にしようと、モッツアレラチーズを買う。ぶらぶらと、エノテカに足がむく。

 




コロナ自粛から解放されて、どの店も人が多い。最も人が少ない店を選んだのがこちらだった。シャンパンとおつまみのついた「ハッピーアワー」というメニューを楽しむことにした。

 

カウンターには男性一人。テーブル席には男女2人。わたしは窓際のハイチェアに陣取り、黒い階段から流れてくる滝の水を飽きずにぼんやりと眺め、灯り始めた始めた光の雫を感じ、車の走る街の音を聴く。それらを間近に、贅沢な一人の宴、シャンパン、カモのロースト、ミックスナッツで夕方の時間を過ごした。

 

日常の壁をとび越えて、裏の世界であそんでいる気分。仕事の後だから罪悪感なく楽しめる。例えばそれは男性の友人が何人いるか、異業種の友人がいるかと同じように、こういう時間をいくつ隠しもっているかで、人のおもしろさは表れてくるんじゃないかという気もする。世間にはずれたこともしないで、ここまできてしまったけれど。この年齢になって、もっと力を抜いてもよかったのじゃないかな、などとも感じる。

 

帰宅後。「お嬢さんのような人から電話があったよ。『取材先に電話をかけてもいいですか』と聞かれた」と家人がいう。

 

折り返し電話をかけてみると、やはり、提出したコピーの修正だった。それも今夜中にクライアントに送りたいとのこと。え、え、いまから、仕事?

ほろよい程度にシャンパンがはいっていたので、慌てて冷蔵庫に残っていたケーキをかじってコーヒーを飲み、すぐ机に前に座ってパソコンの電源をいれる。まずキャッチフレーズを再考。選んでもらいやすいように、違う切り口のものを4案ほどつくる。

 

「先に適当に食べておいて」と家人には言った。頭が夜の街からもどってこなくて難航。どうにか提出できた(よかったかどうかはわからない)。


台所では家人が、みそしるをつくりかけている。後をひきうけ、汁物、菜の花のお浸しとほっけを焼いて、お漬物を食卓に並べた。

 

本を読んでのんびりしたいところ、11時から別の仕事にとりかかる。風呂で推敲する予定がやはりわたしの集中もここまで、眠くなって12時過ぎには寝る。

 

 


神棚の榊が病気になった

2021-04-02 00:30:00 | コロナ禍日記 2021

2月24日(水曜日)晴

 







ヨガ、瞑想。朝風呂40分。

 朝、神棚の榊の水をかえようとしたら、葉に白い鳥の糞のようなぽつぽつと。白い斑点になってついている。榊の葉が病気になってしまったのだ。

 

 神社のお札を、ふたつ並べて置いているのがよくなかったのか、とまた気になり始める。30度くらいの湯で、手で擦り取り、水道のぬるま湯で流して榊の葉を洗う。(後日調べるとカイガラムシという害虫らしい)。どこから害虫はやってきたのだろう。なぜ、十数年一度たりともかからなかったのか。いまなぜ感染したのか。

 

 榊にとってはかなり高温なのだろうと思う。葉にとってこの洗浄は辛いだろうと思いながら、ごしごしと洗う。

 

 いま、もらっている案件はとりあえずできるところは全ておわったので、日曜日に出す課題に集中しようとするが、日溜まりのなか、ぽんやり考えてばかりで進まない。書いているものが、どこか逸脱しているように感じ、違うような気がして安泰な心になれないでいる。どう修正(推敲)してもしっくりこない。どんどん離れていくよう。自分を信じるとよくいうけれど、違和感と不安がぬぐえないので、苦しい状態。まだ続いている。昨年の晩秋から……。書いて伝えたいことが曖昧だからこうなる。一日進んだら、ほっとしてすぐ気を抜き、また逆戻りである。

できるところまで書く。きょうは沈没して、2時に寝る。