月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

夏の帰省。お盆催事を半日エスケープして城崎温泉へ

2014-08-19 19:25:45 | どこかへ行きたい(日本)



お盆が終わり、週末が終わり、またいつもの生活がはじまった。
振り返ると、今年の夏ほど故人の存在を強く感じた年はなかったように思う。

主人はコンペ提出のチェックや映像撮影の立ち会い等で忙しいようで、今年ははじめて娘のNとふたりっきりでの帰省となった。


13日は特急こうのとりに乗って八鹿駅で降り、バスを乗り継いで高柳へ 。
高照寺へ挨拶を済ませた後で、
父方の先祖代々のお墓参り。
途中で母と合流し、親戚のおじさんおばさんとも合流。

行く時とは違う、地方特有の遅い時間の流れの波を不思議な感じで受けとめながら、
83歳のおじさんが運転する(急発進・急停車の荒い運転にドキドキしながら)車に乗せてもらって、実家にたどりついた。

一級河川の円山川に寄り添って、
夏の緑の山々がどこまでも、続いていく。
この川は、豊岡、城崎を越えると日本海へと注がれるのである。
川面は当然のように深い碧色をたたえていて、
とろんとした碧の川面をきれいだなーーと感心して眺めつつ、
おじさんのジョークに受け答えなどして、
車に乗っていた。
車のフロントガラスを、赤とんぼとオニヤンマが次々と線を描きながら流れていく。

田舎の夏を訪れると、
なぜだか、蝉時雨よりも、トンボの大きさに目をみはる。
ほんの2日前には、今年2月に亡くなった103歳の祖母の初盆で御仏壇に手をあわせ、
母方のお墓参りを済ませたばかり。
私の夏は、これらの大仕事を終わらせないと、自分の夏は始まらないように思う。

2日目は、またまた親戚の集いがあった。母は長女なので手伝いやら、何やらのために朝9時から祖母の家へ。

私たちは、朝起きると早々に地元のローカル電車に揺られて「城崎温泉」へと向かった。

暑い日で、太陽はジリジリと肌を焼き、いちだんと湿気も高く、山陰地方の盆地の夏を久々に味わう。
それでも昔ながらの湾曲した石橋や青柳が懐かしくて、
ゆらり、ゆらりと観光客らと一緒にそぞろ歩く。





地蔵湯を抜けて、柳湯を過ぎ、一の湯をゆっくりと眺めながら朝の城崎を歩く。
「お土産物屋さんも、やっぱり昔とは随分と変わったね」
「みなとや、さんは、あらどこ?名前を変えはったんかな」などと、
独り言のようにつぶやいて、
珍しい店をのぞきながら歩く。
朝の城崎はすがすがしい。外国人の観光客も増えたものだ。


ふと。むこうから父がいつもの笑顔のままでこちらへ向かって歩いている姿がまぶたに映った。
自分の宿の料理人用の白い割烹着を腰だけちょこんと巻いていた。
その横からチラリと見えるワニ革(クロコダイル)の茶緑のベルト。
そしてV字のベスト。
うわーーー、幸せな錯覚だ。それを見た瞬間、涙がほろりとにじんだほど私は嬉しかったのである。
そして
父のふわっとした匂いが私の横を通り過ぎた。
本当にありがたい錯覚だった。

それから、「御所の湯」で朝風呂。








お盆で人が多いのではという心配をよそに、
朝風呂は見事に空いていて3組ほどだった。


山からどうどうと流れる滝のしぶきを目前に見ながら
露天温泉へ入る至福。
夏の温泉も、朝はこんなに清々しく、気持ちいい。
温泉という名の熱い海で、ゆうゆうと体を泳がせているようである。

ここの湯は、一の湯のように塩泉ではないと思うが、
やさしくて、透明感にあふれた、いい湯だった。
前に訪れたのは8年前。やはり祖母の慰安のために城崎へ一泊した時のことを、再び、ゆるゆる思い出す。
城崎は7つの外湯めぐりが、素晴らしい。このままどうぞいつまでも鄙びた温泉場であってほしい。

温泉をあがると、ソフトクリームなんぞは食べず、
フルーツ牛乳もこの日は飲まずに、
すぐ目の前の「をり鶴」という老舗の寿司屋へ。




人気店なので40分ほど待ったが、
カウンターの一番端を陣取れた。
身内だけで接客しているのだろう、物腰のあったかい応対ぶりだ。




お昼なので、まずは「にぎり寿司」を注文し、それからコハダ、サユリ、玉子、サザエなどを別注文。
あわせたのは、香住鶴の純米酒しぼりたて。








大将と息子さんの包丁さばきをみながら、
湯浴みのあとでの、旨い寿司。
最高の気分であった。
酢はきつすぎず、にぎるしゃりも柔らかい。

父は前の小さい店だった時に、よくこの大将のにぎる寿司(魚のにぎりや巻き寿司)をごちそうしてくれたもの。
私が大阪へ帰る時には、自分の作った松花堂膳ではなく
「をり鶴」の寿司を車中で食べるようにと、
持たせたくれたものである。

この日はロープウエイまでは行かなかったが、こうの湯あたりでUターン。
城崎は山裾の裏通りや、こうの湯あたりの桜並木の川沿いを、コロンコロンと下駄をならして歩くのが情緒があって良いように思う。
初めての人は、ぜひ射撃場などで遊んでほしい。
昭和なおばちゃんが、ふっくら、やんわりとした面もちでいくらでも打たしてくれるし、スマートボールなどで遊ばせてくれる。
あるいは儲かっていなさそうな、バーで日本酒を飲んだり、ウエハース添えのアイスクリームを食べるのもいい。


私たちはそんな城崎の夜に想いをはせながら、まだ昼間なので帰りに小松菜と柑橘類の野菜ジュースをスタンドで飲み、城崎を歩く。
きょうは盆踊りが近くの神社で行われるようである。









美しい日本画と新緑を楽しみに、神戸・御影さんぽ。

2014-05-11 23:38:09 | どこかへ行きたい(日本)




緑の風が5月を象徴している。
夜は寒いけれど、昼間は初夏!水玉のワンピースをひるがえして出掛けたくなる季節である。

週末、日本画家・森田りえ子さんの「花らんまん展」を観に、「香雪美術館」へ行ってきた。





神戸阪急の御影駅。ひなびた小さな駅が可愛らしい。
駅を降りると、おいしそうなパン屋さんやケーキ屋さんが数軒、出迎えてくれる。小さな街なのに、ケーキ屋さんは10軒はある。



御影は初夏がとっても似合う街だ。なぜって、街路樹の木々が素晴らしい。
クスノキや松、サクラ。
樹齢が古い木々が、そこかしこにあって、アザミやたんぽぽなどの小さな花も道端にぽっかり、堂々と咲いている。




豪邸の庭の緑も枝振り豊かで、緑の道を連ねている。







さて、森田りえ子さんの「花らんまん展」は、ある意味想像したとおりだった。
神戸の博物館で見たポスターになった1枚が好きで、それに惹かれて出掛けていったのだが、
大人の階段を駆け上がる途中の舞妓さんの表情がはずかしげて、 バックの咲いたばかりの爛漫なサクラと
溶け合って、ともかくステキな絵だった。

祇園祭での、2人の女性を描いた作品も印象に残る。人物画がよかった。
肌の描き方が色気があっていい。
白梅と紅梅の作品もいい。

ただ松園先生や小倉遊亀などの日本画と比べると、もう少し…、というところか。あまりに綺麗すぎて、少し息苦しい。スキがないのだ。
絵にも陰陽があるといいと思う。華やかな作品の中の、数枚の苦悩とか、迷い、焦りみたいなものが見あたらなかった。

陰鬱な作品が今回ひとつもなかったのが気になった。こういう暗いものも描けたら、絵に深みというか厚みが出るのではないだろうか。
じっーといつまでも見ていたい、明日もみたいなーと思うのではないかしら。(見る時間、みる時の心境で語りかけるものが変わっていく絵はステキだ)

とか、森田さんをよくわかりもしないのに。
失礼なことを書いてしまい、全く検討はずれであれば申し訳ありませんでした。



香雪美術館の庭園でゆっくりと青もみじを感じてから、






ぷらぷらと「弓弦羽神社」へ。
ここは、スケーターの羽生選手の活躍以来、有名な神社になったところだという。




境内に向かう途中の掃き清められた庭と深い森。
見上げれば、緑が降ってきそうだった。ああもう数カ月で夏なのだな、
少し焦る思いで改めて気付く。

緑の葉がゆらゆらと風と太陽を浴びて気持ちよさそうだった。
五月の緑と雨は、目をみはる。
先日の雨もしっとりとして爽やかだった。


このあたりは、北側に深田池公園(鯉の泳ぐ広い池とベンチがあり、ぽーとするには最高の公園)があり、
水際の青い松や柳が沢山あって、本1冊持って散策するのに最高の立地だ。
きっと朝の散策もいいだろうな。


神戸は川や海、松の公園や鎮守の森が街に溶けこんでいて良い。

私の暮らす街とどこが違うって、
やはり街の歳月が違うんじゃないかと思う。年期が違う。樹をみればわかる。


帰りには、ケーキ屋さんを2軒はしご。
「セセシオン」でおいしそうなのを2個買って、御影高杉の本店で
ヌワラエリアと特製ケーキを食べて帰る。









2014年「花休暇」京都七条通りのホテルと三十三間堂。

2014-04-10 22:44:28 | どこかへ行きたい(日本)


そろそろ桜が散ってしまう季節です。
今年は、私、風邪をひいて鼻水ぐすぐす、咳きと熱に4日くらい悩まされておりましたが、どうやら快方にむかってきたみたい…。
そして、明日。ようやく治りかけたらさっそく終日取材のため商品倉庫にお籠もり。それまでに手持ちの原稿を進めなくてはいけない状況で、それでも
どうにかメドがたちました。


さて、桜休暇のこと。

毎年春には、郷里で一人暮らしの母を招待して旅行に誘っているのですが、今年はNの大学をみたいという母のたつての希望で、
京都へ桜見物という あんばいになりました。その折りのお話を少し…。


JR京都まで迎えにいき、それから「お昼」ということ。
日曜日で、どこも満席のようだったので、
グランヴィア京都1階の天ぷら屋さん、「京林泉」へ。

朱塗りのカウンターがステキでした。

油は「ゴマ油」だけでなく、素材によって「綿実油」と使い分け、
海老や京都の野菜ものを中心に、カチッと揚がった天ぷらをいただきました。
この揚げたてを、すぐに。というのが一番のごちそう。




天紙に油が残らなかったし、値段もお手頃。
出だしからの好スタートとなりました。


お宿は、京都で朝食がおいしい!と評判の「ハイアットリージェンシー京都」。ここ、京都駅から近いのに、あまり大きなホテルでもないし、高層でもなくて。
外国人からみた古都のイメージなのかなと。(外資系なので)。






少し調べてみたら、旧京都パークホテルを改修してのものだとか。
元は2階建ての小さなホテルで、客室3室を2室に改造されたそう。私達が宿泊したデラックスツインは十分に広かった。

それに、この静けさ。土地のもつ雰囲気。
なんか違うなーと思えば、ナント平安時代には、後白河天皇の院御所だったというでは…!!三十三間堂が近いばかりではなかったのでした。

部屋のカーテンを開けると
ガラス窓から竹藪と、砂利の敷かれた日本庭園。
大きな桜の木が望めました(まだ6分咲き)。




眺めもさることながら、さっそくバスルーム!

ゆったりと深さのある四角い白いバスタブ。
独立したウエットエリア(洗い場)を備えた御影石のバスルーム。 水圧の強いシャワー環境。
ま、バス環境が最適であれば私の場合は半分以上は「よし!」という感じ。


レストランも和風(地階)とイタリアン(2階)とメインダイニング(1階)のみ。趣味のいいダイニングが3つです。

この日は、2階のダイニング「トラットリアセッテ」へ、散歩がてらに足をのばし、あまりの心地よさと景観に、
お茶までしてしまう贅沢さ。









あとは部屋でゆっくりし、夜は母の希望でタクシーにて祇園へ。
健全に8時にはホテルへ戻り、
10時にはバスタブにおりました。











朝のビッフェは、日本庭園を望むダイニング「THE GRILL」へ。








一番驚いたのは、あまりの外国人滞在者の多さ。海外かと間違うくらい。

ガラス張りのダイニングは、真っ白な桜の花々や緑の美しさがいやでも目に入る。今日はいいお天気になりそう。キラキラした光がダイニングに差し込み、
庭園の緑が鮮やかでした。

お料理は、一晩かけてスモーク した特製レッグハムや自家製のクロワッサンやスコーンや焼きたてパン20種、完熟サラダなどなど。
ごく当たり前のお料理ながら(しかも種類は多くないのに)、
野菜は完熟のものを冷やして提供するというような当たり前のことが細部まで届いていて、おいしい満足のいく朝食でした。




サービスとしては「?」のところも(まだ残っていても、どんどん皿を下げてしまう)。Nはインターコンチネンタルホテル大阪でアルバイトをしているので、
いちいち、サービスをチェックし、コメント……!!
でも、慌ただしくないし、可能ならいつでもリピートしたい気持ちいいビッフェでした。

ホテルへ出るとさっそく、お隣の「三十三間堂」。






桜がきれいに咲き始めた頃で、月曜日なので人も少なくて
ゆっくりと1001体のご本尊、十一面千手千眼観世音、阿修羅像や、好きな仏像をとくと拝観することができました。
奈良の浄瑠璃寺と、なぜか似ている心地がしたのはどうしてだろう…。
誰もいない雨の日に、心静かに、ぽつりと一人で訪れてみたい気も。

このあとはNの大学や京都御苑、河原町界隈を案内。
いつもの、あそこにも立ち寄って、有意義な花休暇を過ごしたのでありました。













女3世代の旅は、いつまで続けられるやら。
きっと想い返せば、ものすごく貴重な2014年春の1日だったような気がします。

こういった、日常のなかのある特別な1日。確かにこんな親孝行もありとは思いますが、
毎日365日何をみて、何を食べて、誰と話すかが年長者には一番大切なはず。
特に商売をやめてしまった母は仕事も、家族もなく、24時間がとてつもなく長いに違いなく…。
同居がもしくは、おみそ汁の冷めない距離で近くに住まうことができたら一番お互いに安心するのだけど…などと。
とくと考えてしまった、4月の桜休暇なのでありました。







2014年、醍醐の桜。祇園白川界隈へ。

2014-04-06 22:14:06 | どこかへ行きたい(日本)



(写真は醍醐寺と八坂さん、祇園白川、高瀬川の桜)


毎年見る桜というのがあります。
同じように、今年はじめてみる桜というのも愉しみにしています。
ああ、この年にはここへ行ったなーなんて。桜の写真をみて、その年の自分を振り返ってみたり…。

桜。サクラ。同じ木であっても、その年の心情によって毎年違うように見えるのは面白い。
今年は、花が白く日本画で描かれた絵のように刹那的に迫ってきます。


また桜というのは、ごく当たり前に咲いている花と、特別な色香を匂わせる木というのがあって。
なぜなのかなとずっーと不思議に思っていたりしたのですが。
もしかしたら桜という木が見てきたものの違いじゃないかと。
(木はただ黙ってじっと何もかもをみている。見守ってくれているのですよね)
ハッと目が覚めるほどの妖艶な桜には
名木というのではなく、
風土や歴史が刻まれたところが多いから。

また、ごく普通の木なのに、おっ!と声がでてしまうほど美しい木にも出会います。
おそらく、その近くには、
ステキな人たちの毎日毎日の営みがあるのでしょう…。


ひとも、同じようなこといえるのかもしれませんねー。


醍醐寺には午前中に仕事をして、夕方4時くらいに到着したので、
少し寂しい写真になりました。





「三宝院」表書院と庭園。

真っ白な壁づたいに咲き誇る桜や、五重塔付近から見上げる青松とのコラボレーション。幽宝館のしだれ桜。
かわづ桜、しだれ、ソメイヨシノ、
山桜、八重ザクラ、金堂わきに大山桜。
池に映った桜も美しかったです。














このあとで、毎年訪れる(そして2日前にも訪れた)祇園白川の
粋なる桜や八坂神社の桜も、ことしもちゃんと倒壊することなく、咲き誇っていてくれるだろうかと、足をのばして。











夜は白川沿いの「とり新」で焼き鳥のコースを堪能。(串8品2000円)







「水炊き専門店の老舗・「鶏新」さんのお隣。
同じ鶏を使用されているとあって、新鮮でピキピキと身が引き締まってとてもおいしい焼き鳥でした。
〆のとり雑炊が最高でした。

付き合ってくれたお友達のデザイナーさん、どうもありがとう。


さて。私、風邪をひきました。
熱は38度6分。
信じられない。気合いがたりないのですね。きっと。
原稿も2本ほど抱えていますし、来週はまた別の取材もあるのに。
困った。困った。
ぼーとした頭で今桜の写真を眺めております。


桜って木の色も美しいのですが。この2枚は花の美しさをフォーカス!






来週にはだいぶ散ってしまうのですねー。
花冷えだから、もう少し持ってくれるのかな。
ガサッと。ハラリと。散っていく花びらが目に浮かぶようです…。


冬の京都。いにしえの神社とおいしいもん。

2014-02-22 19:14:08 | どこかへ行きたい(日本)



昨日は体調を崩して、終日仕事がはかどらなかった。
一昨日の夜中にフィギュアをみていたら、いきなりものすごい腹痛が。
もしかしてこのまま「死ぬかも」。と思うほどの激痛で冷や汗が出て倒れ込む。

それから3時間後には、少しは回復したが出血を伴う急性腸炎のよう。
(インターネットで調べたところ)。
それで昨日はどうにも机の前に座っていられず、誰とも話しもできない状態で。
久しぶりに温かくして安静に。

おそらく、ここのところレギンスを重ね履きして、「冷え取り」を完璧にしていたのを、
連日京都や奈良方面の取材でストッキング&ロングブーツというスタイルで。
それが体に堪えたのだろうか。
昨日は本を少し読んだだけで、仕事はできなかった。
体調不良の不安としんどさを久々に痛感した。
しかし、今は頭もだいぶスッキリ。久々の休養であった。

さて、この間から書きかけていた続きを…。



「日向(ひむかい)大神宮」(蹴上からは徒歩10分)。



その昔(古墳時代、487年頃)。
筑紫の日向の高千穂の峯から、天照大神の神蹟をうつして再建したと伝えられる神宮だ。
冬の弱い日差し、人のいない境内。

南禅寺や永観堂とほど近い距離にありながら、山科・醍醐の方面へ向かうだけでこれほど空気は変わるのか。
東山でも、全く雰囲気が一変する京都である。
それは、木々が深く、厳かで。山の別天地のようで。
ここに足を踏み入れるだけで、黄色のオーラが飛ぶのが見えるという霊能力者は多いそうだが、時間をさかのぼったような昔の社や境内の佇まい。
「京の伊勢」といわれるだけに、伊勢神宮の神聖な森の気配があたりを包む大神宮である。

外宮。



そして橋を渡って、階段の上にあるのが
内宮。

橋の下は、せせらぎが流れている。

そして、影向岩をのぼっていくと、「天の岩戸」が。




大きな岩石をくりぬいた岩穴。
まっすぐ行くとL字型になってて、人が通り抜けられるようになっている。参拝すると「再生」するという言い伝え。
ひんやりとした冷たい霊気にぞくぞくっとしたが、息をのんで進もう。

すると、コーナーを曲がったあたりに、小さな社。
戸隠神社があり、アメノタヂカラオが祀られている。
タヂカラオは怪力の神。入る時は怖々であったが、中は胎内に包まれたように、心が素直に。

このまま抜け出たくない(外界に戻りたくない)と思わせる、不思議な気が満ちた「天の岩戸」でありました。


抜け出た時に、強い光が一気に差してきた時には。しばし言葉が出ず。
神のご加護の元に生かされている自身を感じ、それからは延々と
一日慶びのオーラに包まれた「ありがたい」参拝となりました。

このあとは、南禅寺のインクラインまで鉄道跡を歩き、どんぐりを拾いながら哲学の道へ。




散策の休憩は、ティーハウス「アッサム」で。
森のなかの一軒家。そんなコピーがぴったりの静かな外観。






クラシック音楽に、日当たりのよいガラス張りの店内。
それぞれのコーナー毎に、趣の違うペルシャ絨毯が敷かれているあたり、
大人っぽい。家具は全て北欧調の繊細なソファー&テーブルで。

本格的にポットで煎れたおいしい紅茶を飲むなら、京都ではここが一番ではないかな。まあ他はあまり知らないが。







イギリス紅茶(スリランカの紅茶でディンブラ)と、
いちじくの煮詰めたものが入る自家製のケーキ。
Nはチーズケーキとロイヤルミルクティー。

キャラウエイシードやアニスが入ってちょっとスパイシーなケーキと濃厚なチーズケーキもグッド。お茶好きの大人を満足させる一軒である。


「ティーハウス アッサム」
京都市左京区鹿ケ谷

12:00~17:00LO・17:30閉店

水曜、木曜休み
075-751-5539



このあとは、祇園界隈を歩いて、
あちらこちらで京都のお茶や珈琲、お昆布さんなどを買い求め、
このまま帰るのに後ろ髪を引かれ…。
結局、祇園「おかる」でカレーうどんをいただき、
黄色いスープに、縁起かついで〆。





ああ、あっさりした本物のカレーうどん。
やはり、胃が疲れたなと思ったらこれ、これ!
へんに辛すぎず、安心できる味。チーズや餅入り、肉入りと種類も豊富。
本日は、一番シンプルな、「きつねカレーうどん」をチョイス。





散策の疲れを癒やすのには、

「おかる」のカレーうどん、もしくは祇園花街の「権兵衛 (ごんべえ)」(075-561-3350)がオススメだ。

「権兵衛」は、きつねうどん&親子丼がおいしい。

こういった手軽な麺や丼ものも抜かりなく
きちんとお出汁をとったおいしいもんを食べさせてくれるのが京都の粋なのである。

成人式と、どんとの火。

2014-01-13 23:56:24 | どこかへ行きたい(日本)



私の街は郊外の新興住宅地なのだが、車で5分も走れば旧街道があり、
そこには村々の営みや古い習わしが
素朴に脈々と続いている。
小さな医院や歯科、神社や森、棚田、川のせせらぎ、竹藪などがある。

この町には折々の祭があり、人々が
歴史ある八幡さんの社を交代で守っているのである。神主さんは、有馬路から毎月出勤してくるのだそうだ。

「火」に清められるというのを知ったのは、この町の「どんと」からだったと思う。
私はそれからしばらくしてから、奈良のお水取りの素晴らしさを知った。


朝4時スタート。
そして約30分。
一年の穢れや罪もすべてを忘却してしまいそうになる、すごい熱の力だ。熱量だ。





火は上に、上にいく。
高く、激しく熱く燃え上がって、あの人やこの人の頬を温かくオレンジ色に照らしている。



村々のおじさんやおばさん、おばあさん、ちょっとヤンキー風のお兄ちゃんも、この時ばかりは火をじっと見つめて、
何かを心の中で反芻している。

白いエプロン姿のおばさんも、その隣のおばさんも頬を温かくして、火をみている。

懺悔か祈りか、それとも願い事か。

誰もが神妙に何かを思い、
何かを描き黙祷する。

しばらくしてから、火に清められた頬と頬を寄せて、会話し、笑いはじめる。おだやかに火をみつめるようになる。

小さな子どもたちやそのきょうだいたちも、焼き芋やお餅の焼けるのを待ちながら、火のそばで声を殺すようにして遊んでいる。
誰もキャッキャッ!といわないのは、この火の清浄さを知っているからか。
火が燃えていくと、神社の石段をあがってお詣りにいく人も。
私もそのなかに混じってもう1度、新年のお詣りにいく。



この町の「どんと」は1月の成人式に一番近い祝祭日の、4時から毎年執り行われている。

聞くところによれば、1週間前くらいから神事を執り行い、土地を清め、
その後、数日かけて柱をたて、竹やかれ柴などで5~6メートルの円錐形をつくり、
仕上げに化粧用の竹を並べてその上から縄を巻くという。




お正月飾りには、伊勢海老の身をくりぬいたものや、
串柿、みかん、炭、田作りをつけて仕上げるのだそうだ。
朝4時からの火は、正午になってもまだまだ燃え続けていた。


街の消防団が監視するなか、時折、
新興住宅地からの若い夫婦が正月飾りなどを、もってやってきた。

私が、どんとに行くようになったのは、10年前くらいからかしら。始めてみた時にはあまりに立派などんとのやぐらにビックリした。
この火をみてからは、正月飾りや床の間飾りをゴミ焼却に一緒に出すのがためらわれて、
毎年、寝坊しても途中から出向くようになった。
ある時には、仕事の原稿を燃やしたこともあるし、Nの成績や模試を書き初めと一緒に火にくべたこともある。

新興住宅街から、隣町に時々こうしてやってくる私はある意味、異邦人かしら。

お正月や地蔵盆、秋祭、受験祈願、散歩がてら。

時間軸を飛び越えて、新しい街から
旧街道へわたり、この八幡さんに会いに来ては、
再び、コンクリートの街(ニュータウン)にかえって、コンビニでアイスなどを買い、
また仕事をして夜になれば、食事の準備などをはじめる。
夜、社の提灯に再び火が灯る。
外はマイナス1℃だ。





























2013ラストの紅葉を観に。「圓通寺」「岩倉実相院」~「詩仙堂」。

2013-12-07 00:28:36 | どこかへ行きたい(日本)


ここ数日は冬の太陽が温かくて、やはりうれしい。
それは紛れもなく、冬の日差しだ。
わが街を埋め尽くす街路樹は、昨日よりも今日、そして明日のほうが身軽になって、
きれいな葉っぱのドレスをパラパラと脱いでいく。

そうして、冬の間にはひとしお、枝や幹の美しさが際立つのだ。


再び京都の洛北に、今年最後の紅葉を見に行った話をまだ書いていなかった。
あっという間にもう12月だー。

ご近所のお友達とふたりで、洛北へ。大人の遠足。

JR京都駅に11時前に到着しようと思えば、結構朝は忙しい。

「この日は少し早めに忘年会と思ってぜひ奮発しましょう!たま~によ、たま~に」ということで、
京都駅三越伊勢丹の「京都和久傳」さんへ。
11時15分。すでにランチの予約者で、ほぼ満席とはやっぱりすごーい!

(店前には行列)

5000円(税別)のコースを予約したので、
眺めのいいカウンターで席を確保でき、本当によかった。目の前には東山。

11時過ぎから日本酒を飲みながら、おいしい割烹料理を堪能できるとは
ナンテ贅沢なことよ。

「和久傳」さんの御料理の醍醐味は、派手さはないが本当によい素材を(もちろん旬の)、
おいしいお出汁でごちそうにしていただけることに尽きると思う。
さりげない上品さかな。野菜の焚き物と椀物がすばらしかった。最後の黒鯛の押し寿司も。

またまた、長くなるので、この報告は次回のお楽しみに書くことにしましょう。


地下鉄「北山」駅から、車では約5分。叡山電車京都精華大下車 徒歩約25分の「圓通寺」へ。



1678年(延宝6)、霊元天皇の乳母、円光院文英尼公が「妙心寺第10世」の景川宗隆禅師(けいせんそうりゅう)を勧請し創建したという
臨済宗の寺だ。
(ここは京都でライターをしている小春さんに教えてもらった)。


入り口から古寺独得の、凜として張りつめたような澄んだ空気に心奪われる。


まだまだ青苔の残る枯山水の平庭は、
お堂に正座してちょうど目の高さのところで、サザンカなどの生垣をめぐらした深い緑が切れて、
杉・ヒノキの木立を通して「比叡山」が臨める借景式庭園である。




左右にはそれぞれに、染めあげた紅葉のしっとりとした赤。











光の当たり具合なのだろうか、同じ紅(朱)でも和&洋のような違いを感じた。
向かって右の紅葉は、西洋的な赤い彩。対して左は本当は紅色なのだった。



ここは静かで、ざわざわとし始める人が誰一人といなくて、
静かにお庭が拝観できて本当によかった。

苔も生垣も、杉、ヒノキ、そして紅葉も。比叡山の「頂き」の借景として存在しているような気すらした。
そして主役はやっぱり悠々とした比叡の山!!
それくらいスッキリしている。なかなか渋い寺だった。






崇高なものを見ると、普段の雑多が流されていくよう。
土と古木の匂いがした。





そして歩いて20分の「岩倉実相院」に行く。



ここは一昨年、青モミジの頃に拝観(瑠璃光院とセットで訪れた)。


都のそれとは違い、自然のままの大らかさの残る、山水庭園。



そして、思いっきり意匠を映した少しアートな佇まいの石庭。借景は比叡山脈。

性格の異なる2つの庭が拝観できて、面白い。




そして、この彩!!彩、彩!!







狩野派の襖絵なども、もう少しゆっくり見たかったけれど、さすが紅葉シーズン
喧噪のなかでみる美術品は今ひとつ情感が湧いてこない…。

そこで、滝の間の床板に外の木々が写り込む「床もみじ」(新緑の頃は「床みどり」)と呼ばれる、
黒光する床の神秘をメインで眺めた。




そして、再び。
一両だけの叡山電鉄に乗り込み、ゴトンゴトンと山の町を揺られて、約10分。一乗寺で下車。



ここはやはりいつ来ても、懐かしい。心親しい、小さな町。
テクテクと山のほうに歩いて、「詩仙堂」へ。
友達とお喋りしながらなので、アッという間に着いてしまう。

もう何回目だろうか(4度目くらい)。

詩仙堂は、門前までの石階段の小道がいつ訪れてもいいなーと思う。





覆い被さるような竹林と、竹で編んだ垣のアプローチ。
やっぱりワクワクする。

そして、名もない小さな草木が、ごく自然に浮かびあがるようにぼんやりと咲いている。

靴をぬいであがると、まるで知り合いのお寺にお邪魔したかのような親しみが。



江戸時代初期の風流人・石川丈山がつくり、実際に暮らした山荘なので、
どことなく生活感が残っているのが好きな理由かもしれない。
ここで隠居せずとも、一乗寺界隈で暮らしたら、朝もやの光に包まれた詩仙堂の庭が見られるんだなーと思う。






狩野探幽筆の中国の詩家36人の肖像を掲げる詩仙の間。
白砂の唐様庭園には、山に刈り込まれた美しい自然と、手があまり加えらていない野山の緑と。
その境界すらよくわからない。小川が流れる。水の音がする。かきつばたや椿もきれいだった。

草木も茫々として自由、のびやか。熟れた柿がたわわにあった。
瓦屋根や土壁の温かくて、まるみのある陰翳と
朽ちそうな瓦のデザインも。
都風情とはひと味違った錦秋の色がみつかる。








帰りには、一乗寺中谷でお土産(お豆のケーキ)を買って、



お友達が調べてくれた「ル・パティシエ オクムラ」にて、〆のお茶を。




ダージリンを飲んだら、さすがにおいしい。

ケーキもあまりにおいしそうなので、お友達と半分個して2ついただいた。



次回は、圓光寺や「曼殊院門跡」のコースの寺院を巡ったあとで、「パティスリー タンドレス」(金・土・日のみの営業)、
フレンチビストロの「アルザス」、そしてお決まりの、「一乗寺恵文社」をのんびりと訪ねたい。


















2013紅葉ライトアップ。南禅寺・天授庵と永観堂をはしごして。

2013-11-27 01:26:37 | どこかへ行きたい(日本)


週末、Nの学祭ステージを見にいく。
Nを含める5人のメンバーで唄あり、踊りありの20分のオンステージ。
Nもレースのカーテンのような、ひらひらのミニスカートで、
よくぞ足を開いて、腰を振って、エキサイティングなダンスを披露したもの。

そして、早々に、京大の学祭NFでのお手伝い!
なんともまぁ、愉しそうな学園ライフであることよ。


こちらは、学祭を早々にひきあげて、
河原町通り沿いのあんみつ屋さん「みつばち」にて、ひと息。




「白玉あんみつとお抹茶のセット」。



千葉県千倉産の「天草」を使っているという寒天はぷりぷりっとして、弾力たっぷり。
ほどよく固め。
あとでかけていただく、沖縄波照間の黒糖も上品。おまけに杏入りである。
ちょこっと甘いもんが欲しい時には、ぴったりのスポットだ。
ほんの5口くらいでいただける、おいしい甘味処でありました。



それから、それから。

これで帰るのは、あまりにもったいのうございます、とうことで向かったのは、

南禅寺の塔頭、「天授庵」である。

ここは今年の「そうだ京都行こう!」の紅葉バージョンで、大々的に告知されたそうで(知らなかった!)
ものすごい行列だった。
5時半の開門前ながら、信じられない。東山のずっーと奥まで並んでいた。
わたしもせっかくなので最後尾に並ぶ。
ゆっくり拝観できるよう時間制限で中に入るのである。


空は薄墨をこぼしたような、陰翳の深い灰色。
ざわざわと山が鳴くのは、杉木立であるのだろう。
あいにく月は見えなかったが、ロングコートがはずかしいくらいの、
あたたかい秋の宵だ。並ぶこと、約40分。
その間、迫力ある南禅寺の古木が織りなす貴き佇まいをトクと眺められる幸福といったら。

揺れる葉と木の陰翳。重厚な「三門」。
そう、重厚でありながら、なぜあんなに軽々と。すっくりと。
木と木と気が、織り重なり合って芸術的かつ、文化的に佇んでいられるのだろう。
闇のなかだから見えた深みというか、精気な美しさ、ひとしおなのでありました。
一人というのは、孤独でありながら、じっくりとモノを観察できる
いい時間でもあるのだ。

さて、天授庵。


ライトアップ時には拝見ルートが変わるのだそうだ。
昼は見られない本堂からの前庭や襖絵、書院などを見ることができるのである。




墨色から浮かびあがってくる、
赤い楓と緑の松。






蛍光色のようなライトに照らされた、青いススキと苔の緑。
幻想的で、幽玄で。
しばし、きれいなものをひとたび拝観させていただきました。



あまりにきれいで、この世界を離れてしまいたくなくて、
思わず真っ暗な闇のなかを、
今度は「永観堂」まで、ず、ずいーと歩いてしまったのである。本当はこのまま哲学の道までも歩きたいほどの気分。
本当ははしごなど、する気もなかったのに。
気づけば、ここ…へ。





「永観堂」の素晴らしかったのは、
偶然にも雅楽の演奏が聴けたことだ。



笙(しょう)の音にまず、やられた。
暗い庭を響きわたる雅楽。山々にはねかえって自分の耳に聞こえる、
怪しい和音の響き。

それから階段をトントントンと、上って。
「みかえり阿弥陀像」を真正面から拝観し、さらに立ち位置を横に移して、もう一度、拝顔。おう~!すみませぬ。
以前には、おそらく真正面からの拝観しかなく、
斜め下に目線を置かれた横顔の美しい、シャイな阿弥陀様という記憶であったのだが、
まさか真横からの動線まで用意されているとは…。ホントにいいの?そこにビックリなのであった。



それから…。

放生池の水面に映った朱色や黄色の葉をたくさん観て、再び空を仰ぐ。
(きれいだな、ニッポンの秋)。
やはり来て良かったと思う。
基本的に紅葉は光のなかで観るほうが好きだが、夜間の魅力もまた素晴らしい。



















京都の夜をひとしきり愉しみ、息を弾ませて坂道をくだり…と。
帰りのバス停留所で、「あら、◎◎◎◎!」といきなり私の名字を呼び捨てされて、ギョッとし。(だあ~れ!聞き慣れたその声はもしや)と
振り返るや、以前の会社の先輩コピーライターが旦那様とふたりで紅葉見物にこられていたのだ。

「もうビックリするやん。間違えてもいいと思って声かけたんやで」
「うわー、お久しぶりですー。お元気でしたか?」

50歳をとうに過ぎているというのに、その美しさといいしれぬオーラといったら。すごー。(きれいな赤桃の口紅~)
先ほどみた紅葉の記憶も思わず吹っ飛んでしまうほどに、おののいてしまったのである。
「まるでユーミンかと思いましたよ。…あ~ビックリ!」(いや、うれしかったです)と
3度も言葉にしてしまった私なのであった。













山代温泉で茶器をこうた日。

2013-09-26 23:16:38 | どこかへ行きたい(日本)


山代温泉の旅。最終章へとサッーとつっぱしります。
朝は、6時半に目をさます。お風呂へ入って朝ごはん。
昨日と同じく部屋までちゃんと仲居さんが届けてくださった。

メニューは地元の野菜と同じく地元でとれた魚介類が中心だ。お漬け物は3種。
ノリの佃煮と、湯豆腐がおいしかった。
デザートは自家製のケフィアヨーグルト。
とてもヘルシーなメニュー構成である。









食事のあと、喫茶室までコーヒーを飲みに行かなくても、ちゃんとデザートとコーヒーを用意してくれるあたり流石だ!
陽のあたる縁に座って、談笑しながらコーヒーを飲めるし、サービスの届いた旅館というのはいいものだ、とつくづく想った。


宿を出て向かったのは、宿併設の「うつわ蔵」へ。
ここで、昨日の夕食の折に登場した
椿のお醤油差しを買う。
ほか、山中塗や九谷焼、魯山人の写しなども揃っていて愉しい。



それから、「魯山人の寓居跡いろは草庵」へ。
ここは吉野家旅館の元別荘で、木造瓦葺2階建ての母屋は、明治初期に建てられている。



入ったところに囲炉裏があり、とても素朴な佇まい。






魯山人が刻字看板を彫った仕事部屋、書や絵を描いた書斎、
山代の旦那衆達と語り合った囲炉裏の間、茶室・展示室(土蔵)。
茫々と雑木林のような庭があって、緑を囲むように縁側と創作の部屋が設けられている。
えび色の座布団と文机。そこから見渡せる春の苔や木々。
この、一番気持ちいい部屋が、やはり書画や看板彫刻をする「仕事の間」としてしつらえているというのが
ああ、やっぱりと納得。そこがよかった。

「暮らしが仕事、仕事が暮らし。」

という言葉を残した京都の河井寛次郎を想う。彼も陶芸、書画、彫刻、文筆業を兼業するいわゆるアーティストだ。
魯山人の「いろは草庵」は小規模で、殺風景であるけれど、
「河井寛次郎記念館」に共通するものがある。感慨の想い。








ひととおり見終わったので
庭の見渡せるコーナーに座って、お茶のサービスと御菓子をいただいた。
茶菓工房「たろう」(金沢)の「地の香」という、
きな粉を水あめで練り上げ、和三盆糖をまぶしたお干菓子である。
砕いたマカダミアナッツが入っていて、あまりに美味しいのでお土産に5つも買った。




このあと、母と娘のNがお土産を買いたいというので、
「総湯・湯の曲輪(ゆのがわ)」から
九谷広場(旧山代東口)へ続く市道に位置する、小さな温泉通りをぷらりぷらりと散策。
昼食は、地元の野菜カレーを。
温泉パンや卵のまんじゅうも食べる。


そして、魯山人の彫った濡額(看板)が軒先に掛かる「須田菁華窯」へ。




家屋は、靴をぬいで座敷にあがり、玄関から続く二間いっぱいに陶芸の数々が。
さすがに写真は控えたわけだが、緑、藍、青、黄、紅を中心に花が咲いたよう。
展示しているというよりは、生活と一体になって多くの器がしつらえられている、といった風情である。
値段はおよそ、9千円~数万円(数十万のものは奥にあるのだろう)。
最初は華美すぎて目が慣れないのだが、それでも町のそれとはあきらかに違うものというのが、だんだんわかるようになってくる。
端正でいて、品のあるものが多かった。九谷の器はハレの日にふさわしい。慶びの器である。

私は梅を描いた茶器を2つ購入する。




このあと、
本来は金沢の市場をめぐり、片町の料亭「銭屋」で夕食を食べて帰る都合だったのだが、
母が疲れた様子だったので、それに窯元で長く滞在しすぎて、待ちあぐねたとあって
もう帰る、といってきかない。それで、おみやげものをいくつか買い求め、中心街で一服したら、山代温泉を後にする。
送迎はなし、バスで帰る。そして、
4時頃のサンダーバードにのって、琵琶湖を対岸に眺めつつ帰路へ。
ああ、温泉。街の温泉にせめて浸かりたかった。
また、来る機会あるかしら。



(1話はこちらへ)

(2話はこちらへ)



さぁ、明日から台北です。






幻想的な山代温泉の夜。夕食のあとは「有栖川山荘」へ

2013-09-23 23:08:27 | どこかへ行きたい(日本)



昨日のお彼岸は、恒例のお墓参りにいってきた。

落ち葉が掃いても掃いても一掃できない。見上げたら隣の敷地にある桜の大木(古木)が、天高く、大きな傘を広げていた。そうだった。
桜なら風情あるし、そのままでいい…。
ヒマラヤ杉にはまだセミがいるようだ。
山からの風。照りつける陽射しは強いけれど、(秋の体育祭の時の暑さだ)時折ヒヤリと秋の空気。
八鹿の「高照寺」は萩が満開だった。




「よいお彼岸になりましたね~。ほんまにねぇ」地元の人に声をかけあい、寺を後にする。
実家でおはぎも頂きました。



さて、先日の続き。山代温泉に時を戻そう!
お風呂の後の夕食は7時から。
仲居さんが、部屋まで1品1品丁重に食事を届けてくれる。
ありがたや。

食前酒は地元の銘酒をにごり酒で。乾杯だ!



一品目は、野菜や海鮮の珍味。3種。



甘海老や鯛、イカなどの造り盛り合わせ。塩とお醤油、好きなほうでいただく。



海老芋のすり流しと、タケノコの吸い物。




おかしら付きの鯛の蒸し物。






野菜と海藻の煮物。(料理写真なし)
八寸と、和牛ミニステーキ(料理写真なし)
天ぷらの盛り合わせ、(料理写真なし)
焼カニ(炭火焼)







タコの天ぷらに、ごはんと汁もの。お漬物。





寒ぶりのお茶漬け



アイスクリームとカボチャのプリン、フルーツのデザート。




濃い味付けはなく、おだしのひき方も加減よし。
決して華美すぎず、素材本位のお料理でたいへん美味しかった。
大型ホテルにありがちな既成の品はなく、熱きものは熱きうちに、
仲居さんがしつらえてくれた心遣いがうれしい。
あの人は結局、何往復されたのだろうか。
調理場からリフトで運ばれてきた料理を、「すいませんね~。お待たせしてしまって」と笑顔を添えて、届けてくれた。

「各階3室。少ないですか?これがうちで接待する限界です」と、
おっしゃった意味が後になってよくわかる。
母は気前よくチップを弾ませていた。(接客の女中さんと話せたことが、よほど懐かしかったのだろう)

特筆すべくは、やはり器である。
九谷焼は、彩がきれい。かたちも愛らしいものが多かった。
それに、魯山人の写しが何品か登場。
お料理が登場するたびに器を愛で、
それから口に運べることに無上の喜びを得た。
山中塗も素晴らしかった。今回気になったのが黒の塗りだ。柔らかい表情をした黒、に感動する。
結局、地元の純米酒ばかり3種、いただいた。
満足、満腹である。

それで、「源泉閣」というお風呂に、10分だけ浸かりに行って、




衣を着替えて、気分を入れ直し、
「有栖川山荘」(バー)へと、娘のNと母を伴って出掛けることに。

山庭への渡り廊下をどんどん、どんどん。浴衣とスリッパで歩くこと10分近く。
どこまで行くんだろうと思っていると、
ようやく木造造りの一軒家に。
幻想的な提灯だけの、雰囲気は格別!幽玄なる陰の世界~。




良いなぁ。好きだな、こういうの。
バーといっても、樹齢数百年の木々に囲まれた古い日本家屋だった。
玄関のたたきにチョコンと腰掛け、スリッパを揃えて上がると、2間の部屋へと続く。
奥は団体専用。縁側もあった。



手前は、ほりごたつのように足を放り出して座る、コの字型の小さなバー。8人も座ればいっぱいで。

私は赤ワインを2杯(少し高いやつ)Nと母はグレープジュースを飲んでいた。

ちょっぴり驚いたのは、バーテンダーのおにいさん。
黒光りするほど脂をぬって、キメているのに、ナント加賀温泉駅から送迎してくれた番頭さんではないか(最初はわからなかった)。
どうりでな番頭さんにしては、明るさのない笑い方で無口だなぁと思っていたのだ。ものすごく照れくさそうだった。





11時半には、部屋に戻る。さて、もう一度だけお湯に浸かり、就寝としよう。
真夜中からの湯浴みも幻想的、
「烏湯」は誰もいないので、少し怖くなって源泉閣に入り直す。




この宿は闇の淵が黒々として深いように思う。瞳を閉じればなんだか吸い込まれそうな春の闇。春の風。
小動物でも降りてきそうな山の崖がある。

風呂から上がったら、母と娘のNはすでに寝ていた。
それで、窓下に備えられたミニ書斎にあった魯山人の著書(写真集等)を2冊、終わりまで目を通して寝た。
2時前だった。


(つづく)

(1に戻って読む)


温泉へ行きたい。「あらや滔々庵」

2013-09-22 01:39:40 | どこかへ行きたい(日本)
思い出したように、セミが鳴く時がある。

ミーン、ミーン。セミだ。ガンバレ!と応援したいのだが、10分も鳴くとフェードアウト。
昼の太陽は容赦なく照りつけているのに、その甲斐もなく、
こうやって夏のセミはいつのまにか姿を消すのだね。

替わって鈴虫やコオロギやらが秋の気配をいっそうかきたてる。
先日、植栽の害虫駆除の消毒があったのだか、いくらか、残ってくれてホントに良かった。

昨今、旅。旅と書いているので
春に旅した時のことを思い出しながら記録しておこうという気になった。

娘のNと母とわたしの、三世代で山代温泉へ出掛けたのは桜の咲く前(いつの話よ・笑)。
通年ならウールのコートが必須であるはずなのに、温暖化の影響か
今年は腕を抱いてさするような肌寒さもなく、薄手のセーターにスプリングコートという服装で、
温かな陽気のなかを出掛けていったように記憶している。

特急サンダーバードで、大阪から加賀温泉までは約2時間30分。

小さな駅。北陸の風は冷たい。
ロータリーには旅館の専用バスが次から次にきて、番頭さんが歓迎の旗をもち、客を乗せては温泉街まで送迎していた。

私たちは、昼過ぎに到着したので、何かお腹にいれておこうと駅の案内で「ここらで、軽食をおいしく食べさせてくれる店はないですか」と聞く。
案内されたのが、寂れたショッピングセンター(平和堂)の一番奥にあった「澤屋」。
そば処なので、とろろ蕎麦を注文。
チェックインの時間までショッピングセンターでお土産ものをみて時間を潰し、宿に電話して迎えにきてもらった。

山代温泉街は、少し寂しそうな小さな街だ。
15分も歩けば端から端まで歩けそう。
大きな旅館がポツリポツリと目立つなかで、私たちが選んだのは
「あらや滔々庵(とうとうあん)」。湯量が山代随一だそうである。





中心街に位置し、真向かいには共同浴場の、「総湯」。



そして、みやげもの屋が10軒ほど軒を連ねていた。

あらや滔々庵は、
小さな趣のある宿で、歴史は古く藩政時代より18代続く老舗宿。源泉発祥の地である。
魯山人は、この宿の15代目、源右衛門と親しく交わったそうで、数々の書画や看板、赤皿などを注文されていたとか。
館内には「いろは屏風」や「暁烏のついたて」をはじめ、陶芸作品がロビーや玄関口に飾られていて、魯山人ゆかりの宿とされている。





ロビーでお茶の接待をうけ、5階へ。小さな宿なのでエレベーターも4人も乗ればいっぱいだ。
狭い畳敷きの廊下は、決してまっすぐではなく所々曲がりくねっていて面白い。
各階に3室ほどしつらえられていた。

部屋は、2間続きであって、古いがよく掃除が行き届き、12畳ほどの間は広縁。
ホワイトのレザーソファーにどっかりと腰掛ければ、迫りくる小さな山がそこ。
季節の木々や竹林は
さわさわと葉音をたて、それが心地よくて、緑のにおいがした。






中年の女中さんは、いい感じの人で、話好きだ。
母は長年旅館業を手伝ってきたので、もう懐かしくてたまらないようで、ものすごく饒舌に。
女中さんと数分で打ち解けあって、愉しそうだった。
ここでも、抹茶と金沢の菓子の接待を受ける。



これから、近くの陶器市でもひやかそうかと思っていたが、
娘のNが「加賀伝統工芸村 ゆのくにの森」で絵付けがしたいと切望するので、
20分も車に揺られて、目的地へ。
茅葺の古民家を移築した伝統工芸村は、森を切り開いてつくられた13万坪の敷地。いわゆるテーマパークのようなところ。

各工房では、友禅染・ろくろ回し・上絵付・金箔貼りなど50種類以上の伝統工芸の体験ができるというが、金箔貼りの塗りの皿に挑戦!
みやげもの屋やらを幾つかみて、
2時間ほどで後にした。


あらや滔々庵に戻ると、さっそくに「瑠璃光」という浴場へ。



ゆかたの上には丹前を羽織って、ゆらりゆらりと廊下を歩いて、1階へ降りる。





ガラリと木のドアをあけると、硫黄の湯煙。硫黄の湿気。
檜の湯淵に、ヒバの壁板。
古くて趣があり、それは洞窟のようでもあり、広すぎず狭すぎず、
まあ落ちつくこと。
露天風呂は眺めよし。浸かってよし。
木々と緑と小さな滝から、山の気配がたちおりてきて、それが湯の香と相まって、ほっーと。気持ちいい。
もちろん、サウナも併設である。

泉質は、ナトリウムとカルシウムの混じった硫酸塩・塩化物泉。
やわらかくて、軽い湯だったように記憶している。
九州の黒川温泉のようなどっしりと重たい薬師の湯ではなく、1日に何度でも入りたくなる軽い泉質。美人湯だという。

浴場から上がれば、さすが老舗宿。
出たところで、シャンパンやえびすビール、コーヒー、お茶が無料サービス。
湯浴みの後の休憩場も広く、椅子にかけてあたりを眺めるしつらいが随所に用意されていた。
「食事もあるので、やめなさい」と
母にいわれたが、ついシャンパンを1杯だけくっーと飲んで、あー、たまらない!と声を上げて
部屋に上がった。

つづく)

祇園祭 AGAIN!

2013-07-24 20:59:34 | どこかへ行きたい(日本)


ここしばらく、「編む」という仕事をしていた。何を「編む」のかって、小誌(某流通関係の情報誌)のリニューアル版である。
コンセプトにはじまって、どんな雰囲気のイメージにし、どんな企画をいれて、どう読んでもらうのか…。
誰に取材して、カメラやイラストはどうするか?いくらだってイメージは膨らむし、
未ぬものを自在に「編む」こと自体、とても愉しい。
ただ問題は、編んだ後のコト…。面白い企画であればあるほど、 実作業がめちゃ大変~!
微力なわたしはフリーランスなので基本は一人で。そろそろ、書き手×書き手でコラボレーションするというコトも、試みていかなければなぁと最近ハタと、 思うようになった。

さてさて、滞ってたブログの続き…。

前々回、「祇園祭」の宵山のことは、チラリとふれたが、
いよいよ宵山(山鉾巡行の前日)へは、夜6時をまわってから1時間半もかけて繰り出していったのである。
祇園祭AGAIN!は、写真を中心に、サラリと記録しておこう!

今晩の仕事をほったらかして、
ついに千年の古都にタイムスリップ。
悪霊退散を祈る祇園五霊会が祇園祭の起源だ。天を破るほどの鉾の高い矛先は、その名残なのである。




コンコンチキチン。コンコンチキチン。
鉦(カネ)と笛、太鼓。和音の生演奏がしびれるねぇ。






最初は、孟宗山、橋弁慶山、鯉山をのぞいて、竜門の滝を登り切った鯉に手をあわせ、
16世紀ベルギー製のタペストリーをみる。





次いで、浄妙山へ。



墨黒に浮かび上がる鉾は、平家物語の合戦の一場面、一来法師が筒井浄妙に先んじようとした一瞬。
絨毯のうえに置かれた調度品はさすがに美しい。勝運の粽を買った。



夜店ではビールを…。

ここで気をよくしたわたしは、骨董の豆皿を売る店を新町通に発見。

これ、東寺の弘法市より安いじゃない。3つゲット!これで調子にのってきた。





黒主山をみて、界わいの屏風祭の美を堪能した後には、






京のじゅばん&町家の美術館
「紫織庵」をみつけた。

ここは、江戸後期(寛政・享和の時代)から、典薬まで昇進した名医・荻野元凱の佇まいが、かいま見られる町家で、
近代建築の父と呼ばれる武田五一が、茶室や和室部分を数奇屋の名工 の上坂浅次郎が設計。

1階のモダンな洋間は雰囲気あるねぇ。



長四畳の小間にある茶室。
まさに陰翳礼讃の世界である。





天井や床の間の粋と、坪庭に面した心地よい空間。
「浪打ちガラス」のはまった広縁。





15畳と12畳半の客間などなど、それはそれは素晴らしものだった。







特に、写真禁止とあったので撮影はできなかったが
円山応挙、長澤芦雪など近世を代表する日本画家による屏風絵には
江戸の自然や京のよき暮らしが再現されていて、
時空をさかのぼったような錯覚に落ちて、ほろっとくる。幸せだった。



わたしは、麗しい洋館や作家・文化人の旧家(家屋)などを
たずねるのがともかく大好き(時には墓参りも)。
旅の醍醐味であったりするのだ。

ほっ~。庭から吹く風がまた、たまらないほど気持ちよい。

ここを出ると、またまた、平成の祇園祭である。
北観音山、南観音山、放下鉾、船鉾をみて、郭巨山へ。






途中、町家の勝手口や玄関が開放されているので、
町内会の会合や飲み会がチラリとのぞけたり…。
これが京の常かしらんねぇ。
あらぁ、おっとりしていて愉しそうなこと。






これは、蟷螂山(とうろうやま)。
からくり仕掛けで動く愛嬌たっぷりのカマキリさん。




沢山の屏風をみたところで、細い路地から路地へ。 風がわたる。わたしも歩く。

10時もまわったというのに、
商店の灯りはまだまだ、宵であるのでしょうか。
さぁさ、おみやげは何にしようかな。









ことしもラストは月鉾でした。
にぎわいはまださめやらぬまま…。

前田のベビーカステラは、40分は並ぶだろうし、今年はもう止めておこう…と。

コンコンチキチン。コンコンチキチン。ありがとう、ごくろうさま。
悪霊退散いたしまして、後半も
よき年となりますように!



祇園が終わり、いよいよ夏本番~だ。




ことり会さんと祇園祭 宵々々々山へ行く

2013-07-16 14:29:46 | どこかへ行きたい(日本)


毎年7月がくると、ちょっとだけそわそわ。仕事が立てこんでくると、スケジュール帖とにらめっこ。
なぜって、祇園さんへ行けなくなると大変なのである。

昨年の粽と交換にいくゾと、強い意志で、この月の仕事に臨まねばならない。

そして、どうにか先週に仕事を終え、
今年も元気よく13日(土)宵々々々山へ行ってきた。

朝7時過ぎの電車に乗って、四条烏丸駅へ。今年は例年の祇園祭とはちょっとだけ趣が違うのだ。

「ことり会」の方々が主催する「祇園祭 ご朱印集めの会」に参加するという目的があった。



http://www.fieldcorp.jp/otome/



集団のイベントは、よほど好奇心に引かれないと参加しない方だが、
わたしはWEB上で「ことり会」という方々の活動を知ってからひそかに注目していて、
京都のかいらしいもの(カワイイ)を愛でる会、というコンセプトも京都好きのわたしには、
たまらんものばっかりなのだった。



ことり会とは、高校教師兼ライターの椿屋さん、ライターの小春さん、イラストレーターの辻ヒロミさんという
フリーランス3人娘が結成した 「もっと京都を知ろう」という集いだ。
3人娘は京都に住まい、京都に仕事場を持ちながら、さらに深く京都(奈良も)のよきものを求めて、
歴史を学び、美味を極め、かいらしいものを愛でる会を定期的に行い、
その記録を「ことり会だより」(小誌)にまとめられている。


http://kotorikai.com/top.html



フリーランスたちの何かを面白がるパワーというのは見る側だって面白いし、刺激を受ける。

(それに今朝の朝刊ニュースによると、
今年の朝日広告賞を射止めたのはフリーランスの4人組。大日本除虫菊のシリーズだった)。

「ことり会」メンバーのお一人とは、WEB(ブログ)を通して知り合い…、

ようするに、彼女らのエネルギーと仕事ぶりを称賛するわたしは、
ささやかなるファン、ということなのである。

ご近所ママと参加した私は、会場を訪れ、さっそく山鉾巡りを挙行する。
片手には、ご朱印帖。ペッタンコ、とご朱印をしながらの山鉾巡りもなんだか新鮮!






まずは、長刀鉾へ昨年の粽を返却し、それから函谷鉾、山伏山、鯉山、黒主山、
北観音山、南観音山、菊水鉾、月鉾、鶏鉾、綾傘鉾、舩鉾、月鉾…。
をぐるりとみてまわった。







鉾は今まさに建てようとしている最中。提灯に灯は入らず、「コンコンチキチ」の、
お囃子は聴けなかったけれど、その分、想像力が膨らんだかも。


祇園(宵山)の醍醐味って、
駒形提灯が揺れ、生演奏の祇園囃子の響くなか、鉾先のあまりの高さにほっ~と見惚れ、
山鉾町の旧家にて表間に飾られた秘蔵のお宝(工芸品や軸)を愛で、
京町家の雰囲気や暮らしを「屏風祭」で味わえること。

疫病除けを、運気上昇を願う、人々の「祈り」が夏の熱気のなかに
拡充していくのが素晴らしい!のだといつも思う。

13日(土)は、まさに祇園祭プロローグだ!

祇園祭を盛り立てようとする男衆の汗と働きぶりを目にすることで、
いつもとは違う角度から祇園祭がみつめられ、新たなパワーをもらった。
元気が出た。



鉾から見おろす四条通りの京の町は、祭りの文化のようなものが
鳥の目から見れるのがいいね。

すでに、お披露目されていた「山伏山」では、お宝が陳列され、恒例の「大茅の輪くぐり」が。
人々は、行列をつくって無病息災を祈願する。

私たちも、輪をくぐって神聖な心になり、東北復興支援のてるてるぼうず(御守り)を買う。





そして、鯉山だ。今年も準備は着々と進む。




早く夜にならないかなぁ。
鯉山の屏風を堪能し、浴衣を着た子どもたちが唄う「ローソク売りの唄」を聞くと、
いつもジーンとくる。

「鯉山のお守りはこれより出ます。
ご信心のおん方様は受けてお帰りなられましょう。
ローソク1丁献じられましょうか。ローソク1本どうですか」

「鯉山のお守りはこれより出ます。
ご信心のおん方様は受けてお帰りなられましょう。
ローソク1丁献じられましょうか。ローソク1本どうですか」

この数え唄を、何度でもリピートされるのだ。もちろん生唄。宵々々山、宵々山と唄が違うらしい。
ニッポンの美しい古里、かいらしさがギュッとつまっている。

そういえば「蟷螂山(とうろうやま)」も、
蟷螂のおみくじが売るのは浴衣を着た子どもたちだった。

この日はまだなかったが、大蟷螂の頭や鎌はすごいし、
御所車も見どころ十分。

黒主山の大友黒主が大きくかえって志賀の山桜を仰ぐ姿に
毎年ながら圧倒されたもの。







ああ、祇園祭!この熱さだ!歩くにつれて、祭気分が高まっていくなあ。

南観音山のペルシャ絨毯の前懸や、
鶏鉾、綾傘鉾も準備中の様を今年はのぞくことができた。

熊野の化粧筆も少し安く買えたし、
京都は商売うまいなあなどと思いながら、店々ものぞく。








2時間近く歩いたのだろうか。12時になったところで「うめぞのCAFE&GALLERY」でほっと一服。

小さな坪庭を眺めながら、みたらし団子を食べたいところをぐっと抑えて、
「わらび餅とお抹茶」を注文。
黒糖のわらび餅が、とてもおいしかった。お友達もほっこり。
黒糖感ときな粉のコラボレーションがすごく合っていたね。
本店の河原町の宇治金時やあんみつを思いながら、食べた。




それから、「ことり会」の方々ともに、昼食をいただいて談笑タイム。

皆さん、30代のフリーランスだ。それぞれの浴衣をお召しになっていらしてとても、よくお似合い。
よけいな色がつかない爽やかな「ことり会」の方々。
さりげない上品というか、控えめなとこに好感がもてた。
ありがとうございました。またぜひお会いしましょう♩


このあと、イベントで紹介されていた「なつのたより展2013」を観て、
大好きな「ぎおん小森」と八坂界隈を歩くつもりが、
なんと祇園祭恒例の、激しいスコールである。
せっかく烏丸から河原町まであるいたのに。ザンネン。日傘しかなかったので、この日は解散だ。

まだまだ浄妙山や岩戸山、郭巨山など、観たい山や鉾もあるし、
祇園宵山のリベンジをしたいけれど、
果たして再び京都へ乗り込むことができるのか!
今週の締め切りも2個あって、ちょっと難しい状況になってきたゾ。

2013宵山は今日限りである。





































山の緑と紫陽花と

2013-07-02 19:26:49 | どこかへ行きたい(日本)

7月になった途端、夏の気温・夏の陽気になった。
山の緑も鶯色からすっかり濃くなっていく。

6月はわたしにとっては特別な月だ。
なんといっても昨年の婦人科系の大手術の末、あらたに自分が再生した記念すべき月なのである。
そういう経緯があるのか、ないのか。本当に6月は自分がもうすぐ不治の病にでもなるのではないかと思うほど、
沢山の友人から連絡があり再会することができたのだ。
それは、ひとつの仕事が「呼び水」となって、次々と新しい仕事が入る時のように、お友達との連絡も次々!という感じであった。
せっかくなので出来るだけ断らずに仕事と両立させながら再会を果たすことができて大変にうれしい。

6月中旬頃には、高校の時の友人から誘われて、宇治に出掛ける。
紫陽花を愛でるためである。

紫陽花は初夏の花だ。神戸森林植物園や兵庫県川西(能勢電鉄「畦野駅」)の「頼光寺」にはこれまで出掛けたことがあったが、
今回の友人のリクエストは「三室戸寺」。

前日は幸運にも雨だった。やはり紫陽花を見るには雨後が一番である。
最寄り「JR三室戸駅」には、10時半に到着した。
国道沿いに歩いて10分。赤い山門が見えてきた。




その隣には、5千坪の森(大庭園)紫陽花の園が鎮座していて、
それらを横目で眺めながら、まずは本堂へ。
山へ向かっててくてくと歩き、ふうふういいながら本堂までのぼった。



ハスの池と山の景色が望める小さな庵で一服。
吹く風がやや湿気をおびていたが、爽やかな夏のにおいをはらんでいた。

さて、紫陽花もいいが、蓮もとても美しかった。





ピンと張った黄色や白の花弁がなんとも清楚でかっこいい。
蓮という花は、背筋を正して愛でる花だ。中をのぞかせてもらうと、さらに心洗われる。
特に白の蓮が一段と素晴らしかった。



本堂から向かって左手には、阿弥陀堂と三重塔、鐘楼があった。





この寺は1200年前、光仁天皇の願により岩渕より出現された千手観音菩薩を五ご本尊として創建。
暗くてよくみえなかったが、厳かないい仏様で、ありがたい気持ちで手をあわせる。
可愛いウサギや、蛇の像も。






帰りは紫陽花の森(大庭園)をゆっくり愛でながら、
沢山おしゃべりをして、写真もいっぱい撮って降りていく。











紫陽花の、魅力とはやはり自然の森との調和ではないだろうか。

街路樹などでみかける紫陽花よりも絶対にイキイキしているし、
森の緑と、紫陽花はなんともよく映える。
グリーンの海に、パッ、パッと湧き出たように咲くさまが、美しい。
花弁の色もそれぞれ色合いが微妙に違って、水を混ぜて溶いた水彩画のブルーや紫の透明感を思い出す。




お昼はどこでたべましょうか。

帰り道で赤い紫蘇ジュースを売っていらしたおばさんに、オススメのお昼処を聞く。そして、
日傘をさしても全くよけようもないほど熱い陽気のなかを再びてくてく歩いて、京阪電車で宇治駅まで行き、「宇治平等院」の表参道まで。
(途中宇治の橋に川面から虫の大群に襲われたのが不思議な体験)。



電話で予約をいれた甲斐があって、店主が店先まで出てお出迎えしてくれた。
みると本日売り切れ終了の看板が。
にもかかわらず、地元で人気と評判の蕎麦処「ながの」でお昼をいただくことができた。





おいしい茶そばというのを、生まれてはじめて食べたのかも。

茶の味がすっきりしていて、いいにおいのお蕎麦であった。
昔、萩で食べた瓦蕎麦(茶蕎麦)よりも断然おいしかった。
このあと、せっかくなので宇治の平等院へ。改修工事中で鳳凰のすばらしい平等院はお目にかかれなかったがそのかわりに「鳳翔館」をのぞく。







ひんやりとした冷たいコンクリート造りの建物で、平安時代の梵鐘、仏像を拝観することができた。
なかでも心に響いたのは、なんといっても雲中供養菩薩像52体(国宝)だ。
右方になびく雲の上に正面を向いて坐り、笙(しょう)を奏する姿や、
蓮華座の上に膝をついて座り、両手に拍板(はくばん)を持っている姿。
持ち物を抱いている姿、音楽にあわせて踊る姿など、そのいでたちがあまりに優美で極楽浄土を描く平等院ならではの菩薩像という感じでよかった。
心が高揚してしまった。



表参道のお茶屋さんをひやかしながら、やはりここは
「上林春松本店」でお茶を買って、かの有名な「中村藤吉」本店へ。




川面からわたる風が初夏という感じが気持ちよかった。


超人気店のために約40分くらい並んだ。
ここはかつては由緒あるお茶屋さんだったのだろうが、今はアルバイト君がほとんど甘味をつくっていると思う。

それでもせっかくなので、長い行列に並んで「生茶ゼリーのパフェ」をいただく。友人としばしの一服だ。



このあとイラストレーターのHさんと用事があったので最寄りの高槻で会い、
京都のおいしい珈琲店で再会。冷たいカフェモカを飲んでから帰る。




5月の蓮華寺 青もみじの庭へ

2013-05-18 22:06:36 | どこかへ行きたい(日本)



5月は新緑がきれいなので何かと理由をつけて外へ出たくなる。
先日の日曜日もいいところへ行ってきた。娘のNと一緒である。

京都の出町柳から叡山電車(1両だけ)に乗ってゴトゴトと6駅め。「三宅八幡」駅で下車。私の一番好きな沿線かもしれない。
一乗寺駅や修学院駅、茶山駅、八瀬比叡山口、貴船口…。詩仙堂や曼殊院門跡など好きな寺、瑠璃光院やおいしいパン屋や趣味のいい書店、
名園、大学などを抱えた品のいい小さな町が集まっている。川も山もある。比叡山や鞍馬寺のすそ野というのが、なお良いではないか。

行き先は「蓮華寺」だった。



大原街道に沿って車通りを歩いていると、突然、山寺の古い門跡がみえる。


寺のなかにはいるなり、柔らかい緑、緑、緑。



5月の苔はふかふか。冬の栄養分をたっぷり蓄えているのか、やさしい色だ。
彫りのうすい地蔵たち。鐘楼堂。
手入れが行き届いた素朴な山寺は、ほっとする。来てよかったといつだって思う。
まっすぐに進むと拝観入口があり、寺のなかに入った。

「蓮華寺」は浄土教系の古寺で応仁の乱後荒廃していたのを、
加賀前田家の老臣・今枝民部近義が祖母の菩提のために再興したのだそうだ。
仏さまに手をあわせてから、庭園のみえる奧の間で休憩する。




外の緑が軒先の板間に映ってきれいだ。
池には鯉にまじって稚魚がたくさんいるらしく、勢いよくぴちゃりぴちゃり、はねるさまが面白い。
水面にいくつもの波紋。
「雨が降りだしてきたのかと思うけれど、違うんだね」とNがいう。
外履きのスリッパに履き替えて、尚本堂へ。
燃える緑と小動物と昆虫と、仏さまだけのほんとに小さい静かなよい世界だった。






せっかくなので、このあと次の駅の八瀬比叡山口駅まで遠足気分で歩きながら、
新しい学校の話などをあれこれ聞けたので面白かった。
10代の話は実に興味深い、耳の保養である。
瑠璃光院は拝観時間が4時までなのでこの日は足をのばせなかったが、
風をうけた、貴船に続くせせらぎや青もみじを沢山みられてよかった。





帰りには一乗寺駅で降りて、学生街のようなあったかい通りを散策。
いつも必ず立ち寄る「けいぶん社書店」で本を見る。
この日は緑色の手頃なサイズの手帖と




内田百聞「ノラや」等を購入。

「パティスリータンドレス」でケーキとお茶にする予定だったが
夕方6時過ぎていたので生菓子は全て終了なり。こうなると、猛烈にお腹が減ってきたことに気付く。

ふと歩いていると玄関口が解放されていて、奧に長い鰻の寝床に満席の客席。
次から次へ、人が訪れては並んでいくのをみて、これは!と期待して店へ侵入する。地元で評判のとんかつ屋さん「とん吉」である。
周りは常連さんと家族づれでいっぱい。カウンターに置かれた冷蔵ショーケースにはものすごい厚切りの豚肉が!
とんかつは好きなので興奮するが、私の心はもうひとつ響かなかったのである。残念。(ファンの人にはごめんなさい)。
「ヒレカツとエビフライ」を注文。
写真はNのとんかつ定食より。




オリジナル中濃ソースの味がきつすぎて、肝心の豚肉の味がよくわからなったのだ。
脂身も甘いのか、肉質もよくわからかった。

好みからすればもう少し衣がサックリして、中から肉汁がじゅわっとしみる、脂身のよい香りがする豚肉が好きでした。
しかし、男性客はうれしいボリュームだ。ごはん、豚汁、付け合わせのカレー風キャベツ煮やスパゲティ、ポテトサラダもお皿からはみ出るほどの量。
B級グルメファンが通いつめるだけある。

帰りには河原町のフランソワ喫茶室でおいしいウインナー珈琲を飲んでから帰る。



昭和7年から営業しているバロック調の店内は、
いつ訪れても変わらず夜にくるとなおいい。ほんとうに落ち着く。
クラシックの流れる喫茶店は先頃では珍しいが、これみよがしにうるさくないし、選曲も悪くない。珈琲の味もいい。
ケーキは、レモンパイやザッハトルテなどもおいしい。