↑ BUMP OF CHICKEN の ’04年のアルバム
『 ユグドラシル 』 より、 シングル曲の 『 ロストマン 』
について、書きたいと思います。
BUMP OF CHICKEN ( 以下、バンプ ) の、 『 ロストマン 』 について。
この唄も、私にとって、「 特別な、意味を持った唄 」
であり、私の応援歌のような存在です・・・!!
『 ロストマン 』
作詞 / 作曲 藤原 基央
状況はどうだい 僕は僕に尋ねる
旅の始まりを 今も 思い出せるかい
選んできた道のりの 正しさを 祈った
いろんな種類の 足音 耳にしたよ
沢山のソレが 重なって また離れて
淋しささら 忘れるさ 繰り返すことだろう
どんなふうに夜を過ごしても 昇る日は 同じ
破り損なった 手造りの地図
辿った途中の 現在地
動かないコンパス 片手に乗せて
霞んだ目 凝らしている
君を失った この世界で 僕は何を求め続ける
迷子って 気付いていたって 気付かないフリをした
状況はどうだい 居ない君に尋ねる
僕らの距離を 声は泳ぎきれるかい
忘れたのは 温もりさ 少しずつ冷えていった
どんなふうに夜を過ごしたら 思い出せるのかなぁ
強く手を振って 君の背中に
サヨナラを 叫んだよ
そして現在地 夢の設計図
開く時は どんな顔
これが僕の望んだ世界だ そして今も歩き続ける
不器用な 旅路の果てに 正しさを祈りながら
時間は あの日から(or 無理かな) 止まったままなんだ
遠ざかって 消えた背中
あぁ ロストマン 気付いたろう
僕らが 丁寧に切り取った
その絵の 名前は 思い出
強く手を振って
あの日の背中に
サヨナラを
告げる現在地
動き出すコンパス
さぁ 行こうか
ロストマン
破り損なった 手造りの地図
シルシを付ける 現在地
ここが 出発点 踏み出す足は
いつだって 初めの一歩
君を忘れたこの世界を 愛せた時は会いに行くよ
間違った 旅路の果てに
正しさを 祈りながら
再会を 祈りながら
( BUMP OF CHICKEN アルバム『 ユグドラシル 』より )
※ 画像参照
( ※ 「 時間は あの日から(or 無理かな) 止まったままなんだ 」
の部分ですが、歌詞カードには、「 あの日から 」 となっているのですが、
曲を聴いてみると…その部分が、「 無理かな 」 と、唄っているように
聴こえるのですが…? 私だけでしょうか?? 違っていたら、すみません )
この唄は、バンプの、数ある名曲の中で、
私のいちばん好きな唄の、一つです!!
ある 「 決意 」 をもって、今までいた 「 場所 」 から、旅立とうとする、
この唄に出てくる、登場人物の、 「 いさぎよさ 」 が、
そのメロディーにも、表れていて、
ギターの疾走感のあるカッコいいリフレイン、
ドラムが印象的な音とリズムを刻み、ベースの重厚感とその軽快さ、
覚悟を決めたかのような力強いヴォーカルが、
これから、旅立とうとする、登場人物の背中を、押しているように、
重なって、響いていて、すごい!!と思いましたー!!
この『 ロストマン 』という唄を、聴いて、
今までの、 「 しがらみ 」 のようなものと、 「 決別 」 して、
再び、 「 新たな道 」 を、歩んで行く、
すがすがしさのようなものを、覚えた、と同時に、これから、
自分ひとりで、すべての責任を、抱えて、生きていかなければ、
というような、決して、容易ではない、人生の厳しさ、
みたいなものも、感じました・・・
私にとって、この唄は・・・
何もかも、すべて、この唄に、書かれてあることが、
自分のことと、重なっているようで・・・。
過去にも、そのような“自分のテーマソング”のような歌は、
あったのですが、この唄のように、 「 あからさま 」 に、
唄われている曲と、出会ったのは、初めてでした・・・。
「 どんなふうに夜を過ごしても 昇る日は 同じ 」
「 これから、過ごしていく日々は、君に、どんなことが、起ころうとも、
いつも、変わらず、そこに、また、存在しているんだよ 」
「 日は、また昇る。その動きを、誰も、止めることは、できない。
君に、どんなことが、起ころうとも・・・。
無限の宇宙の中で、君の存在は、とっても微かなもの、
でしかないんだよ 」 と、私に、教えてくれているようで、
「 生きていく覚悟 」 みたいなものを、感じました・・・。
「 君を失った この世界で 僕は何を求め続ける
迷子って 気付いたって 気付かないフリをした 」
愛する我が子が、何事もなく、生まれていたら、
どこに行っても、世間様から、差別や偏見の目で、見られることなく、
「 ふつうに 」 暮らせていただろうなあ・・・と。
そういう意味では、子供は、まだ、幼いながらも、これから先、
決して、得ることのできないものを、失ってしまったことに、
なるのです・・・。
私が、自分の命にかえて、償おうとしても、決して、叶わない
ことなのです・・・
私たちは、 「 迷子 」 のようであり、
実は、私自身も、生まれる前、母のおなかの中に、
いた時から、本当は、 「 迷子 」 だったのです・・・。
両親は、いましたが、私は、 「 いらない子供 」 だったのです・・・
「 強く手を振って
君の背中に サヨナラを 叫んだよ
そして現在地 夢の設計図 開く時は どんな顔 」
そんな 「 自分 」 に、
子供が障がいを持っている、という事実が、受け入れられなくて、
苦しんでいる 「 自分 」 に、
子供に、償いたい、と思っても、償えない 「 自分 」 に、
「 サヨナラ 」 と、心の中で、叫びたいです・・・
私が、本当の意味で、これから、 「 生きていく 」 ために・・・
私の“夢の設計図”は、この10年近くの間で、大きく変わりました。
最初は、この“夢の設計図”を、まず、すべて、消して、
書き直さなければならない、ということが、受け入れられず、
しばらく、その存在すら、忘れてしまっている、状態でした・・・。
それから、様々な 「 出会い 」 があって、子供がいなければ、
決して、出会うことのなかったであろう、人たちが、たくさんいて、
私たちを、支えてくれました!! 本当に、ありがとう!!
ともに、同じような運命を、背負いながら、生きている、
私の大事な 「 仲間たち 」 、そして 「 サポーターのみなさん 」 です!!
この 「 大事な人たちとの、出会い 」 が、なければ、
私たちは、今、ここに、存在していないでしょう・・・
みんなのおかげで、私の“夢の設計図”は、何度も、試行錯誤を、
くり返しては、書き直す、という作業を、していくことが、できました。
まだ、不十分では、ありますが・・・。
ほんの少し先までは、できようとしていますが、
そこから先は、空白のままになっています・・・
「 これが僕の望んだ世界だ そして今も歩き続ける
不器用な 旅路の果てに 正しさを祈りながら 」
このフレーズは、これから、容易ではない人生を、歩んで行く私に、
きっぱりと、“エール”を、送ってくれているように、思っています!!
「 時間は あの時から(or 無理かな) 止まったままなんだ
遠ざかって 消えた背中 あぁ ロストマン
気付いたろう 僕らが 丁寧に切り取った
その絵の 名前は 思い出 」
私の子供たちの、成長は、あきらかに、止まってしまっています・・・。
だから、子供たちが、赤ちゃんだった頃の、いろんなこと・・・
幸せだった頃、告知を受けて、ただ、ショックを受けていた頃・・・
あの頃を、よく、思い出しては、言葉では言い表すことの、できない、
様々な想いを、いだいています・・・。
でも、それは、つかの間では、ありましたが、私にとっては、
「 宝物のような 」 大事な思い出、なのです・・・
これらのことは、一生、忘れることは、ないでしょう・・・。
「 破り損なった 手造りの地図
シルシを付ける 現在地 ここが出発点
踏み出す足は いつだって 始めの一歩 」
これは、私と子供たちの、根っこにある、言葉で、
いつも、大事にして、心に刻んでいます
「 君を忘れたこの世界を 愛せた時は会いに行くよ 」
遠くない未来に、このような時が、
私たちに、訪れることは、あるのでしょうか・・・
追申。
この 『 ロストマン 』 の PV 、素晴らしいです~!!
ぜひ、おすすめです~!!
読んでくれて、ありがとうです
それでは、また。。。
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