文化勲章の存在を知らなかった草間彌生氏。
親授式に赤いカツラを被って天皇陛下の前に進み出る草間彌生氏。
いいなあ、さすが草間彌生氏らしいね、ぶっ飛んでるね 自分を崩さないね と思った。
何故なら、勲章だの褒章だので皇居に上がり、天皇陛下に拝謁(という言い方が正しいかどうか分からないが)
する時は、服装など恰好に一定の決まりというか一応お達しがあるはずだから。
でも色んな分野の人が居るから、今はそれほど厳しくは無いのかも。
草間さんは多分自分からこういう賞を欲しいと思う様な人ではないだろう。
文化勲章の存在すら知らなかった人だもの。
あげますと言うから貰いました でしょ、多分。
内から湧き出る?ほとばしる?思いと言うか激情みたいなものを描き続けて来たら今に至った・・・みたいな
感じかなと勝手に想像している。
草間彌生さんのことをそれほど良くは知らなかった頃、もう5年以上も前になるが娘家族が直島に旅行して、
その時の写真を見せてくれた。
草間彌生さんのカボチャがある島。島そのものが美術館みたいな場所らしい。
パキッとした目の覚めるような綺麗な色のかぼちゃと一緒に孫たちが写真に納まっていた。
うんうん、この絵柄 見たことあるよ 位のものだったが、それから何年か後に草間彌生さん紅白歌合戦で嵐に
紹介され、そして又テレビのチャリテー番組でチャリTシャツを嵐の大野さんと一緒に制作されたこともあって、
更に親近感がわいた。勝手に。
大野さんに”彌生ちゃんと呼んで”と乙女なことを言っていた草間さん。
チャリTシャツいっぱい買ったよ。
私は絵のことはよく分からないし、正直草間彌生さんの絵は絵と言うより模様?みたいな捉え方で最初は
居たのだが、あの素人からは単調に見える様な模様でも、相当な労力と魂の入った芸術なんだなと、
あの人の制作風景を見ているとつくづくそう感じる。正に寝食忘れてと言う感じ。
草間彌生さんは日本でよりも世界で先に認められた人なんだね。
『自分は死にものぐるいで、何千年も人々が心を打たれる芸術を作って行きたい』と今後の抱負を語られた
そうだが、その”何千年も”と言うところに、同じ大野さんが敬愛する若冲の”千載具現の徒を俟つ”に共通する
ものがあるのでは?と私は思ってしまった。
勿論絵のジャンルも時代もスタンスも違うだろうが、でもやはり芸術に命をかけると言うか、溢れ出る思いを
抑え切れずに一心不乱に絵筆に込めると言うか絵筆を走らせると言うか、そういう意味では同じなんじゃ
ないだろうか。
おそらく、カッコ良く見せようとか、褒められようとか、そういう邪心のあるのはよろしくないのだろうな。
私には分からないが。
ただ単に描きたいから描くという純なもの、心の叫びというか魂の叫びというか、そういうものだけが、
人の心を打つのでは?なんて分かった風なことを素人が勝手に言ってます(~_~;)。
親授式に赤いカツラを被って天皇陛下の前に進み出る草間彌生氏。
いいなあ、さすが草間彌生氏らしいね、ぶっ飛んでるね 自分を崩さないね と思った。
何故なら、勲章だの褒章だので皇居に上がり、天皇陛下に拝謁(という言い方が正しいかどうか分からないが)
する時は、服装など恰好に一定の決まりというか一応お達しがあるはずだから。
でも色んな分野の人が居るから、今はそれほど厳しくは無いのかも。
草間さんは多分自分からこういう賞を欲しいと思う様な人ではないだろう。
文化勲章の存在すら知らなかった人だもの。
あげますと言うから貰いました でしょ、多分。
内から湧き出る?ほとばしる?思いと言うか激情みたいなものを描き続けて来たら今に至った・・・みたいな
感じかなと勝手に想像している。
草間彌生さんのことをそれほど良くは知らなかった頃、もう5年以上も前になるが娘家族が直島に旅行して、
その時の写真を見せてくれた。
草間彌生さんのカボチャがある島。島そのものが美術館みたいな場所らしい。
パキッとした目の覚めるような綺麗な色のかぼちゃと一緒に孫たちが写真に納まっていた。
うんうん、この絵柄 見たことあるよ 位のものだったが、それから何年か後に草間彌生さん紅白歌合戦で嵐に
紹介され、そして又テレビのチャリテー番組でチャリTシャツを嵐の大野さんと一緒に制作されたこともあって、
更に親近感がわいた。勝手に。
大野さんに”彌生ちゃんと呼んで”と乙女なことを言っていた草間さん。
チャリTシャツいっぱい買ったよ。
私は絵のことはよく分からないし、正直草間彌生さんの絵は絵と言うより模様?みたいな捉え方で最初は
居たのだが、あの素人からは単調に見える様な模様でも、相当な労力と魂の入った芸術なんだなと、
あの人の制作風景を見ているとつくづくそう感じる。正に寝食忘れてと言う感じ。
草間彌生さんは日本でよりも世界で先に認められた人なんだね。
『自分は死にものぐるいで、何千年も人々が心を打たれる芸術を作って行きたい』と今後の抱負を語られた
そうだが、その”何千年も”と言うところに、同じ大野さんが敬愛する若冲の”千載具現の徒を俟つ”に共通する
ものがあるのでは?と私は思ってしまった。
勿論絵のジャンルも時代もスタンスも違うだろうが、でもやはり芸術に命をかけると言うか、溢れ出る思いを
抑え切れずに一心不乱に絵筆に込めると言うか絵筆を走らせると言うか、そういう意味では同じなんじゃ
ないだろうか。
おそらく、カッコ良く見せようとか、褒められようとか、そういう邪心のあるのはよろしくないのだろうな。
私には分からないが。
ただ単に描きたいから描くという純なもの、心の叫びというか魂の叫びというか、そういうものだけが、
人の心を打つのでは?なんて分かった風なことを素人が勝手に言ってます(~_~;)。