雑感 独り善がり

日々の思いや怒りを自分勝手な考えで綴る

姉が亡くなった

2025-01-13 12:19:24 | 日記

姉が亡くなった。1月5日に。

前回のブログで姉のお見舞いに行ったと書いた。行ったのは4日のことだった。

面会時間は午後1時~3時の間だけと限られているので、必然と言えば必然だがそこでたまたま

義兄・甥の奥さんと子どもたち・姪の子どもたちに会った。

皆の顔を見回し、何か言いたくて喉から声が出そうで、じっと目を見つめてくれた。

興奮して疲れが出なければいいがと思っていたが、翌5日の朝に姪と甥から続いて連絡有り

血圧上がらない・一気にレベル落ちて来そう・昨日と違ってしんどそう・又連絡するとLINEあり

昨日はしゃぎ過ぎた?落ち着く様祈ってると返信してしばらく、昼前に呼吸が止まったと。

えっ?えっ?訳解らない。”嘘・・・”としか思えない。昨日あんなに元気だったのに・・・。

しばしぼーぜん。

後から思えば、あれは姉の最後のお別れだったのか?力を振り絞って皆に挨拶したの?

訴えるような眼は”ありがとう”を言いたかったのね。解ってるよ、おねーさん。

 

私はその日、翌日仕事初めの日からのいきなりのFATに向けて、四国の事業所に移動の予定だった。

しかし出張行く気がしない。

近頃亡くなる人が増えているそうだ。とても多いと。おまけに年末年始。友引もある。火葬場が

混雑している。結局土曜通夜・日曜告別式と1週間先になった。私は2日遅れで渋々仕事に行った。

そして土曜に帰宅し、その日の夜通夜、そして昨日告別式と参列した。娘たちと一緒に。

バタバタして時間が無い中、アルバムの中から姉の写真をチョイスし、持って行った。甥にも頼まれて

いたし。勿論、娘時代の古い写真だ。結婚してからの家族はそれ以降の姉しか知らない。

しかし私にとっては逆に、娘時代の姉の印象の方がやっぱり強い。

兄は亡くなる前日に私が面会に行くのに一緒に行かなかったことをとても悔やんでいた。

 

姉の人生を思う。

幸せだったよね?おねーさん。スーパーモーレツサラリーマン・トップ営業のお義兄を支え

文句言わずに黙々と専業主婦で子どもたちを立派に育て、孫ちゃんからも『おばーちゃん!』と

泣いてもらえる優しいおばあちゃんだったんだよね。お嫁さんも泣いていたよ。いいお姑さん

だったんだろうと思う。甥が市販のおやつ食べたこと無かった。全て母の手造りだったと言っていた。

お正月は毎年年末から実家に家族で泊まり込んで、姉のおせちで年明けだったみたい。

私と違って先ずは夫・子どもだったんだろうね。主婦の鏡みたいな人だった。口数も少なくおとなしい

人だった。本当は中身はキツかったけど。

そんな姉を、11月中旬に倒れてからのことを思うと、私や兄夫婦は諸々もう少し優しく考えてくれても

良かったんじゃないの?と義兄と姪には思うが、そんなことはココロの中だけ。決して言わない。

甥家族だけが私たちと同じ考えだった。甥は姉に似ている。今後の残された家族の在り方が変わるかも

知れないなとちょっと思う。まあ皆大人だから余計な心配かも知れないが。

 

火葬が終わってお骨拾いをする時は、皆諦めの心境にも似た感じ?泣く訳でも無く黙々とお骨を拾う。

”あっけないな”と私は思った。もう姿かたちは無い。肉体が滅びるだけで魂は輪廻転生なのかもだが、

実際の目の前には姉はもう居ない。無常を感じる。

同じジェネレーションの人が亡くなるのはツラいし寂しい。同じ親から生まれた姉兄が居なくなる

と言うのは、何かが欠けた感じ。私は連れ合いが居ないので余計そう思うのかも。

母の年齢まで生きられなかった姉。元々身体が弱かった姉。よく頑張ったねと言ってあげたい。

遅かれ早かれ皆同じようにそっちに行くからね。でもまあ私はまだまだ行かないつもりだけど。

安らかであるように祈ってるよ。私のおねーさんで居てくれてありがとう♡


年末年始のアレコレ。ワガママで生きて行く

2025-01-05 07:49:20 | 日記

ブログご無沙汰しているうちに年が暮れ年が明け、新しい年になった。

2025年。どんな年になるんだろう。

先ず思うのは、誰もにとって可能な限り平穏無事な日々であるようにと。祈るしかないけれど。

 

慌ただしかった年末年始を振り返る。

パソコンが壊れそうだ。ハードディスクがダメらしく、もう虫の息。新しいのを会社に頼んでいるのと、

自分のを修理に出しているが、どちらか壊れる前に間に合うか?

12月第3週と第4週。四国に出張。2週間続けてはさすがにしんどかった。

第3週のは自分の予定には無かったが、元品管(今は自称生産技術らしい)Hさんに要請されて行ったもの。

しかし結果としては無駄な出張だった。

私は交通費も宿泊代も自分持ちなので、無駄な出張はしたくないのだけれど。

おまけに4連泊で、最後の日にHさんと揉める。おかしいと思うことを指摘すると捨て台詞で暴言吐かれ、

あまりの腹立たしさに言い返したけれど怒りは収まらない。Hさんのあまりの身勝手・ワガママさに、

一緒に仕事しているほとんどの人が我慢している。もう二度と一緒には仕事したくない。

しかし今進めている案件が終わるまでは匙を投げる訳には行かないので、1月いっぱいは我慢が続く。

ストレスMAXで28日(土)に帰宅。

流石に29日は動くのもイヤなほどしんどく1日ゴロゴロ。

そして翌30日早朝、又狭心症の発作。これはヤバい。前回発作から3カ月ほどしか経ってない。

間隔が短か過ぎ不安になる。しかしもう休みに入っているので主治医には連絡せずニトロで抑える。

これは身体のしんどさ以上に、ストレスが原因だろうと自己分析。

掃除も買い物も何も出来ていないが仕方なくその日は1日おとなしくしている。

 

大晦日。下の娘と約束していたので、体調マシになったので娘宅へ。頼まれていた買い物して、

年明け来ないのでお年玉も持って行く。上の娘から預かっている分も持って。上の娘家族は元日から旅行。

下の娘んちは孫2人がどちらも受験生でピリピリしているので(誰が?って話だけれど💧)

渡すもの渡してさっさと帰る。帰りに自分のお正月用の食材最小限購入して。

結局年賀状書けなかった。1枚も書かなかったのは喪中以外初めてかも。

用事放ったらかして、何年ぶりかで紅白観る。見て得した感じ。

私は、郷ひろみ・Number_i・アルフィー・B'z・米津玄師 が良かったなぁ。

 

明けて元日。年明け早々から掃除している私。こういう人生か・・・。

やっと片付きキレイになった。清々しい!

2日。兄一家&甥一家来訪。お嫁ちゃんが、食事の甘いのはアカンと言うので、すき焼きやめて

てっさ・しゃぶしゃぶ・カニ。豪華やねぇ。甥たちが『この肉めっちゃ美味しい!』と言うので、

『普段、どんなお肉食べてるのよ!』と突っ込む。

孫たちのおもちゃ捨ててなかったので、それらをキレイにして用意しておいたら、甥のお子ちゃまが

それで遊んでくれた。

お風呂も入って帰った。普段はマンションの小さなお風呂なので、3人で一緒に入ったら?と。

私んちのお風呂は大きくてキレイなので。

3日は少し仕事。

そして4日。姉の病院お見舞い。甥一家・姪一家・義兄と一緒になる。手をさすり脚をさすり

耳元で喋り掛け、昔姉が好きだった歌手の音楽流し、皆でワイワイガヤガヤと昔話なんかもしていたら、

姉が何かを訴えたいように皆の顔を交互に見て、喉から声を出す。

解っているのね、おねーさん。皆来てくれて嬉しいのよね、と思うと胸が詰まる。

しかし身体は痩せ細っている。上腕部なんか骨の上に皮だ。肉がほとんど無い。何で・・・!?と思う。

義兄と姪の意見は同じで、対して甥一家と私や兄夫婦の意見は同じ。でも何も言えない。

 

帰りに天満宮で初詣。私はいつも三が日は外して行く。比較的空いていた。

孫たちの合格祈願も勝手にする。娘は合格祈るよりも、先ずはインフルにもコロナにも罹らず、

病気せず無事に受験出来る様に祈っててと。ホントそーだよね。

おみくじは私の好きな数字だった。ラッキー!そしてそれは『吉』。上等だ。

”ひとすじにおもいきるべし”と。商業は”決断すると利益を得る”らしい。

ふうん・・・今年はスパッと思い切ることが大事なのね。ぐちぐちと悩んでいてはいけないのね。

しかしまあ普段からぐちぐちと悩むタイプではないし、即断即決はお手の物だ。

奢らず焦らず平常心で臨めるよう努めたい。

 

色々思うことはある。

今年は仕事無理をせず、量も減らして行かなくては。何と言っても心身共に元気が一番。

思えば、物心ついた頃から本当に、ワガママ・気ままで生きて来た。誰に聞いてもそう言うだろう。

ワガママはいけないと思っていた時期もあるけれど、今はもう逆にワガママで良い、周りの人には

迷惑かも知れないが、もっとワガママで生きて行くわと思っている。イヤなら見放してと。

我慢したり気ぃ遣ったりはもうしんどい。そんなことを思う年の初め。

久し振りに下の娘と長い電話。たまにはいいか・・・。


週末の出来事。食事会・落語・お見舞い

2024-12-15 11:43:20 | 日記

13日の金曜日、友だちが出ると言うので落語を聴きに行った。大阪天満宮そばの繁盛亭。

落語のライブの前に、今月の食事会をしようと言うことで、Miが中華を予約しようとしてくれたが

忘年会シーズンでおまけに金曜日。だよね・・・満席だったみたいで代わりに串焼き屋さんへ。

初めてのお店だったけれど美味しかった。又行きたいわ。滅多に来ないUも参加して、6人。

その中で、ちょっと驚きのニュースも。いつもの5人の中で、2人お母さんが健在だったのだけれど、

先月はMiのお母さんが、そしてその日はSもお母さんが亡くなったと言うのだ。ついこの間と。

更に、滅多に参加しないUのお母さんも今年亡くなったと言う話を聞いてびっくり。皆90代よ。

長寿も嬉しいし、皆頭がとてもしっかりしていたと。身体こそ徐々に言うこときかなくなるのは

仕方ないとして、皆凄いよね。98歳・95歳・95歳と。

このところ、70代が亡くなること多いよねぇ・・・一昨年の年末から70代の著名人がどれだけ

亡くなったことかと。

で、70代クリア出来れば、次の心配は90代じゃない?80代は比較的安定しているみたいと。

いやいや・・・そんな訳はないでしょ💧 ずっと心配だよ。

 

食事を終えて繁盛亭へ。いくつか聴かせてもらったが、私は友だちが一番上手かったなぁと

思ったことよ。関東と上方とでは落語の形態?も違うんだろうけれど、何だか若い人たち元気過ぎて

風情?と言うか間合い?と言うか・・・私的にはちょっと違うんじゃない?と感じたことでした。

まあ、ああいうのは好みと言うか好き好きよね。

時間も遅いのでお茶もせず、『じゃあ又来年ね~』と皆と別れる。私は老人優待の50円のバスで帰る(^^;

 

昨日は兄夫婦と一緒に姉の病院へ。先週は行けなかったので転院している新しい病院へは初めて。

お風呂も入れてもらったみたいでこざっぱりしてキレイになっていた。良かったね、気持ちよさそうで。

甥姪に、爪が伸びているのが気になっていて、何度か爪を切ってあげてと頼んでいたのだが

もしかしてと思い、爪切りを持って行った。案の定誰も切ってあげて無いやんか!

爪を切りながら3人が代わる代わる喋りかける。大きくて縦長でキレイな爪だ。手の甲も色が白くて

肌はすべすべ。私の手の方がよっぽど荒れている。兄が『オレの方が手の甲のシミ多いわ』と。

目の前に手をかざすと瞬間、目をつぶる。喋りかけると、短くひとこと言葉を発した。

呼びかけに反応し、返事出来ないのがもどかしそう。全部聞こえてるんだよね、解っているんだよね、

私たち来ていること。何か言いたいんだよね、お姉さん。

 

帰りに3人で食事し姉の話を。今の病院がとても高いと聞いているが

私『義兄さんお金持ってるよね?沢山。それ半分はおねーさんのものだからね。

夫婦で築いた財産だからね。半分おねーさんに使ってよね』

兄も義姉も『そーだそーだ、その通り』だと。

今後の方針はどーすんだろ?どうやって栄養摂ってる?義兄+姪と、甥との意見が違うのが問題だ。

私たちが口を挟むことでは無いけれど、希望は伝えたい。

甥に電話する。娘時代、一緒に暮らしていた頃の姉が好きだった歌手や歌を甥に教えて、ネットで

取り込んで聴かせてあげてと依頼。甥も写真とか見せていると。希望は捨てていないと。

意見は2:4だなと甥は言う。差し障りのない程度で話ししてねとお願い。

 

このところ、倒れたり亡くなったりする人が周りに多い中、1人暮らしの私は毎朝目が覚めると

『ああ今日も無事、生きて目が覚めた』と先ずは思う。有難いし感謝だ。

”まだまだ死ねへんで!”と思ってるし周りにも言っている。やりたいことはいっぱいある。

『はいはい、あなたはちっとやそっとでは死にませんよ』と周りに言われる。勢いで生きて行くのだ。

そう言えば、私の仲良くしてもらってる友らも皆元気だし、私を除いて誰一人、離婚もしてないわ。

(女優のMiは別) 皆ご夫婦仲が良い。見ていていい感じよね、それも。有難いし嬉しい。

年内もう1回、泊りの出張がある。元気で働けることが有り難い。

さっ!頑張りますか(^^)/


姉が倒れた

2024-12-07 13:10:50 | 日記

又超久し振りだ。ブログを書く気もしない。興味が失せているのかも。

このところ、何ごとにもあまりやる気が出ない。

今週は珍しく出張も無く、従って出社もせずにひたすら自宅で電話やメール対応・見積などの資料作り。

ただの引きこもりでしかない。でも気乗りしなくても仕事だけはやっている。

何となく精神的にキツイと言う気はするが。

電話の声で元気だとか元気が無いとか、相手にその日の調子を指摘される私って、

つまりは自分勝手でワガママなんだろうな。気を遣わせてるってことだろうから。

 

姉が倒れた。3週間ほど前に。

私には2歳上の兄と、更に2歳上の姉が居る。姪から姉が倒れて救急車で運ばれたと連絡を貰い、

兄夫婦と一緒に病院に行った。

脳梗塞?正しい病名は解らない。不整脈で心臓近くの血栓が脳に飛んで脳血栓起こし、

お風呂からあがって洗面所で倒れたと。既に脳の左半分以上(3分の2と言ったか)が壊死していて、

意識が無い。目も開いてないし喋ることも出来ない。

駆け付けたその日は、熱が出ていて、脳圧で脳が腫れるのを押さえているとか聞いた。1週間様子を見ると。

手術は出来ない?のか解らないが、しないと義兄。

 

不整脈で血栓が脳に飛んで脳血栓。母と同じだ・・・。しかし母は最初はもっと症状は軽かった。

皆が病院に駆け付けた時は話もしたし、やがて早々に退院もした。その後2度ほど同じように発作を起こし、

徐々に進んで行ったのだけれど。

最初は孫の名前などを言い間違えたりはしていたが、まだ普通の生活は出来ていたし外出もしていたと思う。

そのうち入院が長くなってもたまに外泊出来たし、兄宅だけでなく私んちにも泊まって、娘と一緒に世話を

したりもした。

でも姉は、いきなり何も出来ない人になった。

1日に面会は2人まで。それも1人15分までと厳しいが、とにかく自分が行ける日は見舞いに行った。

目も開いてない。しかし身体は無意識に?動く。左の耳は聞こえているはずと姪が言うので耳元で

『おねーさん』『〇〇〇さん』『聞こえる?』と何度も声を掛ける。普通のお喋りもする。

発症時は肺炎も起こしていたが、今は熱も下がり症状は収まっている様子。

手をさすり腕をさすり脚をさする。15分の間ずっと手を繋ぎながら。ちょっと手を離すと無意識にか、

追いかけるような動きをする。身体は温かい。3回目の時には目も開いていたので、視界に入るような

位置で眼を見て話する。返事はないけど。

 

姉とは特に仲が良かった訳でも悪かった訳でも無い。普通の姉妹だ。どちらかと言えば私は

兄夫婦との方が仲が良い。家も近いし会う回数も多い。兄夫婦が好きだし世話にもなってるし。

姉は私とは180度反対のタイプの人だ。口数は少なくおとなしい。おっとりしている。動作もゆっくり。

背が高く細い。

ただの一度も外で働いたことは無い。短大卒業してから、日舞・お茶・お華・お料理・お菓子・和裁・

洋裁と、1週間毎日のようにお稽古事で忙しく、私より余程贅沢でお嬢様だったと思う。

子どもの時から身体が弱く、体育の授業はいつも”見学”の人だった。両親からは、姉に身体的な負担を

掛けることは禁止されていた。一度不注意で痛がらせて、父にボコボコに怒られたことがあった💧

姉は高ビーでもあった。庶民派普通感覚の私には、理解出来ない言動は多々あったが、偏りはあると

感じながらも毅然としている姉の姿は、ある意味カッコよく見えたりもした。

”本物のパリの”ではないけれど、お出掛け時はいつもいわゆる 一品物 誂えものと言う意味の

”オートクチュール”の姉がお洒落して出掛ける後姿を”カッコイイねぇ・・”と惚れ惚れと見とれて

見送ることもあった。

後に私に、野生児みたいで自分の思う通り好きな様に振る舞っている私のことが羨ましかったと

言ったことがあった。ふうん・・・そーなんだ、そんな風に感じてたんだと、素直に吐露する姉を

珍しくも思った。

当然お見合いで結婚すると思っていたのに義兄と恋愛し、親の大反対にあったが結婚した。

一男一女をもうけ孫ちゃんも4人、よく出来た専業主婦として夫唱婦随でやって来た。

私がいつも結構だな有難いなと思うのは、兄弟姉妹が皆同じように経済的にも家庭的にも精神的にも

安定していて、それに依る心配事が無いことだ。

お互いの関係も悪くはない。結構前に一時期、姉夫婦と兄夫婦が一瞬険悪になったことがあったが、

そんな時は私が まあまあ・・と仲裁する。近年は年に一度くらいだが皆で食事に行ったりもしていた。

 

私は姉の人生を思う。考えることがもう出来ていないのかどうかなんて判らないのだけれど、

あの3週間前のあの時点で、姉の思考は停止したのか?何かをしたいだろうに、何か考えたいだろうに

それさえも無理なのか?出来ないことなのか?伝えたい思いはいっぱいあるだろうに。

脳が壊死して戻ることは無いそうだ。今までの様な生活にはもう戻れない・・。

ベタベタするような仲の姉妹では無かったけれど、それでも私の姉だ。高ビーだった姉だ。

今後のことについては、世話をするのは姉の家族、義兄であり子どもたちだ。私が日常的に何かを

してあげれる訳では無いので、口は挟めない。

義兄と姪の意見と、甥とは違うらしい。私が40年以上前に離婚した時、今と時代が違うとはいえ

『離婚する人間は 〇〇〇だ』と差別用語で表現した義兄が、体裁を気にする傾向にある義兄が、

どうするのか?どうか姉にとって望ましい判断をしてくれるようにと、今は祈る気持ちだ。

私は兄弟姉妹の中で多分一番元気だ。両親の良いとこどりを独り占めしているみたいで

申し訳ない気持ちになる。お姉さん、又会いに行くからね。


フランスがなんぼのもんじゃい!国民性か?個人の資質か?

2024-11-16 21:22:16 | 日記

昨日、福島に日帰りで打合せに行った。

まあ仕事自体はお客様の感触良くて、継続して頑張れば受注に漕ぎ着けられるかな?という感じで

気分は悪くないのだが、帰りの移動中が最低最悪だった。

 

私は新幹線はいつも、余程混んでいる時期・時間帯で無ければ自由席だ。

東海道新幹線は、新大阪始発を選べばいいし、東京からの帰りに至ってはどれも始発なので、

ちょっと余裕のある発車時刻のものを選べば当然座れる。

問題は乗り換える新幹線の場合だが、始発駅以外からの乗車は混んでいることもあるが、

どこでも良ければ座れなくはない。

昨日の帰り、福島から乗ったら、窓際は無くて通路側に座った。しばらくは静かで平和。

ところが宇都宮で外国人の団体?が乗って来た。男女取り混ぜて、老齢期に入るような人ばかり

20人位は居ただろうか。

ツーリスト?では無い?定住者?ラフと言うより上物では無い服装に肩から鞄ひとつみたいな

いでたち。皆背が高くて大きい。悪く言えば太い。通路の幅に1人しか入らない程、幅も広い。

彼らが通路をドヤドヤと行き交う度に私は何度も、大きなお尻やカバンを頭や肩に当てられた。

ボンっ!ドンっ!ゴンっ!

その度に『痛っ!』と言うのだが、彼らは聞こえないふりして知らん顔。決して謝らない。

挙句、空いている3列シートの真ん中の席に座ろうと、何も言わずに私を跨いで行こうとする。

心の中で『”イクスキューズ”や”ソーリー”は無いのかいっ!行儀悪過ぎだろっ!』とぶつぶつ。

英語が達者なら、その程度のことがサッと言えるなら、多分言っていた。詰まらずに言える自信が

無かったので我慢した。

何度も何度もゴンゴンと当てられる。腰を曲げればお尻が顔に当たる。それを悪いとも思ってない。

一体この人たちはどう言う団体?何のグループ?どんな神経?

結局座れない人らが固まって通路に立ったまま、前後左右に座っている同行者らと話を始める。

立っているヤツは私の頭の上だ。周りの日本人たちは皆黙っている。静かだ。彼らの声だけが響く。

イライラが募る。

それでなくても新幹線で車内がうるさいのはキライだ。子どもの叫び声もそこそこは我慢するが

泣きわめくのが続くと、言う言わないは別にして、一体親は何している?と腹立たしい方だ。

『公衆の場』と言っても、内容によっては色々ある。例えばライブとかはキャーっとなるのが

当たり前だろうし、逆にクラッシックの音楽会や美術館は当然しーん・・ 等々。

これがダメでこれがOKと言う法律は正直無いのだけれどね。

もしかすると新幹線が静かであって欲しいと言うのは、私のワガママで一方的な思いなのかも知れない。

他の人の感覚知らないから。

しかし常識の範囲と言うものがあるだろう。他人に迷惑を掛けないと言う当たり前の社会の常識が

あるだろう。

お行儀の悪さと延々と続く会話に、ついにキレた。もう我慢出来ない。

『いい加減にしてよっ!うるさいんだよっ!こんなところでミーティングするなっ!

当たって迷惑なんだよっ!行儀悪過ぎ!』と叫んでやったわ。

一字一句違ってないかどうかはともかく、それっぽいことは言った。

日本語でだけれど、怒ってるのは解るよね。

すると、リーダーらしい爺さんが、太ったおばさんのお尻を私のシートから離れるように手で制し、

そして皆一斉に、声のボリュームが落ちた。ボリューム落ちてもまだ喋っていたんだけどね。

そして彼らはゾロゾロと上野で降りて行った。一体何者だったんだろ?

結局申し訳なさそうな態度も謝るそぶりも一切無かった。

この人たち喋っていた言葉はフランス語。勿論皆欧米人と言うか白人。

(と言う言い方が今は何でも差別用語になるみたいなので、いけないのかどうか判らないが)

 

欧米人(白人)と、アジア系アフリカ系のいわゆる有色と呼ばれる人たちとの間に、一体どのような

差が、違いが、あるのだろう・・・と、その時私は考えた。もしかして自分も、先入観や思い込みは

無かったか?

で、これは国民性?と考えたが、いやそれもちょっと違うかも。要は個人の資質?

公共の場で静かにするとか、人に迷惑を掛けないとか、当たったらごめんなさい、ちょっと通らせて

欲しければ済みませんが・・・とか、言う言わないは個人の問題?

しかし日本人は”おしなべて”だけれど、普通言うよね?そういうこと。だから国民性かなと思った

のだけれど、きょうび日本人だって言わない人結構居るかもだから、何がそうさせるのか解らない。

そんな話を今日、用事があって会った兄夫婦にすると2人曰く『フランス人お行儀悪いよ。中国人と

いい勝負らしい。これ有名な話』と。そーなの?

フランスでは、小さなレストランのウエイトレスに至るまで、英語や日本語で喋りかけても返事もしない。

解っていてもだ。フン!とね。何をそんなエラソーばってんだか。もしかしてフランスが一番だと思ってる?

日本を下に見てんじゃないよ。フランスがなんぼのもんじゃいっ!

ここは日本だ!もうちょっとお行儀よく出来ないのっ?と怒る私がおかしいのか?

人種だとか国民性だとか狩猟民族だとか農耕民族だとか・・・そんなことまで考えさせられた日だった。

 

そう言えばうちの会社に居る中国人の若い女性、中国のことキライだと言っていた。

彼女はタイで大学を卒業し、日本に来た。タイで英語を習得し来日してから日本語を覚えた。

つまり4か国語が喋れる。彼女は自国の民度が低いことをよく理解している。だからと言って

日本が好きと言う訳でも無さそうだ。

どこの国に居ようが、自分が自分らしく高みを目指して生きて行くんだと言う強い意志を感じる。

そう言うグローバルな考え方・感性が、これからの時代は多くなって行くのかな。

しかし、日本と言う国の民度は高いはず。あのフランス人のグループの態度は無いわ。