月日が経つのは早いものだこと。
今日はもう月イチの月末の土曜日だったので、工程会議に出社。身体もしんどいし、気分も
イマイチなので、あまり行きたくは無かったが、自分案件の納期もダンゴになっているが
他の営業の大型案件であっちもこっちも、レイアウトする場所なくない?調整の人の取合い?
状態だったので、行かざるを得ない。居なかったら欠席裁判よろしく、勝手に良いように
決められてしまうから。
今週は月曜夜に静岡から帰り、火曜は午前中病院へ。午後とその翌日は在宅で仕事して
木曜は来客在り、テストするので出社。金曜は在宅でWeb会議。そして今日。
それほど出掛けている訳でも無いのに、なぜかしんどい。多分気力が足らないのだろう。
気合だけの人間だから。
最近よく考えること。
他の方のブログを拝見していると、長年連れ添った相方の文句を言ったり、別居状態でも
日々文句ばかり・・と言うような方結構おいでだけれど、それでもね、愚痴りながらでもね、
一緒に居る・近くに居る ってことは、少なくとも安心感はあるんだよと言うこと。
本人気が付いて無いかも知れないけれど。
きっとブツブツ言いながらも、どこかでは頼っているんだろうな・・と。それが精神的か
金銭的か物理的かは夫々だろうけれど。
私なんかは、自分が選んだのではあるけれど、ずっと1人だ。何をするにも何を決断するにも
自分しか居ない。頼るってことが無い。文句を言って行くところが無い。愚痴る相手も居ない。
寂しいとは思わないが、なんだか最近 空虚な感覚に囚われる。きっと歳のせいなんだろう。
身体がしんどい。もう仕事辞めようか。いや・・でも仕事辞めたらどうなる?即ボケるかも。
それ怖い。でもいつまでやってるの?死ぬまでの覚悟はしたつもりではあるけれど、エンドレス
かい・・。それで満足なのかなぁ?
日がな一日ボーっと過ごすと罪悪感に囚われる私。だからまだ仕事をしている方が『やれやれ、
あーしんど💧』となっても、まだ気持ちの上で救いがある。かと言って、そしたら死ぬ間際まで
あくせく働いているんですかい?そんな禅問答の様な思いの繰り返しだ。
仕事の辞め時、自身の畳み方。そんなことを考える。
娘たちに言わせると、私は口が動かなくなったらおしまいらしい。しかしいまだに食欲は衰えず
黙りもせず。
先日初めて首のMRIを撮って貰った。例の上の娘の『ろれつが回ってない』発言から、CT撮り
『大きな梗塞は無い。詳しく見たければMRIを』と先生が言われ、頭部のMRIのついでに首も。
結果、頭にも異常は無かった。未破裂動脈瘤の開頭手術をしてから、来月で丁度10年だ。
私の場合相当ヤバかったらしい。運が良かったのね。
首を見た先生が『血管が凄くキレイ!まっすぐでボコボコしていない!』とびっくりされたもので、
私は思わず『先生、歳の割に?』と聞いた。
狭窄だのプラーク?だのが無いらしい。良かったね。それが全てではないだろうが。
元気なんだから、ブツブツ思わずに頑張らなくてはね。感謝して生きて行かないと罰が当たっちゃう。
と言う訳で明日は又、静岡に移動する。検収してもらいに行くのだ!