何でこんなことに!? 私、何か悪いことしたでしょうか?
年明け早々姉が亡くなり、それでなくても普段より落ち込んでるよ、確実に。
金曜日から関東に出張し日曜日に帰阪した。深夜、日付が変わろうとしている頃に友からLINE。
こんな時間に来るのはいい話じゃないなと予感。
Oが亡くなったと。一瞬、”信じられない・・・・”
私には今も仲良くしている友だちが2組ある。
ひとつは中高一緒だった友だちの、最後の2年間(組替えが無い)同じクラスだったグループ。
月イチの食事会に行くのはこのグループ。皆大阪だから。
そしてもうひとつは短大の2年間一緒だった友ら。4人グループでMiと私は同じ中高からで
MeとKは同じ学園だけれど、隣の姉妹校から来た。年イチの旅行に行くのは、こちらのグループ。
皆が結構離れたところに住んでいるので、会うのは年イチと言う訳。
勿論どちらのグループも、学校卒業してからずっと頻繁に会っていた訳ではない。仕事や結婚・子育て
などで皆忙しい時期は夫々の生活があって、なかなか会えなかった。今みたいに会えるのは、そこそこ
落ち着いてからだった。
Oとは中2・高2・高3が確か同じクラスだった。明るくて親分肌で統率力が有って、リーダー格で
クラスの人気者だった。どのクラスにもそう言う人が1人は居たが、彼女はクラスのと言うより
学年の人気者で有名人だった。華があった。別嬪さんだったし、実家はデパートにも入っている
大きなお店と言うか会社で、お嬢様だった。全然そんな雰囲気は漂わせていなかったけど。
公明正大でイヤなことをしない言わない、性格の良い人だった。
私は中2で初めて同じクラスになった時、席が近かったからか出席番号が続いていたからか
仲良くなって色んな話をしたけれど、彼女には結構深い話をしたような記憶がある。
真面目に親身になって人の話を聴く。アドバイスもくれる。そのくせおバカな話をして
ふざけたりもして、楽しい信頼のおける人だった。
歳を重ねて月イチの食事の頃には、彼女はあまり集まりに出て来ない様になった。”面倒だ”と
言う理由で。それでも私たちは面倒がる彼女の近くのお店で予約を取って引っ張り出したり、
家に行ったりして、それなりに会うのを楽しみにしていた。
ご主人を先に亡くしてからは更に出不精になって行ったように思う。骨折も何度もしたし、
どこかが悪いと入院もたまにしていた。
昨年の夏の終わりに彼女の近くのお店で月イチの食事会を予約した。しかし生憎その日、
大型台風が関西を襲って来て、危険だと言うことでキャンセルになった。その時電話で
何度か話をしたのが最後だった。
超久し振りでも、しょっちゅう会っている様に何の抵抗もこだわりもなく普通に喋れる。
世事も難しい話もする。突っ込んだ話も出来る。私にとってはそんな人だった。
いつも守って貰ってる様な、庇ってくれてる様な、そんな気にさせる人だった。叱咤激励も。
懐の広いあったかい人だった。
私たちまだ73歳だよ。なんでそんなに早く逝くの?もっと会いたかったよ、もっと話したかったよ。
アホ言うて笑いたかったよ。
通夜に皆で会いに行く。でももう何も言ってくれないんだ。こっちを見てくれることも無いのね。
大事な人がこうも続いて居なくなるなんて・・と凄く恨めしい。
亡くなった姉はもう灰になってしまい姿かたちは無い。友もそこに身体は在っても、もう生身では無い。
何がツラいって、もう会えないことだよ。会いたいよ、こっち向いてよ、喋ってよ。そう思っても
叶わないんだ。
共に過ごした楽しかった懐かしい日々、こっちが生きてる限り忘れないよ。