雑感 独り善がり

日々の思いや怒りを自分勝手な考えで綴る

もう会えない

2025-01-22 01:24:07 | 日記

何でこんなことに!? 私、何か悪いことしたでしょうか?

年明け早々姉が亡くなり、それでなくても普段より落ち込んでるよ、確実に。

金曜日から関東に出張し日曜日に帰阪した。深夜、日付が変わろうとしている頃に友からLINE。

こんな時間に来るのはいい話じゃないなと予感。

Oが亡くなったと。一瞬、”信じられない・・・・”

 

私には今も仲良くしている友だちが2組ある。

ひとつは中高一緒だった友だちの、最後の2年間(組替えが無い)同じクラスだったグループ。

月イチの食事会に行くのはこのグループ。皆大阪だから。

そしてもうひとつは短大の2年間一緒だった友ら。4人グループでMiと私は同じ中高からで

MeとKは同じ学園だけれど、隣の姉妹校から来た。年イチの旅行に行くのは、こちらのグループ。

皆が結構離れたところに住んでいるので、会うのは年イチと言う訳。

勿論どちらのグループも、学校卒業してからずっと頻繁に会っていた訳ではない。仕事や結婚・子育て

などで皆忙しい時期は夫々の生活があって、なかなか会えなかった。今みたいに会えるのは、そこそこ

落ち着いてからだった。

 

Oとは中2・高2・高3が確か同じクラスだった。明るくて親分肌で統率力が有って、リーダー格で

クラスの人気者だった。どのクラスにもそう言う人が1人は居たが、彼女はクラスのと言うより

学年の人気者で有名人だった。華があった。別嬪さんだったし、実家はデパートにも入っている

大きなお店と言うか会社で、お嬢様だった。全然そんな雰囲気は漂わせていなかったけど。

公明正大でイヤなことをしない言わない、性格の良い人だった。

私は中2で初めて同じクラスになった時、席が近かったからか出席番号が続いていたからか

仲良くなって色んな話をしたけれど、彼女には結構深い話をしたような記憶がある。

真面目に親身になって人の話を聴く。アドバイスもくれる。そのくせおバカな話をして

ふざけたりもして、楽しい信頼のおける人だった。

 

歳を重ねて月イチの食事の頃には、彼女はあまり集まりに出て来ない様になった。”面倒だ”と

言う理由で。それでも私たちは面倒がる彼女の近くのお店で予約を取って引っ張り出したり、

家に行ったりして、それなりに会うのを楽しみにしていた。

ご主人を先に亡くしてからは更に出不精になって行ったように思う。骨折も何度もしたし、

どこかが悪いと入院もたまにしていた。

昨年の夏の終わりに彼女の近くのお店で月イチの食事会を予約した。しかし生憎その日、

大型台風が関西を襲って来て、危険だと言うことでキャンセルになった。その時電話で

何度か話をしたのが最後だった。

超久し振りでも、しょっちゅう会っている様に何の抵抗もこだわりもなく普通に喋れる。

世事も難しい話もする。突っ込んだ話も出来る。私にとってはそんな人だった。

いつも守って貰ってる様な、庇ってくれてる様な、そんな気にさせる人だった。叱咤激励も。

懐の広いあったかい人だった。

 

私たちまだ73歳だよ。なんでそんなに早く逝くの?もっと会いたかったよ、もっと話したかったよ。

アホ言うて笑いたかったよ。

通夜に皆で会いに行く。でももう何も言ってくれないんだ。こっちを見てくれることも無いのね。

大事な人がこうも続いて居なくなるなんて・・と凄く恨めしい。

亡くなった姉はもう灰になってしまい姿かたちは無い。友もそこに身体は在っても、もう生身では無い。

何がツラいって、もう会えないことだよ。会いたいよ、こっち向いてよ、喋ってよ。そう思っても

叶わないんだ。

共に過ごした楽しかった懐かしい日々、こっちが生きてる限り忘れないよ。


姉が亡くなった

2025-01-13 12:19:24 | 日記

姉が亡くなった。1月5日に。

前回のブログで姉のお見舞いに行ったと書いた。行ったのは4日のことだった。

面会時間は午後1時~3時の間だけと限られているので、必然と言えば必然だがそこでたまたま

義兄・甥の奥さんと子どもたち・姪の子どもたちに会った。

皆の顔を見回し、何か言いたくて喉から声が出そうで、じっと目を見つめてくれた。

興奮して疲れが出なければいいがと思っていたが、翌5日の朝に姪と甥から続いて連絡有り

血圧上がらない・一気にレベル落ちて来そう・昨日と違ってしんどそう・又連絡するとLINEあり

昨日はしゃぎ過ぎた?落ち着く様祈ってると返信してしばらく、昼前に呼吸が止まったと。

えっ?えっ?訳解らない。”嘘・・・”としか思えない。昨日あんなに元気だったのに・・・。

しばしぼーぜん。

後から思えば、あれは姉の最後のお別れだったのか?力を振り絞って皆に挨拶したの?

訴えるような眼は”ありがとう”を言いたかったのね。解ってるよ、おねーさん。

 

私はその日、翌日仕事初めの日からのいきなりのFATに向けて、四国の事業所に移動の予定だった。

しかし出張行く気がしない。

近頃亡くなる人が増えているそうだ。とても多いと。おまけに年末年始。友引もある。火葬場が

混雑している。結局土曜通夜・日曜告別式と1週間先になった。私は2日遅れで渋々仕事に行った。

そして土曜に帰宅し、その日の夜通夜、そして昨日告別式と参列した。娘たちと一緒に。

バタバタして時間が無い中、アルバムの中から姉の写真をチョイスし、持って行った。甥にも頼まれて

いたし。勿論、娘時代の古い写真だ。結婚してからの家族はそれ以降の姉しか知らない。

しかし私にとっては逆に、娘時代の姉の印象の方がやっぱり強い。

兄は亡くなる前日に私が面会に行くのに一緒に行かなかったことをとても悔やんでいた。

 

姉の人生を思う。

幸せだったよね?おねーさん。スーパーモーレツサラリーマン・トップ営業のお義兄を支え

文句言わずに黙々と専業主婦で子どもたちを立派に育て、孫ちゃんからも『おばーちゃん!』と

泣いてもらえる優しいおばあちゃんだったんだよね。お嫁さんも泣いていたよ。いいお姑さん

だったんだろうと思う。甥が市販のおやつ食べたこと無かった。全て母の手造りだったと言っていた。

お正月は毎年年末から実家に家族で泊まり込んで、姉のおせちで年明けだったみたい。

私と違って先ずは夫・子どもだったんだろうね。主婦の鏡みたいな人だった。口数も少なくおとなしい

人だった。本当は中身はキツかったけど。

そんな姉を、11月中旬に倒れてからのことを思うと、私や兄夫婦は諸々もう少し優しく考えてくれても

良かったんじゃないの?と義兄と姪には思うが、そんなことはココロの中だけ。決して言わない。

甥家族だけが私たちと同じ考えだった。甥は姉に似ている。今後の残された家族の在り方が変わるかも

知れないなとちょっと思う。まあ皆大人だから余計な心配かも知れないが。

 

火葬が終わってお骨拾いをする時は、皆諦めの心境にも似た感じ?泣く訳でも無く黙々とお骨を拾う。

”あっけないな”と私は思った。もう姿かたちは無い。肉体が滅びるだけで魂は輪廻転生なのかもだが、

実際の目の前には姉はもう居ない。無常を感じる。

同じジェネレーションの人が亡くなるのはツラいし寂しい。同じ親から生まれた姉兄が居なくなる

と言うのは、何かが欠けた感じ。私は連れ合いが居ないので余計そう思うのかも。

母の年齢まで生きられなかった姉。元々身体が弱かった姉。よく頑張ったねと言ってあげたい。

遅かれ早かれ皆同じようにそっちに行くからね。でもまあ私はまだまだ行かないつもりだけど。

安らかであるように祈ってるよ。私のおねーさんで居てくれてありがとう♡


年末年始のアレコレ。ワガママで生きて行く

2025-01-05 07:49:20 | 日記

ブログご無沙汰しているうちに年が暮れ年が明け、新しい年になった。

2025年。どんな年になるんだろう。

先ず思うのは、誰もにとって可能な限り平穏無事な日々であるようにと。祈るしかないけれど。

 

慌ただしかった年末年始を振り返る。

パソコンが壊れそうだ。ハードディスクがダメらしく、もう虫の息。新しいのを会社に頼んでいるのと、

自分のを修理に出しているが、どちらか壊れる前に間に合うか?

12月第3週と第4週。四国に出張。2週間続けてはさすがにしんどかった。

第3週のは自分の予定には無かったが、元品管(今は自称生産技術らしい)Hさんに要請されて行ったもの。

しかし結果としては無駄な出張だった。

私は交通費も宿泊代も自分持ちなので、無駄な出張はしたくないのだけれど。

おまけに4連泊で、最後の日にHさんと揉める。おかしいと思うことを指摘すると捨て台詞で暴言吐かれ、

あまりの腹立たしさに言い返したけれど怒りは収まらない。Hさんのあまりの身勝手・ワガママさに、

一緒に仕事しているほとんどの人が我慢している。もう二度と一緒には仕事したくない。

しかし今進めている案件が終わるまでは匙を投げる訳には行かないので、1月いっぱいは我慢が続く。

ストレスMAXで28日(土)に帰宅。

流石に29日は動くのもイヤなほどしんどく1日ゴロゴロ。

そして翌30日早朝、又狭心症の発作。これはヤバい。前回発作から3カ月ほどしか経ってない。

間隔が短か過ぎ不安になる。しかしもう休みに入っているので主治医には連絡せずニトロで抑える。

これは身体のしんどさ以上に、ストレスが原因だろうと自己分析。

掃除も買い物も何も出来ていないが仕方なくその日は1日おとなしくしている。

 

大晦日。下の娘と約束していたので、体調マシになったので娘宅へ。頼まれていた買い物して、

年明け来ないのでお年玉も持って行く。上の娘から預かっている分も持って。上の娘家族は元日から旅行。

下の娘んちは孫2人がどちらも受験生でピリピリしているので(誰が?って話だけれど💧)

渡すもの渡してさっさと帰る。帰りに自分のお正月用の食材最小限購入して。

結局年賀状書けなかった。1枚も書かなかったのは喪中以外初めてかも。

用事放ったらかして、何年ぶりかで紅白観る。見て得した感じ。

私は、郷ひろみ・Number_i・アルフィー・B'z・米津玄師 が良かったなぁ。

 

明けて元日。年明け早々から掃除している私。こういう人生か・・・。

やっと片付きキレイになった。清々しい!

2日。兄一家&甥一家来訪。お嫁ちゃんが、食事の甘いのはアカンと言うので、すき焼きやめて

てっさ・しゃぶしゃぶ・カニ。豪華やねぇ。甥たちが『この肉めっちゃ美味しい!』と言うので、

『普段、どんなお肉食べてるのよ!』と突っ込む。

孫たちのおもちゃ捨ててなかったので、それらをキレイにして用意しておいたら、甥のお子ちゃまが

それで遊んでくれた。

お風呂も入って帰った。普段はマンションの小さなお風呂なので、3人で一緒に入ったら?と。

私んちのお風呂は大きくてキレイなので。

3日は少し仕事。

そして4日。姉の病院お見舞い。甥一家・姪一家・義兄と一緒になる。手をさすり脚をさすり

耳元で喋り掛け、昔姉が好きだった歌手の音楽流し、皆でワイワイガヤガヤと昔話なんかもしていたら、

姉が何かを訴えたいように皆の顔を交互に見て、喉から声を出す。

解っているのね、おねーさん。皆来てくれて嬉しいのよね、と思うと胸が詰まる。

しかし身体は痩せ細っている。上腕部なんか骨の上に皮だ。肉がほとんど無い。何で・・・!?と思う。

義兄と姪の意見は同じで、対して甥一家と私や兄夫婦の意見は同じ。でも何も言えない。

 

帰りに天満宮で初詣。私はいつも三が日は外して行く。比較的空いていた。

孫たちの合格祈願も勝手にする。娘は合格祈るよりも、先ずはインフルにもコロナにも罹らず、

病気せず無事に受験出来る様に祈っててと。ホントそーだよね。

おみくじは私の好きな数字だった。ラッキー!そしてそれは『吉』。上等だ。

”ひとすじにおもいきるべし”と。商業は”決断すると利益を得る”らしい。

ふうん・・・今年はスパッと思い切ることが大事なのね。ぐちぐちと悩んでいてはいけないのね。

しかしまあ普段からぐちぐちと悩むタイプではないし、即断即決はお手の物だ。

奢らず焦らず平常心で臨めるよう努めたい。

 

色々思うことはある。

今年は仕事無理をせず、量も減らして行かなくては。何と言っても心身共に元気が一番。

思えば、物心ついた頃から本当に、ワガママ・気ままで生きて来た。誰に聞いてもそう言うだろう。

ワガママはいけないと思っていた時期もあるけれど、今はもう逆にワガママで良い、周りの人には

迷惑かも知れないが、もっとワガママで生きて行くわと思っている。イヤなら見放してと。

我慢したり気ぃ遣ったりはもうしんどい。そんなことを思う年の初め。

久し振りに下の娘と長い電話。たまにはいいか・・・。