雑感 独り善がり

日々の思いや怒りを自分勝手な考えで綴る

永く美しく幸せで居て欲しい

2024-08-25 10:09:31 | 日記

仕事、お盆前2週間ほどは本当に過酷だったけど、お盆の間にぼちぼち処理していたことと、

明けの1週間の頑張りで、何とか通常の忙しさ位には戻れたかも。

6月末の展示会で口頭での注文が数件あり、それを報告してすぐイタリア行ったものだから、

旅行中の1週間で社長が気を利かして?かなんか知らんけど、工事番号を取ったのだ。

私は正式な注文書を受け取らない限り番号取らない。フライングなんかしない。

契約が確定すれば承認用の仕様書や図面をお客様に提出し承認返却していただき、社内には

それらと共に実行予算書や工程表配布してと、契約が決まればやることはいっぱいある。

だが今回、オーダー取られているのにそう言う類の資料が全く配布されていないことで、

社内の何人かから確認があった。『〇〇さんにしては珍しいですね』と言われ、その度に

『知らない間に番号取られていた。まだ何も出せていません』と説明。この1カ月ほどは、

新規引合案件の対応の他にそれらの一連の作業を後追いでやって、追い付くのに必死だった訳。

やっと何とか目途が立ったかな・・・レベルに達して、ココロがやっと落ち着いた。

要らんことしてくれて・・・社長。ぐちゃぐちゃだった順序を元に戻すの大変でしたわ。

お陰でしんどかったわ。

 

で、金曜の夜は会社帰りに、イタリアへ一緒に行った友だちのMiと食事に行った。

仕事から解放されたいというのもあったし、実はMiには話もあったのだ。

前日の急な誘いだったにも拘わらず、当日の医者の予約と翌日の孫ちゃんの発表会もある

忙しさの中、会うことを快諾してくれた。彼女の家と私の会社は比較的近いのだ。

Miとは中学からの付き合いだ。彼女は本物のお嬢様で深窓の令嬢と呼ぶにふさわしい人だった。

艶々した豊かな黒髪をキレイに顎で切りそろえ、賢くて上品で。そんなイメージだった。

そして明るく活発で、人の世話を焼き、誰にでも親切で優しい。実家も凄い豪邸だったわ。

書けば友だち自慢みたいな話はいっぱいあるが今はやめておく。

彼女はお見合いで、大阪弁で言うところの、オレ様的な”ぼんぼん”と結婚した。

 

Miはこの数カ月で8kgも体重が減ったという。イタリア行った時もその話はしたが、なんで!?と

聞くと、ただ単に食が細くなったからだと。もう以前ほどは食べられない。今までが食べ過ぎてたんだよ、

普通に戻っただけよと言う。しかし彼女の実家の家族全員に糖尿のケがあり、今年の初めには2つ上の

お兄さんが亡くなった。私らも以前一緒に旅行にまで行ったよく知っているカッコいいお兄さんで

私も同じ歳の兄が居るだけにとてもショックだったわ。そして彼女も今、糖尿の薬を飲んでいる。

糖尿のことは、本当に心配はない。お医者様にちゃんと診てもらってるし、数値的にも大丈夫だという。

しかし本当にそんな急激に痩せるものなのか・・・と私の心配はぬぐえていない。

それ以外にも気になることがあった。そしてずっと気に入らない(彼女に対してでは無い)ことも。

 

結婚して彼女は変わった。あれだけお嬢様然としていた彼女が今は、普通のおばさんの様に

なっているのが私は気に入らない。彼女のお母さんはスーパーカッコ良かった。

お母さんみたいに、いい意味での高ビーな奥様であって欲しかった。

彼女がそうなったのには色んな事情がある。ご主人の親と同居。彼女はお嫁さんであって

お手伝いさんでは無い。賢い人なのに家に閉じ込められていた。婚家もお金持ちなのに

結婚生活自体は結構過酷というか厳しいというか。つまりは長年に亘る心の問題なんだろう。

勿論、本人が良しとしているなら他人がとやかく言う問題では無いのだが。

 

このところ『Repeat after me』的な話し方をするので(3人以上居る時に限るのだが、私の言った

セリフを『そうそう・・』の後にくっ付けて、全く同じ言葉を繰り返す)大丈夫か?と感じたり。

それも『ボケてないよ』と、訳は聞いた。私の言うことに激しく同意してるからそうなると。

色んな話をする中で彼女はこう言う。『これが私の人生』と。今の夫じゃなくても多分、同じ様な人を

選んでた。誰を選んでもたいして変わらなかった。そう言う星周りなんだ。大したこと出来る訳でも

無いしと。

いや・・・縛り付けられて来たよね。

でもそういう生活がイヤだった訳でも無いのよと。

そうよね。友だちだからと言って何もかも全てをさらけ出している訳ではないだろうし、心の中までは

解らない。本心も本音も100%知っている訳ではない。夫婦・親子・家族・友だち等々・・夫々色んな形が

あるしね。要らんことに口挟んだらアカンね。子どもたち孫たちとも仲良くいい関係で円満だ。

世の中的には十分幸せだしね。見えている部分だけで勝手に心配しているだけよ。

 

ご主人が金曜日、『〇〇と会うならオレも行く!』と言ったそうだ。ふんっ!!邪魔よ。

よく喋る男が横に居たら口出す暇もない。私たち会話出来ない。第一、アンタの悪口言うんだから。

顔見たら私、又何言うか分からないよ。きっと毒吐くよ。私の友だちをもっと大事にしてよ!ってね。

私たちは6年も8年も同じ時代を過ごして来た。キラキラした少女時代を知っている。

どの友も数十年間、大なり小なり苦労も良い思いもして来ただろう。そして今がある。

この歳になったから思うのかも知れないが、友には皆末永く美しく幸せでいてもらいたいのよ。

皆でカッコよく歳取ろうね!

 

イタリア行った時の写真。Miと撮ったものとMeと撮ったもの。1枚ずつ小さく載せよっ!


イタリアへ行って来た。その⑦完結編

2024-08-15 23:42:39 | 日記

イタリア旅行記の最終版。尻切れトンボだったので、特に書くことももう無いけれど、

締めをしたく思うので。

実は写真の顔隠しも出来たので、昨晩遅くは写真掲載していたのだけれど、

やっぱり人物の写っている写真はやめることに。

ローマで最後の夜を過ごし、翌日は朝から空港へ向かい空港で最後のお土産調達し

(これが又高くて、最後の最後に散財した💧)名残惜しいけど、さあ 帰るわよっ!

イタリアが好きで、建物が好きで石畳が好きで、気の置けない友と一緒で、お天気にも恵まれて

もう最高のイタリアだったなぁ。又行きたい。

帰国してから既に1カ月以上も経ち、写真を見ると”あぁ・・・楽しかったなぁ”しかない。

同じツアーの方たちも、良い人ばかりだった。大商社の海外長かったご夫婦、カッコ良かったなぁ。

ご夫婦して超お洒落だったし、全身 良質のものを身に付けておられましたわ。

不思議なもので私たち、同じ様な色の服を持って行ってるのに、全く被らなかったのも凄い。

『明日何着るの?』なーんて全く聞きもしなかったのにね。

又海外すぐに行こうよと言うとMeは、来年はご主人とスイスに行くと。いいなぁ・・友だち以外に

ツレが居て。当たり前か・・・。 

で、次はハンガリーとかの東欧はどうよ!?などと話をして、又次の楽しみを目指そう。

今回が最後の海外旅行なんて思ってないから。

 

羽田に迎えに来たMeのご主人が『そうやって、身体も元気で行きたいところへいつでも行ける

という状況・環境を有難いと思わなくっちゃね』と。うんうん、全くその通り。そう思いますわ。

次を目指してワタクシ、又働きますことよ💪

お世話になった皆様、本当に有難うございました。

帰国後のワタクシの仕事の混雑ぶりは目も当てられない状況で、いまだに尾を引いてます💧


何十年ぶりかの停電体験。終戦の日。

2024-08-15 21:01:55 | 日記

今日は早朝停電していて、ちょっと驚いたかも。何故なら”停電”に遭遇したのはもう何十年?ぶり

かだと思うから。ちょっとピンと来なかったわ。

最初は解らなかった。朝の目覚ましが鳴る6時前よ。目が覚めたので電気を付けようとして、

寝たままリモコンで点灯。ん?点かないなぁ・・・。起き上がって壁のスイッチ。それでもダメ。

雨戸シャッター開けて光を入れようとしたが動かない。ブレーカー落ちてるの?と思ったわ。

試した違う部屋の電気も点かなかったので、分電盤というの?見に行くより、これはもしかしたら

停電?と気が付いた。そりゃ雨戸シャッター、電動なので動くはずないよね。

でも比較的早く復旧した。エアコン効かずに暑い!ところまでは行かなかった。

下の娘から”大丈夫?”とLINE。娘んところは同じ市内でも停電していなかったそうだ。

暗闇で年寄だからコケたらアカンと思ったのか?普段 言葉はキツくても、私にとっては充分優しいよ。

気にかけてくれてありがとう♡

 

休み間、毎日少しずつでも仕事はしている。休み明けに向けて徐々にその量も増えて行ってる。

メール送るのは遠慮しているが。

思えば、私は忙しく働く星周りに生まれているのだろうなと言う気がする。今は好きで働いている

のだから、自分で選んでいるとも言えるが。

楽チンだったのは娘時代までだった。結婚している時は、心身共に疲弊し、故にあちこち支障を

来していた。まあ、それがあるから今の私があるとも言えるのだが、気が付けばずっとそんな状態。

友らは皆お嬢様で、結婚してもゆったり優雅な奥様。が多い。羨ましい訳では無いが、何で私、

こんなにバタバタ働いているのか?と思わなくもない。要は選ぶ人に失敗しただけ?

守ってくれる人が居れば、私ももう少し穏やかな人生を送っていたのだろうか?と考えたりするが

全て”タラレバ”よね。自分にはこの人生しか無かったのだから仕方ない。弱音を吐かずに頑張るしかない。

しんどいけど。落ち着いて優雅に暮らす日は?来ないよね・・・💧

 

今日は終戦記念日だった。それなりに思うところは無くはない。

戦争を知らない世代だけれど、親は戦争経験者だ。幼い頃には話は沢山聞かされた。ドキュメントも

観たりするし映画も観るし、戦争の悲惨さは解っているつもり。今の平和を有難いと思っている。

世界を見回せばどれだけ恵まれているかと思う。でも、そう言う風に感じるのは、やはりこの年齢

だからであって、もっともっと戦争を知らない若い世代の人たちは、今のこの日本の平和を有り難い

なんて、実感は無いのかも知れない。

色んな人が居る。時代に依って世間は変わる。人に押し付けるものではないけれど、少なくとも

自分は、謙虚で感謝を忘れず自分と周りの人を大切に真面目に生きて行きたい。そんな風に思う。


怠惰に過ごしているお盆休み

2024-08-14 15:35:18 | 日記

2週間以上のご無沙汰だ。

本当はイタリア旅行の締めをしたかったのだけれど、それは写真も出来れば入れたいので後回し。

で、この2週間以上何をしていたか?相変らず仕事に忙殺されていた。プライベートの時間が

ほぼ無かった。

お盆休み前の2週間は、出張と来客とでテレワーク出来る日は1日も無く、毎日出掛けていた。

日中、外に居る時は、睡眠不足と暑さで何度もフラッとなりかけたわよ。危ない危ない。

もう夜も頑張れない。眼と身体が持たずに寝てしまう。

 

で、10日(土)からお盆休みに入ってヤレヤレなんだけれど、それはそれで結構問題が。

先ず、下の娘に連絡して”孫たちが泊りに来るのはいつだった?”と聞くと、約束していたのは

3日(土)4日(日)だったと。忙しさ真っ最中の頃だ。向うも何で言って来なかった?

Jがコロナになったんだって。

どうせおかーさん、事前の連絡無かったから忘れてるんだろうと、コロナで行けないしで、

連絡もして来なかったと。愕然としたが、そう言えばお盆休み前だと言ってたかも。

私はお盆休み中だと思い込んでいた。ごめんね、すっぽかして・・・。

で、『お盆には来る?』『行かない』 あーそーですか。なら私も仕事するわよ。

忘れてたことを怒るというより呆れてた。何度もやらかしてるからねぇ。

上の娘はウンもスンも言って来ない。来るなら多分ギリギリに連絡して来る。

 

私は自分から子どもたちに連絡することは、ほぼ無い。用事があれば向こうから連絡して来る。

特別何かがある訳でも無いのに長々と電話でお喋り と言うのは先ず無い。

なのでお互い、日々何ごともなく暮らしていれば、何週間もやり取りしないこともある。

よそのご家庭や親子関係がどんなものかは知らないが、もしかしたら冷たいと思われるのかもだが、

私は”構ってちゃん”では無いので、それで十分だし満足している。”今のところは”かも知れないが。

そもそもが”寂しい”と言う感情があまり無いし。もっと高齢になれば、そう言う気持ちにもなるのかも

知れないが、今はまだ大丈夫。

 

仕事も”いつまでやってるのか?”と言う自問はある。身体が動けて頭が働いているうち・・とは思うが、

正直、子どもたちとの約束を覚えてないと言うことは、仕事の情報だけで頭の中がいっぱいだと言うことだ。

他のことが入ってくる余裕が無いのだ。すぐにカレンダーにと思っても何かのタイミングで書くのを忘れる。

そしてすっぽり抜け落ちる。

この数年、そんなことを繰り返して来た。呆れられるうちはまだいいとして、見放なされたら?

子どもたちも私の仕事が100か0で、50に落とすのは難しいと知っている。しかしこの歳でこの量の仕事は

過酷過ぎると言う気は勿論する。身体もしんどい。だからと言ってきれいさっぱり辞める決心はつかない。

諸々不安なのだ。仕事辞めても時間の潰し方が分からない。趣味も無い。怠惰な生活を送るんだろうなと

想像する。なので正直辞めるのは怖い。

しかし、子どもたちとの約束を守れないと言うことは、信頼関係を壊していると言うことだ。

孫たちも大きくなって、物理的に何かを手助けすることはもうほとんどないが、それでも求められれば

対応はしたい。それがちゃんと出来ていない。そう言うジレンマも無くはない。

仕事辞めればお金は減るだけで入って来ないという不安もあるし。それなりに使いたい方だし。

要らんことを色々考える。

溜まっている仕事を、このお盆休み間に全部キレイに片づけるという思いではあるが、なかなか切り替えが

出来ない。結構チンタラと過ごしているダメな私💧