アメリカの、トランプが次期大統領に決まったことが気に入らない人たちがあちこちで暴動起こしている。
あれを見て私はつくづく思う。日本ではなかなかあそこまでは無いよねと。
決まってしまったことが覆せるはずもないのに、どうしてああも暴れるんだろう?
鬱憤のはけ口か?
確かに安保法案成立の時だったかに国会の中で議員ども(と言ってもどこの党の人か分かっているが)が暴れ、
国会の外でもデモもあったが、それもたいした騒ぎにはならなかった。小さなものだった。
一部の限られた人だけだったし、私なんかは冷ややかに見ていたし。
お国は変わって韓国。
朴槿恵大統領が今ひどいことになっていて、支持率が5%だとか若い人たちに至っては0%だとか。
そしてかの国でも大統領の退陣を求めるデモだの集会だのが相当ひどい。”朴槿恵辞めろ!”と。
観ているとすごい数だ。50万人とも100万人とも。
日本であそこまでの人数が一致団結してデモするなんて有り得ない。
それだけ韓国民は熱いってことか?
その2つのことを観ていて思うのは、日本ならああまではならないよね と言うこと。
何故か?
日本人は”おとなしい”から。
何故おとなしいか?
それはつまり、日本人の根っこの部分に”諦観”だとか”我慢”だとかの精神があるからなのではないか?と
私は勝手に思っている。
政治の場だとか事件や事故・災害時など、シチュエーションは違っても、夫々の場で国民性がよく表れる。
韓国の人は同じアジア人であっても日本人と違って感情の表し方が激しいよね。
事故や事件があると”アイゴ~アイゴ~!”と言って泣き叫ぶのをテレビで何度も観た。
日本の人はメディアの前でその様に感情を露わにすることはあまり無い。
心の中ではきっと悔しいし腹立たしいし悲しいに違いないと観ている方が思っても、当事者は表向いて感情を
むき出しにはあまりしない。
それを薄情だとか悲しくないのか?とか知らない人は思うかも知れないが、決してそんなことは無いのだ。
日本人だって悲しいし辛い。怒っている。ただそれを出さない?出せない?だけなのだ。
何故だろう?感情をむき出しにすることは恥かしいことなのかな?冷静でいることが美徳だと教えられたのかな?
みんな心の中では泣いているだろうに。涙を流しているだろうに。
例えば大震災。
被災した後でも日本人が騒がず揉めず、整然と列を作って支援物資を受け取り、そして黙々と片づけをするその姿に
海外の人は驚くらしいと言うことを何度も読み、耳にした。
それはね、最初は誰だって呆然とするよ、そりゃ。でもしばらくすると思うんだよね。気が付くんだよね。
『騒いだところで状況が変わる訳じゃない。無いものは無いんだから。文句言わずに我慢するしかない。
文句言ってる暇が有ったらさっさと片づけをして元の生活に少しでも戻ろう、近づけよう』ではないだろうか?
諦観と我慢。
今の時代、”我慢”は少々怪しいが・・・。
日本では天災があった時でも暴動は起きない。窃盗?強奪?
留守宅に押し入り金品を盗んで行く様な愚かな行いをするのは多分殆どが海外の窃盗団だ。
日本人は非常時に乗じて卑怯な真似をしたり野蛮なことをしたりはしない。
レストランで食事中に外へ飛び出し避難した人も、無事で落ち着いたらその時の分の支払いに来るそうだし。
いいとこだね日本は。そういうところ大好きだ。
私は阪神淡路大震災の後、新聞に載ったコラムが心に残って切り抜いて手帳に挟んでいた。
もう20年以上も経ち黄ばんだ切り抜きの記事にはこう書かれている。
『そんな悲劇にあっても、めったに表情に出さない日本人が外国人記者には理解出来ないらしい』
そして最後にこう締めくくっている。
『あれから1週間。忘れていた日常が返って来る。日本人はよく知っているのだ。時しか人を癒すものは無く、
生活はいつもそこにある、と』
日本人はどんな時でも、どんな状況に置かれても、諦めるし我慢もする。
諦め切れない想いは本当はいっぱいあるだろうに、それも心の中にしまって我慢する。
決して騒がない。静かに耐えるのだ。
騒いだところで状況が変わらないのなら先ずは静かに受け入れるしかない。
災害と政治の世界を一緒にしてはいけないかも知れないが、いずれの場合も騒がないのは同じこと。
先ずは前を見る。先を見る。生活があるもの。現実があるもの。勤勉な日本人の為せるわざ。
ああ、誰よりも冷静なんだな、きっと。
そんな日本人が私は好きだ。
あれを見て私はつくづく思う。日本ではなかなかあそこまでは無いよねと。
決まってしまったことが覆せるはずもないのに、どうしてああも暴れるんだろう?
鬱憤のはけ口か?
確かに安保法案成立の時だったかに国会の中で議員ども(と言ってもどこの党の人か分かっているが)が暴れ、
国会の外でもデモもあったが、それもたいした騒ぎにはならなかった。小さなものだった。
一部の限られた人だけだったし、私なんかは冷ややかに見ていたし。
お国は変わって韓国。
朴槿恵大統領が今ひどいことになっていて、支持率が5%だとか若い人たちに至っては0%だとか。
そしてかの国でも大統領の退陣を求めるデモだの集会だのが相当ひどい。”朴槿恵辞めろ!”と。
観ているとすごい数だ。50万人とも100万人とも。
日本であそこまでの人数が一致団結してデモするなんて有り得ない。
それだけ韓国民は熱いってことか?
その2つのことを観ていて思うのは、日本ならああまではならないよね と言うこと。
何故か?
日本人は”おとなしい”から。
何故おとなしいか?
それはつまり、日本人の根っこの部分に”諦観”だとか”我慢”だとかの精神があるからなのではないか?と
私は勝手に思っている。
政治の場だとか事件や事故・災害時など、シチュエーションは違っても、夫々の場で国民性がよく表れる。
韓国の人は同じアジア人であっても日本人と違って感情の表し方が激しいよね。
事故や事件があると”アイゴ~アイゴ~!”と言って泣き叫ぶのをテレビで何度も観た。
日本の人はメディアの前でその様に感情を露わにすることはあまり無い。
心の中ではきっと悔しいし腹立たしいし悲しいに違いないと観ている方が思っても、当事者は表向いて感情を
むき出しにはあまりしない。
それを薄情だとか悲しくないのか?とか知らない人は思うかも知れないが、決してそんなことは無いのだ。
日本人だって悲しいし辛い。怒っている。ただそれを出さない?出せない?だけなのだ。
何故だろう?感情をむき出しにすることは恥かしいことなのかな?冷静でいることが美徳だと教えられたのかな?
みんな心の中では泣いているだろうに。涙を流しているだろうに。
例えば大震災。
被災した後でも日本人が騒がず揉めず、整然と列を作って支援物資を受け取り、そして黙々と片づけをするその姿に
海外の人は驚くらしいと言うことを何度も読み、耳にした。
それはね、最初は誰だって呆然とするよ、そりゃ。でもしばらくすると思うんだよね。気が付くんだよね。
『騒いだところで状況が変わる訳じゃない。無いものは無いんだから。文句言わずに我慢するしかない。
文句言ってる暇が有ったらさっさと片づけをして元の生活に少しでも戻ろう、近づけよう』ではないだろうか?
諦観と我慢。
今の時代、”我慢”は少々怪しいが・・・。
日本では天災があった時でも暴動は起きない。窃盗?強奪?
留守宅に押し入り金品を盗んで行く様な愚かな行いをするのは多分殆どが海外の窃盗団だ。
日本人は非常時に乗じて卑怯な真似をしたり野蛮なことをしたりはしない。
レストランで食事中に外へ飛び出し避難した人も、無事で落ち着いたらその時の分の支払いに来るそうだし。
いいとこだね日本は。そういうところ大好きだ。
私は阪神淡路大震災の後、新聞に載ったコラムが心に残って切り抜いて手帳に挟んでいた。
もう20年以上も経ち黄ばんだ切り抜きの記事にはこう書かれている。
『そんな悲劇にあっても、めったに表情に出さない日本人が外国人記者には理解出来ないらしい』
そして最後にこう締めくくっている。
『あれから1週間。忘れていた日常が返って来る。日本人はよく知っているのだ。時しか人を癒すものは無く、
生活はいつもそこにある、と』
日本人はどんな時でも、どんな状況に置かれても、諦めるし我慢もする。
諦め切れない想いは本当はいっぱいあるだろうに、それも心の中にしまって我慢する。
決して騒がない。静かに耐えるのだ。
騒いだところで状況が変わらないのなら先ずは静かに受け入れるしかない。
災害と政治の世界を一緒にしてはいけないかも知れないが、いずれの場合も騒がないのは同じこと。
先ずは前を見る。先を見る。生活があるもの。現実があるもの。勤勉な日本人の為せるわざ。
ああ、誰よりも冷静なんだな、きっと。
そんな日本人が私は好きだ。