もうすぐ平成の時代も終わる。
朝から、退位の一連の儀式・行事をテレビで観た。
天皇陛下の最後のお言葉もリアルタイムで観て聞いた。
”天皇としての務めを国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは幸せなことだった”
”象徴としての私を受け入れ支えてくれた国民に心から感謝”
私ごときが僭越と言うかおこがましいと言うかではあるけれど、お言葉を聞いた限りでは
”完璧”だったんじゃない?と感じた。簡潔ですべてを言い表している良い文章だったなと。
”明日から始まる新しい令和の時代が、平和で実り多くあることを、皇后と共に心から願い
ここに我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります”
そう、自国日本のことだけじゃなく、世界の平和も祈っておられるのだ。
さすが日本の天皇よね。
世界には自分の国のことしか考えないリーダーもいっぱい居るけれど。
ま、比べるのもおかしいか・・・。
皇室関係がニュースになる時、テレビにいつも二重橋や皇居周辺が映るけれど、好きだな・・・。
世界に誇れる日本の美しい風景だと、いつも思う。
”受け入れ支えてくれた国民に感謝”と仰るが、感謝は国民の方も同じだろう。
災害こそ多かった平成の時代ではあったけれど、天皇皇后両陛下は やり過ぎじゃないかと思う位
国民に寄り添って下さったよ。しんどくないのだろうかと心配でさえあった。
日本各地へ被災地へ、そして慰霊の旅にと、あのお歳で自分の身体も顧みずに、さぞ大変であった
だろうと思う。
多くの人が”ありがとう”と思っている。両陛下に感謝している。
それがなさって来たことの答えじゃないのかな。
いまだ両陛下を非難したりこき下ろしたりしている人たちは、一体どうしたいのだろう?
時代錯誤も甚だしいのでは?
私は、新しく天皇皇后になられる皇太子・雅子さんのことも、今までのことはさておいて
これからのことをちゃんと見て行こうと思っている。もしかしたら、大きく変わられるかも
知れないしね。変わってくれることを期待している。
きちんと公務をこなしてくれる。皇太子を”ぼっち”にしない。そしたら何も文句は言わない。
自分自身のことで言えば、平成の時代はまさしく”働く私”だった。
平成元年に父が急死した。
その時日本に居なかった私は、兄の
”葬儀に間に合わないだろうから無理して帰って来なくていい”という電話に、
必死で飛行機を乗り換え乗り換えしながら帰国し、通夜が終わった頃に着いた。
呆然とした。あまりに突然のことで涙も出なかった。
そして今度は追い打ちを掛けるように平成2年には恩人が亡くなった。
唖然呆然愕然とした。
物心両面での後ろ盾を無くした私は、それから本当の意味で独り立ちしたのではなかったろうか。
いい歳して。遅過ぎるけど。
何をするにも考えるにも決断するにも”独りで”だった。当たり前のことかも知れないが。
そして少しは強くなれたかも知れない。
自分がこの30年で成長出来たかどうかは分からない。
でも何も考えずにただただ必死に働いて頑張って我慢もいっぱいして来たことだけは事実だと
自分は思っている。勿論勉強もいっぱいさせてもらったが。
子どもたちが学校を出、結婚し、孫たちが生まれた。
それはそれで幸せな30年でもあった。
もう必死で働かなくていいようなものだけど、相変わらず辞めずに働いている私。
新しく来る時代には、少しはゆっくりもして良いかもねと考えている。
昭和の時代の方が長くて、昭和が懐かしかったのだけれど、今こうして平成が終わろうとして
いると、やっぱりそれはそれで寂しいものだと、しみじみ思う。
令和の時代も穏やかで平和な良い時代であります様に。
朝から、退位の一連の儀式・行事をテレビで観た。
天皇陛下の最後のお言葉もリアルタイムで観て聞いた。
”天皇としての務めを国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは幸せなことだった”
”象徴としての私を受け入れ支えてくれた国民に心から感謝”
私ごときが僭越と言うかおこがましいと言うかではあるけれど、お言葉を聞いた限りでは
”完璧”だったんじゃない?と感じた。簡潔ですべてを言い表している良い文章だったなと。
”明日から始まる新しい令和の時代が、平和で実り多くあることを、皇后と共に心から願い
ここに我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります”
そう、自国日本のことだけじゃなく、世界の平和も祈っておられるのだ。
さすが日本の天皇よね。
世界には自分の国のことしか考えないリーダーもいっぱい居るけれど。
ま、比べるのもおかしいか・・・。
皇室関係がニュースになる時、テレビにいつも二重橋や皇居周辺が映るけれど、好きだな・・・。
世界に誇れる日本の美しい風景だと、いつも思う。
”受け入れ支えてくれた国民に感謝”と仰るが、感謝は国民の方も同じだろう。
災害こそ多かった平成の時代ではあったけれど、天皇皇后両陛下は やり過ぎじゃないかと思う位
国民に寄り添って下さったよ。しんどくないのだろうかと心配でさえあった。
日本各地へ被災地へ、そして慰霊の旅にと、あのお歳で自分の身体も顧みずに、さぞ大変であった
だろうと思う。
多くの人が”ありがとう”と思っている。両陛下に感謝している。
それがなさって来たことの答えじゃないのかな。
いまだ両陛下を非難したりこき下ろしたりしている人たちは、一体どうしたいのだろう?
時代錯誤も甚だしいのでは?
私は、新しく天皇皇后になられる皇太子・雅子さんのことも、今までのことはさておいて
これからのことをちゃんと見て行こうと思っている。もしかしたら、大きく変わられるかも
知れないしね。変わってくれることを期待している。
きちんと公務をこなしてくれる。皇太子を”ぼっち”にしない。そしたら何も文句は言わない。
自分自身のことで言えば、平成の時代はまさしく”働く私”だった。
平成元年に父が急死した。
その時日本に居なかった私は、兄の
”葬儀に間に合わないだろうから無理して帰って来なくていい”という電話に、
必死で飛行機を乗り換え乗り換えしながら帰国し、通夜が終わった頃に着いた。
呆然とした。あまりに突然のことで涙も出なかった。
そして今度は追い打ちを掛けるように平成2年には恩人が亡くなった。
唖然呆然愕然とした。
物心両面での後ろ盾を無くした私は、それから本当の意味で独り立ちしたのではなかったろうか。
いい歳して。遅過ぎるけど。
何をするにも考えるにも決断するにも”独りで”だった。当たり前のことかも知れないが。
そして少しは強くなれたかも知れない。
自分がこの30年で成長出来たかどうかは分からない。
でも何も考えずにただただ必死に働いて頑張って我慢もいっぱいして来たことだけは事実だと
自分は思っている。勿論勉強もいっぱいさせてもらったが。
子どもたちが学校を出、結婚し、孫たちが生まれた。
それはそれで幸せな30年でもあった。
もう必死で働かなくていいようなものだけど、相変わらず辞めずに働いている私。
新しく来る時代には、少しはゆっくりもして良いかもねと考えている。
昭和の時代の方が長くて、昭和が懐かしかったのだけれど、今こうして平成が終わろうとして
いると、やっぱりそれはそれで寂しいものだと、しみじみ思う。
令和の時代も穏やかで平和な良い時代であります様に。