そんな日もあるよねと、最近自分を慰めている。何となく気分が沈みがちなので。
頭が痛いと病院に行ったが先生は、疲れているんだよ、眼科にも行ってねと。
言われるまま眼科にも行った。事情を説明すると視力検査に始まって、ありとあらゆる(と思われる)
検査をして下さった。でも白内障も歳相応。手術なんか要らないし緑内障も無い。レントゲン撮って
目の奥も調べて貰ったけれど、遠視がきついと言うだけで、特別な病気は無かった。
ただ、目の奥が急激に痛くなるのは、目を使い過ぎることに依る場合もあると。
眼精疲労?眼薬はマメにさしてね、眼鏡も代えた方が良いと。
先日夜通しトイレにこもりっきりだったのも、特に何か悪いものを食べたと言う覚えもない。
つまりは、身体全体が疲れていて、『ゆっくりしなさいよ。休養しなさいよ』のサインだったのかもと
今は思っている。血圧も毎日朝晩測るようにしている。
しかし・・気分は晴れないし、やる気が出ない。
仕事はイヤでも目の前にあることをこなしてはいる。だが、乗らない。
私にとってはこの『乗らない』というのが一番厄介だ。仕事をするにはテンション高い必要があるのだ。
身体には良くないことかも知れないが。
子どもには『仕事も良いけれど、いい加減にしておかないと早死にするよ』と脅された。
あーあ。仕事しなければ何もすること無いのになと思う。別に1人暮らしが寂しいとも孤独だとも
思わないが、ふっと”これでいいのか・・?”と言う思いが襲って来る。何が”これで良いのか?”か
解らないけれど(^^;。ツマラナイな・・。
昔々30代の頃、本を読み漁った時期が有った。誰が好きって、一番は向田邦子さんかな。
いつも泣き笑いしながら読んだ。(同じ人のを続けて読む癖がある)
で、佐藤愛子さんの、確か『幸福の絵』と言うタイトルだったと思うが(記憶が定かでない)、
佐藤高禄さんの書生さん?だった福士幸次郎さんの詩についてのくだりがあった。
最近無性にその詩を又読みたくて(もう古い本は殆ど処分した)、先日も本屋へ行ったが無かった。
そしてあちこち調べて見つけた。『感謝』と言う題だった。やっと巡り合えた気分。
わたし共にもやがて最後の時が来て、
この人生と別れるなら、
願わくば有難うと云って此の人生に別れましょう。
灰色の粉雪、しちむつかしい顰っ面(しかめっつら)の迷い雲、
雪は下界のあらゆる聴覚を障(さえ)ぎり、
老と沈黙(しじま)と追憶の、
ひとりぼっちの古美術展覧会、
ああ、世の聾の老博士、無言教の寡婦(ごけ)さん、
子に先だたれた愁傷な親御達!
あなた方の悔(くい)や嘆きもさる事ながら、
願わくば死ぬ時この人生にお礼を云って御暇乞(おいとまご)いをして下さい。
それは慥(たし)かに人生に対する寛容の美徳です。
悪に報いる金色の光放つ善です。
生はそれぐらい気位高く、強く、明るく、
情熱を以って、
鏡のごとく果つべきです。
私も死ぬ時は『ありがとう』と言って死にたい。
そして生きると言うことは『dignity』だと思っている。(日本語よりこの方が自分にはしっくり来る)