雑感 独り善がり

日々の思いや怒りを自分勝手な考えで綴る

死んだらどうなる?追記有

2023-03-19 23:52:04 | 日記

-ちょっとびっくり!のタイトル?

 読み返して、訳分からない変なこと書いている と思ったけれど、こんなことよく考えるので、

 今日はなんとなく文字にしてみたかった-

 

小学校に上がるか上がらないかの頃から、私は不思議で仕方なかった。

”死んだらどうなるのだろう?”と。そんなこと時々考えた。皆そうかな?

怖い?いやちょっと違う様な気がする。

その時までの自分の”死”に関しての体験は、父に連れられて祖母方の曾祖母のお葬式に

参列した時の記憶があるだけだった。

多分間違いないと思うが、曾祖母は土葬だった。

桶のような形の棺桶に入れられて、そのまま埋められたと、はるか彼方の記憶。

生前の曾祖母は行くたびに『たくさんお食べ。都会の子は食べんね』と言った。

土筆の卵とじはまだ、あの頃の私には苦かった。

 

小学校の1~2年の頃、父方の最年長の従姉が結婚した。私はその中では最年少だった。

大好きな従姉だったので、しょっちゅう新婚さんちへ泊まりに行っていた。

そこから電車に乗って学校に通ったりもした。姉や兄と違い、どこへでも行く子だったので💧

その姉に聞いたことがある。『人は死んだらどうなるの?怖いものなの?』と。

その従姉はこう言った。『〇子はまだ分からないだろうけれど、好きな人が出来たら、

心から愛する人が出来たら、死ぬことなんか何も怖くは無いのよ。大きくなってあなたも

好きな人が出来たら分かるよ』と。

その従姉は大恋愛だった。関西の有名私大と女子大のグループ交際から発展したもので

卒業しても皆ずっと仲が良く、従姉はその同じグループの他の2人からもプロポーズされて

いたらしいが、従姉の選んだ人は一番条件?の悪い人だったらしい。

周りに猛反対されたが、意思を通して一緒になり、とても幸せそうだった。

何度生まれ変わっても、この人と一緒になると2人共が言っていた。

 

今の私。”好きな人が出来たら死ぬことは怖くない” に全く当てはまらないし、縁も無い。

だがしかし、私は死ぬこと自体が怖いのではないと自分でそう思っている。

痛いとか苦しいとかに耐えられるかどうかは判らないが、少なくとも、そう言う類の恐怖ではない。

私は死ぬことが寂しいのだ。悲しいのだ。ツラいのだ。

何故なら?死ぬことは生きていられないことだから。この世から抹殺されるから。

恐怖としたらそれしか無い。

私は生きることが好きで、イヤなことも良いことも楽しいことも苦しいことも、

生きてるからこそ感じられるものだと思う。全部ひっくるめて人生を堪能したい。

死ねばそんなこと、もう感じられない。

皆とお喋りしたり笑ったり、時にはモメたりケンカしたり、頑張ったり。

この世に居なくなると言うことは、そんな諸々が出来なくなるということ。

それが寂しくてツラいのだ。

 

空から見ていられる?皆の様子を。みんな平和にやっているなぁと安心することが出来る?

でもその中に自分は居ない。関与は出来ない。それが面白くない。

あの世だとか本当にあるのかどうかも判らないし、本音を言えば、ひとつだけ確かなことは

死ねば”無”になるということ。多分。そう思っている。

肉体は滅びる。だが死んでも魂は宇宙のどこかに存在するのだろうか?星屑になって未来永劫

意識も感情も無いまま宇宙の彼方で眠り続ける?後の世の中を知ることも見ることも無いまま?

いや、それさえも無い?

あーこんなに生きることが好きなのに、それでもいつかは無くなってしまうのねと思うと

それが恐ろしくてツラい。これが怖いってことか。

 

ちょっと話は横道に逸れるが、人は大事な人が亡くなれば悲しくて泣く。

それは何が悲しくて泣いているのだろう。

亡くなった人の人生を思って泣く?もしも若い人だったら、その人の短かった人生を思って泣く?

もっとやりたいことがあったろうに、無念だったろうに、あぁ何でこんなにも早く・・・と。

それとも大事な人を亡くし、残された自分が悲しくて寂しくてツラくて泣く?

まあ、悲しい時はそんなことは考えてはいない。とにもかくにも訳なんか無く涙が出るのだから。

 

人生は一度きり。”生まれ変わったら”というのが本当にあるのかどうか?

だからこそ尊い。生きることは尊厳。 ”dignity” だ。

私はこの世に人として生を受けたことを有難いと思い、精一杯生きたいと考える。

勿論、人によって考えや思いは夫々だ。なので、あくまでもこれは私の思い。

死んでしまえば、辛いとか痛いとか苦しいとかの感情さえも無いのだから、それらを

感じられることさえ、生きていることを実感出来る証なのだから、有難いものなのだ。

ツラさ苦しさを乗り越えれば、明るい光が見えるでしょう?だから頑張れるんだよ。

反省も後悔もいっぱいあるし、大した人生ではないかも知れないけれど、それでも

最後まで一生懸命でありたい。そうでなければ折角のこの人生、勿体無い。

 

私は最期の時でも、未練たらしく渋々この世におさらばするんだろうな・・・と、

今から思っている(;^_^A

まだまだやるよ。負けへんよっ!

 

追記:

長い短いは関係無い。限られた時間をいかに精一杯生きたかが大事なのであって。

大事な人を早くに亡くした方にとっては無神経な記事だったかも。ごめんなさい。

私は死んだら、自分が関われなくても、姿かたちが見えなくても、声が聴こえなくても、

空から子どもたち孫たち自分の大事な人たちを見続けていたい。見守っていたい。

みんながそうだったらいいな。