昨夜は2ヶ月ぶりの友との食事会だった。先月は予定していた頃に丁度台風10号で、もしかしたら
出掛けにくいかもと、皆同意の上でキャンセルしたのだった。
賑やかな街のカジュアルな中華のお店。出て来る一皿も中華によく有る大皿ではなくコンパクトで
お陰で色んな種類の料理が味わえた。美味しいのにリーズナブル。得した気分だった。
食事が進んだ頃『もうお腹いっぱいよ』と言う声や、体重のこと等から食欲の話に。
体重が減るのはやっぱり食べる量だと。あぁ・・そう言うことなら私は全く食欲が落ちてないから
やっぱり体重は減るはずもないか・・・とがっかり。
集まった5人のうち、お母さんが90代で健在が2人。頭はしっかりしておられるのだが痩せていると。
1人はびっくりするほど軽い。もう1人のお母さんも、食べたくない・欲しくない と言われると。
人は本当に段々食べられなくなり、やせ細って、枯れて、挙句餓死?(悪い言葉では無いよ)朽ちる?
それが自然死・老衰ってことか。
そう考えると、私の両親は亡くなる時点で特に痩せては無かった。それは多分、いわゆる平均寿命まで
生きていなかったからだと、昨日の友らの話を聞いて私は思った。祖母は70歳ちょい超え位だったけど、
痩せず、しかし穏やかに亡くなった。”老衰”だった。それも寿命ね。
つまりは外的内的にそれほど悪いことろがなく健康体である人は、穏やかに緩く衰えて行くと
言うことなのかも知れない。
どういう長生きの仕方が幸せなのか解らない。私たちにも早かれ遅かれそう言う日が来る。
出来ることなら無事に穏やかに仲良く暮らして行ければいいなと思う。
お母さん健在の友にも、意思の疎通が出来るのだから、時間大事に過ごして欲しいと思う。
もうひとつの話。
私が以前ブログに書いた”昔深窓の令嬢だった”Miのことを、彼女と同じテニス部だったCが私に聞く。
『何が言いたかったの?Miにどうあって欲しいの?』Miは今幸せだからいいんだと。
Miに限らず皆、昔はお嬢様だったじゃない。でも結婚したら誰だって変わるよね と、Cだったか
誰だったかが言う。『でも、今年早々亡くなった昨年のクラス会の幹事だったYさん。彼女は本当に
学生時代からお嬢様で結婚しても変わらなかった。最後の最後までお嬢様奥様みたいに可愛らしい人
だったじゃない?皆が皆”おばさん”になる訳じゃないよ』と私。
そう、Cが言う様に、本人が幸せだと感じているならそれで良いのよ。他人がとやかく言うことじゃない。
ただ私は、12歳で知り合った、純で無垢で可愛らしかった友らを覚えていて、そのイメージが残っている。
それがあまりにも変わるのがイヤなのかも知れない。若く美しくかっこよく居て欲しい。単なる私の我儘だ。
私は先日仕事で来社したお客様に『大阪のおばちゃん、そのものだった』と言われたけどね。
初めて会うまで何度も電話で話はしている。その時にそう感じていたらしいが『想像していた通りだった』と。
正直”失礼なやっちゃなぁ”と思ったよ。いくら客でも、業者の営業相手に、それも女性に、その言い方は
無いだろ。デリカシーの無い奴 と、感じたが、そんなことは心の中に収めて仕事する。
今どき、そんなこと言う人も珍しい。大手のお客様ほど、我ら業者に対しても失礼だと思われるようなことは
言わない。紳士だ。
まあ私の性格上、そんなこと気にするタイプじゃないと思われたのかもだが、自分で自虐的に言うのはいいけど
他人にそれを言われるのはやっぱりイヤだね。
話が飛んだがCが、中1でスタートしたテニスの仲間(彼女らはとても仲が良くて、絆が強い)らとの、
60年以上に亘る誰かが作ったという動画を見せてくれた。その中に私の言う、深窓の令嬢時代のMiも居るからと。
皆、屈託のない笑顔だ。
Cが『これを見ているとね、涙が出て来るの』と。解るよ解る、その気持ち。とっても解る。
ああ、私たち本当に良い学校で良い友らに巡り会えたんだねと数十年を超えて実感する。
部活の仲間とは滅多に会えない・・と、私らの食事会の仲間になったハンドボールのSも、最近は年1位の
頻度で集まれる様になったらしい。関東から関西からとなるので、中間地点位で1泊で会うのと。
皆、場所はどこでも良いのよ。一晩お喋りが出来れば良い訳で。良かったね、会えるようになって。
72歳・73歳はまだ若い。まだまだこれからよっ!楽しみはいっぱいある。
そんなこんなで『また来月ね~』と別れた。