私にしては珍しく、と言っていいだろう。厭世観に苛まれている。
こう見えて(いや、誰にも見えてない💧)今まででも何度もそう言う気分になったことはあるのだが、
今回のこれは多分理由がはっきりしている。ひとことで言えば歳のせい。
今年は学生時代の友らと一緒にイタリアへ行く予定。年イチ桜を観に行く1泊旅行をする友らと。
月イチの食事会の友らとは又違うグループ。
私が仕事をリタイアしたらと言っていたのだが、私は一向に仕事を辞める気配が無い。なので休んででも
さっさと行こうと言っていたのがコロナになって中断。そして今年こそは!もう今行っとかないと行けなくなる
と言うことから計画が本格化したのだが・・・。春に行くつもりがKちゃんのお母さんの都合で延期。
その時は、4人揃わないと行かないよと3人は待った。ところが今度は娘さんが手術だとかで、もう行けない、
3人で行ってと。
そんなやり取りをしていたら、Mがお兄さんが先日亡くなったと。驚いた。もうかなり前の長崎の2泊3日の時は、
そのお兄さんの紹介で、ちょっと有名なシェフのフレンチをいただきに行くのも目的のひとつだったので、
お兄さんも旅行中ずっと一緒だった。
中学から一緒だったMの兄妹はとても仲が良くて、よく話に出て来ていた。カッコいいお兄さんだった。
悲しいね。寂しいね。
月イチ食事会の友らも、ご主人が心配な病気の人もいる。
70代って、結構難儀な歳ごろだなと感じる。芸能人でも亡くなる人が多い。
自分含め、いつ誰がどうなってもおかしくないんだ・・・と言うことが現実として迫って来る感じ。
結婚して舅姑に気を遣い婚家になじむのに必死で、そのうち子どもが生まれ子育てに追われ、やっと忙しさも
マシになったと思ったら子どもたちも結婚したり。そしておばーちゃんになり、又孫守。そして親の介護など。
気が付けば連れ合いが病気に・・・・。
一体いつだったら気の休まる時があるのだろう。いつだったら心おきなく旅行などに行けたのか?60代?
ああ・・・私がさっさと仕事辞めて思い切って行けば良かったんだよ。辞めなくても休めただろうに・・。
そう思うと、友らに申し訳なくて。皆は私を待っていてくれたのに。
先週も茨城まで日帰りで行って最終で帰宅。今日も昨日から出張で10時過ぎに帰宅。正直身体しんどいのだが
それ以上に気が滅入っている。気合が入らない。いつもながら出張で移動中の公共の場は、腹立たしいことが
てんこ盛りだ。満員の電車の中で脚を組む女。新幹線車中で大きな声で喋る大人。ずっと喋っているので
耳障りで眠れない。耳栓しても聞こえる。苦行だ。騒ぐ子ども。注意しない親。女性専用車に知ってか知らずか
堂々と乗ってる若者。電車待ちで列を乱し、我先に乗り込もうとする呆れた図々しい年寄。もう知らんわ。
怒る気にもなれない。意気消沈している。
大型案件が取れたと言うのにそれほど喜んでも居ない。今の会社に入ってからでは最高金額の受注だ。
自分が苦労しなかったら、こんなにも嬉しさが違うものなのか?と正直自分の気持ちに驚いている。
冷めている。
一体何がイヤで何が嬉しいのさ・・・と自分で自分がよく判らない。
相変らず仕事は忙しい。それはちゃんとこなしはしている。でも喜んで!とはなってない。
一体私は何をしているのだろう・・こんな歳行ってまで・・と、ふっと思う。少しも満足感が得られてない。
雑な人生を生きて来たのではないだろうか、大事なことを疎かにして来たのではないだろうか、
取り返しのつかないことをして来たのではないか・・・もっと丁寧な生き方があっただろうに。
そんな後悔がある。今更どうにも出来はしないのだけれど。そしてそれが私の人生なんだろうなと解っているよ。
早く気を取り直して元気になりたい。パワーとバイタリティが売りの私でも、こう言うことはたまにある訳で💧