円通院は、宮城県宮城郡松島町(日本三景・松島)にある臨済宗妙心寺派の寺院で、通称「薔薇寺」です。伊達政宗の孫で、19歳で早世した伊達光宗の菩提寺、霊廟(三慧殿)があります。三慧殿の厨子には、慶長遣欧使節を率いた支倉常長が西洋から持ち帰ったバラが描かれています。円通院はこのバラを題材にした庭のある「バラ寺」として知られています。
我々日本人が花や木を生ける時、その行為は、古代のアニミズムの流れを汲んでいるようです。植物を立てて神を招くという行為は、“切ってもある程度生命を維持することができる植物”に神霊が依り憑く(よりつく)ことから、生まれたと思われます。又、花や木を生ける行為は、切られても生命を維持する植物に神秘性を感じた常緑樹信仰にも通じます。生け花は、(生ける、「生きる」)と花、「花」)に由来します。仏教が入ってくると、仏壇で花を供えることが一般的になります。神殿への供物として、また先祖の前に使用される供花として、花は扱われるようになります。
この流れの中で、供花に適さない花を考えると、それは次のような花になるでしょう。
棘のある花(アザミ、バラ)、毒のある花(ヒガンバナ、スズラン、スイセン)、ツルのある花(つるバラ、クレマチス)、においが強すぎる花(匂いの強いユリ、梅)。
ご先祖様が戻ってきたときに、ご先祖様に思いやる想いは、『蔓や棘で絡まれるのは、強い匂いで惑わされるのは、毒を盛られるのは、いずれのケースも前世だけの事にしておきたい。』という思いがあります。
薔薇の花が、広範に生活の中に溶け込むことができなかったのは、宗教等の薔薇の花に対する強い下支えがなかったことと、日本人の心にそぐわなかったからでしょう。このことは、今まで見てきた、キリスト教と、イスラム教の薔薇に対する“扱い”を思い起こせば明白です。
もう少しはっきりと言えば、日本人は自然の中に溶け込むような生活様式を取っていたのは300年ほど前までの話で、その実、自然に対して無関心なのが今の現実です。熊本県でツクシイバラを懸命に面倒を見ている姿は、むしろ例外と言っていいでしょう。「今は余裕がない」とは言い訳にすぎません。余裕のある時代って今までの日本にあったでしょうか。日本の薔薇の固有種が日本国内から消えそうな様と、それとは反対に広く外国で日本の固有種が大切に育てられている姿を見ると、残念としか言いようがありません。