1405年までにこの地域でローズウォーターが使用されていた事実は、ターメルレーン(Tamerlane 、チャガタイ1336-1405)が記録した次の文章の中にみることができます。
『ターコモンゴル(Turco-Mongol)の征服者(バーブール)は、1405年2月に亡くなり、中国に向かいます。彼の遺体はローズウォーター、ムスク、クスノキで香りが付けられ、真珠で飾られた棺に入れられ、真夜中に軍隊が動揺しないように、400マイル離れたサマルカンドに移されました。』
バーズィー チャガニアン(Bāqī Chaghānyānī )が、アムダリヤ岸にてバーブールに敬意を表す絵。 1504 CE バーバーンマ(Bāburnāmah)※ の中におさめられた一枚。
※ バーブルナーマ( バーブールの回顧録、書 )。元はチャガタイトルコ語で書かれ、その後、ペルシャ語に翻訳されたバーブルナーマ(Bāburnāmah)は、北部を征服したフェルガナ(中央アジア)のティムール朝の統治者、シャールアルダンムハンマドバーブール(1483—1530 )※2 の回顧録です。後に、北インドを征服し、インド、ムガル帝国を樹立しました。おそらく10世紀後から16世紀にかけて写されたものです。彼の散文は、文の構造、形態、語彙が非常にペルシャ語化されており、ペルシャ語の多くの句や小さな詩も含まれています。 アクバル皇帝の治世中、作品はムガル帝国の廷臣アブドゥルラヒム( Abdul Rahīm, 1556/12/7 - 1627、ムガル帝国の大臣であり作曲家 )によって1589-1590にペルシャ語に完訳されました。
バーブルナーマの中に描かれた細かいムガールスタイルの30のミニチュアは少なくとも2人のアーティストによるものです。( http://www.bl.uk/turning-the-pages/?id=b4e4b216-731f-44a5-ad21-a6091b7ef8f2&type=book で見ることができます。)
上のe-Book に書かれた序奏を以下に引用しておきます。
『 ムガル朝の創始者であるバーブールの回想録は、バーブールの孫である皇帝アクバルが、1589年に原文をチャガタイトゥルク語からペルシャ語に翻訳しました。この図解は1590年から93年のものです。中略。原稿はペルシャ語で書かれており、右から左に読む言語であり、原稿の層序は本の最後から始まります。大英図書館 OR 3714 』
ターコモンゴル( Turco-Mongol )※1の王子でありティムールの孫であるバーブール( Babur、1483〜1530 )※2は、1526年にムガル帝国を設立しました。後に、この帝国は、インド亜大陸のほぼすべてを統治することになります。
この頃、トルコ人とタタール人は、エジプトの一部を統治して、マムルーク朝( Mamluk Sultanate、エジプトを中心に、シリア、ヒジャーズまでを支配したスンナ派のイスラム王朝、1250 - 1517 )を確立しました。
※1 ターコモンゴル( Turco-Mongol )
ターコモンゴル( Turco-Mongol )の伝統は、ジョチ ウルス( ペルシャ語: اولوس جوجي、Ulūs-i Jūchī、13世紀から18世紀にかけて、黒海北岸のドナウ川、クリミア半島方面から中央アジアのカザフ草原、バルハシ湖、アルタイ山脈に至る広大なステップ地帯)を舞台に、チンギス ハーンの長男ジョチの後裔が支配した遊牧政権とチャガタイ ハン国(Chagatai Khanate、チンギス ハーンの次男チャガタイ)が征服、統治し、支配したトルコ人に同化してゆきます。文化的統合を指し、ターコモンゴルとして知られるようになりました。即ち、モンゴルの政治的および法的制度を維持しながら、イスラム教とチュルク語(突厥語、Turkic languages )を徐々に採り入れて行きます。
他民族の文化、宗教に寛容な元王朝の施策のおかげで、ダマスクローズは次の時代へと受け継がれていくことになります。これらの地が、イスラム教を放棄し、違った宗教を選択し、その宗教が香りを忌み嫌うものでない限り薔薇は大地に根を這わせることができます。
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