日記 1999年代
1999年11月22日 勉強会
日蓮大聖人はお弟子さんらに信心の基本と言うべきか、天魔に注意されている。天魔は油断すると、入り信心をさせないようにする。正当な僧でも、天魔に侵されると権力欲となりお金儲けに走り信心を狂わせてしまうものである。
人間というと、お金が入ったり、出世すると、人間性が変わるものである。政治家でもそうである。まして、僧侶となると、質が悪くなる。悪鬼が入り込み、庶民いじめや布施を高くし遊び三昧となるからだ。そして、災難を呼び込み洪水などで庶民いじめとなるからである。
11月24日 青年から冒険心なくなったら、老人の心という。この名言まさしくである。故に、冒険の心でいきたいものだ。
勉強会
日蓮は、叡山は謗法で、祈りのしるしがないと。
すなわち、上記の、祈りのしるしがなければ、信心しても無意味なのである。謗法とは、仏法の父、釈迦をけなしているとのこと。祈りのしるしなく、謗法ではどうしようもないだろう。信心は、幸になりたいと祈って、しるしあれば、幸になれる。しるしないのでは、不幸になる意である。